【灼熱の煌めき(3/3)】

 ◇――――◇――――◇


「――なぁにぃ? お姉ちゃん無視して楽しいお話?」

 視界の端に現れた偵察機の機影と供に、場違いに甲高い声で長女が戻る。


『おお、麗しの姉様! なんともお早いお帰りですこと!』

「遅いわ、道草食ってる間にリクウシにでも食われてたんじゃないの」

 正反対の言葉はほぼ同時に発せられた。


 抱えた大容量ポリタンクをあぜ道に置いて、泥だらけの長女は苦言を申し立てた。

「え“~ヒドくなーい? 追加の四〇リットル持ってきたのはアタシだよ?」

「役目だとか抜かして勝手に出て行ったのはアナタでしょう」


「ぶ~~ 素直じゃないなあ、ツンデレかなあ」

『倦怠期じゃねえの?』


 長女は両手に抱えた折りたたみポリタンクから、やや緑がかった透明な水を手ですくって目元を洗った。

「ちょっと、その色大丈夫なんでしょうねソレ」

「途中で濾過装置が不調ってさー、一応検分したんだけど藻類とプランクトンの色素だから、多分大丈夫だよ」

『マジかよ、それアタシの腎臓なんだぜ、大事に扱ってくれよ』

「大丈夫大丈夫、人体には影響ないって――多分」


 長女はARコンタクトを外し、ドローンに自身の虹彩を読み込ませた。程なくして機棺の防壁が展開、中から湯気を湛えてピンク色の肉塊と有線が垂れ落ちる。異臭を放ちドロドロとした腺液が、肉塊の中から薄桃色の光沢を放つ。

 数秒経って、肉塊から青いベビードールに包まれた三女が滑り落ちた。


「ないすきゃーっち」「いえーい、姉様愛してるゥ」


 長女はタイミング良くそれを受け止めると、腺液もものともせずに幾分軽くなった三女を抱きかかえ、背面に突き刺さった各種有線ジャックを外していく。

 身体深くまで接続されたジャックを抜き取る度に、三女は冗談めいた喘ぎ声を上げる。

 だが、確か相当に痛いはずだ。

 陽光が反射して、艶のある褐色の肌にはギラギラとした光の筋が浮かび上がる。二の腕から先と腿から下の部位はない。カバーを外された鎧椎メタルスパインからは光り輝く導線が脈打つのが見え、彼女が肩を振わせたり腰を躍らせたりする度に一層明るみを増す。

 機棺は、たとえ脳髄だけになったとしても患者を確実に生きた状態で保持し続ける。生還率は一〇〇%、日常生活復帰率は一桁以下。あの時代にナイチンゲールは存在しなかった。肉体を看護するリソースを他に割かねばならぬほどに、人類は追い込まれていた。

 皮肉にも、そのような過去があったからこそ、妹はのような姿になっても生きながらえているのだが。


「ンヶ月ぶりだからね、今日は念入りにやるよ」

「水がもったいねェよ、ソレより早くしてェな」

「だぁ~め、綺麗な髪がもったいない。 洗いっこは心の洗濯なの」


 頭皮にムリヤリ移植されたナノファイバーの毛髪は、紫外線による損耗も少なくプラチナブロンドを維持している。感情の起伏に合わせて淡い七色に発光する機能は、文明や文化と供に失われている。同じモノが長女と次女にも備わっているが、外界に居た時間に比例して色素は失われてしまう。

 かつて身を挺して貧乏くじを引いた三女へ二人が与えた、せめてもの償いだった。


「相変わらず心配性だなぁ姉様、もうこれ以上ぶっ壊れる所がないってぐらいぶっ潰れたっていうのに、全くよ――」

 三女は元気だ。手足と顔面の上半分を失ってなお、軽口を叩くほどに。


「そりゃそうだよ――大事な大事な、いもうとだもの――」

 長女は健気だ。泥だらけになりながらも、頬に涙の跡を残しながらも。


 ◇――――◇――――◇


 日も暮れて、あたりは闇に包まれた。

 給気口に設置した古くさい換気扇だけが僅かな音を立てる。

 

 次女と長女、互いの背を預けながら保湿性のジェルマットに沈む。外の気温は20℃前後、氷点下を下回る内陸の砂漠地帯よりはマシだが、肌寒いことに変わりはない。マットの性能上、二人は一糸まとわず身を寄せ合って眠らねばならなかった。


