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一瞬の
星明かりも空に溶ける朧月夜――。
春の夜風が、桃林と町と潮の匂いを含んで、さわさわと背中をなでる。
「おい慎一。十年前とは、いささか勝手が違うではないか」
額の
「あのときは、
慎一も館を見上げたままうなずいた。
眼前の洋館は、確かに
戦後の農地解放で大半の土地を失い、内情は没落しているが、建物自体の威容は失われていない。
十年前、
「確かに燃え始めてはおるが、二階の窓からちらちらと火の手が上がったばかりぞ」
慎一は、とまどいながらうなずいた。
「いちいち揺らすな。これでは車酔いになる」
「また戻るときに
慎一は上の空で、またうなずいた。
ふと思い当たり、慎一は背後の
あのとき、門から桃林に続く坂道には、駆け下ってゆく数人の人影が見えたはずである。
慎一の足元で
「火縄銃をかかえた賊らもおらん」
正確には猟銃を所持した強盗集団が去ってゆく姿――それが今はない。
当時、そんな殺人放火犯が裏日本の一部を騒がせており、平坂家の惨劇も、同じグループの犯行と思われている。ほとんどの焼死体に散弾の銃創があったからである。しかし、その後、強盗集団は日本海を渡って海外に逃れ、いまだに行方が知れない。
「
慎一は身を翻し、庭を縫って続く敷石の道を、玄関に向かって駆けた。
そもそも今いる世界は、病床に横たわる
案の定、玄関前の庭先に、
立ちすくむ慎一に、足元から
「思えば、そう臆することもなかろう。しょせん人の覚え事ぞ。人の心の中など、気分しだいでいくらでも変わる。あのときよりも前のことを考えているだけではないか?」
「……そうだな」
同じ相手の、同じ時の記憶に二度入った経験がないので、構えすぎたかもしれない――。
慎一がそう思った
火災が
硬直する慎一に、
「これは面白い。火付け盗賊の
「慎一、おぬしはここで待て。どうせ何をどうすることもできぬ。どのみち
「……お前は?」
「知れたことよ」
「屋敷ごと呑む前に、賊の奴らを頭から喰ろうてやるのさ。悪党という奴は、
「……俺も行く」
「おぬしも度量が足りぬな、慎一」
「心の狭い
慎一の胸が、激しく疼いた。
初めて
十年前、この前庭に倒れていた
「……狂い犬に噛まれた傷跡など、いつまで
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