幻光の詐欺師と桎梏の姫君
秋嶋二六
プロローグ
奴隷市
奴隷市が開かれると、何を措いても見に行くのがレフ・グレフのほぼ習慣化した行動となっていた。
別に奴隷が欲しいわけでもなければ、そもそもそんな金があるわけでもない。奴隷が家畜のように売られていくのをただ見ているだけだ。
自身より境遇の劣る彼らの姿を見て、悦に入っているなどとわざわざ誤解してくれる輩もいるが、あながち間違いでもなかったので、レフが弁明することは一切なく、これからもないだろう。だいたい自ら好んで奴隷市に足を運ぶなど、どう受け取られても仕方のないことであり、いちいち誤解を解くのも面倒である。
「ひでえ有様だ」
いつ見ても、レフは同じような感想を抱かざるを得ない。肥え太った豚のような奴隷商人が豚未満の価値しかなくなった奴隷を売りさばき、豪奢な服を着た豚が買っていくのだから。世も末とはまさにこのことだ。笑わずにいられないではないか。
よく見えるよう配慮したのか、一際高い壇上へと立たされる奴隷は虚ろな瞳をしながら、項垂れているが、彼らに同情すべき点は何一つなく、むしろ失笑したいのを堪えるのが辛いくらいだ。
何しろこの時代に奴隷なる身分は存在しないからである。ならば、彼らは何か。一言で表せば、多重債務者だ。借金を返済できないものが最後に落ち着くのは自分の身体を売ることだけだ。男女問わず、性的玩具にされるのが主であるが、表向きはあくまでも安価な労働力の提供である。であればこそ、片隅とはいえ、街中で堂々と奴隷市が開かれるのだ。
レフは口元を嘲笑の形に歪めつつも、その金色の瞳は氷のような冷たさを放ちながら、売られてはご主人さまという名の飼い主に引き取られたり、売られずにそのまま脇にどかされる奴隷をただ見ていた。奴隷にまで身をやつした彼らが最後に望むのはできうるだけ優しい主人に恵まれることだけだが、それすら叶わないものがいる。最底辺の彼らにすら格差が存在するのだ。
「救えねえな」
いつものようにレフは独白する。思わず口をついて出ただけに本心からの言葉だった。
この国に、いや、この世界に救いなど存在しない。それはレフが生まれてから十六年の歳月を経て体得した真実だ。救済がこの世界に仮に存在したとして、その手が差し出されるまで、一体どのくらい待たねばならないというのか。一生を閉じた後にその順番が回ってきても意味がないというものだ。
ただ漫然と待つことができないのならば、自らを勝者の高みへと置き続ける以外に道はない。だからといって、その先にあるのは決して安寧ではない。無数の敗者が放つ逆恨みを受け、ついには勝者敗者ともに破滅の谷へと真っ逆さまに落ちていくことだろう。譬えその時は免れたとしても、次から次へと災難の種は尽きない。
どちらにせよ、待っているのは度し難い未来しかない。だとしても、もう二度と引き返せない賭場に入ってしまった以上、最期に「畜生」と無念の声を上げるその日まで負けることは許されない。
そうであるがゆえに勝負の瞬間がいつ訪れてもいいように常に目を光らせておかねばならない。勝負に敗れるとすれば、それは競争原理の中に自身が存在することを忘れたときだろう。それゆえに奴隷市を見に来るのだ。彼にとって、奴隷は自戒のための道具でしかなかった。
決してこうはなるまい。恐怖に裏打ちされた覚悟の表れでもある。人としての尊厳を奪われ、鞭で打たれ、這いつくばらねばならない生き方を強要されるのは、レフにとって死よりも恐ろしいことだった。
しかし、もし、仮に最下層階級に落とされたとき、はたして命を絶つことができるかというとそれもまた疑問である。死そのものが恐怖の対象であることもあるが、何もなさずにこの世界から消えてしまうのもまた不愉快であった。
では、自分に何ができる。自問したとき、返ってくる答えは何もなかった。所詮は奴隷に落ちていないだけの無価値な人間であることを、レフは誰よりも知悉して、なおかつ、誰よりも目を背けていたのだから。
どこまで行っても現状が不快でしかないことに、レフは舌打ちした。その時、ちょうど最後の奴隷が場に出て来たが、レフはその行方を見ないまま、奴隷市を後にする。
結局のところ、自分と奴隷の何が違うのか。その問に対する答えはいつまで経っても出そうになかった。
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