第33話 励まし?

ふと、キーリングに繋がれた二つの鍵に目を留めた。

そのうちの一つは、恐らく二度と使うことは無いけれど、ひどく手に馴染んで愛着がある。

……わざわざ、外さなくてもいいよな?

自分への意味の無い問い掛けに、何故か葉菜の笑顔が浮かんできたので苦笑してしまう。

「ちょっと、早く開けなさいよ」

イライラした口調で亜希が言った。

そこにわずかばかりの緊張をのぞかせている。

以前、有希といるときに部屋に押し入ってきたことはあったけれど、やはり男の部屋に一人で入るのは怖いのかも知れない。

「なあ、何もこんなところで勉強することは無いだろ?」

助け舟を出したつもりだが、亜希は負けん気の強い瞳でにらんできた。

そうだった。

コイツは俺の言葉に逆らうのがデフォだ。


店長になってまだ一週間だが、シフトに穴が開くと深夜以外の時間帯にも入らなければならなくなった。

今日は午後のシフトで、ちょうど仕事を終えたところに学校帰りの亜希が店に立ち寄った。

会うのはクリスマスイブ以来なのに、ろくに挨拶もせず勉強場所を提供しろと言ってきた。

この時間だと家に父親がいるし、有希もうるさくて気が散るのだという。

俺は夜の十時には再び出勤しなければならないから、それまでの時間でいいなら、ということで部屋に連れてきたわけであるが。


制服姿の少女が、炬燵こたつの上に参考書やノートを広げて座っている。

中学の制服なんて野暮ったいものだが、亜希が着ていると上品なデザインに見えなくもない。

「受験まで、あと一週間だろ」

最近、亜希は店に顔を出さなかったけれど、気には掛けていたので受験日程を調べたりした。

いや、顔を出さないからこそ、こんを詰め過ぎていないか気掛かりだったのだ。

「うん」

視線をノートに落としたままの返事。

「ここからはリラックスして無理はしない方がいいんじゃないか?」

「判ってる。今は全体を俯瞰ふかんして、苦手なところのおさらいしているだけ」

その言葉を聞いて安心する。

ちゃんと自分の状況や立ち位置を把握している。

「ハルヒラ」

「ん?」

亜希がノートから視線を上げ、うかがうようにこちらを見ていた。

「……あけおめ」

「は? 今さらかよ!」

「だって、メッセージは送ったけど、直接は言って無かったし……」

視線はまたノートに落ちるけれど、ノートを見ているわけでは無いようだ。

「そうだな。あけおめ。そして、今年もよろしく」

視線は更に落ちて、炬燵布団でも見ているようになる。

「……ありがと」

「え?」

くぐもった声は、聞き逃してしまいそうに小さい。

「一応、受かったら……受かったらだけど、ハルヒラのところでバイトして、それで、有希のことは何とかなりそうだから」

詳しいことは知らない。

でも、何となく想像するに、有希は生活費や養育の問題から、親類かどこかに預けるという話が出ていたのではあるまいか。

「有希と一緒に暮らせるのは、ハルヒラのお蔭」

うつむいたままだけど、随分としおらしいことを言う。

「いや、俺がいなくても、最初から進学してバイトすればなんとかなることだったんだろ?」

「そんなことない! ……こともないかも知れないけど、私は意固地だし、両立させるなんて無理だって思ってたし、有希を親戚に預けるって話を聞いたときに、何くそ、じゃあ私が働いて何とかするって意地になってたから」

確かに亜希にはそういうところがある。

いったん決めたら、他人の意見に耳をかたむけそうにない。

「有希には、このことは言わないで」

「え?」

「この話を知ったら、自分はいらない子なのかと勘違いしそうだし」

そういうことか。

姉は必死に引き留めたとしても、父親はそれに同意したわけだからショックを受けてもおかしくはない。

「お父さんも、有希のことを考えた上でっていうのは判ってる。今の生活環境は決して良くは無いし。ただ、あの子も私も不満があるわけじゃない」

夜更かし、かたよった食事、その他諸々。

でも有希はいい子だ。

もちろん亜希も。

たとえ環境は悪くても、不満を持たず助け合って生きている。

「それに、あの子の生活環境には、その、ハルヒラもいるし」

「え? 良くない生活環境に俺が含まれてるのか?」

「そういう意味じゃなくて!」

顔を赤らめてムキになる。

この姉妹にとって、必要不可欠とまではいかなくても、何か支えのような、いろどりのようなものであればいいな、と思う。

「だから、その……あの子の今の環境を守ってやりたいの」

そんな環境の一部であり、それを守る一助になれるなら嬉しいことだ。

「ねえハルヒラ」

「ん?」

「私達の環境は守られたけど、ハルヒラの環境は……それで、いいの?」

俺の、環境?

「お前らも俺の環境の一部だ。お前らの環境が守られたなら、俺の環境が守られたも同じだよ」

「そうじゃなくて!」

しおらしく、か弱かった口調が苛立いらだたしげなものに変わる。

「元カノと、別れたんでしょ?」

「お前、国語の試験、大丈夫か?」

「は? 何よ、いきなり!」

「いや、別れたから元カノであって、元カノと別れたとか日本語的におかしいだろ」

「ア、アンタが別れた彼女とズルズル関係を続けてるからこんなおかしな表現になるんじゃない!」

それを言われると何も反論できない。

「アンタの環境が変わって、こっちにとばっちりが来たらたまったもんじゃないんだから!」

「それは、無いよ」

さすがにこの姉妹に影響を及ぼすなんてことは有り得ない。

いや、でも、物心ついてからずっと当たり前のようにそばにいて、別れてからも何だかんだと近くにいた。

葉菜のいない日常が、俺に与える影響は小さくないのかも知れない。

そして、葉菜に与える影響も。

「ア、アンタは店長で、私達の環境を左右するやとい主になるんだからしっかりしてよね!」

そんな大袈裟な。

だけど、しっかりしなきゃいけないのは確かだな。

「私達の命運はアンタに握られてるんだから、セクハラでもパワハラでも好きにすればいいじゃない!」

コイツは俺の人間性を何だと思ってるんだ……。

「と、とにかく! 店長になったからっていい気にならないでよね!」

どっちやねん……。

でも、コイツなりにはげましてくれてるのだろうか。

意味もなくムキになって早口でまくし立てる姿は、どこか一所懸命に見えた。

「ありがとう」

「な、な、何言ってるの!?」

「頑張るよ」

「バ、バカじゃないの!? 頑張らなきゃいけないのは私でしょ!」

「うん、そうだな。頑張れ」

「っ!」

亜希がそっぽを向く。

赤く染まった横顔を見せ、唇をきゅっと噛み締める。

頑張れ。

そしてその頑張りが、このひたむきな少女を豊かに彩ってくれるように。

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