第9話

 女王様に案内されて、僕たちはお城の中へ入りました。近くで見ると壁だと思ったものは全部、氷で出来ています。窓枠は氷柱つららで出来ていてつるぴかです。

 僕と美冬ちゃんはかけてもらった魔法のおかげでぽかぽかでしたが、春子お姉さんは寒いみたい。小刻みに震えながら、ぎゅーと僕を抱きしめて離してくれません。うぅ。苦しくて顔を上げたら、女王様と目が合いました。女王様はちょっと笑ったみたいで、春子お姉さんの方へ向けて指を一振り。


「あら、急にあったかい」


 春子お姉さんの腕の力が弱まりました。はぁ、呼吸がらくちんです。


「ごめんなさいね、早くに気がつかなくて。さぁこちらへお座りになって」


 入っていった部屋は応接間なのでしょうか。ふわふわの真っ白い雪でできた大きな椅子が並んで、透明なテーブルを囲んでいます。テーブルの上には玉虫色に色を変えるグラスと、何やら美味しそうなもの……アイスクリームかも。


「あまりきちんとしたおもてなしができなくてごめんなさいね」

「いえ、私もお邪魔するのにお土産がなくて……あっ!」


 美冬ちゃんはリュックサックを下ろして、中に手を突っ込みました。がさがさひっかき回し、手を取り出します。


「林檎しかないのですけれど! どうぞ!」

「まぁ、ありがとう。いま、切ってきてもらうわね」


 つやつやぴかぴかのふじ林檎は、すすす、と現れたエプロンをつけた小さな女の子——妖精さんみたいに見えます——に持っていかれました。美冬ちゃん、今回は女王様、受け取ってくれて良かったね。もう少し大きくなったら、お土産ない時に有り合わせのものはやめて後日改めてにしようね。


「そういえばお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「あ、ごめんなさい! 私は美冬です!」

「春子です。あの……夏男がここに来ていませんか」


 元気に答えた美冬ちゃんとは正反対に、春子お姉さんはおずおずと、やや怪しむ様子で女王様に聞きました。


「あぁ……夏男くんの大事なお友達なのかしら……いますわ」


 すると春子お姉さんは我知らずと言ったていで立ち上がり、ひき結んだ唇が震えて見開いた目がうるうるしてきました。


「お友達がいらして良かったと言うべきなのか……三つお隣のお部屋にいますわ」


 そう言って女王様が指をパチリと鳴らすと、さっきの妖精さん(?)がやってきて春子お姉さんを手招きします。春子お姉さんが駆け寄ると、廊下へ連れて行きました。大丈夫かな、夏男さん。

 女王様は目蓋を半分ほど閉じまして、真っ白な頬に睫毛が影を作ります。でもすぐに明るい声を作って僕に向き直りました。


「そして、そちらの方のお名前は?」

「テトです!」


 ああ美冬ちゃん待って、僕がちゃんと自分で。

 申し遅れました。女王様が僕の声が聞こえて光栄です。わたくしはティート・チェーザレ・アレクサンドル・コリオラヌス・ヴィットーリオ=マクシミリアン・リチャード・ルイ・フィリップ八世です。


「初めまして。ティート・チェーザレ・アレクサンドル・コリオラヌス・ヴィットーリオ=マクシミリアン・リチャード・ルイ・フィリップ八世さん」


 さすが、僕の名前を一度で間違えずに呼ばれた方は、なかなかいらっしゃいません——何故か今日は二人目ですが。


「テトさん、とお呼びしても?」


 喜んで。よあ・まじぇすてぃ。


「お会いできて光栄ですわ、テトさん」


 こちらこそそのような過分なるお言葉をいただけるとは望外の喜びです。よあ・まじぇすてぃ。


「美冬さんとテトさんは、もしかして秋人君のお友達ではないかしら」

「はい、秋人くんがごめんなさい。女王様に意地悪してるのだと思うんですけど、秋くん本当はいい子なんです。秋くんと一緒にごめんなさいするので、秋くん返してください」


 美冬ちゃんのために僕からもお願いします。慈悲深い女王様。

 すると女王様はまた伏し目がちになり、重々しく切り出しました。


「秋人くん……今はまだ元に戻っていないのです。夏男くんもそうなのだけれど、秋人くんも悪魔が作った鏡の破片が目の中に入ってしまって、悪さをしだして……」


 なんとまた、どこかで聞いたような流れですね。


「このままでは悪魔に操られて人間界の人にもひどい危害を加えてしまう、と思ったのです。被害が広がる前に連れてこようとしたらあまりに強く抵抗したものだから、一人だけならご挨拶しても構わないと言ったのよ。それが美冬さん、貴女だったのね」


