なお哄笑する実結みゆいの父に、

「……待て、誤解だ」

 実結みゆいの伯父は、手にした書類から顔を上げ、ようように言った。

「何かの間違いだ。俺や実結みゆいの血液型は……」


「世迷い言をほざくな!」

 実結みゆいの父は叫び、義兄と妻の頭上、天井に散弾を放った。


 漆喰しっくいの破片が降りかかる中、兄妹は互いを守るように、きつく抱き合った。

 その姿を見て、実結みゆいの父はれ鐘のように絶叫した。

「いじられていたのは俺の血液型だ! 子供の頃、親に教えられたのはB。実結みゆいの血液型がはっきりしたとき、俺も念のためにと調べたらやはりB――てっきり信じた。しかし同じB型でも実はBBだったのを、医者にBOと偽らせたのは、そこの糞爺いと婆あだよ! 実結みゆいを畜生どもの子から俺の子にするためにな!」


 管生くだしょうが、こそこそと慎一に耳打ちした。

「慎一、彼奴あやつの話がわかるか? ずいぶんといやな話を聞いているのはわかるが、肝腎の理屈が、俺にはちっともわからぬ」

 声を潜める必要はないのだが、実結みゆいの夫である慎一にとっても『厭な話』であることを、妖物なりに気にしたのだろう。

「……あとでいいか? 長くなる」

「おう……」


 実結みゆいがAO型なのを知っている慎一には、実結みゆいの父が狂乱した理由も、おおむね見当がつく。実結みゆいの母はAAなのだろう。AAの母とBBの父から、AOの娘は生まれない。そして伯父はおそらくBO。AAの女性にAOの子を産ませられる血液型だ。しかし血液型の親子継承の詳細など、とても管生くだしょうに説明している余裕はない。語られた真実が、あまりに重すぎる。


 実結みゆいは――兄が妹に産ませた娘だったのか?

 実結みゆいの父は、自分が真の父親ではないことを悟り、偽りの家族を殺して家を焼いたのか?

 しかし――今ここにいない実結みゆいが、なぜこんな光景を思い出せる?


「血液型など……まれに変異することも……」

 実結みゆいの伯父は、激昂している義弟に、なお反論した。

「まだ言うか!」

 実結みゆいの父は、よだれを飛ばして叫んだ。

「その封筒の中を見ろ。まだ何か残っているだろう」


 猟銃の先で指示され、実結みゆいの伯父は、震える指で封筒の中を探った。

 取り出した一枚の写真を見て、青かった兄妹の顔が、さらに色を失う。

 実結の父は、くつくつと嘲笑しながら、

「……その雌犬めすいぬが昔から大事にしていた、箱根細工の化粧箱があったろう。その底の隠しに、後生大事にしまってあった。つくづく馬鹿な犬畜生だよ」

 兄は愕然と妹を見つめ、

「お前……なぜ、こんな……」

 妹は涙を流しながら兄の胸に顔を伏せ、

「だって……ごめんなさい……忘れたくなかった……」


 慎一には、写真の表が見えない。しかし裏面の質感から見て、それは普通の印画紙ではなく、明らかにポラロイド写真である。ならば、どんな被写体であるかは想像できる。ネガや現像を必要としないポラロイド写真の、ある種の需要の典型的な――おそらくは若気の至りの――。

 そこは管生くだしょうにも、おおむね見当がついていた。十九世紀なかば、この世界で湿板写真技術が実用化されると同時に、そんな需要は生まれていたのである。若気の至りではなく、富裕な商人や貴族の秘かな遊びとしてだが。


「……まあ、いいさ」

 実結みゆいの父親の声が、気が抜けたようにしずまった。

「どうせ、これでしまいだ。畜生どもは、揃って地獄に行け。いずれ俺も行く」

 狙いを定める銃口に、もう迷いはない。


 すべてに裏切られた男の覚悟を悟ったのか、実結みゆいの伯父、いや実結みゆいの実父は懇願するように、

「お願いだ……実結みゆいだけは……」

 人倫を外れた男にも、血を分けた娘への確かな情愛はあるのだろう。


 しかし対する狂人は、

「おう。俺だって実結みゆいは可愛いさ。おまけに俺の娘ではない。そこはお前らに礼を言う」

 そう言って、底なし沼のように濁った笑いを浮かべ、

「あれはさっき、俺が女にしてやったよ。お前らを始末したら、連れて逃げる。どこまで逃げられるかはわからんが、捕まるまでは可愛がってやるから安心しろ」


 絶望に目を見開く兄妹に、狂人は発砲した。

 兄妹は抱き合ったまま、血潮を散らしながら窓際まではじけた。


 慎一は、すべもなく放心していた。


 その耳元で管生くだしょうが言った。

「忘れろ、慎一。実結みゆいのために忘れてやれ。人の世は、しょせんこんなものぞ。人など都合つごうしだいで、いくらでも腐る」

 そこまでの達観した物言いが、妖物らしく禍々まがまがしい口調にころりと変わり、

「しかし腐った物ほど俺には美味うまい。見ていろ、慎一。今、何もかも喰ろうてやる」


 ぶわ、と管生くだしょうふくれあがった。

「生きながら丸かじりにしてやりたかったよ外道」

 白い毛色のまま、天井まで届く異形のけものに変じ、

「いかに狂うたとて、頑是がんぜない子供にまで非道を為すとは――きさまこそ畜生ぞ!」

 牛を呑む大蛇のように上顎と下顎を水平まで開き、狂人を頭から呑もうとしたとき――。


 どん、と部屋の空気が、粉々に砕けた居間の扉とともに、横殴りの炎風と化した。

 この場を過去の残像と承知している慎一までが、衝撃を感じるような爆風だった。


「……なんだ、これは」

 管生くだしょうは異形のまま、巨大な剥製はくせいのように固まった。

 食うはずのすべてが、窓側の壁ごと庭に吹き飛ばされている。


実結みゆい……」

 呆然とつぶやく慎一の視線を追って、管生くだしょうも横を見た。


 扉があったはずの大穴の向こうに、紅蓮ぐれんの炎に包まれる廊下が見えた。

 その炎に焼かれながら――いや、炎の中でなぜかくすぶりもせず、粛然とたたずむ小さな影がある。


 炎に揺らめいて表情は見えないが、引き裂かれた洋服の一端を、わずかにまとっているだけの少女――。


「なんと……」

 管生くだしょうむせぶようにうめいた。

「何もかも見てしまったのかよ、あの娘は……」

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