第10話

会議も佳境に差し掛かり、敵の大まかな計画やこちらの作戦などをあらかた決めることができた。会議室の窓の外は暗くなっており、今にも夕日が山の向こうに隠れようとしていた。アンナはホワイトボードにびっしりと書かれた文字を眺めると、ふぅと一息ついた。途中からではあるが、サンディが議事録をパソコンにまとめてくれていた。

「これで一通りの対策は立てられたね。あとは各々が作戦通りに当日動いてくれれば勝てるはずだが……」

 窓の外を見ていたアンナが振り返って会議室を見渡すと、突然黙った。

「何か不安なことでも?」

「いや、皆の顔を見ていたら負ける気がしないと思ってね」

 会議は長く内容も濃いものだったが、全員がその間休まず熱心に耳を傾けていた。高校生組は疲れが顔に出ていたときもあったが、一切愚痴を言うこともなかった。そんな全員の精悍な顔つきを見るとアンナは両手を広げた。

「皆、今日は参加してくれてありがとう。必ず奴らに勝とう!」

 アンナの言葉に続いて皆思い思いの返事を言葉にすると、会議は終了した。

 会議終了後は皆でご飯でもどうか、という話にもなったがサンディとディーニーはこれから泊まる場所を探さなければいけないからという理由があり、高校生組も明日学校があるからという理由で、現地解散になった。

「……今から泊まる場所探すのかぁ。この時期はどこも混むから見つかるといいけど……」

 サンディとディーニーの背中を見送っている最中に横にいた明科がぼそっと呟いた。

「大丈夫だろ。ディーニーさんはともかく、サンディさんは結構しっかりしているほうだから」

 そう言いながらも内心は大丈夫だよな……?と宗也は不安になった。ふと後ろを見ると飯山は腕を伸ばしながら大きく背伸びをしていた。

「さて、俺もそろそろ帰ろうかな」

「……悪かったな、今日はわざわざ参加してもらって」

「何言ってるんだよ。俺が好きでやったことじゃないか。これからもどんどん頼ってくれよ」

 そう言うと、飯山は鞄を肩にかけて帰り支度をした。

「俺も帰るか……」

 宗也は制服の裾を正すと傍に置いてあった鞄を拾い上げた。

「お前は明科さんを送っていけよ」

「え?お前も一緒に来いよ」

「俺は家反対方向だから。それに……」

「……なんだよ」

「いや、岡谷の言ってたこともあながち間違いじゃないかもなーって思っただけだよ」

「は?なんで岡谷が出てくるんだよ」

「いいから。ちゃんと家まで送って行けよ。じゃあな」

 そう言うと、飯山は自転車に跨って走り去っていった。するとトイレに行っていた明科とアンナが戻ってきた。

「あ、飯山君帰ったんだね。じゃあ私も帰ろうかな。茅野君も一緒に帰らない?」

 明科は宗也に向かって優しく微笑んだ。いつも見ているはずの明科の笑顔だったが、このときばかりは夕日に照らされてとても美しく見えた。

「じゃ帰るか……」

「君たちも帰るのか。気を付けて帰るんだぞ」

「はい、お先に失礼します」

宗也と明科は揃って家路を辿った。あたりは薄暗く、人通りも多いため自然と二人の距離はいつもよりも近かった。

「諏訪君、帰ってくるといいね」

「……ああ」

 道を通るたびにすれ違っていく人を見ながら宗也は感じていた。この人たちにも帰る家があるのだろうか。諏訪にとっては何処なのだろう。自分の家か、それとも……。

 諏訪は今何を思っているのだろうか。そんなことを考えながら、宗也は明科と歩みを進めた。

 ちなみにディーニーとサンディは結局ホテルがどこも満室で、やむを得ずしばらくネットカフェでの生活を強いられることとなった。






第四章 開祭、そして決戦


 阿神祭当日までのカウントダウンは着々と迫っていた。二十三日の会議以来、全員が一堂に会することはなかったが、各々が決戦に向けた準備を進めていた。といっても宗也をはじめとした高校生組は、いつも通り学校があったため普通の生活を送っていた。

 阿神祭が開催されるまでの間は特に目立った事件が起こるわけでもなくただ平穏な日常が過ぎていった。ビルの爆破事件はまだ犯人は判明しておらず、警察も次第に捜査に充てる人員を減らしていったのが分かった。ニュースでもそれほど取り上げられなくなり、このままフェードアウトしていく様子だった。