 なるほど、だから秋くんは美冬ちゃんのおうちに来たんですね。でもそう仰いますわりに、女王様、連れ去るの早かったですね。


「ごめんなさい。私も力の制御が難しくて、悪魔の力が及ぶ前に強行突破しちゃいました」


 しちゃいましたって……そんな憂いを湛えた目で言われても。


「でも貴女が秋人くんの大事な大事なお友達なら、もしかして伝説が……」

「伝説?」


 美冬ちゃんは身を乗り出しました。早く秋くんに会いたいものね。


「伝説で聞いたことがあるのです。大事なお友達がその子のために涙を流してあげれば、悪魔の鏡の破片が目から流れ出て、元に戻るかもしれないわ」


 滔々と女王様が語ります。どこか夢見がちに。まあファンタジーですから。僕、その話知ってます。その方法がいいのかも、ねえ美冬ちゃ……


「無理です、女王様」


「え?」

 へ?


 今度は僕と女王様がシンクロしました。美冬ちゃんはすっくと立ち上がります。


「玉ねぎと包丁、貸してください」


 み、美冬ちゃん、そんなものここにあるわけ……


「あぁ、あるけれど」


 あるの!? いつからこの世界、そこまでファンタジーになったの!?


「お客人をおもてなしするために食材は揃えているのです。ここへ」


 すぐにさっきとは別の妖精さんが玉ねぎと包丁、まな板を持ってやってきました。準備、良すぎ。

 驚く僕と戸惑う女王様とは正反対に、美冬ちゃんは玉ねぎをむんずと掴みます。するとなんというタイミングか、部屋へ秋くんが入ってくるではありませんか。


「女王様、目にごみが入ったときには泣くんだよ、ってママが言ってました。だから私とかじゃなくて秋くんが泣かなきゃ、ごみは取れないです」


 た、確かにね。そして美冬ちゃん、ママが玉ねぎみじん切りしてるの見ているとき、いつも横でボロボロ泣いてるものね。


「秋くん!」


 美冬ちゃんが呼ぶのに、秋くんはゆらりとこちらを向きます。表情がなくてぞっとするくらい冷たい目です。目が虚で歩き方も覚束ないみたい。大丈夫? いきなり乱暴とかしない?(どうでもいいですけど、不気味なふりむき方の効果音が何故ゆらりなのか、いまだに疑問です。音じゃなくて雰囲気?)


「秋くん、これよく見てて」


 美冬ちゃんはテーブルにだんっとまな板を置くと、玉ねぎにざくっと包丁を立てました。あぁ、秋人くんが逃げようとしますっ。


「テト、秋くん押さえて!」


 えぇっ僕? 押さえるってええ? あぁもういいや! 僕は秋人くんの足にびたりとくっつきました。あぁぁ秋人くん、足バタバタしないで。宙に、浮く! 怖い! やだ怖い! その間にもだんだんだん、まな板に包丁が当たる音がします。「危ないっ」「手元気をつけてっ」「あぁ、指が近いっ」女王様の悲鳴が僕の不安を掻き立てるので、女王様、叫ぶのやめていただけると……


 あぁそして早く早く、秋くんの足の動きが加速してるから早く早く……

 う、前に秋人くんが破いた傷口から、は、腹綿はらわたが出そう……


 そう、僕が一抹の不安を覚えた時です。


 キラリと光るものが上から落ちてきたのです。

 そして、コツン、カラン……微かな音が耳に入りました。


「あ、あれ……? 美冬ちゃん……?」


 あ、秋人くんの声が上から降ってきます。足の動きが止まりました……! 


「秋くん! はぁ良かったぁ、元の秋くんだ!!」


 はぁ良かったぁ……ギリギリセーフ。ちょっと傷口から白いのが出ただけみたいです。元の僕にすぐ戻れそう。

 女王様が屈んで、僕を抱き抱えると(ありがとうございます)、床から何か摘み上げました。白くて細い指の間に、黒光りするものが見えます。


「すごい……本当に悪魔の鏡が取れるなんて。ならきっと、夏男くんも同じ方法で……」

「夏男ーっ!!!」


 女王様の言葉を遮って、部屋の外から歓喜に満ちた叫び声が聞こえてきました。

 驚いた僕たち三人と一匹は三つ向こうへ走ります。女王様、御自おんみずから抱えて連れていってくださいまして大変恐縮です。


 部屋に着くと、夏男さん(と思しき人)がベッドの上で半身を起こし、春子お姉さんを宥めています。春子お姉さんはと言えば大仰に涙を流しているようですが。夏男さんの顔も濡れちゃってます。


 その様子を見ていると、僕の頭上で女王様の呟きが聞こえました。


「……こちらは、春子さんの涙で鏡の破片が取れたみたいです……」


 おやまぁ、世の中って科学で説明できないことが多いんですね。


 ちらりと横を見てみると、美冬ちゃんと秋人くんは、しっかり手を繋いでにこにこお姉さんとお兄さんを見ていますよ。








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