第5話

宗也が寝てから三時間ほど経っただろうか。深夜の宗也の携帯に突然着信が鳴りだした。宗也はしばらく着信に気付かず寝ていたが、何度も鳴り響く着信音にようやく目が覚めて電話をとった。

「はい、もしもし」

 宗也は寝起き特有の頭が朦朧とした状態で電話に出たが、直後に電話越しに聞いた声で一瞬で目が覚めた。

「はじめまして、茅野宗也君。なかなか出ないもんですから番号が間違っているのかと思いましたよ」

 宗也は険しい表情をして右耳に全神経を集中させた。 

「何故俺の番号が分かった、グローケン」

「諏訪君に教えてもらいましたよ、深夜に電話してすみませんねぇ」

「……諏訪は今どこだ、グローケン」

「それはまだ教えられません。今の彼はまだ未完成ですから」

 グローケンの電話越しの声はとても軽快で、電話の向こうではにやつきながら話している様子が宗也にも推察できた。

「一体何の用だ、俺はアンナさんの仲間だぞ」

「その様子だとアンナ嬢から全て聞いたようですねぇ。まぁその方が手っ取り早い。宗也君、あなたに一つ提案があります。」

「……何だ?」

 宗也はグローケンが諏訪を人質にして、自分に何か脅迫をするのかと思い身構えた。

「どうですか茅野君、私たちの仲間になりませんか?」

「……どういう風の吹き回しだ?」

 宗也は急なグローケンによる提案に面食らった。それでも宗也はその様子を悟られぬように、落ち着きを払った。

「私は君の素質を買っているのですよ。君が更に成長すれば諏訪君に匹敵する力をも手にする。私は君が必要なんです」

「俺を初対面で殺そうとしておいてよく言うぜ」

「あれは脅しのつもりで言っただけですよ。本当に殺すわけないじゃないですか」

 確かに宗也は自分の周りに、安易に人殺しを行うような人間が存在しているとは考えたくなかった。

「俺はアンナさんから全て聞いたんだ。それを知っているなら俺が出す答えだって分かるだろう?」

「アンナ嬢ですか……おそらく私の悪評を君に話したのでしょう。君は彼女に騙されているのですよ。私はアルヴァコアの力を世界の平和のために使いたいのです。しかしそのためには相手を納得させるほどの力を得る必要がある。しかし彼女は世界の平和を謳いながら、実はアルヴァコアの力を独占して世界を支配しようと企んでいる。君に適当な嘘を吹き込んで君の力を利用しようとしているのですよ。私は彼女とは違う。諏訪君は私の考えに賛同してくれました。私の元に来れば、かつての諏訪君と君のように切磋琢磨できますよ」

(俺と諏訪の過去まで知っているのか……確かに諏訪が剣道部から去ったのは俺の力が足りなかったからだ。もしかしたらグローケンの元へ行けば諏訪も俺のことを認めるかもしれない)

 宗也は思いを巡らせた。もしかしたらグローケンの言う通り、アンナが嘘をついて宗也を騙そうとしているのかもしれない。グローケンの元へ行くということは、アンナとの敵対を意味する。彼女をとるか、グローケンをとるか。アンナは宗也の力を借りずに、自分の力で問題を解決することを選んだ。対してグローケンは宗也のことを必要とした。自分を必要としてくれる所へ行った方がいいのではないか―――――。

「色々考えているようですね。まぁ今すぐ答えを出せとはいいません。高校生にこんな選択をさせるのも酷ですからね。また電話しますからその時に答えを聞かせて下さい」

 そう言って、グローケンは電話を切った。宗也の電話には非通知が表示されていた。宗也はスマホを閉じて、再度ベッドに寝転がった。アンナの側につくか、グローケンの側につくか。宗也は今、大きな運命の分岐点に立たされていた。





 宗也たちがグローケンらと交戦した翌日は、いつも通り平穏に過ぎていった。この日は金曜日だったので、宗也はいつも通り高校に行っていた。また諏訪はこの日も学校に来なかったため、明科はいつものように心配していた。しかし宗也はその理由を知っていた。昨日の諏訪との戦闘のことは明科には言っていない。アンナも言っていたように、明科にも危険が及んでしまう可能性がある、と宗也が判断したからだ。

