ドリーミング・マシーン
【灼熱の煌めき(1/3)】
◇――――◇――――◇
果てしない荒野。茹だるような暑さ。
途方もない道なき道を、悪魔的バイクが突き進む。
正確にはバイクじゃない。
そんな瀟洒なシロモノは、何百年も前に消え失せた。
ついでに言うと道もない。
そんな堅実なシロモノは、何十年も前に砂に埋まった。
いま、少女が乗っているのは
少女と言っても肉付きはよく、引き締まった腕が操縦桿を確りと握りしめている。
「最っ低――」
むき出しの運転席で、少女は藤色の短髪にこびりつく砂粒に悪態をついた。
不満なのは防塵だけじゃない、周囲に存在するあらゆる何もかもが少女を苛立たせた。
武器弾薬、キャンプセット、大量の雑嚢、パラポラアンテナ、業務用冷蔵庫。そしてグロテスクな拡張機器と配管をまとった
「そりゃあ―――防塵精度は仕方ないとは言えど」
運転手は背面を気にしながら続ける。
「せめてサスだけでも最新型のモノと交換したいわね」
『最新型ァ――?』
運転手の耳に声が届く。電子音で複合再現された甲高い声、不気味で異様な息づかい。
『オイオイ
「今日は風が強いわね――よく聞こえなかったけど何言ってたのかしら?」
『
機棺はそう語る。
「走りがスマートじゃないのよ。 アタシはソレが気に入らない」
ゴーグルの
なだらかで、途方もなく真っ平らな海岸線。多方見渡せば、殺風景な荒れ地が広がる。
かつて道だったと思われる砂地の大地。強烈な磯の香り。潮の侵蝕で塗布剤の剥げた無残な標識が視線の端を掠めたのは、一体何日前のことだったのか。
陸側に風景と呼べるモノはない。雨の失われた土地からは、森も川も消え果てた。山々は地平線の僅かな起伏でしかなく、砂に埋もれた町の痕跡は既にささやかだ。
『スマートねえ――』
一点だけ、地平線から突出した淡い影を見つめながら、運転手の少女が言う。
「確かに今は
『肌ね――毎晩姉様が練り込んでるサンオイルじゃ不満かね?』
「あんなリクウシの皮脂から採れる粘液じゃ、ワタシの美貌と品性は守れないわ」
運転席の後方から機棺の作業用アームが伸び、先端の複合センサーが運転手の胸元を凝視して明滅する。
『――ビボーとヒンセー?』
赤外線センサーの赤点が、まだ
「も、モチベーションの問題よ! 半分は、アタシの趣味じゃないし!」
機棺はケラケラと喚く。運転手の少女はふてくされたように一旦黙った。
防塵と被服を目的としたシールドウェアは異様に発育した(というより肥大化した)乳房を隠し切れず、苦肉の策であちこち改造した結果、原型も留めぬほどに切り刻まれた。オマケに経年劣化もあってあちこち大穴が開いている。仕方なしに後生大事に取っておいた軍服や礼服を切り貼りしてビザール風にこしらえた上着で隠しているが、全体的には丸出し同然の面積比だ。趣味に走ったはいいが素材が集まらず、頭の悪そうな格好となった。
外見的な年齢だけで考えれば、着飾って、町へ遊びに行きたくもあるのだろう。
しかし彼女たちはいま、その町を一呑みにした砂の上を征くのだ。
◇――――◇――――◇
「ところで――当の姉さんの調子は?」
頃合いを見計らって少女は機棺に訊ねる。
『穏やかなもんだ、今はぐっすり眠ってる』
機棺は極めて雑音のない、クリアでハッキリとした音質で答えた。
「
運転席から左脇のサイドカーを一瞥すると、座席シートに備えられた立体映像から直前まで誰かさんが消費していたと思われる
オレンジ、ピンク、ワインレッド――そこに何が描かれているかも視認する寄り先に、少女は無言で映像を切った。
『寝顔拝む? まーこれが悩ましい表情でさ』
結構よ、と少女は短く返す。
「起こした所でどーせ下らないコンテンツのご感想よ――お姫様だの委員長だの魔法使いだの――
吐き捨てるように告げると、機棺はため息の如き排気音を立てた。
『相変わらずヒデー言い草ぁ、照れてるのがバレバレだぜ』
「言ったでしょう、バックアップせがまれるのが嫌なのよ」
『っへ、どーうだか――』
沈黙と共に意識し始める、不愉快な震動と雑音の波。そこへ意識を向けることで、運転手の少女は虚無を和らげようとした。
道は冗長に続き、天気は万年快晴。
磯の香りが近づくにつれて砂利の粒子は細かくなり、やがて辺りには草原が広がる。しかし草原と言っても主要な植物は苔と藻で、鳥はおろか虫一匹存在しない
日が傾き、西の方角が紺碧から紫色を帯びてきた。
やがて遼遠に一筋の影が立つ。冥く薄く淡く、おぼろげに刻まれる細い影。
「見えたわ、流石に可視光学迷彩はないのね」
『ああ、何せ盗用品とコピーモデルの寄せ集めだからな』
「
『一匹残らず
良かったわ、と少女は呟く。
「これなら資源プラントでやりたい放題出来るわね」
『姉さんが起きなきゃ無観客のファッションショーだぜ? 楽しいか』
いいのよ、と少女。
「プラダの悪魔もサンローランも、いまじゃ歴史上の人物。 なんの気兼ねなしよ」
空の色が移ろうにつれて目的地が近づく。ギアを上げ、手元に三次元モニターを展開する。
『そろそろか、ミネルヴァを飛ばそう』
「――この前はヤタガラスって呼ばなかったかしら」
『何だっていいんだよ、
