第7話
午後の授業も無事終わり、放課後になった。宗也はアンナとの集合場所に行くべく、帰りの支度を始めていた。ちらと横を見ると、この後部活があるらしい明科もいそいそと帰りの支度を進めていた。
剣道部には現在明科しかマネージャーがいないため、彼女がする仕事はとても多い。宗也も部にいる頃はいつも奔走している彼女を見かねて、度々仕事を手伝っていた。今は佐久主将が選手も持ち回りでマネージャーを兼任するように定めたため、以前のような激務ではなくなったが放課後になると相変わらず明科は忙しそうにしていた。
宗也がずっと明科を見ていると、それに気づいた明科と目が合ってしまった。明科はとてとてと宗也の方に来て、一枚のプリントを宗也の目の前に広げた。
「阿神祭で披露する演武のプログラム作ってみたんだ。初めてみる人も楽しんでもらえるように」
「……凄いな。マネージャーの通常業務も多いんじゃないのか?」
「大丈夫。今は他の部員も手伝ってくれるから」
「そうか、ならよかった」
明科は先ほどまで笑顔だったがプリントをぎゅっと握りしめ、前髪をかきあげて優しい表情をした。
「ありがとね、茅野君」
「な、なんだよいきなり」
わずかに微笑んで感謝を述べた明科にびっくりした宗也は思わずのけ反ってしまった。
「茅野君が部にいた頃、選手に持ち回りでマネージャーを手伝うように主将に提案してくれたでしょ?あのとき凄く嬉しかったんだ」
「……主将に提案したときは周りに誰もいなかったはずなんだけどな。さてはあの主将、言いふらしやがったな?」
宗也は頭を掻いて照れ臭そうにそっぽを向いた。
「違うよ、私が偶然茅野君と佐久主将が話しているのを聞いちゃっただけ。主将からは何も聞いてないよ」
「そうか……でも明科の負担の大きさは俺が言わなくてもきっと誰かが気付いてくれたと思うぞ?佐久主将とか」
普段褒められ慣れていないためか、宗也はどう振舞っていいか分からず話し方もたどたどしくなっていた。すると明科は下を向いて小さな声で言った。
「でも……茅野君に言ってもらったから嬉しかったんだと思うな」
「え、それどういう……」
「な、何でもないの!それじゃ私部活あるから行くね!」
宗也の発言を遮って明科は手を振って、急いでその場を立ち去ろうとした。
「そうか、頑張ってな」
明科は教室の出口まで行くと、くるっと反転して宗也に再度手を振って言った。
「またね、宗也君」
「ああ、またな明科……って、ん?」
宗也が首を捻っていると、明科はあっという間に行ってしまった。宗也は窓から空を見上げてしばらく考えた後、時計をちらと見た。
「俺も行くか」
宗也は鞄を肩にかけ、教室を出た。窓の外では広々とした青空が広がっていた。
学校を出てから数十分後、宗也はアンナとの待ち合わせである喫茶店の近くまで来ていた。待ち合わせの時間まではあと数分。この辺りは人通りが多くさしたる目印もないため待ち合わせには向かない場所であったが、宗也が喫茶店の前に着くと既に喫茶店のガラス張りの壁の向こうにいるアンナを見つけることができた。アンナは店内から宗也を見つけると、手をひらひらさせて手招きした。宗也は首肯するとゆっくりと喫茶店に入り、アンナの席までいった。
「やぁ久しぶりだね、少年」
以前あった時とは異なる白いカーディガンを着ていた彼女は美しく、彼女のいる席は他の人の席とは異なる雰囲気を醸し出しており常人には近寄りがたいオーラを発していた。彼女はそんなことを気にする様子もなく、金髪の長い髪をかきあげながらコーヒーを飲んでいた。
そんな中に変哲もない高校生である宗也が来たことにより、周りに座っている人々は好奇の視線を宗也に向けていた。宗也はその視線にむず痒い気持ちになった。
「あの、よかったら場所を変えませんか。ここだとちょっと話しづらくて……」
「……もちろん、いいよ」
アンナは宗也の心情を察したのか、席を立ち隣の席にかけてあったコートを羽織った。さっとレシートを手に取ると、カウンターまで行った。手早く会計を済ませると、宗也の待つ入口まで出てきた。
