第61話『残された者たちの、現実』
「パパ、仕事の帰り、おそいねっ」
「パパ」。それはルナにとってまだ言いなれない言葉。
言ったあとに、少しむずがゆい気持ちにもなる。
それと同時に、幸せな気持ちにもなるのだ。
ルナは甘えたいさかりの女の子。
パパのお話が聞きたい。
今日見て知ったことを聞いて欲しい。
かわいがってもらいたい。
ダダをこねて困らせてみたりもしたい。
もっと、かまって欲しい。
ルナはそんな自分は、ワガママかなとも思う。
年相応の子供の自然な欲求だ。
それは、与えられて当然の物。
そんな普通がルナにとって、とても特別。
パパが帰ってきたら、なんの話をしようか。
テミスと行った美味しい串肉屋の話をしよう。
ちょっとだけ文句を言おう。
頭をかいて少し困ったパパの顔がみたい。
そしてそのあとに、思いっきり甘えよう。
大きな手で、頭をなでてもらおう。
お話しの続きも聞きたい。
寝る前に聞かせてくれる、とてもたのしい物語。
その続きが聞きたい。
いつも眠気に負けて、途中で寝てしまう。
ユーリの語る物語の結末、それをルナは知らない。
だから、終わりのない、そんな物語。
ルナは、パパの帰りを待っていた。
「ルナちゃん、ユーリさんは、今、仕事で、帰って……っ」
アルテは、そこで言葉につまる。
喉も、舌も動かない。次の言葉が、出てこない。
「帰ってくる」そう、言い切らなければならない。
幼いルナを、安心させてあげなければならない。
なぜなら、それがユーリと交わした最後の約束。
みんなを王都に連れていき、任務が終わるまで保護。
最終任務を遂げるまで、二人だけの秘密にすること。
だから、最後の約束を果たさなければ。
「最後の」。受け入れたくない現実。
守らなければいけない、大切な約束。
それなのに気づけば涙がこぼれていた。
「アルテさん、……大丈夫ですか」
「すみません。目に、ホコリが入ってしまったようです……」
どうしても涙が止まってくれない。
涙を隠すために目元を、袖で覆う。
「使って、アルテ。ハンカチ」
テミスが、アルテにハンカチを渡す。
テミスは袖の短い服を着ている。
ルナと一緒に王都を散策した時に買った服。
ユーリにこの服を着た私を、見てもらいたかった。
こんな可愛く素敵な服も、着れるようになったのだと。
そして、改めてお礼の言葉を言いたい。
「テーちゃん、ありがと。……突然、ごめんね。ユーリさんは、帰ってきます。だから、私達は、ユーリさんの帰りを、待ちましょう」
アルテはこの中では年長者ではある。
安心させるために、気丈に振る舞わねば。
アルテは、そう考える。
なのに、……うまくいかない。
アルテは知っている。
ユーリが帰ることは、もうないと。
アルテは泣きながらユーリを引き止めた。
ギルドマスターに頭を下げてお願いもした。
ユーリは行った。
アルテに一つだけの約束を残して。
だから、私が、うまく……やらなければ。
それなのに、足に力が入らない……。
ひざが震える。胸が痛い。
体に力が入らない。
笑顔がうまく作れない。
気がついた時は、ヒザが床についていた。
いつの間に、幼い子供のように声を出し、泣いていた。
無理もない。まだ、アルテも成熟した大人ではない。
背伸びをして、そう見えるように振る舞っていただけ。
その糸が、プツりと、……途切れた。
だから、いままで抑えていた感情があふれ出る。
堰を切ったように、涙がとめどなくあふれ出る。
泣き声を止めることもできない。
幼いルナは、状況を理解できない。
いや、……本当は、理解している。
だからこそそれを、認めたくなかった。
絶対に理解しない。絶対に認めない。
そんなことが、あって良いはずがない。
テミスはルナを後ろから抱きしめる。
ルナの肩は震えていた。
だから、強く抱きしめた。
テミスは頬をつたうヒヤリとした感触に気づく。
そこで自分が泣いているのだと、気づいた。
その感情に気づいてしまった。
最初は頬を伝う一雫だった。
それが、今は雨のよう。
「ルナを頼む」
村を去る前に、ユーリと交わした大切な約束。
だから、テミスは、それを守りたい。
今はルナを後ろから抱きしめることしかできない。
前から抱きしめたら、ルナに涙を見られてしまう。
だから、後ろから抱きしめる。今の自分にできる精一杯。
瞳から流れ落ちる涙が、ルナの肩を濡らした。
そこで、ルナはテミスも泣いているのだと気づく。
ルナは、泣かない。
泣いたら、それを認めることになる。
だってそんな現実、絶対あるはずない。
だから、いまルナの頬を伝った雫は、涙じゃない。
ユエは何も語らない。
床に伏せるアルテに、そっと手を差し伸べる。
「ボクが、気づいてあげられれば……、すみませんでした」
「……っ…………ぅ」
「辛かったですね、アルテさん」
「……私は、全然……辛くなんかっ」
「もう、大丈夫です。一人で背負わないでください」
「ですが……」
「いえ、違います。ボクにも、アルテさんの背負っている物を背負わせて下さい」
「それは……」
「アルテさんが背負っている物。それは、きっとみんなで背負うべき物です」
アルテの手を取り力強く握りしめるのであった。
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