第18話 待ってたのに!

ギリギリまで迷っていた。

今日が有希の劇がある日だ。

お昼を過ぎて眠気を感じる頃、俺はコーヒーを飲んだ。

でも、どうせ観に来るのは近所の老人と、子供の保護者達ばかりだろう。

俺が行ったところで浮いてしまうだろうし、有希が他の子達から冷やかされる原因にもなりかねない。

俺は布団の中に潜り込んだ。

あまりいい眠りじゃなくて、変な夢ばかり見ていた気がする。


寝不足のだるさを感じながら出勤する。

穂積がニヤニヤしながら近寄ってきた。

「彼女とデートはどうでした?」

「彼女?」

一瞬、穂積が何を言っているのか理解できずに問い返す。

直ぐに有希の劇のことだと気付いたのだが、俺としては彼女と言われると葉菜の顔が思い浮かんでしまう。

「もしかして、すっぽかしたんすか?」

「すっぽかしたとか言うな」

「でも、西村さんから聞きましたよ? すっげーお願いされてたらしいっすね?」

……なかなかに突き刺さる言葉を放ってくる。

「可哀そうっすねぇ。今も泣いてんじゃないっすか?」

「なんか嬉しそうだな」

「嬉しいとは言いませんけど、これで田中さんは確実に減点されたでしょ」

「なんか嬉しそうだな」

「いや、だって、田中さんといると俺、傷付くことばっかですもん」

「傷付く?」

俺、コイツに傷付けるようなことしたっけ?

「この間もエロ店員扱いされましたし……」

「ああ……」

あれは嘘も方便というか、咄嗟とっさに詩音が機転を利かせたというか。

いや、キレてたオヤジも同調してたし、割と本質を突いていたのか?

「有希ちゃんには無視されますし」

それはどうしてだか俺も解らない。

有希なりに何かを感じ取っているのだろうとは思うが。

「亜希ちゃんにも無視されますし」

「ああ、それは俺もあるから」

「田中さんに対するあれはツンなんですよ!」

「ツン? ツンと無視、どう違うんだ?」

穂積があからさまな溜め息をく。

ツンどころか俺、変態扱いされてるんだけどなぁ……。

「俺、いま彼女とトラブってて、下手したら別れることになりそうなんすよ」

「別れたら?」

「ちょっとは親身になろうって選択肢は無いんすか!」

「あ、いや、でもお前、三股くらいしてるし」

「セフレはただの肉体関係、遊び友達の女は三人、愛してるのは彼女だけなんすよ」

「別れたら?」

「ちょ、俺の話、聞いてました!?」

聞いていたから言ったんだが。

「俺が田中さんなら、亜希ちゃんを彼女にして、有希ちゃんは将来を見越してキープ、詩音ちゃんをセフレにしますね」

「……もし俺がそんなことをしたら、葉菜に殺されても文句は言えないな」

「はな?」

「いや、何でもない」

「あ、噂をすれば愛人が来ましたよ」

……現状では、有希が彼女で詩音がセフレ、亜希は愛人だったのか。

で、その愛人が眉を吊り上げて俺のところに来るのは、十日ぶりくらいになるだろうか。

って、眉を吊り上げて?

コイツ、まだブラの件で怒ってるのか?

「どうして来なかったのよっ!」

亜希はレジカウンターを叩いた。

ブラのことではなく、有希の劇を観に行かなかったことを怒っているらしい。

それは判ったが、どうしてそれで亜希が怒っているのかが判らない。

「お前、行ったの?」

「行ったわよ! ハルヒラが来るかと思って公園の入口でずっと待ってたのに!」

「でも俺が行かないなら、お前も行かないつもりだったんじゃ?」

「だ、だから来ると思ったの! ていうか思わせたでしょ!」

……有希には期待させてしまったのだろうか。

可能性は低いと言ったつもりだったが。

「有希は?」

「有希が何よ」

「有希はどうしてる?」

「……ちょっと悄気しょげて、今はねてる」

アイツはいつも明るくて、怒られても笑ってるようなヤツなのに。

「ごめん」

「ゆ、有希に謝ってよね!」

「うん、判ってる」

「ま、まあ私はアンタが来ようがどうでも良かったんだけど、姉としてはひとこと言っておきたかったのよ」

「そうか。お前にも迷惑かけたな」

「あったかい紅茶」

「へ?」

「あったかい紅茶、おごれ」

珍しいな。

廃棄の商品を貰うことすら嫌な顔をするのに、奢れなんて言ってくるとは。

お安いご用というか、寧ろ嬉しいくらいなので、ホットのストレートティーを亜希に渡す。

「ハルヒラ、もうすぐ休憩時間でしょ?」

亜希は目を伏せて訊いてくる。

「あと十五分くらいかな」

「じゃあ、待ってる」

紅茶のペットボトルを手で包んで、亜希は店の外に出ていく。

「田中さん」

穂積が目をキラキラさせていた。

なんだコイツ?

「姉妹を彼女と愛人にするって、スリリングで燃えますよね」

「彼女と別れた方がいいと思うぞ」

脈絡が無いのは判っていたが、俺は穂積にそう告げた。


店の外、灰皿の近くで亜希はちょこんと座っていた。

「すまん、待たせた」

俺がそう言うと、亜希は飲み終えたペットボトルを俺に差し出した。

ゴミ箱は店内にある。

まだ少し残っているが、捨ててこいということなのだろう。

「ちょ、ちょっと待って!」

俺が店内に戻ろうとすると、亜希は慌てて制止した。

外は寒くて、紅茶はもう冷えている。

「も、勿体無いじゃない」 

残っているのは四分の一くらいだろうか。

「なんだ、まだ飲むのか?」

「の、飲みきれないけど勿体無いからアンタが飲めってことが判らないの! っていうか嫌なら捨てればいいじゃない!」

いや、だから捨てようとしたのだが?

別に嫌ってことはないが。

俺は残りの四分の一を、一気に飲み干した。

「なっ!」

飲めと言っておきながら、飲むと絶句するのは何故なのか。

「へ、へんたい!」

コイツも葉菜と同じように、ののしるようでいて甘い声を出す。

もしかしてアレか? 間接キスとか意識してるのか?

そういう初々しい感情は理解するが、こちとら性器にも口づけしたことのある大人であるわけで、ここは普通にスルーしておく。

「ところで亜希」

「な、なに?」

「電話番号、教えてくれ」

「な、なななな何で!?」

タイミング的に、変に意識させてしまっただろうか。

「いや、今回みたいなことを防ぐためにも知っておいた方がいいだろ?」

「い、イタズラ電話するつもり!?」

「するかっ!」

「ど、どうせ、今ジョギングの最中だったんだ、とか言いながらかけてくるんでしょ!」

「どんなシチュエーションだよ! ハアハア言わねーよ!」

まあ簡単に電話番号を教えるようなヤツでは無いと思っていたが、ここまで難癖なんくせつけてくるとは。

いや、難癖じゃなくて言いがかりだな。

「ハルヒラ」

亜希は俺を呼んで、早口で番号を口にした。

咄嗟のことで、しかも早口、とても憶えられないだろうと思ったのか、亜希はザマァミロとでも言うように笑った。

挑発と寂しさが混じっているようにも見えた。

……でも俺は、数字に関しては極端に記憶力がいいのだ。

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