「さて、じゃあ何処に行こうか」
「この先行ったところに阿神タワーという塔があるんです。そこに行きませんか?」
「阿神タワーか、いいね。もしかしてあの塔かい?」
「そうです、あれです」
アンナは駅の反対側にそびえる鉄塔を指さした。指の先には太陽に照らされた塔が光り輝いていた。宗也たちのいる喫茶店からタワーまではそう遠くなく、数分歩くとすぐに阿神タワーの入り口まで行くことができた。
阿神タワーは東京にある東京タワーやスカイツリーほど大きくはないが、頂上では阿神町全体を見渡すことができる阿神町のランドマーク的存在になっている。宗也も気晴らしによく来ており、阿神祭では毎年ライトアップされるなど阿神町民からも愛されている建物になっている。
二人はエントランスを通り、エレベーターで上に上がった。周りには学校帰りの学生や観光できた外国人も多くいた。この先にはメインデッキ、トップデッキへと続いていく。
エレベーターに乗ってしばらくすると、メインデッキが近づいてきた。
「ここで降りましょう」
宗也はアンナにそう伝えると、二人はメインデッキで降りた。周りにはそれほど人が多くなく、広々としたスペースが静けさを醸し出していた。
「この時間帯はあまり人がいないんです。大体トップデッキの方へ行ってしまいますから」
アンナはエレベーターの方を見ると、ほとんどの人は降りずにトップデッキまで向かう様子だった。どうやらトップデッキは展望台になっているらしい。メインデッキには望遠鏡らしきものは見当たらなかった。
「ここは特に何もないんですよね。だからあまり人もいない。だけど個人的にはここが一番好きなんです」
宗也の言う通り、メインデッキには特筆すべきものは見当たらない。ただ白い床がどこまでも広がっているだけだった。アンナはしばらく町を見渡してふと気づいた。
「なるほど、そういうことか」
アンナは峰城高校の建物を見つけると、微笑んだ。学校の敷地内では外で野球部やサッカー部などがグラウンドで練習しているのが見えた。また視線を他にやると、駅前を行き交う人々や公園で遊ぶ小学生などが見えた。
「トップデッキではここよりも町全体が見渡せる。しかし小さな所までは鮮明に見ることができない。人々の様子とかね」
宗也はゆっくりと頷いた。
「アンナさんの言う通りです。俯瞰で見るのもいいんですけど建物しか見えなくなっちゃうのもちょっと寂しいって思うんですよね。俺は多分、建物じゃなくて人を見たくてここに来るんです。ちょっと上手く説明できないですけど」
「……君の言っていることは何となくわかるよ。人々の様子を見ればその町の良さが分かるからね。この町に来て数日が経ったけど、この町の住人は皆いい顔をしている」
アンナは視線の先に広がる景色を見つめながら、手摺に手を置いた。それを見た宗也は、深く息を吐いてゆっくりと口を開いた。
「……実は数日前からグローケンに誘われていたんです」
「……え?」
アンナは途端に神妙な面持ちになった。だが宗也は気にする様子もなく、メインデッキの外に広がる景色を見ながら続けた。
「グローケンと初めて邂逅した日……のことです。その夜電話がかかってきて、グローケンに誘われたんです。仲間にならないかって……」
「そうか、そんなことが……」
アンナは外を見たまま目を閉じて、柔らかな笑みを浮かべた。
「……それで……少年はどうしたんだい?確かに君から見れば、私もグローケンも大差ない大人にしか見えないだろう。善悪の区別なんかつかないだろうね。だから君が奴の味方をしても全く驚かないよ」
宗也はわずかに眉を動かしたが、表情は一切変えることなくアンナの方を見た。
「昨日の爆破事件を知ってますか?」
「ああ、ニュースで見たよ。SNSで拡散されている例の動画もね。動画に出ている二人の仮面の人間が犯人だと噂されているらしいね」
「俺あの近くに偶然いたんですけど、実はあの近くにもう一人同じ仮面をつけた人間がいたんです」
「そうか。ならその仮面の人間も爆破事件に関わっていると見るべきだろうね」
