第6話 ☆使命は勇者の良き婚約者

「あなたが勇者マルツェルですね」


 コーシェ王国第三王女エディタは、目の前に立つ長身の男――勇者マルツェルに微笑みかけた。

 第一印象が大切だろうと考え、所作に細心の注意を払う。


「これはこれは……、王女エディタ様ですね。長旅でお疲れでしょう、さあこちらへ」


 マルツェルは半身を引き、部屋の中に入るよう促してきた。


――一見して、わたくしに対しては好意的……。ですが、慇懃無礼な感じもいたしますわ。どうやら、気は抜けないようですね。


 エディタはふぅっと大きく息をついた。


――よしっ!


 改めて覚悟を決める。


 勇者には数々の特権が与えられる。その中の一つが、王族との婚姻――。

 王国の古くからのしきたりに則り、エディタは自らの意思とは関係なく、勇者マルツェルの婚約者にさせられた。

 マルツェルが対魔族戦で大きな手柄をあげた際は、正式に結婚することになる。


 反発する気持ちがなかったとはいえない。

 王族でも貴族でもない、どこの馬の骨ともわからない平民の男。

 いくら父王から勇者と認定されるほどの実力者であったとしても、正直言って気乗りはしない。


――でも、わたくしは王族。責任はきちんと果たさねばなりませんわ。


 王族としての使命や義務も成せない、単なるお飾りの役立たずの王女だとは、決して思われたくなかった。


 父王は厳しい人だった。

 与えられた役割をこなせない無能だと知られれば、きっと実の娘であってもあっさりと切り捨てられる。そんな恐怖があった。


――わたくしは勇者の婚約者として、父様から与えられた使命を全うせねばなりませんわ。そのためにも、良い印象を与えられるよう気を配らねばなりません。初日が重要ですね。


 マルツェルに促されて部屋に入ると、勇者パーティーの他のメンバーの姿もあった。

 純白のローブに身を包んだ少し小柄の女性と、浅黒い肌にがっしりとした体格の大男――前者が回復術士のイレナで、後者は剣士のロベルトだろうと当たりをつける。


 そこでエディタははてなと思った。

 メンバーは四人いるはずでは、と。


「パーティーは四人と伺っておりますわ。もうお一方は、今出られていらっしゃるのですか?」


 エディタが疑問を口にすると、途端にマルツェルたち三人の表情が曇った。


――あっ……。もしかして、聞いてはいけない話題だったのでしょうか。大怪我でもなさっているとか……。


 空気の変化に、エディタは内心焦った。


「あぁ……、エディタ様はまだご存じじゃないんですね」


 マルツェルは苦虫をかみつぶしたような顔で、大げさに肩をすくめた。


「あいつは――無能のデニスは、罪を犯してこの街を追放されました。まったく、とんでもないやつをパーティーに入れてしまい、面目次第もありません」

「犯罪、ですか? どのような罪を犯されたのでしょうか」

「あんな奴のことなんて、エディタ様が気にする必要ないじゃん!」

「そうだぜぇ、姫様。あいつぁ自分の無能っぷりに耐えきれず、やっちゃいけねぇことに手を出しちまったんだぁ。優秀な姫様が関心を示すような価値なんて、これっぽちもありませんぜぇ」


 イレナとロベルトが、口々にデニスへの批判を口にする。


――皆さんだいぶ興奮されている様子……。勇者パーティーの面々がこうも嫌悪するなんて、かなりの悪漢だったのかしら……。


 エディタは王女として王宮で過ごす期間が長く、護衛をつけずに市井に出た経験はほとんどない。

 必然、犯罪者と相対したこともない。


 だが、これからは勇者パーティーの一員として冒険の旅に出る。

 悪辣な犯罪者に遭遇する機会も、きっとあるだろう。


 少し、怖いもの見たさのような好奇心がうずいた。


「皆様がそうおっしゃるのであれば、わたくしもこれ以上尋ねたりはいたしませんわ」


 しかし、今はマルツェルから好意を得ることが最優先だった。機嫌を損ねるわけにはいかない。


 マルツェルたちはあからさまにほっとしたような表情を浮かべている。

 やはり、触れてほしくない話題のようだ。


「婚約者との記念すべき初対面です。エディタ様にはこちらを……」


 マルツェルはテーブルの上に置かれている一本の瓶を手に取り、エディタに見せた。


「こ、これって……」


 紫色の液体が入れられた、おそらくは魔法薬の瓶。

 わずかに漂う特徴的な刺激臭には覚えがあった。


――以前王宮で見た記憶がありますわ。たしか、王族専用の魔力増強薬でしたかしら? でも、それならばどうして彼が持っているの? 市井に出回ることのないご禁制品に指定されているはずですわ!


 瓶に手を伸ばしてもいいものやら、エディタは判断がつかずに戸惑った。


「そうです、高魔力の者が飲めば、魔力値をぐんと上げてくれる魔法薬ですよ。入手に苦労しました」

「ご禁制の品では……。入手には王室の許可がいるはずですわ!」

「ダンジョンからの戦利品ですよ。なので問題ありません」


 マルツェルはにやりと笑った。


――確かに、ダンジョンからの戦利品という話が事実であれば、許可なく所持していても特に問題はないですわ。後の報告の義務はありますが……。


「細かいことは気にしなくてもいいじゃん。せっかく手に入れてきたんだから、お近づきの印としてもらってほしいじゃん!」


 イレナにも強引に迫られ、エディタは渋々瓶を手に取った。


――念のため、後で王宮に照会をしておきましょう。ただ、この場では素直に受け取っておくほうが、彼らからの信頼を得るためには必要そうですわね。


 飲むつもりはなかった。あくまで一時的に預かるだけ。

 エディタは堅く心に決めた。

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