第7話
「これで……よし!」
「……」
先ほどの部屋を出て、私たちは応接室に移動しました。幸い、男の子の怪我はかすり傷などの軽症だったので、私が手当をすることにしたからです。
薬箱から、消毒液とバンソウコウを取り出し、男の子の傷の手当をしたのですが、その間も男の子は終始無言のまま、私の話に相づちさえしませんでした。
滅多なことでは凹まない私も、さすがに心が折れそうです。
ともかく、このまま帰すわけにもいかないので、男の子に色々と聞いてみることにしました。
「そう言えば、自己紹介がまだだったね。私は弁天堂美咲。君のお名前は?」
「………………」
「まあ、名前はいいかな。それより、お家はどこなのかな?この近くなの?」
「………………」
無口と言うよりも、シカトされているようで、段々と腹が立って来ました。
「それにしても、迷斎さんはどこに行ったのかな?」
「…………ねえ。さっきの人、迷斎って名前なの?」
これまで、黙りを決め込んでいた男の子ですが、迷斎さんの名前を聞いた瞬間、ようやく口を開きました。
多少、納得いかないですが、ようやく突破口を見つけました。
「迷斎さんに用事があったの? それで、窓ガラスを割って屋敷の中に入ったーー」
「ちょっと、質問をしているのは僕だよ。ちょっと黙っていてよおばさん!」
「!?」
滅多なことでは怒らない、温厚な私でもさすがに怒りを覚えました。傷の手当までしてもらっておいて、恩知らずにもほどがあります。
そして何よりも、十七歳の私をつかまえて『おばさん』呼ばわりしたことを、許すことができません。
「ねえ、おばさん。さっき人が黒柳迷斎なの?」
「……お…………ん……」
「え!? 何?」
「だ~か~ら~。お姉さんでしょ!!」
そう言って、憎しみを込め、男の子の左頬をつねってしまいました。衝動とは恐ろしいもので、普段の私なら決してしないことなのですが、思わずと言いますか、はずみと言いますか、力一杯つねりました。
「!?」
しかし、一つだけ誤算があるとしたら、男の子が反撃してくることまでは、私も考えていませんでした。
男の子も私の左頬に手を伸ばすと、力一杯つねって応戦してきました。もちろん、子供の力とはいえ、柔らかい頬を力一杯つねられれば、痛いのは当然。
「ちょっと、放しなさいよ!」
「そっちが先につねったんだろう! そっちが放したら放すよ!」
まったくもって放す気配がないようなので、確たるうえは徹底交戦しかありません。
私は左手を、男の子の右頬へと伸ばし、力一杯つねりました。
「!?」
ここまでくれば、誤算ではなく完全な戦略ミス。因果応報とは良く言ったもので、今度は私の右頬もつねり返されてしまいました。
こうなってしまっては、意地と意地のぶつかり合い。根気くらべならぬ、我慢くらべ大会の開幕です。
「ほら、放しなさいよ。顔が限界だって言ってるよ!」
「そっちこそ、目に涙が溜まってるよ。早く放した方がいいんじゃない?」
「これは、目が乾いているからよ。そっちこそ、涙目じゃない?」
「さっきの消毒液のせいだよ!」
お互い、折れることを知らない負けず嫌いな一面が出てしまい、膠着状態へと突入してしまいました。
もちろん、あと四時間ぐらいは耐えることができますが、このままでは話が進まないので、ここは人生の先輩である私が大人になるしかありません。
「わかった。せーので、お互い手を放そう。それでおしまい。どう?」
「まあ、まだまだ余裕だけれど、そこまで言うならしょうがない」
「じゃあいくよ。せーので手を放すんだからね。裏切ったりしないでよ! 裏切ったりしたら許さないからね!」
「わかったよ!」
「じぁいくよ。せーの」
お互い裏切ることなく手を放なし、お互い言葉とは裏腹に赤く腫れ上がった両頬を擦っています。
あまりにも滑稽な姿に、お互い声をあげて笑い合いました。
「…………後が残ったらどうしよう。それより、そろそろ教えてよ」
「教えてって何を?」
「な~ま~え」
さっきの我慢くらべで、大分打ち解けたと思ったので、再度名前を聞くことにしました。もちろん、これが目的だったので、先ほどのことはすべて計算ですーーと言いたいのですが、偶然の産物で棚ボタでしかありません。
「……わかったよ。教えてやるよ! 僕の名前はーー」
「あ、名前は答えなくて結構」
せっかくのチャンスを台無しにしたのは、やはりと言うか、当然と言うか、当たり前のように迷斎さんでした。
「迷斎さん! 何で邪魔をするのですか? せっかく名前を聞き出せたのに……」
「弁天堂? 私がなにもしないで、子供の世話をお前にさせていたと思うのか? 名前を聞かなくてもよい理由は、昇ってきた太陽がどこに向かって沈むのか解るぐらい、答は簡単だろう?」
聞かなくてもよい。
つまりは、すでに聞く必要がなく解っているからに他ならない。
迷斎さんは、私が男の子の相手をしている僅かな間に、調べていたようです。
「少年よ、私が黒柳迷斎だ!」
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