しがない深夜のコンビニ店員だけど、J-SCKDに懐かれている
杜社
第1話 帰れ
「いらっしゃいま──帰れ」
時刻は深夜の二時前。
雑誌の納品を終えて一息ついたところでの来客に、俺はコンビニ店員としてあるまじき言葉を放っていた。
「よぅ!」
小学校六年生のガキが俺の言葉など意に介さず、右手を上げていつもの挨拶を投げてくる。
「……」
中学三年生の姉の方も、いつも通りに不愛想だ。
この姉妹は、週に三回くらいは深夜に買い物に来る。
俺がここで働き出した三年半前から、それは変わらない。
「ヒマ?」
「暇じゃねーよ!」
小六のガキに社会の厳しさを教えてやりたい。
コイツは将来を約束されたような可愛らしい顔をしているが、頭は相当悪そうだ。
だから、まあ……悪い男に
「亜希」
「……」
姉の方は返事もせず、目だけをこちらに向ける。
随分と極端な姉妹で最初は戸惑ったが、今はもう慣れた。
「ちゃんと妹の教育しとけ」
やはり返事は無いが、俺に
……またか。
姉妹で夜更かしして、買うものといえばカップラーメンばかり。
聞けばそれが晩御飯だと言うし家庭に問題があるのは想像に難くないが、店員がどうにかできる問題でもない。
当時は亜希が小六、有希はまだ小三で、店内を走り回ったりして鬱陶しいガキだった。
わりとキツめに怒ったりしたのに、何故か有希には懐かれ、亜希は……まあ相変わらずだ。
「有希はカレーヌードルばっかだな」
レジカウンターに置かれた商品を見て言う。
亜希は醤油系が多い。
予算は二人合わせて五百円以内のようだから、安い物を選んで残りでお菓子を買ったりする。
「ちょっと待ってろ」
俺は事務所に入って、一時に廃棄になった商品の中からサラダを二つ取り出す。
オーナーに見つかったらクビだが、防犯カメラをチェックすることは滅多に無い。
「ちゃんと食えよ?」
カップラーメンと一緒にレジ袋に入れると、亜希が
毎度のことだ。
「投資だよ、投資」
「投資?」
小さな声で尋ねてくる。
「そ。将来、田中さぁんって
「……きもい」
「うっせーよ! さっさと帰って食って寝ろ!」
「嫌」
「はぁ?」
亜希はとにかく反抗的だ。
コイツ、絶対に学校で浮いてるだろ。
女子には嫌われて、男子は遠くから憧れて見てる状況が目に浮かぶ。
つまりまあ、愛嬌があって可愛らしい妹とは対照的に、近寄りがたいほど不愛想で綺麗な顔をしている。
こんなに不愛想じゃなければ、みんなからチヤホヤされたことだろう。
だが俺は大人なので、こういったガキの対処法は心得ている。
「亜希、帰らないでくれ。ずっとお話ししよう」
「有希、帰るよ」
効果
……ちょっと悲しくはあるけれど。
「じゃぁ!」
有希は全く空気を読まず、いつも通りの挨拶をする。
俺は今まで子供嫌いで、小さい子を見てもメンドクサイとしか感じなかった。
だが有希みたいに、そんなことなどお構いなしに懐いてこられると、それはそれで嬉しいものだと知った。
クソガキとか思いつつ、じゃれてくる有希にどこか癒しも感じないではない。
無愛想な亜希も、もう少し懐いてくれればいいのだが。
姉妹が信号を渡って路地の奥のアパートに消えるのを見届けてから、店の周りの掃除を始める。
毎晩のことだが、よくもまあこれだけポイ捨てが多いものだと感心する。
空き缶、ペットボトル、タバコの吸い殻、マスクも落ちている。
使用済みのコンドームが落ちていたこともあった。
そんなものを捨てていくバカはともかく、マスクというのは他人に風邪などを
勿論、それとは正反対の人も沢山いる。
びっくりするくらい愛想のいい人、恐縮するほど店員を気遣ってくれるお客さん。
コンビニ店員をしていると、人が嫌いになりそうだったり、人っていいなぁ、なんて思ったり、気持ちの振れ幅が大きくなる。
