Ⅱ 院城 音飛炉

1 ヒロインの秘密

 『ハンパイア』。

 それは、『ハナコー』文化祭にて上映された映画である。



 映画と言えば聞こえはい。

 しかし実際はというと、控え目に言って不出来、中途半端、不完全燃焼な物だった

 高校の部活で作られたということを踏まえ、最大限に譲歩した上でも。

 


 その上、色こそ薄いが一応、特撮。

 数多くの名作、名優を輩出してなお、多様性を重んじる現代でさえ、未だに幼稚という偏見を払拭し切れていない、ともすれば敬遠されがちなジャンル。

 早い話、表面的な部分のみならず、その深奥、話や設定の面白さ、魅力を少なからず理解し。

 他者にあらぬ誤解を持たれるかもしれぬ恐怖と恥を覚悟していなければ、ず興味も関わりも持たない部類である。



 そう……あくまでも部を存続させる人数かず合わせのためだけに入部した人間などは、ず間違っても手に取らないフィルムなのだ。



 では、と出夢いずむは思う。

 くだんの入部者であり、1年生のマドンナ、院城いんじょう 音飛炉ねひろ

 彼女は今、何故なぜ、その『ハンパイア』を、観ているのだろう。

 それも、自分達の部室で、まだ人のほとんない早朝から。

 ……と。



「あ……」

「……あ」



 目が合い、見詰め合う数秒。



 やがて音飛炉ねひろは、レコーダーから出したディスクを慌ただしくケースに戻し、やや荒々しく棚に入れ…いそいそとバッグを持ち。

 なんの事情も知らない出夢いずむを一人、挨拶すらしないまま部室に残し、そそくさと退室し、少し雑に音を立ててドアを締めた。



「……」



 放任主義者である出夢いずむは、彼女のことを追い掛ける素振りはおろか、ドアを開け後ろ姿に視線を運ぶ姿さえ欠片かけらも見せない。

 そして、まるで何事も無かったかのよう、いつも通りアンニュイな空気を醸しつつ、ゆっくりと棚に近付き。

 先程まで彼女が触れていた、部室のテレビで鑑賞していたとおぼしき、『ハンパイア』のケースをつかむ。



 けれど、いくら考えを巡らせども答えが出せず。

 程くして再び定位置に戻したのだった。



 そんな中、出夢いずむの胸中で、何かが唸りを上げて蠢いていた。

 それは恐怖か、はたまた喜びか、あるいは期待か。



 得体は知れないが、少なくとも出夢いずむは、確信を持って断言することだけは出来できた。



 何かが今、ここから始まる……いや。

 気がする。……と。



「あーっ……ふぁ〜……」

「っ!?」



 音飛炉ねひろが立ち去り、てっきり自分しかないとばかり踏んでいた部室で、何者かの間延びした声が聴こえた。

 いや……何者か、ではなく。



「ツキにぃ……」

「お?」



 出夢いずむに名前を呼ばれ出月いつくは、大きく口を開け酸素を取り込みつつ。

 目を擦りながら、ぼんやりと出夢いずむを視界に収めた。



「よぉ、出夢いずむ……。

 相変わらずはえぇな、お前は。

 なんか用か?」

「……また勝手に寝てたんだ。

 学校、それも人の部室で。

 帰ってる形跡無かったから、そうだろうとは思ったけど」

「自分のことを話したがらんのも、相変わらずだな」

「そっちこそ、今日も歯に衣、着せないね」



 何やら少しズレた会話の中、出月いつくは伸びをし。

 専用の布団ふとんから降りて靴を履き始めた。



「てか、別にいじゃないのよ。

 こちとら、OBなんだぜぇ?