 阿神祭の実行院長である砂川は相変わらず阿神祭開催に向けて精力的に動いており、それに呼応するかのように街全体も至る所にポスターが貼られる等開催に向けての機運が高まりつつあった。

 そして阿神祭を前日に控えた二十五日の夜、宗也の携帯に着信が入った。時刻は午後十時。連日の疲れもありぐったりとした様子でベッドに寝転がっていた宗也は、急な着信に慌てる様子もなくゆっくりと携帯を取った。

「もしもし」

「やぁ少年かい?どうだい調子は」

 電話の奥からは聞き慣れた透き通った声が聞こえてきた。宗也は携帯を耳に近づけたまま上体を起こした。

「どうしたんですか、こんな時間に」

「いや、君が緊張して眠れないんじゃないかと思ってね」

「相変わらずからかうのが好きですね。まぁその通りなんですけど」

 いつもなら疲れているときはベッドに寝転がるとそのまま眠りについてしまう宗也だったが、この日ばかりは緊張でなかなか寝付けなかった。

「そうだろうと思ったよ。そこでお姉さんが一つアドバイスだ」

「何ですか。まさか君は一人じゃないとか、自分を信じろとか心にもないこと言うんじゃないでしょうね」

「そんなことは言わないさ。もう君はそんなことで奮い立つような人間じゃないだろうからね。というか心にもないことはないんじゃないか?」

「いや、何かアンナさんならいいそうな気がしたので」

「はぁ……。この短期間で私は君のことをよく理解したつもりなのに、君の方は私のことをまだよく理解してはいないようだね」

 宗也の電話の奥からは、溜息とともに呆れたような声が聞こえてきた。その言葉に宗也は思わずくすっと笑った。

「じゃあアンナさんのことをもっと教えてもらっていいですか。手始めに年齢とか」

「あれ、君に教えたことなかったかな。君は私が何歳に見える?」

 宗也は質問を質問で返されるのは個人的に好きじゃなかったが、アンナの場合はそれがうざったく感じなかった。宗也はあまり深く考えずに即答した。

「二十七歳くらいですか」

「外れだ」

「……降参です。答えを教えてください」

「随分早いな。じゃあ答えだ。私の年齢は……、二十三だ!」

 答えを聞いても宗也は「……はぁ」という感想しかなかったので、それではまずいと思い、何とか他の言葉を絞り出した。

「……意外に若いんですね」

「惜しかったな。もう少し近い年齢を期待していたのに」

 アンナは電話をしたまま、部屋の窓の近くまで行って夜の阿神町を眺めた。

「そうですか?二十七なら惜しいとは言えないと思いますけど」

「そういう意味じゃないよ。……っともうこんな時間か。じゃあまた明日」

「……え、どういう意味ですか?」

 疑問に思う宗也をよそにアンナからの電話は切れてしまった。最後にアンナが言っていたことが気になっていたが、既に夜も更けてきたため、またの機会に改めて聞くことにした。


阿神祭当日。街は朝からお祭りムード一色になっていた。阿神町の名物である阿神祭は一日中行われるため、朝から街の至る所では賑やかな音が聞こえてくる。そんな喧騒とは無縁とも思えるような静寂した場所に、グローケンの工場はあった。ここは阿神街に位置しているが、都市部からは離れた場所にあるため辺りは静まり返っていた。

 ひんやりとした冷たい床で寝ていた諏訪は、突然目を覚ました。ここ数日間ずっとこの工場で寝泊まりしているが、だんだんとここでの生活にも慣れてきていた。しかしその生活も今日で終わりだった。

「もう起きたんですか。随分と早いですねぇ」

 諏訪が声のする方へ顔を向けると、諏訪の後ろではグローケンが背中を向けながら何やら研究を行っていた。奥の部屋ではグローケン直属の部隊『クアトロ・マウス』が寝ている。

「……あんたと出会ってしばらく経ったが、俺は未だにあんたが寝ている姿を見たことがないんだが」

 諏訪は近くに置いてあったビスケットの袋を開けた。まだ外は薄暗く、時刻は午前六時を示している。

「私はあなたたちを導く義務がありますからねぇ。ご心配なく。私も人間ですから、寝るときは寝ていますよ」

「人間ねぇ……」

 諏訪はグローケンと数日を共にしているが、彼の生活ぶりはとても常人とはいえないものだった。食事はほとんどとらず、寝ているところを見たこともない。『クアトロ・マウス』のサルトル曰く、「先生は常人と比べていい存在ではない」らしくサルトルを含む四人の部下には慕われている様子だった。