宗也は肩にかけていた竹刀を握りながら、真偽を確かめるようにアンナを見つめた。
「俺、その仮面の人間はアンナさんなんじゃないかと思ったんです。動画に出ている他の二人もアンナさんの仲間で……」
宗也がそこまで言い終えると、アンナは途端に破顔して声を出して笑った。その反応が意外だったのか、宗也も思わず顔をほころばせた。
「何で笑うんですか!今真剣な話してたでしょう!」
「いやーごめんごめん。そうか、その線があったね。確かに私はその日東京に行っていたから、私に疑いがかかってもおかしくないね。実際にアリバイを証明できないわけだし」
アンナは両手を横に広げて、お手上げだという素振りを見せた。宗也は小さく咳ばらいをして、再び話し始めた。
「でも……アンナさんと食事をしたり街を散策したりしたときのことを思い出して改めて考えたんです。こんな人がテロリストみたいな事件を起こすわけないって」
「どうかな。私が善人を演じている可能性だってあるんじゃないか?」
「その可能性も考えました。でもアンナさんとグローケンのどちらかが善人ぶって俺を騙そうとしているのだとしたら、騙されても悔いのない方を選ぼうって考えたんです」
宗也は握っていた竹刀やバッグなど持っていたものを全て床に置き、両手を広げて言った。
「それで君の答えがそれか……」
「俺はあなたの側につくことに決めました。でもあなたが嘘をついている可能性もある。だからあなたに賭けます。もしあなたが爆破事件の犯人で、俺を騙していたのなら俺を撃ってください。俺はこのアルヴァコアの力を間違ったことに使いたくない。この力を誰かを傷つけるために使うくらいならここで死んだ方がましです」
「まさか君にそんな覚悟があるとは思わなかったよ……」
アンナはバッグからモデルガンを取り出した。途端にそのモデルガンが黄色く光り始めた。
『適応率七十パーセント』
アンナの銃はかつてグローケンとの戦闘で見せたときと同じ、アルヴァウェポンへと変化した。既に周りには人がいなくなっており、メインデッキには宗也とアンナだけが残されていた。
「今なら誰も来ません。アンナさんの銃なら実弾じゃなくても人を殺せるんじゃないですか?」
宗也は以前アンナの研究所に来ていた際に、アンナのアルヴァウェポンである『エモ・インパクト』について説明を受けていた。アンナの銃、『エモ・インパクト』は実弾を撃つのではなく、エネルギー弾を銃口から発射することができる。その威力は使用者の感情によって作用される。つまりアンナが明確な殺意を込めて攻撃をすれば死に至るほどの威力を持った弾を撃つことができ、逆に加減して攻撃をすれば気絶程度に留める威力を持った弾を撃つことができる。また弾速や弾の軌道もアンナがイメージすれば変化させて撃つことができる。要はこの銃を生かすも殺すもアンナ次第、というものだった。
よって今、この場でアンナが殺意を持って銃を撃てば宗也は死ぬ。宗也は自分の生死をアンナに預けたのだ。これが宗也の覚悟そのものだった。
「……いくら何でも命まで賭けるのはやりすぎなんじゃないか?」
「信じた味方に命を預けるくらいの覚悟がないとグローケンや諏訪には勝てないでしょう?」
宗也は不敵ににやりと笑った。アンナはゆっくりと宗也に銃口を構えた。指は引き金に手がかかっており、いつ撃たれてもおかしくない状況になっていた。途端にピリッとした緊張感がフロアに流れる。宗也は両手を広げたまま、ピクリとも動かない。
「……少年、すまない」
一瞬の出来事だった。「ドンッ」という発砲音がフロアに鳴り響いた。宗也は銃声とともに目をつぶった。その直後、宗也の身体をある衝撃が襲った。直後に温かい感触が宗也の身体を包んだ。
(ああ、死んだのか……)
宗也はゆっくりと目を開けた。そこには三途の河が……あるわけではなく、目の前にはアンナの胸があった。宗也はアンナに抱きしめられており、その状態が何秒か続いた。宗也は自分が死んでいないことを確かめると、身動きをとろうとした。しかし宗也の身体はがっちりとアンナにホールドされており、身動きをとることができなかった。