 辺りには料理された一応食べられる状態にまで落とし込んだリクウシを貪り散らした残骸が散らばる。灰汁抜きした出汁は中々の味だが、身のほうは煮染めるとゴムのように堅くなり、形容しがたい不快な歯応えとなる。それでも口に出来るほぼ唯一のタンパク質を無駄には出来まいと、徹底的に水分を飛ばした干物同然の代物が中華鍋の底にへばりついている。


 これが、姉妹にとって当たり前の日常。

 かつてアンリアルで夢中になっていたロマンスなど欠片もありはしない。次女は重く湿った吐息を吐いて、傍目で力なく天を仰いだ。


 天井に夜間灯として設置されたアンティークは次女が廃墟都市で見つけてきたモノだが、差し替えてから使った覚えはない。保護領の間近に発光物や熱源を探知すれば、機械たちにハチの巣にされてしまうからだ。


「――ありがとう」

 沈黙を破るのが怖くて、次女はすこしだけ言い淀んだ。

「まともな湯汲み、久しぶりに浴びれたから」

 背中越しに伝わる肌のぬくもりと、鎧椎のつめたさ。

「――そっか、良かった」

 やさしく、おだやかに長女はことばを繋いだ。


「プラント、楽しみにしてたもんね――ごめんね、アタシが取り乱したせいで」

「仕方ないわよ――吹っ飛ばされて一張羅をダメにされたのは腹が立つけど、オーバーホールも補給も滞りなく済んだし」

 次女は、ジェルマットに沈む素肌を撫でる。乾燥は美容の敵。

「第一このボディに見合うサイズの服なんてそうそう見つからないもの」

も顔負けだもんねー」

「睫毛の事よね、その例え?」

 次女は鋭めの声色で諌め、そのまま視線を天幕のむこう側へやった。

 遮光テントの向こう側に、うっすらと星が透けて見えた。


「元々プラントあそこに着けるかどうかは未定だったし、それに――ここなら保護領アーコロジーが見える」

 息を呑む音。背に感じる脈動が、すこしだけ大きくなる。


「矜持を見せてもらえれば、私は充分よ――他意はないわ」

 酷な答えだ。それでも次女は言わねばならぬ気がした。

 

「――これで、よかったんだよね」

 長女は小さく呟く。


「この一ヶ月間――ずっと考えてきたんだ」

「――アンリアルに籠もって享楽にふけってた訳じゃないのね」

副現実アンリアル越しでもわかるんだ、タグやトレンドの隙間で、ログやメモリーには残らない領域で――あの保護領セカイにもヒトがいて、みんなそれぞれ生きている――愛して、食べて、寝て、そしてあたしたちが――」

 しばらく、沈黙が続いた。


 保護領を建造したのは人類ではなく、企業や国家、既得権益を持つ集団や組織だ。先人曰く、戦争は外交交渉の一側面であり、経済は戦争の代替活動である。組織や集団が個別に生存した以上、外交の副手段として戦争もまた持続した。

 巨大な防壁を築かせて機械達を並べ、地図や海図に防衛線を何本も引き、それらを維持し続けるために再び資源を消耗する。不毛な時代が再び訪れた。疫病や災害、大量絶滅を克服してもなお保護領間の戦争は終結しなかった。


 やがて管理者達が老いて、あのS.S.Sスリーエスが統治システムに台頭してもなお、代替活動としての戦争は持続した。権限の大半を人工知能AIに譲渡したところで、人類の歴史過ちは終わらなかった。

 

 少女たちは、どこの陣営にも組織にも属していない。それでもこの悲惨な歴史を終わらせるべく旅を続けている。同じ過ちを繰り返さないために、同じ罪を重ねて前に進もうとする。

 にと願ってこの肉体はから。


「――羨ましいわ。 私にもう、何が良策かどうかなんて考えるのすら鬱陶しい。 延々と続く途方もない荒野と代わり映えのしない夕日を何千回と見続けたせいね、思想信条と現実のズレや良心の呵責なんてご大層なモノ、とっくの昔に忘れたわ」