「田中っちー」
またメンドクサイのが来た。
深夜だというのに自転車のベルを鳴らして挨拶してくる。
「帰れ」
もしかして、俺ほど客に「帰れ」と言う店員は
だがコイツも高校生のガキだ。
帰れと言うのは正しいことだと思う。
「お掃除ご苦労!」
「やかましいわ」
「ナプキン買いに来た」
「やかま──いちいち言うな」
「だって、急に始まっちゃったのに帰れなんてマジ鬼畜だし」
「すまん。そしてさっさと買ってさっさと帰れ」
「えー、ヒドくない?」
「ヒドくない」
「あっしは田中っちの顔を見ると、ガチで生理痛も吹っ飛ぶ定期」
時々、コイツの言語は意味不明だ。
まあ住む世界が違うというか、何度か中年のサラリーマンと手を繋いで来たこともあるし……。
取り敢えず掃除を中断して店内に戻る。
本来ならもう一人の店員がいる
「あれ、田中っち一人?」
「ああ。ていうか、急に生理が始まって慌てて来たわりに、バッチリ化粧してんのな」
「男は度胸、女は化粧っしょ」
「愛嬌だろ!」
いや、コイツは愛嬌もあるんだけどな。
「つーか田中っち、愛嬌って漢字で書ける?」
え? きょうってどんな漢字だったっけ?
「愛……しか書けない」
「じゃあ書いて」
は?
何やら可愛らしいメモ帳のようなものを出してきた。
言われるままに、ボールペンで「愛」と書く。
「この愛、確かに受け取ったし」
「ちょっと待て」
何故か愛を奪われた気になってしまう。
「愛は奪い取るもんだって、ばっちゃが言ってたし」
ばっちゃが言ってた、というのはコイツの口癖だ。
今までにばっちゃが言ってたことを総合すると、コイツの婆ちゃんの人物像はエライことになる。
「おい中田っち」
中田詩音。
ずいぶん前に名前を教えてもらった時に、場合によってはイジメられそうな名前だと思った。
何となく名前のことに触れるのは気を遣ってしまうが、俺が変に意識しすぎなのかも知れないし、コイツが俺を「田中っち」と呼ぶのを真似て「中田っち」と呼ぶくらいはいいだろう。
でも、どこか遠慮がちに呼んでしまった。
「あ、田中っち、あっしの名前はなかたしおんで、なかだしおんじゃないから」
「なかたっちって呼んだだろーが! どんな耳してんだよ! そもそも漫画みたいに音なんかしねーよ!」
コイツは俺の気遣いなんて豪快にぶっ潰してくる。
「中タッチ?」
「そ、その筈だが何か違うような気が」
「それもいいけど、あっしはばっちゃがつけてくれた詩音て名前ガチで好きだし」
「そ、そうか。じゃあ詩音で」
詩音がニマッと笑う。
「あ、そうだ。ついでにぶっかけ
……まさか中出しで思い出したんじゃないだろうな?
「ねー、やっぱぶっかけって言ったらとろろだよねー?」
「知るか!」
……深夜に来る客というものは、大体に
そんな中でもここに来るガキどもは、更に一癖も二癖もあって俺を疲れさせる。
疲れさせるのに、さあ、もうひと頑張りするか、なんて思えてしまうのは何故だろう。
「田中っち、ありがと。じゃ、お疲れー」
詩音は清算を済ませると、いつもより元気な笑顔で豪快に手を振りながら店から出て行く。
客のいない店内と、そこに流れる聞き飽きた音楽。
さて、邪魔者もいなくなって静かになったことだし、一人で出来るだけ仕事を片付けなきゃ……あ──。
そうか。
一人になって気付く。
アイツは俺の気遣いを豪快にぶっ潰したんじゃなくて、気遣ってしまう負担をぶっ潰したんだ。
やっぱり俺は、疲れたように苦笑しながらも心の中で呟くのだ。
さあ、もうひと頑張りしよう。
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