 これくらい、多目に見てくんさいよぉ、出夢いずむちゅぁんよぉ」

「今は単なるスクール・カウンセラーじゃないか」

「固ぇこと言うなって。

 それより、お前。さっきから、何持ってるんよ」



 ボサボサ髪のまま、出月いつく出夢いずむに近付き、有無を言わせぬままヒョイッとケースを奪う。 

 乱暴なやり方に出夢いずむかすかにムッとする中。

 寝惚け感をモロに出していた出月いつくの目が、一気に見開かれた。



「おいおい……。

 冗談だろ? 出夢いずむ

 起き抜け以外でもとぼけた印象の強い出月いつくにしては、めずらしくシリアスな声色で、出夢いずむに問う。

「お前……なんだって、こんな茶番劇に手を出した」



 茶番劇。

 そう酷評され、出夢いずむの心は穏やかではなかった。



 しかし、反論材料となり得る、足り得る根拠に乏しく。

 出夢いずむは開きかけた口をつぐむ。



『ハンパイア』。 

 それは、バンパイアの男と人間の女性から産まれたハーフが主人公の、特撮作品である。

 


 特撮らしく、アクションや変身はる。

 が、しかし。



「変身後は顔半分を仮面で隠すだけ」

「全体的にチープ」

「テーマがバンパイアであるが故に大人向けのドロドロ描写が多い」

「バンパイアを最強、不死身にする奇跡の血『潤血じゅんけつ』が、『ヒロインの初体験』でしか得られないという、ロマンチックとハラスメントの紙一重みたいな設定」

「変身アイテムや武器、CGや爆破は無い」

「気付けばいつの間にかシーンが切り替わり仮面を被っていた、といった具合に変身シーンすらも無い」

「アクションも演技も薄味で、迫力とやる気に欠けており、台詞セリフも『おりゃぁ』『はぁぁぁ』などしか無く、棒読みとの相乗効果で余計、何も伝わって来ない」

「カメラがブレブレで継ぎ接ぎが目立ち、画質も音質も彩度も低い」

「実際に撮影されたのはクライマックスの決戦シーンのみで、そこに至るまでの経緯や設定などは、その年の文化祭限定で配られたパンフレットでしか明かされていない」



 と、このように、駄目ダメな意味で枚挙にいとまい。

 お世辞にも褒められた作品ではない低級の、タイトル通り徹頭徹尾、中途半端な作品である。

 これではけなされようと、言い返すことなど到底、かなわない。



 そもそも。

 現代において、人間とバンパイアのハーフを現す言葉として、『ダンピール』がすでに定着している。

 それすらも知らず、『ハンパイア』などという固有名詞を設けているなど。

 この時点で勉強、知識、時間、関心、やる気不足が伺える。



 しかし、そういったマイナス要因を熟知した上で。

 出夢いずむは叔父からケースを奪い、棚に戻した。



「……あんまざまに言わないで。

 どれだけアレだとしても、ほんの少したりとも好きな人間だって、ごく少数はる。

 そもそも、これは、ツキにぃが初めて連れてってくれた、思い出の」

「はいはい、分ぁった分ぁった。

 叔父さんが悪かった。

 許して頂戴ちょうだいよぉ、出夢いずむちゅぁん」



 いきなり普段のキャラに戻り強引に話を切った出月いつくが、剃り残しの目立つ顎でジョリジョリと出夢いずむの顔を撫でて来た。

 その気色の悪さに、出夢いずむはゾッとした。