「……そのまま聞いてくれ」
宗也の頭は動かすことができず、アンナの表情をみることができなかった。仕方なく宗也は諦めてじっとしていた。
「まずは君に謝りたい。知らなかったとはいえ、君をこんな覚悟にさせるほど悩ませてしまった。力を持った時点で、君も奴らに目をつけられていたはずなのに」
アンナは目をつぶったまま静かに、優しく語った。その声色は宗也にはときどき涙を堪えているようにも聞こえた。
「……そしてもう一つ。もうこんな無茶はしないでくれ。君が危険な目に遭うのは、何より私が悲しい」
アンナは力強く、宗也に言い聞かせるように言った。
「……分かりました」
宗也が答えると、アンナは抱きしめていた腕をほどいて宗也を解放した。宗也はアンナから離れて、制服の皺を直した。アンナのそばには彼女のアルヴァウェポンである、『エモ・インパクト』が床に転がっていた。おそらくアンナが宗也を抱きしめる際に思わず投げ捨ててしまったのだろう。アンナは落ちた『エモ・インパクト』を拾い、元のモデルガンに戻した。
「さて、無茶はしないとはいえ、私の側につくということは君も一緒に戦う気なんだろう?」
アンナはいつもの明るい口調に戻って言った。
「もちろんです。諏訪を放ってはおけませんから」
「やれやれ……こんな調子じゃまた君は命知らずな行動をとりそうだな……」
「大丈夫です。今の俺にはこいつがありますから」
宗也はにかっと笑って、そばにおいてある竹刀を拾い上げた。竹刀は宗也の想いに共鳴したように、一瞬淡い青色の光を纏った。アンナは困ったような顔をしたが、やがて諦めたように微笑んで宗也の肩を叩いた。
「アルヴァウェポンは確かに強力だが、過信することのないようにしてくれ。アルヴァコアの力は多くの人の命を奪う力がある。だけどアルヴァコア自体に罪はないんだ」
「肝に銘じておきます」
アンナはゆっくりと頷いて、銃をしまった。宗也は身体に残ったほのかな温かい香りを感じた。
(そういえば凄い良い匂いしたなぁ、さっき……)
宗也が抱きしめられたときの感触を思い出しながら感傷に浸っていると、あることを思い出した。
「そういえば何で抱きしめる直前に銃口構えたんですか?あれ凄くビビったんですけど」
「ああ、驚かせてしまってすまないね。実は君の身体にこれがついていたんだ」
アンナは服のポケットから小さな丸い機械のようなものを取り出し、宗也に見せた。
「これは……?」
「発信機だよ。おそらくグローケンが作ったものだね。これが君の肩に張り付いていたから壊しておいた」
「発信機⁉俺そんなものつけられた覚えありませんよ?」
「私が君とあったときはそんなものなかった。おそらく昨日今日でつけられたものだろう。どうやら君の周りにグローケンの手の者がいるようだね」
「まさか、そんな……」
宗也は驚愕した。昨日今日を振り返ってみても、怪しい人物と接触した覚えはなかった。だとすると宗也の知り合いか、もしくは親しい人物に付けられた可能性が高い。
「驚いたよ。奴も相当計画的に君の周りを調べているんだね。ここ最近でいつもと様子が違う人物はいなかったかい?」
「様子が違う人物か……」
宗也は思いつく人物を一人一人頭の中で挙げてみた。だがアルヴァコアのことはアンナ以外には話していない。学校内でも特に不審な行動をしていた者はいなかった。
「もし君の周りに奴の仲間がいるなら、そう簡単には尻尾を出さないだろう。焦って探す必要はないよ」
思い悩む宗也を見てアンナが優しく微笑んだ。彼女はバッグから手帳を取り出して何かを書き始めた。
「少年、今後の予定についてだが……」
アンナは書き終わると手帳のページをパラパラとめくりながら、宗也に目配せをした。宗也も視線でそれに応える。
「動画の通り、奴は二十六日に神賀ドームに姿を現すだろう。話によるとその日は阿神祭の開催日だ」
「ビル爆破事件の影響で、開催することに懐疑的な住民も一部いるみたいです」
