【灼熱の煌めき(2/3)】

 ◆――――◆――――◆


 ノアの末裔たちは、箱舟に水槽を設けなかったことを悔やんだ。

 神の御技を持たぬ人類には、魚一匹守ることさえ叶わなかった。


 神罰の濁流にのまれた海域は地上と同様に生態系の大変動をもたらし、魚類、甲殻類、頭足類、水棲哺乳類といった部類の大半が海の中から姿を消した。頂点を失った生態系ピラミッドは大きく形を変えた。今日の水棲動物で最も繁栄しているのはプランクトンなどの微生物であり、それを捕食する軟体類が追随し、様々な発展を遂げる。そして一部は過去の生態系が生み出した進化のわだちに乗り上げて、僅かに残された海岸線一帯に新しい食物連鎖ふうけいを刻みつつあった。


 その代表的なモノが新型陸生腹足類――即ちリクウシだ。


 ◇――――◇――――◇

 運転手の少女が目にしたモノは割れたゴーグル。

 耳にしたのは泥の中でもがきながら、冗談か本気かわからぬの一言。

「め――メタルスパインが無ければ即死だった――」

 鎧脊メタルスパイン

 電脳や補助装置が密集する頸椎部、脊椎保護などを目的として開発された、機械仕掛けの安全装置。第二の背骨。長女と次女の背中には、鎖状に繋がれた白銀色のパーツが煌びやかに発光している。かつて、戦争と災害が日常茶飯事となった人類の上流階級が、これに守られて生きていた。

「うぉえ」

 砂利と、有機物の混じり合った泥の中から少女たちが這い上がる。新世界の陸上動物として君臨したリクウシは、悪魔的バイクの衝突と衝撃で破裂した。結果さっきまでリクウシだったものが辺り一面に散らばる。

「うげぇー、ちょっぴり口の中に入ったー、苦ぁ」


 は、あさぎ色の粘液と薄紅色の粘体に塗れながらあぜ道に放り出された。浅瀬の大半はヘドロで埋め尽くされており、辺り一帯の海岸線はぬかるんだ薄茶色で覆われている。その大半は藻類や微生物やリクウシの死骸が腐敗したモノで、潮と得も言われぬ臭いが混ざり合って漂う。悪魔バイクに括り付けられていた荷物の一部も巻き込まれたらしく、周辺には多種多様なブラジャーやショーツやソックスやナプキンが散らばり、殺風景なこの惨状にカラフルな彩りを加えている。

 二人は半透明の粘液や細かな衣類に何度も足を滑らせ、悪戦苦闘しながら這い上がった。次女は今一度自分の姿を顧みると、唾を吐き捨てて舌打ちした。

「――――最っ低」

 幸いにもリクウシの粘液に守られていたのか、肌に目立った外傷はない。その代わりに衣装はところどころが裂けて千切れてあられもない姿をさらしており、悲惨な有様と化していた。大空を無人探索機が旋回している。骨振動マイクを起動させ、音声操作で離れたと連絡を取ると、下卑た笑い声が脳裏に響く。


『――ハイこちらケンシロー、Welcome to this なんとやら~ えーっと、?』

「なによそれ、ワタシが筋肉ムキムキのヘンタイマッチョマンだって言いたいの?」

 耐衝撃ポシェットから予備の拡張現実投影装置ARメガネを取りだし、次女は悪態ついた。

『え~? それっぽく服破れてんじゃん? 元からだけど』


 程なく悪魔バイクがゆるゆると事故現場へたどり着いた。音を聞く限りエンジン部に異常は無いが、車体の至る所に不定型な肉片が大量にこびり着いている。鑑識を務める小型ドローンが次々と周囲に展開し、泥だらけの姉妹も含めて思い思いの部位を執拗にスキャニングする。