 そして、タイムリーに聞こえた、近くで何かを落とした音に、更に血の気が引いた。



「あ……」



 気付けば、なかば定例となりつつあった、朝の部活の時間。

 つまり……『トッケン』の初期、及び正式メンバーが訪れる頃合いだった。



 恐る恐る出夢いずむが視線を運ぶと、案のじょう治葉ちよ真由羽まゆはの姿。

 二人は今、この、ともすればBがLをしてしまう、禁断さを隠し切れない現場の目撃者となった。



「あー……灯路ひろ

 大丈夫。大丈夫よ。

 あたし、そういうの、理解有る方だから。

 いや、正直、未開拓な上に予想外だったから、今はまだ整ってないけど。

 同じ部員として最大限、受け入れる覚悟はるから。

 あんたと先生がガチってるってんなら」

「心配せずとも、ガチッてないよ。

 おはよう、二人とも」



 この手のキャラにしては珍しく、意外にも感情豊かで気遣い屋の治葉ちよが、目を逸らしながら放った一言を、出夢いずむは即座に否定した。

 治葉ちよは、やがて落ち着きを取り戻し、出夢いずむを正面から捉えた。



「え? ……あ、そう。

 ならかった。安心したわ。

 まったく……仲いのは結構だけど、公序良俗とTPOにのっとってしいわ」

「ツキにぃに言って」

「先生に言っても、てんで改善の兆しが見えないから、あんたに言ってるんじゃない。

 それくらい、察して頂戴ちょうだい

 ほら、見なさいよ。あんたの所為せい真由羽まゆは、こんなに震えちゃってるじゃない。

 あぁ、あたしの可愛い可愛い真由羽まゆは

 安心なさい。

 ママだけは、あんたを見捨てるなんて罰当たりな真似マネ、絶対しないからねぇ。

 たと灯路ひろが先生と禁断のランデブーに突入した結果、あんたに構ってられなくなったとしてもねぇ」



 背後に隠れ震えていた真由羽まゆはを持ち上げ、頬をスリスリする治葉ちよ

 彼女とはおよそ1週間の付き合いとなるが、こういった、可愛い物に目が無い母属性というギャップに、出夢いずむは未だに慣れていなかった。

 ちなみに、真由羽まゆはは普段から、必要以上にビクビクしているので、実の所、出夢いずむにはなんの落ち度も無かったりする。

 巻き込まれた被害者でしかないという点を踏まえずとも。



 そんな事情はさておき。

 出夢いずむが否定しても未だに恐れているのか、あるいは治葉ちよによるスキンシップが起因してか、真由羽まゆはは未だに混乱している。

 そして、袖の裏に隠されたグローブの指先のボタン、及びコマンドにより、彼女のお団子で輝くキブンガーが、それぞれ『!?』『渦巻き』『✕』などに目まぐるしく変化する。

 今日も今日とて、オドオド、オロオロしている割には、そんな心境でも的確にキブンガーの目を変えられる辺り、何気に器用な少女である。



「はいはい、そこまでー」



 収拾がつかなくなりつつあった状況で、唯一の成人、出月いつくが手を叩き、注意を引き付けた。



「あんま時間無いんしょ?

 だったら、そろそろ部活やんなさいよ」



 口調はともかく、真面まともな正論をげる出月いつく

 そんな彼に向け、3人は同時にジトを向けた。

 真由羽まゆはに至っては実質、目が4つるにも等しく、キブンガーにさえ疑念に満ちた視線を浴びせられた。

 