「そこは町の判断に任せよう。私たちの目的は奴の計画を阻止することだ」
「計画、というのは?」
「グローケンの目的は優秀な部下を集めて、アルヴァコアの力で自分の国を作り上げることだ。圧倒的な力を持った国を作り、世界にアルヴァコアによる征服を強いること。それが奴の目的だ。今はそのための兵士を集めているといったところだろう」
「はぁ、何だかスケールが大きすぎて実感が湧かないですね」
宗也が口を開けながらぽかんとしていると、アンナは笑って言った。
「高校生なら分からなくても仕方ないさ。でも君もグローケンに誘われたということは、君の力を欲しているのも事実だろう」
「もう断りましたけどね」
「だからこれからが勝負だ。奴と明確に敵対する立場になった以上、どんな危険が訪れるか分からない。十分気をつけてくれ」
アンナは阿神町の景色を見ながら、大きく背伸びをした。
「でも計画を阻止するって、具体的にどうするんですか?」
「そのための会議だ。二十三日、ここで対グローケンの特別会議を開く。よかったら君も来てくれ」
アンナはタブレットを開いて、地図表示されているマーカーを指さした。
「はぁ、分かりました。でも今の所、俺とアンナさんしか戦える人いませんよ?」
「明日、私の古い友人がやってくる。いい奴らだから君もすぐに仲良くなるよ」
「まさかそのために東京に行ってたんですか?」
アンナは外を見ながら、勝気な顔で答えた。
「相手が兵士を集めるなら、こちらも仲間を集めるまでさ」
阿神町にあるとある工場跡地。諏訪俊介はソファに寝転んでいた。辺りはしんとしており、机やらテーブルやらが無造作に置かれていた。時刻は十九時。毎日この時間帯になると、工場内は電気がつき始める。連日ここに住んでいるが、住めば都という言葉はまやかしに過ぎない。念入りに掃除したとはいえオイルの匂いが染みつくこの環境は、諏訪にとっては居心地が悪かった。
諏訪は一週間前からこの工場に住み始めている。食事は十分すぎるほどあるし、シャワー室もある。生活していくために設備や物資は揃ってる。だが夜には隙間風が吹いて寒く、雨の日にはそこらじゅうで雨漏りがする。
できるならばちゃんとした住居に住みたいと思っていたが、グローケンがじきに海外へ出発するまでの辛抱だと言うのだから我慢するしかない。家を飛び出してきた手前、諏訪には今更後戻りする選択肢など存在しなかった。
「ここにいたんですか、諏訪君」
諏訪の視界の端にゆっくりと黒い人影が現われた。外出していたグローケンは不敵な笑みを浮かべると、真っ直ぐに真ん中の作業台へと向かった。その様子を諏訪はソファに寝そべりながら、じっと見ていた。
「何処にいようと俺の勝手だろ」
「相変わらず口が悪いですねぇ。一週間前に峰城高校の校舎裏で偶然君を見つけたときと全く変わっていない」
「言っとくがあんたを完全に信じた訳じゃない。あんたの話が魅力的だったから仲間になった。あんたが俺の役に立たなければいつでもこのプロジェクトから手を引く。それだけだ」
「おいお前!先生に向かってその言い方はなんだ!」
突然甲高い声が工場内に響き渡った。すると工場の奥から白衣を羽織った四人が現れた。その内の一人、先ほどの声の主である眼鏡をかけた女性が諏訪の座っているソファの前まできた。
「新入りの癖に生意気なやつだ。先生のお気に入りだからっていい気になるなよ」
眼鏡をかけた短い銀髪の女性は、諏訪を見下ろしてじろりと睨みつけた。その目は青色で白衣の下にはモスグリーン色のファーの付いたジャンパーを着ている。
「うるせぇ奴らが来たな。これでも食ってろ」
諏訪は群がるハエを追い払うように、ポケットから子袋を取り出して銀髪の女性の前へ投げ捨てた。
「こ、これは……!噂に聞く伝説の「母屋のどら焼き」!」
そう言うやいなや急いでどら焼きを拾い上げ、パクパクと夢中で食べ始めた。
「このあんこの食感が堪らない!」
その様子を見て、同じく眼鏡をかけた痩せ型の男性が溜息をついた。
「二十五にもなって高校生に餌付けされるとは情けない……」
