第2話 元カノ

朝六時に仕事を終える。

早朝シフトのおばさん二人に挨拶をして店を出る。

最近、朝晩が肌寒くなって、夜明けもだいぶ遅くなってきた。

コンビニから徒歩五分ほど、周りより薄暗く感じられるごみごみした一画の古いアパート。

所々にさびの浮いた階段を上り、二階の最奥の部屋に入る。

つもりだったが、部屋のドアにもたれ掛かって女性が立っていた。

「また朝帰り?」

「夜勤だよ。知ってるだろうが」

「どうだか。遊び回ってる可能性もあるし」

本当に疑っているわけでは無さそうで、何だか嬉しそうにも見える。

「いつからここにいた?」

「いま来たところよ? 退勤時間に合わせたし」

「……」

「今月は月火水金日がシフトでしょう?」

「詳し過ぎだろ」

「まあ……監視役、いえ、保護者みたいなものだし」

俺は溜め息をいた。

小中高と同じ学校で、同郷からは唯一同じ大学に進んだ者同士、慣れない都会で何かと頼ったり頼られたりはした。

一時期は同棲もしたし、割と真剣に将来のことも考えたりした。

だが、一年ほどで同棲は終わりを迎え、もう俺は大学も辞めている。

いつまでも俺の面倒を見る必要も無いのだ。

春平しゅんぺい

「ん?」

「あなた顔色悪いわよ。ちゃんと寝てる?」

……やっぱり、保護者っぽさは簡単には抜けないか。

でも、実家は広大な山林と田畑を所有する大地主で、しかも四人兄弟の末っ子だし、傲慢ごうまん我儘わがままなのは折り紙つきだ。

そんなプライドの高いヤツが、どうしていつまでも自分を振った男の世話を焼くのか。

「まあ上がれよ」

俺自身、嫌いになって別れたわけじゃないし、それは今でも変わらない。

コイツも同じで、俺のことは嫌いになれないのかも知れない。

「いいの?」

上目遣いで、俺の様子をうかがうように聞いてくる。

「そのつもりでこんな時間に来たんだろ?」

「どこの馬の骨とも判らないクソビッチを部屋に連れ込んでるんじゃないかと思って」

「マジで監視かよ!」

ていうか、お嬢様育ちのくせに、どこでこんな汚い言葉を憶えてくるんだか。

「それもあるけど」

そう言って、足元に置いていた重そうなかばんを持ち上げる。

たぶん、食材が入っているのだろう。

俺はまた溜め息を吐いた。

監視と保護を兼ねているらしい。

同棲しているときから、それほど料理は得意では無かったが、何故か面倒見はいいんだよなぁ……。


鞄の中から、食材だけでなくエプロンも出てくる。

コイツは昔からそうで、何でも形から入るタイプだ。

葉菜はな

「ん?」

「そんな本格的にしなくていいぞ」

「でも、朝がメインの食事でしょう?」

夜勤を続けていると、寝る時間だけでなく、食べる時間も逆になった。

出勤前の夜は手軽に済ませ、帰宅後の朝に本格的に食べる。

とは言え、店は廃棄商品の持ち帰りは禁止しているし、どうしても食事は適当になりがちだが。

「作ってる間にお風呂でも入ってきたら?」

「いや、風呂は食後と決めている」

葉菜がクスッと笑う。

別れてから二年が経っているけれど、何も変わっていないことがおかしいのだろうか。

「相変わらず、部屋は花だらけなのね」

ベランダも無いアパートだから、花だらけと言うほどでは無い。

サボテンや観葉植物がメインで、俺としては少し寂しいくらいだ。

実家が花卉かき類の生産農家だったせいか、身近なところに花が欲しくなる。

そういった点も、葉菜とは合わなかった。

葉菜は田舎育ちのくせに虫が嫌いで、部屋に鉢植えを置くことを好まなかった。

「ねえ」

「どうした?」

「私達……そろそろ……」

葉菜が言い淀むとは珍しい。

まさか、よりを戻そうとか言うんじゃないだろうな?

「そろそろ、子供作らない?」

「なんでやねん! よりを戻すとかならともかく、いきなり子供かよ!」

「子供が出来たら、必然的によりが戻るじゃない」

「そんな必然のために子作りが出来るか!」

「でも、この二年、春平に彼女が出来た様子は無いし……それとも、気になる人でもいるの?」

頭に、亜希有希姉妹が浮かんできた。

いや、小中学生を思い浮かべてどうする!

せめて詩音……いや、ダメだ。

実際のアイツがどうかはともかく、葉菜がクソビッチ認定するのは間違いない。

……いや、葉菜は俺の保護者じゃ無いのに、そんなことを気にしてどうする俺!

「もう、昔から春平は頭が固すぎるのよ」

「お前の頭が柔らか、じゃなくてぶっ飛んでるんだよ!」

実際、コイツの考えというか価値観が、ちょっと極端過ぎて俺にはついていけなかったのだ。

何だかんだと俺のことは大事にしてくれるけど、自分が認めない相手、たとえそれが俺の友人であろうと、気に入らないとなれば徹底的に見下す。

成績が悪い、素行が悪い、あるいは不潔だったり下品だったり、そういった事柄をコイツは容赦しない。

だから俺は、コイツと一緒にいるとコイツを嫌いになってしまいそうで、それが嫌で離れることを選んだ。

いや、もしかしたら逆なのかも知れない。

俺の方が極端で、俺はコイツに嫌われることを恐れているだけなのかも……。

「美味しい?」

目の前に並べられた料理は、以前より格段に美味しくなっていた。

だから「美味しい」と答える。

コイツは努力をおこたらない。

だから俺は、素直に称賛できる。

ふっ、と子供の頃から変わらない無邪気な笑みが返ってきて、また好きになってしまいそうになる。

「はい、あーん」

葉菜は違和感なくはしでおかずをまみ上げ、俺の口許に差し出す。

相変わらず、箸の持ち方が綺麗だ。

「ふざけんな」

「どうして?」

「付き合ってるわけじゃない」

「あら、付き合うよりずっと前もしたじゃない」

「子供の頃のままごとだろ」

「私達、まだままごとから脱してないのかもよ?」

お互い、大人にはなりきれていない。

それはそうかも知れないけれど、やり直せば上手くいくとは思えない。

でも、だからこそ、コイツの魅力には困ってしまうのだ。

「ほら」

そう急かされて、結局それを口に入れる。

「へへ」

子供の頃みたいで、子供の頃よりずっと可愛く笑うのは、何でだろうなぁ……。

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