「……誰の所為せいで、こうなったのかしら」

本当ホントだよ」



 ぐにツッコむ治葉ちよ出夢いずむ

 真由羽まゆは真由羽まゆはで、無口を貫く代わりにムッとしつつ。

 キブンガーの両目に『灯路ひろ』『出月いつく』、『有罪』『おま罪』と、某最高最善の魔王の落書きのごとく表示し、主張している。

 くどいようだが器用、そして便利、用意周到である。



 部員達全員を一時的に敵に回した出月いつくは、「やれやれ」と手を上げ、そのまま髪を掻きつつ退室した。



「さて、と。問題も解決したことだし」

 数秒後、この部のリーダー的な立ち位置となっている治葉ちよが、仕切り直す。

「先生に従うみたいでなんだけど……そろそろ部活、始めましょうか」



 出夢いずむが首肯し、真由羽まゆはのキブンガーが『ふんす』『賛成だ』と光る。



 こうして、三人の部活が始まった。





『ヒーロー5つの誓い

 1つ。決してあきらめず、希望と笑顔、勇気と情熱、正義と平和を絶やさないこと

 1つ。誰に対しても、等しく優しく慎ましくあること

 1つ。決して涙を見せず、常に強く明るく誠実であること

 1つ。怒らず、驕らず、怠らず。日々、心技体を弛まず鍛えること

 1つ。絶対に、誰にも秘密を明かさないこと。』



「とまぁ、個人的ベスト5は、こんな感じかしらね」



 本日の活動テーマに対する考えを、治葉ちよがホワイトボードに記した。

 真由羽まゆはがキラキラした表情でパチパチパチと興奮気味に手を叩きつつ、キブンガーの両目を『〉〈』に変え、テンションを表現する。



 一方、唯一の男性部員、出夢いずむはというと、頬杖をつきつつ、微笑む。

 その、どこか他人事のような振る舞いが、治葉ちよは少しばかり不満、不愉快だった。



灯路ひろ

 あんたの意見も聞かせて頂戴ちょうだい

素的すてきだと思う」

「そうじゃなくって。

 あんたが考えたのも、あたしに教えて欲しいってこと

「じゃあ次、月出里すだちさん、教えてくれる?」

「だからぁ……っ」



 煮え切らない態度を受け、流石さすがに痺れを切らしつつある治葉ちよ

 そんな二人の険悪なムードにアワアワする真由羽まゆは



 その状況を打破したのは、出夢いずむでも治葉ちよでも真由羽まゆはでも、なんなら出月いつく高鼾たかいびきでもなく。

 不意に外から聞こたノックだった。



「「「……」」」



 たちまち、一斉に静まり返る室内。

 ややあって、普段のクールさを取り戻した治葉ちよが、「どうぞ」と応えた。



「失礼します」



 部屋の主から了承を得たことで、ノックした張本人が入室する。

 

 

 

 本来なら『トッケン』とは無縁な世界で生きているはずのマドンナであり、『トッケン』にとっての創造神であり破壊神。



 たった今、この部室の扉を開け、部室に足を踏み入れた者こそ。

 誰を隠そう、その救世主、院城いんじょう 音飛炉ねひろなのである。



「っ……」



 彼女の登場により、舌打ちなり歎息なりしそうな、如何いかにも不機嫌な顔となった治葉ちよ



 それもそのはず

 治葉ちよ音飛炉ねひろの相性は、はたから見ても最悪なのだ。



「……白けた。

 帰る。

 どうせたって無意味だし。

 じゃあね、灯路ひろ。また教室で」

「あ……う、うん」



 露骨に退屈そうな雰囲気を醸しつつ、右手に持ったバッグを背中に当て、治葉ちよが部屋を出る。

 続けて、彼女を追って真由羽まゆはも、キブンガーを渦巻きにしつつ頭を下げ、二人の前から姿を消す。

 


 こうして『トッケン』の部室には出夢いずむ音飛炉ねひろ

 そして気不味きまずい空気だけが残ったのだった。



「あ、あはは……。

 すっかり嫌われちゃったなぁ、私。

 名前、呼んでもらえなかったもんね。

 月出里すだちさんが呼ばれなかったのは、付いて来てくれるって信じてたからだろうし」

「要件は?」



 気落ちしたのを苦笑いで誤魔化ごまか音飛炉ねひろ

 彼女になんのフォローも入れず、リアリスティックに話を進める出夢いずむ



 予想はしていたので、音飛炉ねひろは思いのほか、ショックを受けなかった。

 この数日で、彼が自分の意見を言ったり、他者をおもんぱかるタイプではないと、知っていたためだ。

 いや……でも、これはこれで好都合なのかもしれない。

 傷口に塩を塗られなくて、済んだのだから。



 お得意のポジティブ・シンキングにより気持ちを切り替えた音飛炉ねひろは、出夢いずむに笑顔を向けた。

 いつもはフレンドリーな笑い方に、一抹の寂しさ、切なさな垣間見えたのを、出夢いずむは確かに覚えた。



「大事な話をしに来ました」



 勿体振った調子で切り出した音飛炉ねひろ

 続いてこうべを垂れ、表情が見えない、本音が悟られないようにしながら、粛々と、はっきりと言い切った。



「本日付けで私、院城いんじょう 音飛炉ねひろは、『トッケン』を退部させて頂きます。

 短い間でしたが、お世話になりました。

 そして、何より……多大なるご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」

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