完結、お疲れさまでした。一時は、また大河小説化するのではと思ったこともありましたが(すみません)、見事に展開が収斂しての着地、感動しました。
やはりバニラダヌキさまのような手練れでなければ、このようなものは書けないでしょうし、カクヨム様という場では受け止めきれないかも知れませんね。
しかし、猫村さんのジャスミンの島、先日完結させた拙作、それにこの作品と、いずれも往還記的な展開になっているというのが、面白いシンクロだなと思いました。物語の一つの典型ではあるのですが、現実世界における様々な欠落がどんどん大きくなっているのが、こういう共振現象を起こしたのではないか、などとちょっと思いました。
作者からの返信
そうなんですよねえ。
実はこないだのクリスマス物件よりも、ストレートに500枚超の長編にできるなあ、とか、自分でも思ったりしております。
短編のつもりでしたから、いきなり第二章あたりでド~ンとカマしてしまったわけですが、あのシーンに至るまでの過去の展開に、慎一や管生が関わることもできるかな、と。つまり、あれを阻止するために、実結の子供時代の記憶に関わって、それに失敗して後半戦へ、みたいな。
でもまあ中編としては、とりあえず、こんな展開と着地になりました。
実は投稿前には、実結が目覚めるシーンや、慎一&管生の掛け合い漫才シーンも他にあったりしたのですが、この長さの中ではかえって浮いてしまいそうな気がして、投稿時にカットしたりも。
しかし、確かにシンクロしてますねえ。
狸の場合、今年に入ってからの全世界のアレコレに、小松左京大先生の『復活の日』よりも、むしろ『ゴルディアスの結び目』のような重圧感を覚えてしまい、それをお花畑方向に吹っ飛ばしたくて、こんな話を着想したわけでした。
正直な話、もう脳内お花畑の話だけしか、自分では語れない気がします。
ああ、民族の太母たる美しく爛れたラスボスとの穏やかな対決、楽しませていただきました。子どものころに何度か山の中の横穴式石室に入ったのを思い出したりして。ヨモツシコメのお姉さん方が桃の実を見ただけで飛んで逃げてしまうのが微笑ましかったです。
自分には敵わないな、と思う作品を見ると焦りを感じたりすることも多いのですが、ここまで技量がかけ離れていると、不思議と励まされます。ありがとうございます。
(ひとつだけ、ひとり言としての質問ですが、訓読みで「ももとせ」とせずに「ひゃくとせ」と音読みにされたのには何か理由がおありなのでしょうか。単なる好奇心ですが…)
作者からの返信
いや、実在の黄泉醜女さんたちに会えたら、きっとかわいいと思うんですよね。「ぎゃあ!」とか叫んで逃げるから、あちらも「なにそれ失礼すぎ!」とか怒って追いかけてくるわけで、逃げるこっちだって、そのうち必ず腐るんですから。
技量、と褒めていただくと、てへ、などと照れまくりつつ――狸の場合、いわゆる大衆小説、というより紙芝居とか落語とか講釈とか、話芸の世界が先に立っており、そこに純文学が乗っかってきた――そんな感じの育ちなので、たぶん猫村様とは、土俵が違うのかもしれません。
で、「ひゃくとせ」問題。
えーと、たぶん、あのあたりを筆記している狸は、もーまったく芸能鑑賞状態――ぶっちゃけ狸が学生の頃の、まだ若き坂東玉三郎さんが特殊メイクを施して伊邪那美を演じてくれている――それを狸が観ながらせっせと筆記している――そんな感じだったので、『百』も、声として『ひゃく』だったんだと思います。たぶん。今にして思えば、文字としては『もも』のほうが『桃』に通じていい感じですが、声として観客に実感させるにはやっぱり『ひゃく』かなあ、みたいな。
単なる事後の自己分析ですが、たぶん、そんなニュアンスかと。
完結、おめでとうございます。
大変な霊道行でしたね。
実結ちゃん、ちゃんと幸せになってよかったです。
手持ちのお星さまがもう残っていないのが残念ですが、心の中で無数に捧げます。
作者からの返信
どんな悲惨な運命に晒されまくっても、たとえそれが何十話にわたって続いても、なぜか最終回だけはいきなり世界がハッピー方向にでんぐりがえり、観ている子供たちは「おいおいそりゃねーだろう」と心の底で呆れつつ、でもやっぱり超ハッピーな涙が止まらないのでオールOK――そんな紙芝居の少女物が、子狸の頃から大好きでした。
少女の瞳には、なんといってもキラキラ星です。
狸も、いただいた無数の星を、瞳に浮かべてキラキラと……。
……猟師に鉄砲で撃たれそうな気がします。
遅ればせながら、完結、おめでとうございます。
この作品には、言葉にできないほど胸を打たれ、それでもなんとか言葉にしようと努力していたのですが、今の私には無理でした。
とても素晴らしかったです。
情けない話ですが、それしか言えません。
作者からの返信
過分なお褒めの言葉に、やったやったうまく化けられた、などと、喜びのでんぐりがえりを繰り返す狸です。
正直、今年の三月以降は、能天気な狸にも気の滅入ることばっかりで、もはや自分自身すら化かさねば生き続けるのがしんどい、そんな気分でした。
この話も、いわば読者様のみならず自分自分を騙くらかすために無茶の限りを尽くしたのだなあ、と、今になって思ったりもしております。