『幼体で助かったぜ、弱酸性溶液と水さえあれば一晩でどうにかなるな』

「一晩ですって!」

 次女は左右で色の異なる目を丸くした。片方は精巧な義眼だ。


『目と鼻の先に資源プラントがあるのに残念だな、姉御――だが幸いにも施設は支援機の飛行圏内だ、オーバーホールに必要な最低限の物資は運べるさ』

 これでサスの心地もよくなるだろうよ、と下卑た口調で機棺が嘯くと、次女は声を荒げてその場で腕を振り回した。

保護領ターゲットが機能停止すれば施設も稼働停止するのよ、自動工場も動かないんじゃ、今日まで何のためにここまで急いできたの! 燃料精製だって綿密に計算して、それ用にこのガラクタを作り直して、せっかく――――」

 楽しみにしていた余暇バケーションが。

 次女は長女を意識したとき、何故かその語句が言えなかった。表情を見ることさえも。

『全くだな、だが今のオレらに出来ることは無いよ』

 言葉を失って天を仰ぎ、どこまでも蒼い空を睨みつける。


「今晩が期限だってのに――シャワーも浴びずに終わるなんて、最っ低!」

 シャワーだけではない。

 草一本生えぬ荒涼とした大地から服を新調する当てなどなく、ここ数年同じモノを使い古してきた次女にとって、資源プラントは頼みの綱だった。この何もない世界で、唯一の楽しみだったと言ってもいい。


 GPS情報と同期したメガネには、軌道円環オービタル・リングの上に軌道衛星の位置が示されていた。

 リミットは既に半日を過ぎている。どう転んでも間に合うはずもない。


 ◇――――◇――――◇


――濾過装置、出してくれる?」

 地平線を見つめて長女は言う。創作、史実、神話を問わずその時々のトレンドでお互いの名前やくわりを決めるのが彼女のお決まりで、三女はそれに合わせて返した。


『構わないが姉様ウルズよ、浅瀬は一〇kmは向こうだぜ?』

「いっぱい寝たから元気は有り余ってるし――それに洗いっこはどの道しなきゃなんないんだし――いいよ、アタシがやる」

『マジぃ? 助かるぜお姉様、ガチ愛してる!』


 機棺は自身の周囲に接続された拡張機材から海水濾過装置を切り離した。

 鈍く重苦しい音を立てて機材があぜ道にめり込む。

『そんなに量は運べないが、だいたい八十リットルぐらい汲んでくれば洗車も事足りる 頑張ってきてくれよな!』

「えぇ、そんなにぃ? ちょっとぐらい手伝ってよぉ」

『あ~ん濾過装置外したから冷却装置が使えなくなっちまった~ん、オレしばらくは動けねえ』

「うわぁ、セッコ!」


 苦言を漏らしながらも、長女は座席後部に括り付けられた各種機材を集める。機棺の補助装置として接続されていた濾過器は、コンパクトでハイパワーだが部品密度が高く、怪力自慢の次女をしても運搬は一苦労だ。


「ちょっと待って、ならワタシも――」

はお留守番!」

「――はぁ?」

「文句言わない! ――妹の面倒見るのは、お姉ちゃんの役目!」

 長女の発言に次女は困惑した。

 普段なら、泣いてねだってなし崩しに同行させるのが彼女だ。

 

「その代わりテントの設営よろしくね! 今日はここをキャンプ地とするから!」

 長女は濾過器と大容量タンクを抱えて、足早にその場を後にした。


『――行っちまったな』

「ちょっと、冷却装置の話って」

 嘘だ、と三女は即答した。


『見ただろ、あの取り乱しっぷり』

「――コンテンツのご感想じゃないの?」

『この二日間――ヤツの脳波が波形ツナミ無反応フラットラインを行き来していた。 典型的な情緒障害メンタルバーストだ』


 電脳情報処理の技術的発達と供に訪れた、精神構造の迷宮。全感覚没入型の疑似体験空間で起こりうる、イドとエゴの摺り合せ。記憶の奥底にしまい込んだ感情が一斉にあふれ出し、当事者の心をかき乱す。

