第42話『優しい奇跡』

「おー。テーは相変わらず、いい声してるなぁ」


「ありがとう」




 相変わらず綺麗な声だ。

 テミスは、月の夜に空を見上げ、歌う。

 透き通った、神秘的な歌声。




「となりに座ってもいいか」


「うん」




「テーは村の生活、退屈していないか」


「たのしい、とても」




「そうか。そりゃよかった」


「うん」




 口数こそ少ない。

 それでもテミスも喋るようになってきた。


 孤児院から来たお手伝いさんと会話しているのを目にした。

 いい傾向だ。少しずつ成長しているということだろう。




「テーは水遊び、嫌いか」


「水、にがて。だから、きらい」




 休みの日のこと。

 ルナが川辺で孤児院の子たちと、水遊びをしていた。


 テミスは水遊びを優しく微笑みながら見つめるだけだった。

 その優しい眼差しが、なんとなく、諦めにも似ていた。


 それが、少しだけ、寂しかった。




「これ、やる」



「それ、ユーリがいつも身につけている……ペンダント」


「実は、これ、ただのペンダントじゃないんだ。このペンダントのトップに、ちょっとした仕掛けがあって、な。っと」




 ペンダントのトップは、真紅に輝くクリスタル。

 俺は、クリスタルの先端を指先で軽く弾く。




「あっ……」


「凄いだろ、実はこのペンダント。小瓶だったんだ」




 クリスタルの小瓶に、赤い液体。

 ゆらゆらと揺れている。

 月あかりに照らされキラキラ、キレイだ。




「とっておきのポーションだ。美肌効果がある。飲んでみな」


「でも、いいの?」



「はは。おっさんが美肌になっても誰も得しねぇからな。まぁ、遠慮するな」


「ありがと」




 テミスは小瓶に唇をあて、なかの真紅の液体を口に含める。

 小瓶の液体は、刺し身の醤油くらい。心もとない。

 効いてくれるようにと、心の中で神に祈った。



 しばらくするとテミスの身体が淡い光に包まれる。

 月の光のように儚く優しい光。



 テミスの身体が優しい翡翠ひすい色の光に包まれる。

 周りが暗いこともあり、その淡い光がよく見える。





「少しだけ袖をめくってくれるか」


「……あんまり、ユーリには、肌をみせたくない」




「そうか、無理はしなくていい」


「でも、ユーリが言うなら。少し、めくる」




 テミスは服の袖を、おそるおそる、めくる。

 ゆっくり、服の袖をめくっていく。

 いまは、肘までめくった。




「はは、すげえや。これが、……奇跡」



 あれは、ギルドマスターからの支給品。

 あらゆる肉体の損傷を完治。

 

 それだけではなく最高、最善の状態に改善し復元。

 存在自体が秘匿される回復薬、レッドポーション。



 都市伝説のような、そんなアイテム。

 存在しないはずの物。だから、等級は、ない。


 だが、この効果、その等級は、幻想級ファンタズマ




「えっ、傷痕が……うそ。絶対きえるはずない、なおるはずない」


「テーの頑張りを、お月さんはしっかり見てたんだ。だから、奇跡が起こった」




 特別な回復薬。その効果が期待通りかは、賭けだった。

 期待をさせて、効果が出なかったらより傷つける。

 それはあまりに残酷だ。


 だから、美肌効果と表現をぼかした。

 だが、想像以上の効果。



 正直、……嬉しいというより、ほっとした。

 やるべきことの一つを、やりとげた。


 いまさら俺が飲んでも、意味などない。

 マナの経路の損傷は身体の傷と異なる。

 だから、将来のあるテミスに託した。




「テーの頑張りは、誰かがみている。努力は、報われる」


「……奇跡は、ないから、奇跡だって。だから」


「ある。奇跡は」


 


 努力が報われない。奇跡は起こらない。

 そんな寂しい諦観。

 将来のある者が知る必要はない。


 いまのテミスに必要なのは、希望。

 努力は報われ、奇跡は起こる。



 優しい嘘。おとぎ話。手品。幻想。サンタ。


 奇跡、それは儚くも尊い、希望ファンタジー


 奇跡は手品、幻想は虚構、おとぎ話は作り話。

 それを否定する。確かに、あるのだと断言する。


 絶望に打ちひしがれ、自分が奇跡を信じられなくなっても。

 

 それは、確かにあるのだと。

 そう、大切な人には言い続けよう。

 そう、信じられるよう、幻想を守る。


 きっと、それも、大人の役目。




「……すごい」




 ゴシックロリータ風スカートを太ももまでめくっている。

 テミスがこれほど感情をあらわにするのははじめてのこと。

 よほど嬉しかったということだろう。



 身体に刻まれたありとあらゆる傷痕は完璧に消えた。

 生まれ持っての透き通るような白い肌になっている。



 女の子だ。いろんな服が着たいだろう。

 ときには、水遊びもしたいだろう。

 だから、それができて、よかった。




「せっかくだ。ユエに、ミニスカートとか作ってってもらえよ」


「……こんなこと、夢みたい」




「よかったな」


「とても、うれしい」




「まぁ、ワケアリアイテムなんで、秘密にしといてくれ」


「うん。でも、そんな凄いアイテムをわたしに……」




「それが、一番有効な使い方だからだ」


「こんな大きな恩、とても返せない」




「困ったときはお互いさまだ」


「でも………」




「まぁ、でも、それじゃさすがに重いよな」


「……うん」




「俺から、一つテーにお願いをしたい。俺が居ない間、ルナの面倒みてやってくれ」


「わかった」




「まだまだ子供だ。一緒に居てやってくれ」


「ユーリは?」




「これからすこし、忙しくなる。あまりみんなと居られなくなる。だから」


「まかせて」




「ありがとう。安心した」




 瞳からあふれ出る雫が、頬を伝う。

 テミスは、頬を伝うヒヤリとした感触で気づく。

 無意識に流れる、涙。




「…………」


「ごめん、いま、とても泣きたい、きもち。心が、おさえられないっ」




「それなら、泣け。誰もみていない。思う存分、泣け」


「うん」




 あふれでる涙は、いままで我慢してきた心の痛み。

 声無き叫び。それが、涙という形となった。


 体が切られれば血が流れる。

 それとおなじように、心も切られれば、血が流れる。


 せきを切ったようにあふれでる涙の川。

 それは心に負った傷の深さを意味する。

 透明な色をしているが、瞳から溢れる涙は鮮血だ。




 胸もとを濡らすこのしずくは、きっとどんな物より、重い。

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