第6話

「ねぇ、どうしてこの雪山に来たのかな? この辺り、あまり安全じゃないのよ」


 お姉さんが優しそうな声で言います。ほら美冬ちゃん聞いた?


「わたし秋くん探しにきたんです」

「秋くん? お友達? もしかして今日連れてこられた男の子かしら」

「はい! 秋くん、ずっと一緒なので迎えにいかないといけなくて!」


 なんだか美冬ちゃんの説明はおかしいのですが、そこには突っ込まずにお兄さんの方が感じ入って吐息を漏らします。


「桜子、これは行かせてやらないと」

「そんな葉太、この雪山に今、悪鬼が出始めたから入り口を閉めたの忘れたの? なにいきなり態度変えちゃって」

「だってほら、愛は勝つ」

「……そんな恥ずかしい台詞が言えるのは学園長だけかと思ってたわ……」


 はぁぁー、とお姉さんの呆れたような深くて長ーい溜息が聞こえました。お姉さん、僕も同感です。美冬ちゃんを説得してください。


「小さなお嬢さん、本当に行かなきゃだめ?」

「はい! 雪の女王様にお願いして秋くんと一緒に帰ります!」


 美冬ちゃんはぶんぶん首を縦に振ります。つまり僕が小刻みに揺れると言うことです。元気だけはいいんですけど、美冬ちゃん聞いてた? 悪鬼だよ。ファンタジーで文字通りの意味で超現実的なんだけど本当だったら雪の女王様どころじゃないかもよ?


「うーん……あの男の子を戻すのには貴女しかいないのかしら……でも……」


 そうでしょう、そうでしょう。というわけでお姉さん、止め……


「行くなら少し保護魔法をかけなきゃね」


 ええぇぇぇーー!?


「防護のないまま行くのは危険だから、この花びら持っていって。私の光魔法ルチェオを帯びているから悪鬼には効くはず」


 いやお姉さん、ありがたいですけどむしろ帰してください! 


「あと女王の館は寒いから、身体の周りに弱い熱膜張っておくよ?」


 お兄さんがそういうとぽわん、と音がしました。あっ、あったかい。頬っぺたが感じていたぴりぴりした痛みがなくなって、足先から頭のてっぺんまで日向ぼっこしているみたいです……ってそうじゃない!!


「うわぁ、ほこほこするー! お兄さん、ありがとうございます」

「いいだろ、これ」


 ご機嫌な美冬ちゃんにお兄さんもご機嫌です。僕にはなぜ二人がこんなに呑気なのか分かりません。


「ねえ葉太、ついでだからそっちの子も。かなり思念が強いから変化魔法メタモルフォーゼもいけると思うわ」

「ああ、やっぱ桜子なら分かるもん? 確かにいけそう。じゃ、ほらっ」


 お兄さんが掛け声をかけると、僕の周りがキラキラ光りだしました。そして……なんだか身体が

 ……あれれ?


 どうも違和感を感じて、僕は手を伸ばしてみます。えい。前に出せます。後ろに反ってみます。ぐぃー。美冬ちゃんの髪の毛に当たります。

 ん?

 僕、自分で動いてる?


「ほら、熊五郎、もう自分で歩けるだろ。これならお嬢ちゃんも重くないよな」

「えっ? ほんと?!」


 く、くまご……なんって失礼な! 僕の名前は日本古典じゃなくて歴史に名を残したかの……


 美冬ちゃんが僕を地面に下ろしてくれたので、僕は拳をお兄さんに突き上げました。


「何言っているのよ、葉太。確かに少し、長いけれど……ごめんなさいね、ティート・チェーザレ・アレクサンドル・コリオラヌス・ヴィットーリオ=マクシミリアン・リチャード・ルイ・フィリップ八世さん」


 えっ……


 お姉さん、いかにも僕はティート・チェーザレ・アレクサンドル・コリオラヌス・ヴィットーリオ=マクシミリアン・リチャード・ルイ・フィリップ八世ですけれども、なぜ僕の名前をそんな……分かるんですか。


「桜子は人間以外のと意思疎通がうまいなぁ、相変わらず」


 いや、お兄さん、むしろ怖いレベルです。えっと、魔女さんでしょうか。魔女さんて魔法がえとほら……ま、まあ、はい。どうぞお見知りおきを。


 お姉さんに敬意を(あくまで敬意ですよ。恐怖じゃありません)示して、僕が深々お辞儀をしましたら、美冬ちゃんが横で手を叩いて喜んでいます。「立った! 立った! テトが立ったー!」って美冬ちゃん、僕は車椅子に乗ったことはないです。


「あ、口はしっかり縫い付けられちゃってるから、喋れなくてごめんな?」


 なんと。未熟な魔法使いですね。さっき別の名前で読んだの、まだ怒ってますからね(*全世界の熊五郎さんごめんなさい)。


「本物のクマにはできなかったの?」

「無茶言わないでくれよ。さすがにアンゴラ山羊の毛のやつをクマにはできない。関連が薄すぎて変化魔法メタモルフォーゼかけてもすぐに切れるよ。それに本物にしたら、野生の本物に襲われるだろ。縄張り荒らすなって」


 ひいぃそれはいやです。お兄さん、失礼言ってごめんなさいありがとうございますすみません。


「じゃあ気をつけてね。悪鬼が出たらこの花を使えばいいから。雪の女王のお城はそこまで遠くないし」 

「ありがとうございます! さぁ行こう、テト!」


 美冬ちゃんはお兄さんとお姉さんに元気に手を振って、僕の片手を握って駆け出しました。雪の上ですが、身体の周りはポカポカしているし、脚もサクサク地面を踏んで行くし、爽快です。美冬ちゃんの帽子のてっぺんで、銀のボンボンが光って揺れます。本当に行くなら、このままさっさと行って女王様の目につかないところから秋くんを助け出しちゃって帰りましょう。それがいいはず。


 そうして僕と美冬ちゃんは雪山を上へ上へとずんずん登って行きました。奥に行くほどまっさらな地面につく跡が深くなり、木が増え、次第に空も見えなくなるほど枝が張り巡らされてきて……ん? 何か枝の向こうに黒いものが……?


「わわっ、テト、何かくるっ。えっえ?」


 きゃあ、と叫んで美冬ちゃんが頭を覆うと、上からすごい勢いで鳥が急降下してきました。烏です。一羽、二羽、三羽? 美冬ちゃん、伏せて伏せてっ! あぁっこないでぇっ。

 美冬ちゃんを守らなきゃ、そう思うのに、僕の目はぎゅーっと閉じてしまいました。あぁっだめだこんなではコリオラヌスやヴィットーリオ陛下に笑われてしまうのにっ。目が、みえ、ない!


 その時です。もこもこの手で覆った僕の耳が、雪を踏んでかけてくる足音をキャッチしました。


「こらーーっっ! 弱いものいじめ、やめなさいっ!」

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