 ヒトの言葉では悪夢とも呼ばれる。


『コンテンツの海を泳ぐ際に、何かが琴線に触れたようだな――詳細は不明だがシャウトする機会が欲しかったんだろう。 あの大泣き、半分演技だが――』

「――もう半分は、ということ?」

 すこし、ひとりにさせてやりたい。機棺はそう呟いた。

「――相変わらずお優しいこと」

『ああ、姉様だからな』

 次女は不服そうに鼻を鳴らし、隠し持っていた葉巻をおもむろに燻らせる。


「――ねえ、とらない?」


 ◇――――◇――――◇


 大規模な経済活動が招いた空気中の炭酸ガス濃度は、藻類の一大繁殖によって一応は元のバランスを取り戻した。氷河期を回避した、どこまでも澄み渡った広い空が紫から橙までの淡いグラデーションを描く。

 実体経済の減衰に伴って、今日の夕暮れは一段と美しくなった。


 西日を受けた遮光テントの中で、次女たちは機械類の調整に明け暮れている。小型のレーザートーチやマシンドリル、果ては原始的なドライバーやモンキーレンチが辺りに散らばる。

「換気扇、もうちょっとどうにかならないの?」

『水も滴るイイ女って言葉もあるぜ?』

「最低」


 次女は穴だらけになったの代わりに、今は白いビキニを着用している。トランクから着られるモノを探し、幾度も妥協点を悩んだ末だった。バックアップには最適だったらしく、三女は大喜びの様子。

『しかしまあ――三角形の小さいこと』

 熱のこもった汗が、胸の内側を伝って膝にしたたり落ちる。


『お、照れた? さっきのそんなに良かったか?』

 中空から三女の声がする。

「テントの中が暑いだけよ」

『姉御ったら耳まで赤くして可愛いこと』

 次女の眼前に掌大のドローンが浮遊する。作業用アームの先端部から分離した複合センサーを有し、二重反転式のプロペラが羽虫みたいに小うるさいシロモノだ。


「マシンの中引きこもって他人の顔観察するの楽しい?」

 楽しい、と三女は即答した。

『何せ姉御はクールビューティー気取ってるが、実のところ百面相だからな、揶揄からかい甲斐がある』


 次女は苦虫を噛み潰したような表情でドローンを睨みつけ、巨大なエンジンの機関部を担いでテントを出た。気温は容赦なく下がり、薄ら寒い。西を除いた三方は殆どが紺色に染まりつつあり、酷く透明な空気の層を通して星々の物語が幕を開ける。熱循環の変動による対流圏の不安定化が、神話の世界をより一層振わせ、煌めかせていた。

 次女は重いエンジンを悪魔バイクに取り付け、簡単な動作確認をしながらドローンへ言った。

「たまにはアナタのツラも拝みたいモノね――いつもその鋼の子宮の中で、どんな顔して茶々いれてるのか知りたいわ」


『オレのツラぁ?』

 エンジンのオーバーホールを終えた悪魔バイクの横で、機棺が作業用アームでリクウシを切り刻む。不定形の内臓を切り分け、意図のような奇声虫を除去し、熱を加えながら栄養価の高そうな部位を取り出して加工していく。

『――無理無理、だっての知ってんだろ? 表情なんて読めるわけねーもん』

 アラ、とわざとらしく声色を変える。

「人間の表情は何もだけに現れないわ、表情筋のシェイプアップもなさい、美貌にはいいのよ」

『キョーミ無いね――今さら姉御と姉様以外に気に入られようなんざ――』

 機棺の正面防壁が音もなく展開し、幾重にも折り重なった衝撃緩和材と有機有線の隙間から、機械と包帯だらけの顔が垣間見える。

 見せつけるように、三女は笑って見せた。

「こんな姿を愛してくれるのは、世界中探してもアンタたちだけさ」


 言葉を告げた肉厚な唇は無事だが、鼻から上はケロイド状に焼けただれ、目許は拡張機器で覆われて、その他感覚補助装置が全身のいたる所から無数に直結する。彼女の損壊状態を事細かに教えてくれる拡張機器ARメガネを、次女は心から鬱陶しく感じた。


「――そうね、そう言ってもらえると嬉しいわ」

 息のみでははと笑うと、三女は極めて意地悪そうに先の割れた舌スプリットタンを踊らせた。


 ◇――――◇――――◇

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