するとその隣に立っていた背の低い女性が目をキラキラさせながら口を開けてどら焼きを見つめていた。
「美味しそう……。クレア、いいなぁ……ミシャも食べたい」
「そうデースカ?どら焼きって食べたことないのでワーカリマセン。私、日本語も上手くアリマセンので」
「そうか?結構上手いぞ?」
どら焼きをもしゃもしゃと食べていたクレアがクリスに向かってサムズアップした。
「そうデスカ!それはありがた迷惑ですね!」
「それは意味が少し違うような……」
ソファで寝ている諏訪の傍らではトリアと呼ばれる女性が熱心にどら焼きを食べており、その様子を見ながら他の三人が何やら喋っていた。四人が入ってきたことで先ほどまで静かだった工場内は、一気に喧騒に包まれた。
その光景を見ながらグローケンは持っている石をきらりと光らせながら調べ物をしていた。
「相変わらず君たちは仲がいいですねぇ」
「先生、それは?」
痩せ型の男性は眼鏡をクイっと上げながら、グローケンに尋ねた。
「新しく開発した『ネオ・アルヴァコア』の試作品です。性能は未知数ですがね、諏訪君、よかったら持っていてくだい」
「そんなものを俺に持たせるのか?俺は『ネオ・アダプター』じゃなくて『アダプター』だぞ?」
「きっと役に立つはずです」
グローケンはにやりと笑って諏訪に石を渡した。諏訪はしぶしぶそれを受け取ると、ポケットに石をしまった。その光景をクレアは羨ましそうに見ていた。
「先生、私にもお恵みを!」
クレアはどら焼きを食べたばかりの手をグローケンに向けた。
「おいクレア、自分の身を弁えろ!気軽に先生に力を与えてもらおうなどと!」
痩せ型の男性はクレアを注意したが、クレアは聞く気がない。
「サルトル、クレアは言っても聞かない子……」
横にいる背の低い女性・ミシャは首を横に振った。クレアは後ろの三人の方へ振り向いて言った。
「ミシャ、クリス、お前らも欲しいだろ?」
「私はどら焼きの方が欲しい……」
「ソウデスネー。遥々日本まで来たのですカラ、私は観光したい気分デース」
「だめですね、これは……」
サルトルと呼ばれる痩せ型の男性は、顔に手を当てて三人のやり取りに呆れていた。
「すみませんが、この石はあなたたち『ネオ・アダプター』には使えない代物なのです。ですが力を求めようとするその姿勢、私は嫌いじゃないですよ?」
「は!お褒め頂き、光栄です!」
サルトルはびしっと姿勢を正して、かしこまった。どら焼きを食べ終わったクレアは、そんなサルトルを見て苦い顔をした。
「お前のそういう態度、ちょっと引くわー」
「サルトルは真面目過ぎマース」
「なっ……。クレア、ヴィーダ、お前たちが不真面目すぎるのだ!先生の偉大なるプロジェクトに関わっているのだぞ!」
そんなグローケンはというと、サルトルの話を気にする素振りもなくアルヴァコアの研究に夢中だった。
「そうそう、茅野君のお誘いの電話をしていたのですが残念ながら昨日の夜お断りされてしまいました。彼が付けてくれた発信機も壊されてしまいましたし……」
「どっちでもいい。宗也は俺の手でぶっ潰す」
諏訪はゆっくりとソファから起き上がると、騒いでいる四人を尻目に工場の外へ出ていこうとした。
「おや、諏訪君。何処か行くんですか?」
「こいつらの話は煩わしくて聞いてられねぇ。気晴らしに外へ出るだけだ」
諏訪は外へ出ると辺りはすっかり暗くなっていた。この辺りは明かりがないため、夜になると一気に暗くなってしまう。工場を出て森の中をしばらく歩くと、阿神町全体を見下ろせる丘に出た。街はちらほらと明かりがつきはじめている。あと一時間もすれば綺麗な夜景が見えるだろう。あと数日でグロこのーケンたちはこの町を発つ。もちろん諏訪もこの街に別れを告げる予定だが、最後にやらなければならないことがあった。諏訪は丘の上から街の中にある茅野宗也の家を見つけた。
「宗也……。」
諏訪は強く唇を噛みしめながらじっと宗也の家を見つめていた。
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