ちなみに宗也は念のために、アルヴァウェポンを学校にも持ってきていた。アルヴァウェポンとは言っても今はただの竹刀にしか見えないのだが。これは「いつグローケンに襲撃されても対応できるようにアルヴァウェポンを肌身離さず持っていたほうがいい」というアンナの助言によるものだった。

かつては剣道部に所属していた宗也にとっては学校に竹刀を持ってくること自体に抵抗は無かったのだが、飯山や岡谷には色々といじられた。また偶然廊下ですれ違った剣道部の佐久に久しぶりに会った時には「とうとう剣道部に復帰してくれるのか」と勘違いされた。即座に否定はしたが、宗也が部を辞めた今でも何かと気にかけてくれる佐久の存在は宗也にとってはとても有難かった。

一日の学校生活も半分が過ぎ、昼休みになったので宗也は屋上で飯山と岡谷と一緒に昼食をとることにした。宗也は教室を出て屋上に行くときもアルヴァウェポンを持っていったので、岡谷と飯山はさすがに思わず怪訝な顔をした。

「そんなに大事なんか?その竹刀が」

「確かに屋上にまで持っていくとは思わなかったな。屋上で素振りでもするのか?」

 飯山は宗也の背中を軽くポンと叩いた。岡谷と飯山の疑問は至極まっとうなことだったが、宗也は気にも留めなかった。

「まぁ色々あるんだよ。気にしないでくれ」

 宗也は適当にはぐらかしながら、階段を上った。二人はふーん、という曖昧な返事をした後はそのことに関してはそれ以上言ってこなかった。

 三人で昼食を食べている間も宗也は昨日のグローケンからの電話について考えていた。昨日の夜からずっと考えていたが、まだ答えは出なかった。そんな宗也の神妙な顔を見た岡谷が物を口に含みながら聞いてきた。

「どうしたんじゃ、宗也?暗い顔して」

「ああ、ちょっとな」

「なんか今日の茅野君ちょっと元気ないような感じよな」

 飯山も今日の宗也には違和感を覚えていた。宗也は二人に話すつもりなどなかったが、少し意見を聞くぐらいは、と思い恐る恐る話を切りだした。

「これは俺の友達から受けた相談なんだが……」

「お前に俺ら以外の友達なんておらんじゃろ?」

「うっさい、黙って聞け!」

 宗也は岡谷の頭を軽くパチンとはたくと、気を取り直して続けた。

「もし綺麗なお姉さんと薄汚いオッサンのどちらかの味方につくとしたらどっちにつく?」

「そりゃあ綺麗なお姉さんに決まってるじゃろうが」

「お姉さんだな」

 岡谷と飯山は即答した。

「すまん、俺の訊き方が悪かった」

 宗也は思わず顔を手で覆った。

「実は最近仲良くなったばかりの人がいるんだ。だが一方でその人を悪く言う人もいる。『あいつは危険だ、縁を切った方がいい』とな。だけどもしかしたらその人はいい人で、悪く言っている人の方が禄でもない人間なのかもしれない。正直、俺には誰が正しい人間で誰が悪い人間なのか分からないんだ」

 飯山と岡谷はぽかんとした様な表情でしばらく宗也の話を聞いていた。

「……聞いてるか?」

「ああ、悪い思いのほか真面目な話だったからびっくりしただけだよ」

「俺ら高校生には善悪の区別なんてまだ分からん。だが一つだけ分かることがある」

「何だ?」

岡谷はいつになく真剣な表情をしていた。

「お前が本当にしたいと思ったことをしろ。後悔のない選択なら間違ってたとしても仕方ないで割り切れるじゃろ?」

「……だから俺じゃなくて、友達の相談だって言ってるだろ」

 そう言った宗也の顔は晴れやかになっていた。曇っていた空には徐々に太陽が顔を覗かせていた。

「飯食ったら急に元気出てきたわ。宗也、ちょっとその竹刀振らせてくれ」

「本能の赴くままだな、お前は」

 だからこそ岡谷の発言はいつも本心からくるものだと信じられる、と宗也は思っていた。岡谷は宗也の持っていた竹刀を取り出して手に取った。アンナによれば、アダプター以外の人間がアルヴァウェポンに触れても何も変化はないという。要は宗也の持っている竹刀は宗也以外の人間が触れても力は使えず竹刀のまま変わらない、ということだった。なので岡谷が宗也の竹刀を持っていても宗也は止めなかった。