「忘れたんじゃないよ――あたしたちには。 だから、ヒトの真似事をして、ムリヤリにでも感情を喚起しなきゃ――持ちこたえられないよ」

 長女は噛みしめるように淡々と答えた。 


 しかし責務であれ、選択であれ、行為ミッションそのものが変わる訳ではない。

 だから使命であれ、本能であれ、ヒトに近づいたことが心を苦しめる。

 自己矛盾だ。

「その結果の現実逃避アンリアル倒錯HENTAIなら、滑稽ね」

現実逃避イキヌキは必要だよ――でないと疲れちゃうよ、心も体も」


 皮肉ね、と次女は呟いた。

「ならいっそのこと機械的マシンナリーになりたいものよ、ターゲットをインサイト次第トリガーを弾く、ただそれだけを繰り返して、後は何も考えない機械に――」


 これも滑稽な話だった。

 戦闘用の義体パーツとツナギの合成タンパク質、不足分を補填する為にあてがった培養物ドナー。規格品で形作られたモノを【機械】と称するならば、純粋な生身と言えるモノなどもはや僅かでしかない彼女たちと機械の差異は曖昧だ。

 次女は何気なく、世迷い言と聞き流してくれればいいと思ってそう呟いた。


 だが、そうはいかないのだ。


「だめだよ」

 首筋にかかる吐息。震える声が続く。

「だめなんだよ、それじゃ――くり返しだから」


 背に柔らかな肉の感触。

 後ろから回り込んだ姉の両手が、次女の下腹部で確りと結ばれ、次女の体を包み込む。押しつけられた肌の奥から熱い鼓動が伝わる。鎧脊に広がる肌のぬくもり。肉体を蝕む他者の体温。

 分析すれば外気と同じで、只の温度の変化でしかない。

 なのに、安堵と苛立ち、憧れと嫉妬、愛おしさと何かが混ざる。

 二律背反アンビバレント――これが理由か。

 

 機械では居られない。無心にはなれない。

 迷い戸惑い、苦しみながら荒野を進め。この肉体は作られた。

 それだけが、機械によって守られたを打ち倒す唯一の手法だと。


 長女は腕を伸ばし、ジェルマットを強く押す。大きく沈み込んだ辺りから、藻類由来の粘液が染みだして、次女の体勢を滑らせる。

「――ん」

 仰向けになると同時に、柔らかい唇の感触。

 湿った頬、熱い吐息。

 僅かに開いた歯の合間から、粘膜とザラついた感触が広がる。まとわりつくような体温と、ソレよりも僅かに熱を帯びた吐息が次女の体内を蝕み始める。

「ちょっと、今夜はもう――」

「――

 長女の指先が見計らったかのように肌の上をなぞり、下腹のある地点で留まった。

 次女の心臓がどきりと脈打つ。


してたでしょ――アタシが帰ってくるまでの間」

 ああ、と天幕を見上げながら、自分だけ先に湯汲みしたことを後悔する。

 その様を見て長女は蠱惑的な笑みを浮かべながら妹に告げた。淫靡な声だ。

「ねえ、ちゃんと――、しよ?」

 次女は、深い深い溜息の末にその肉体を目の前の少女に預けることにした。


 ◆――――◆――――◆



 ――<コード 認証確認>――

 ――<目標ノ殲滅 受理>――


 明けの明星が輝くと供に、陽光ソーラ・レイよりも激しい光が熱を持って保護領を焼いた。

 無数の稲光と黒く巨大な爆煙を上げて、俗欲に墜ちた都が炎の中に消える。

 

 文字通り光の速さで地上に舞い降りた灼熱は、一瞬で保護領中枢ユニットを跡形もなく焼き尽くし、次いで領地の半数を占める居住区が誘爆する。真っ黒な荼毘の煙となった有機物たちが物質世界から昇天するころには、主人ユーザー使命オーダーを失ったくろがねの守衛たちが互いを敵と誤認して撃ち合いを始めた。


 かくしてこの地上より一つの保護領が姿を消した。その構造システムから人間を閉め出して、機械が見せる夢の世界が、夜明けと供に消え去った。

 かの街が再び陽の光を浴びる事はない。



 数多のヒトが光の中で溶ける様を見届けて、少女はか弱く呟いた。

「――行こう、ヒトの居る処へ」

 長女の一声に従って悪魔バイクが唸り声を上げる。


 振り向いてはいけない。

 振り向けば自分たちが塩になってしまう。

 あの保護領まちの人たちと同じように。

 運命の三姉妹は再び旅立った。


 ◆――――◆――――◆

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