第82話『第一階層:道徳』

 巨大な門を開きシンがダンジョンに歩み進む。

 ダンジョン内部は完全に作り変えられている。

 温泉も脱衣所もない。元の面影は何もない。

 



 遮蔽物のないただただ広大な何もない空間。

 1階層に居るのはマルマロ。




 マルマロは扉を開けた男の顔を見ない。

 一人、授業を開始する。





「一限目は道徳っす。なぜ悪いことをしてはいけないかについて教えるっす」


「僕が教えてやるよ! 善悪っつーのは、じゃないんだよね! が大事なんだよ! 善行、悪行、正義、邪悪、そんなの誰がするかで決まっちゃう! つまり僕がすればぜーんぶ正義で善行! 道徳の授業。ハイッ! オシマイっ!」





 マルマロは何も反応しない。

 淡々と授業を進める。





「ここはダンジョンの第1階層っす。道徳の教室部屋クラスルーム。呪術結界で局所的に冥界と繋げたっす。生者と死者の狭間の空間って言えば理解できるっすか?」


「……はぁ? 僕は、幽霊なんて全然怖くないぜ! 神聖強化、信仰強化、光属性付与、破邪結界、不死特攻、ありとあらゆる強化付与で僕は――サイッキョーに、加護されているからなぁっ!! 全員、ブッ殺す!!!!!」





「このフロア、三途の川を模してるっす。もう一度会いたい人とかいないっすか?」


「僕ぁね! 常に前だけ見て生きてるの! 過去を振り向かないッ! 未来だけを見て歩みを進めているんだよねッ! だからさぁ、過去とか覚えてねぇし、懐古厨みたいな奴らとステージが違うんだよね! 殺して死ぬような雑魚なんて、僕ぁ覚えちゃないねッ!!! 僕は将来のワクワクの事だけで超忙しいんだよッ!!!」





「そっすか。あんたがそうでも向こうさんはそうでもないみたいっすけどね。……早速、あんたとえにしの深い方が、この教室部屋クラスルームにいらっしゃったっす」


「ひゃはっ! まぁ、……僕ってさぁ。ほら、人気者じゃん? 困るよねぇ! 僕は懐古厨じゃないけど、向こうの方から僕に会いに来ちゃうんだよぉ? ははっ! 人徳って奴かな? 仕方ないから、会ってあげるよッ!」


「そっすか。それじゃ、同窓会。楽しんでっす」





 ――シンの人生の最初の取り立て人。

 それは、……最初の世界の女神と魔王。




 神々しく神秘的な天使のような女神。

 威厳を讃えた武の体現たる魔王。




 そんな二柱の神が会いにきた。

 神々は優しく微笑んでいた。 



 マルマロにはえる。

 シンには見えない。

 それがきっと唯一の救い。



 シンの体が不自然な体勢で宙に浮く。

 ……まるで操り人形が糸に引かれるように。






「     え     」






 これは、フロアのトラップやギミックじゃない。

 そして、マルマロの呪術ですらない。

 マルマロは死者の世界と現世を繋げただけ。




 シンは何が起こったか理解できなかった。

 なぜならこれは技、術、スキル。

 ……そういった物ではないからだ。




 見えない者には、見えない。




 シンの右肩の付け根に激痛。

 ……右の肩から血がにじみ出る。



 ブチブチという音が木霊こだまする。

 筋肉の繊維がちぎれる音。



 力任せに縄を引き裂く時の音。  

 人体も物質である現実を突きつける。



 シンの腕が伸びていく。

 おもしろいほどに伸びる。

 壊れた人形のように間接はめちゃくちゃ。

 



 マルマロはただ見守る。

 いや、見守る以外は許されない。




 荒ぶる御魂を刺激してはいけない。

 ただ口を閉ざし、動かない。




 伸び切った操り人形の右腕が引き千切れた。

 ……床にドチャリと落ちた。

 雨に濡れた土嚢どのうを石畳に叩きつけたような音。




 二柱の神による荘厳な儀式は続く。

 丁寧に、ゆっくり、ゆっくり、行われる。



 シンの四肢が一つずつ引き千切られていく。

 花びらを一枚一枚千切るような丁寧さ。 



 ……二柱の神は微笑んでいる。

 決して悪霊の憤怒の顔ではない。

 怒りや憎悪のようにも見えない。




 慈愛に満ちた顔のようにすら見える。

 いや……違う。



 ……より深いところにある感情。

 マルマロの額を冷たい汗が伝う。

 



 女神がシンの背中に優しく触れた。

 …………ペタペタペタと手のひらで。

 優しく、ゆっくり、触れた。

 


 

 マルマロは目を背けない。

 背けてはいけない。



 儀式を見届けるのも呪術師の役割。

 これは召喚ではない。


 



 第一階層 外郭がいかくきしみ始めている。

 いつの間にか数え切れぬ呪詛が圧し潰そうとしている。

 空間ごと破壊しかねない異常な圧力。




 マルマロは鎮魂の祝詞のりとを小声で口ずさむ。

 部屋の外郭がいかくにいる荒ぶる御魂を鎮めるため。



 

 呪術師。その名前から邪悪なる魔法と認識されている。

 呪術それ自体には、善悪も、正邪もない。



 原因に対し、正しく、結果を発生させる。

 善因には善果。悪因には悪果。それが本質だ。



 魔法自体に属性はない。無色透明の魔法。

 ゆえに、相手が何もしなければ何も起こらない。

 呪術は清濁併せいだくあわむ魔法。

 


 呪術師に必要な知識は呪詛カシリだけではない。

 正反対の概念。言祝コトホギの深い理解も必要。

 その二つを理解しなければ呪術は完成しない。


 呪術師は祝詞のりとを謳うこともできる。

 魔法より原始的。マジナイに近い。



 言祝コトホギで善行を正しく報いることもできる。

 行った善行に対し与えられる神秘はあまりにささやか。

 だが、それが問題になる事はない。


 善人は対価を求め善行を行っているわけではない。

 だから、ほんのわずかな神秘でも満足する。

 神の意志を感じられただけで十分なのだ。







 ――――








 シンの背中は生きながら腐っていた。

 皮膚がパンパンに腫れている。



 背中にモミジのような痣が増えてゆく。

 その痣は……どんどんどん増えていく。





 …………ペタペタペタペタペタ 


 



 まるで子供の手形のようでもあった。

 ――――心臓の鼓動が早まる。

 これは、……恐怖。



 マルマロは霊的な物に恐怖を抱かない。

 最初から霊的な存在に距離を置いている。



 あえて、近づきすぎない、関心を持たない。

 深く関わらない。それが呪術師の掟。

 共感、関心を示せば死者の世界に引張られる。




 だが、それはあくまで原則の話。

 目の前の二柱の神は事情が違う例外。

 悪霊ではないからだ。



 マルマロは本能的な恐怖を抱いた。

 人が神をおそれるのは正しい反応。

 神に対する最低限の作法でもある。

 それが正しい距離感。




 寛容は神の条件ではない。

 対応を間違えれば命はない。




 シンの四肢は一つずつ千切れていた。

 まるでのように。

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