機棺はそう言って、冷蔵庫の上で待機している無人偵察支援機を起動させた。作業用アームに掴まれた鉄塊が、幾重にも重なったカーボン繊維を展開し、翼長二m弱はある機械仕掛けの翼が羽ばたく。
翼の付け根には、小さな肉塊のようなモノがこぼれ、そこからピンク色の腺液が溢れて数滴ほど落ちた。
「――
『――落ちたらイカロスって呼ぶことにするよ、そうすりゃアイツも浮かばれる』
地軸がイカれた影響で、空を飛ぶ鳥は
機械でできたあの鳥も、少女達と同様に孤独なのだ。
◇――――◇――――◇
『――っとぉ姉御、おいでなすったぜ』
機棺の呟きと供に、悪魔バイクの車体側面に取り付けられた巨大なカプセルが振動し、据えた匂いをまとった排気ガスをそこら中にばら撒く。連動して各所に閃光が走り、開閉部のアウトラインに集約する。
「ん”にゃ”ぁ”あ“あ“あ“ーーー!!!」
一連の突如勢いよくサイドカーのハッチが開き、少女がもう一人飛び出した。
シールドウェアの鮮やかな赤と黒が目に刺さる。露出度は運転手の少女と負けず劣らず、背中の大半がさらされている。運転手の少女は見向きもせずに吐き捨てる。
「何よ騒々しい、空力邪魔だからハッチ閉じて頂戴」
言葉はなく、返答代わりのすすり泣く声を耳にした。
振り向きざま、濡れた黒髪の隙間から射した瞳に見つめられ、心臓がドキリと脈打つ。吸い込まれそうな澄んだ翠の奥に、底知れない暗黒が潜んでいる。得体の知れない感情に呑まれそうになって「ちょっと」と声を掛けようとした瞬間、目の前の少女はふにゃっと表情を歪ませて赤子のように泣きじゃくり出した。
「――うぇえええ“ぇ”ぇえーーん!!!」
『無駄だぜ姉御、聞く耳持たずだ』
「想定はしていたけど、最っ低」
少女は運転手と機棺を無視し、フラグだのイベントだの回収ペースだの、当事者以外には意味不明の語を連発して喚き散らす。
「――あ、あんなエンディングなんてないよぉおおう!!」
体幹にぴっちりと張り付いたウェアは、背面の殆どが露になっており、スラリとしたシルエットの背中を異様な銀色の背骨が貫く。短くそろえた黒髪から覗く薄緑色の大きな瞳はたっぷりと涙を湛えていた。鼻水を袖の壊れた電子端末で拭い、サスペンションの効かない悪魔バイクに揺られて無様に倒れる。それでも少女は泣き続けた。
「おぉお”おーーん!!」
機棺から作業用アームが展開し、先端部の複合カメラが明滅する。
『おはよう、オリガいい夢見れたかい?』
「うぅ、えっぐ、おはようイリーナ」
「無視よ、ガン無視して」
運転手の嘆願も空しく、複合カメラはインタビューを続けた。
『酷い涙じゃないか、どうしたんだい? 怖い夢でも見たのかな?』
「うぇええ――ぎいてよイリーナぁ、とても―――とっても悲しいエンディングだったんだ――」
『おお、おお、わが麗しのお姉様、なんとお労しい有様だ。 今すぐリクウシのハラワタに突っ込んで頭冷やしてごらん、きっとその
「うぉおおおお――――ん“!!」
機棺とのやりとりを無視し、運転手の少女はオプション制御を全てシャットダウンしてアクセルペダルを思い切り踏みつけた。衝撃で件の少女が運転席に倒れ込むが、これに乗じて上着の中に潜り込んできたので顔面に肘鉄を数度お見舞いした。
嘆かわしいことに、この少女こそ二人の姉であり、リーダーなのだ。
『こりゃ参ったぜ姉御、早く適当なリクウシのハラワタかっさばいてぶちこまにゃ』
「――特に、特に××××のシナリオがヤバいんだよぉう」
『ダメだ、脳味噌がアンリアルから帰ってきてねえ』
「この頭かっさばいて風に晒したほうが良くなりそうな気がしてきたわ」
長女》はおもむろに運転手である次女の肩に腕を絡める。
「ちょっと! アナタねぇ!」
次いで豊かに実ったその肉の果実をちぎれんばかりに揉みしだいた。
「健気なんだよぉうう!! 爆乳ツインテお嬢様でぇえ! 散っ々チョロいなって思わせておいて教科書みたいなツンデレヒロインでさぁああ”!! どぉんだけフラグ建てても確変要素ですぐおじゃんだしぃ!! やっとのごどで見つけたトゥルーエンドが、あ“あ”あ“あ”!!!」
「ぎゃああ、こ、このドヘンタイ! 何すんのよ!」
次女の上着が弾け、肉の果実が暴れ出す。次女は長女の顔面に容赦なく肘鉄を何度も打ち付け、両手で長女の顔面をつかみお返しとばかりに揉みくしゃにした。
「このバカ、ハンドルが狂うでしょ! ええい鬱陶しい! そのこんがらがったニューロンとシナプス、ホローポイント弾で風穴ぶち抜いて物理的に情報トラフィック解消してあげましょうかぁ?!」
この混沌たる最中、唯一機棺だけが冷静に状況を判断していた。
『姉御、前方不注意だぜ』
爆音を立てて蛇行しながら猛進する悪魔バイクのはるか前方では、まるまると肥えたリクウシが藻をおいしそうに啄んでいる。
「ちょっと、リモートコントロールは!?」
『誰かさんがハンドル権限を強制ダウンさせたからな――無理だな』
その僅か一瞬のあと、悪魔バイクから無数のガラクタと二人分の影が規則正しい放物線を描きながら青空へ投擲された。
◇――――◇――――◇
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