「なんじゃこの竹刀、結構重いぞ!おい飯山、ちょっと持ってみてくれんか」

「そうなのか?どれどれ」

 飯山が岡谷の持っていた竹刀を手に取ったその瞬間だった。ばちっという小さな火花が宗也には見えた。その途端、飯山は竹刀を落としてしまった。

「うわっなんだこれ、静電気か?」

 飯山は弾かれた手のひらを痛そうにしていた。

「大丈夫か?飯山」

「おい、落とすなよ。竹刀が傷むじゃろうが」

「悪い悪い、突然バチッときたからびっくりしたよ。静電気かな?どうやらその竹刀に嫌われてるみたいだ」

 岡谷は落とされた竹刀を拾い上げて、竹刀を振り出した。それ以降、飯山がその竹刀に触れることはなかった。


 昼休み明けの授業が始まる頃には雲もはれて、すっかり青空になっていた。教室の中は春特有の暖かさが戻っていた。宗也は昼休み明けの授業中のほとんどを睡眠で過ごしていた。宗也が起きる頃には既に放課後になっており、午後の授業も終わっていた。宗也も帰り支度をしていたところ、教室の入り口の方で明科がそわそわしていた。何かあったのだろうか。宗也は明科の方に行き、声をかけた。

「何かあったのか?」

「あ、茅野君」

 明科は宗也に気付くと、素早く前髪を整えた。

「実はうちの剣道部の道場の扉の前にこんな張り紙があったんだよね」

 明科は宗也に持っていたスマホの画面を見せた。そこにはスマホで撮られた、道場の扉に貼られている張り紙の画像があった。その張り紙には『シガツニジュウロクニチ、ドウジョウヲブッコワス』と書かれていた。

「今日は四月十九日、ちょうど一週間後か……」

「顧問の先生たちに知らせたんだけど、『ただのいたずらだろう』って……」

 宗也も最初はただのいたずらだと思っていたが、張り紙の右下に書かれているアルファベットに刮目した。右下には『S・A』と書かれていた。

「S・Aだと……」

 宗也の中でS・Aというイニシャルには一人しかいない。だがあの人がそんなことをする理由が見つからなかった。しかし他に犯人の手がかりはない。

「佐久主将はなんて言ってるんだ?」

「顧問の先生がいたずらの範疇に留めておくなら、これ以上騒ぎを大きくする必要はないって……」

「そうか、まぁ目立った被害が出てないならまだ様子を見た方がいいかもな」

「うん、そうだね」

 明科は多少の不安が残るものの、一応は納得した様子を見せていた。

「じゃあ俺用があるから先に帰るわ」

「あっ待って、茅野君」

 明科は背を向けて帰ろうとする宗也を呼び止めた。

「あの、話聞いてくれてありがとね。私、マネージャーなのに何にもできなくて……」

「こんなのマネージャーの仕事じゃないだろ。それに明科はよくやってると思うぜ。何てったって、元剣道部の俺にさえ気を遣って仲良くしてくれるくらいだからな」

「う、うん、ありがとう」

 そう言って、宗也は明科と別れた。明科は去っていく宗也の背中を見つめながらぽつんと呟いた。

「別にマネージャーとして気を遣っている訳じゃないんだけどなぁ……」





 宗也は学校の帰り道、ある場所へ向かっていた。駅への近道である路地裏を抜けて、ある廃ビルの前まで辿り着いた。そこは昨夜紹介されたアンナの研究所だった。宗也は竹刀があることを確認し、ゆっくりと深呼吸してから地下への階段を下り始めた。宗也は何が起きてもいいように身構えながら、一歩ずつ慎重に階段を下りた。突き当りの扉の前まできた宗也は、勇気を出して扉をノックした。しかし反応がない。宗也は二度三度、扉をノックしたが扉の前は物音一つせず静かだった。今は留守にしているのだろうか。宗也は思い切って扉のノブを回してみたが、鍵がかかっているらしく、開かなかった。