「ちょうどいい。諏訪君、計画の時間までに例のものを試してみてはいかがですか?」

「ああ、これね……」

 諏訪はポケットから黒く光る石を取り出した。それは先日、グローケンから貰った、『ネオ・アルヴァコア』の試作品だった。

「試すっつったって……。どうやって使うんだよ、こんなの」

「簡単ですよ。君がいつも使っているアルヴァコアの力と同じ要領で力を解放するだけです」

「簡単に言いやがって……」

 諏訪は握っている石を軽く上の放り投げ、再びキャッチした。そしてアルヴァコアの力を解放するときと同じように強く念じた。すると諏訪の周りでは気流が起こり、徐々に黒いオーラが身体に纏わりついた。最初は静かだった古びた工場内もがたがたという音が起こり出した。その音は次第に大きくなっていき、やがて巨大な爆発音に変わった。

「な、なんだぁ?敵襲か⁉」

 大きな爆発音に驚いて飛び起きたクレアが奥の部屋から寝間着姿で飛び出してきた。その後ろには他の『クアトロ・マウス』も続いて出てきた。

「どうしたんです?先生!」

 サルトルは前のクレアを押しのけて迫真の形相で前に出た。彼はクレアやほかのメンバーとは異なり、しっかりと身なりを整えていた。

「ああ、すみませんねぇ。大したことではないんですよ。ちょっと研究が失敗しただけです。そうですよね、諏訪君」

「ああ……」

 グローケンの視線の先には仰向けに倒れている諏訪がいた。彼が握っていた石は、彼の手を離れて近くに転がっていた。その力に諏訪はただただ驚くのみだった。

「大したことないわけないじゃないですか!何ですか、これは!」

 サルトルは工場の天井を指さした。そこに見えるのは工場の天井ではなく、朝焼けの空だった。先ほどの爆発で工場の天井に大きな穴が開いていたのだ。

「こんな穴が開くほどの研究なんて聞いたことないですよ?」

 騒いでいるサルトルをよそにグローケンは倒れている諏訪の方へ行き、諏訪を見下ろして笑顔を見せた。

「実践前に試しておいてよかったですねぇ」

「……何笑ってんだよ。やっぱおかしいわ、あんた……」

 諏訪はゆっくりと立ち上がり、服の埃を落とした。そのまま近くに転がっていた石も拾い上げてポケットにしまった。

「おい諏訪俊介!口が悪いぞ!」

「まぁまぁ落ち着けよ。低血圧か?」

「静かにして……サルトル、ビタミン摂って」

「なんだと⁉俺は別に健康に異常をきたしているいる訳ではない!」

 クレアやミシャは諏訪に腹を立てているサルトルをなだめた。先ほどまで静かだった工場内はいつの間にか賑やかになっていた。天井の穴からは次第に日差しが差し込んできて明るくなった。

「……ったく、うるせぇ朝だな」

 諏訪は工場の天井から見える青空を見上げながら呟いた。





 午前十時。阿神町の中心部は多くの人で賑わっていた。駅前の大通りには多くの出店が開かれており、駅前広場のステージには地元の劇団がパフォーマンスをして見に来たお客さんを沸かせていた。その広場の近くには峰城高校の剣道部も待機しており、演武の時間を今か今かと待っていた。剣道部のマネージャーである明科瑞穂は入念にタイムスケジュールをチェックしており、主将の佐久と本番前の打ち合わせを行っていた。

「以上が一通りの流れになります。夕方の本番までにスピーチの内容を考えておいてください」

「スピーチか……。緊張するなぁ」

「試合の時みたいに堂々としてれば大丈夫ですよ。ファイトです!」

 明科は両手で小さくガッツポーズをして表情が強張っている佐久を勇気づけようとした。

「試合の時みたいに、か。そういえば彼らは果たして見に来てくれるだろうか……」

 佐久は顎に手を当てて明科に尋ねた。佐久は事前に明科を通して宗也に演武を見に来てくれるようにと誘っていた。

「きっと来ますよ。私は信じてます」

 明科は頭上に広がる青空を見上げた。近くでは祭りの花火が上がっていた。

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