そこで宗也はアンナに電話をすることにしたが、連絡はつかなかった。宗也は何としてもアンナに確かめたいことがあった。しかし今は彼女とコンタクトをとる術がない。宗也は諦めて出直そうと思い、研究所を後にした。

研究所を出て数分後、駅の前まで戻ってきた。宗也は駅中で寄り道してから帰ろうと思い、中へ入ろうとしたその時だった。何やら駅の交差点近くのビルの周りに平日の昼間とは思えないほどの多くの人が集まっていた。宗也は人が集まっているビルの屋上に何者かの人影を発見した。胸騒ぎがした宗也は、駅中に入らずにその人影があるビルの方へ一目散に駆けだした。

宗也がビルに着く頃には、続々と新たに人が集まっておりざわざわとした異様な雰囲気だった。宗也は多くの群衆に押されながらもできるだけビルの近くに行こうとした。やっとの思いでビルの近くまでいった宗也は、ビルの屋上を見上げた。そこには仮面をつけた一人の人間が柵の外側に立っており、今にも飛び降りそうな様子だった。背丈は大きく、少なくとも子供ではないようだった。しかし性別は分からない。周りの人々からは、『誰か止めろよ』『何してるんだ?』といった声が聞こえた。最初は偶々通りかかった人が興味本位で集まってきていたが、その数はざっと百人ほどになっていた。

多くの人が固唾を飲んで見守っていると、ビルの屋上にいた仮面の人影は両手を広げて高らかに叫んだ。

「この退屈な世界に満足している愚民共よ。私がそんな世界からお前たちを救ってやろう!」

 その声は加工されており、男性の声か女性の声かは分からなかったがそのようなことを考える間もなく次の事件が起こった。

 突然激しい爆発音が起き、それまでビルの屋上を見上げていた人々は一斉に後ろを振り向いた。宗也も駅の方へ振り返ると、なんと駅の向こうにあるビルが半壊しており火の手が上がっていた。宗也の周りでは悲鳴や叫び声などが聞かれ、まさに阿鼻叫喚といったような光景だった。すぐに周りからは消防車のサイレンの音が聞こえ、続々と火事に方へ多くの車が走っていくのが見えた。

「あそこは廃ビルが並んでいたはず……」

 そこまで呟いて宗也は気づいた。あのビルにはアンナの研究所があることを。宗也はビルの屋上を見た。先ほどまで仮面の人影を見ていた周りの人々は今は爆発が起こったビルの方へ釘付けになっている。しかし屋上には既に仮面の人影の姿はどこにもいなかった。

 宗也は人ごみをかき分けて、火の手の上がるビルの方へ走り出した。走りながら宗也は様々なことを考えていた。あの仮面の人影は誰なのか。そしてアンナは無事なのか。一方で最悪な事態になる可能性も頭をよぎった。そんなことを考えるうちに数分で火事が起きたビルに着いた。周りには既に多くの人が集まっており、救急車や消防車が何台も停まっていた。火は既に鎮火状態にあり、煙が上がっていた。周りの人によると、幸い死者や重傷者はいないが軽傷者が数人いたほどだという会話が聞こえてきた。宗也はバリケードの前まで来て様子を見ていると、電話がかかってきた。宗也は電話の主を確認すると、急いで電話にでた。

「やぁ少年、無事だったかい?」

「アンナさん、今一体どこにいるんですか⁉研究所が大変なことになってますよ?」

「そのようだね。今ニュースでやってるよ。心配かけてすまないね。実は現在所用で東京にいるんだ。色々話したいことがあるんだが、明日会えるかな?」

「分かりました。俺も話したいことがあるんです」



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