第37話『仮面の下の素顔』
「もう……悪事はやめます! 奴隷になります。罰も受けます。中央ギルドに連行してください。神に誓って、必ずしや罪を償います!!」
想像しろ。相手は辺境伯。
もし俺がギルドに連行したとする。
生きるために領民や協力した貴族を責め立てる。
自分は改心したのだと、目が覚めたと、主張する。
心の底では、多くの者が彼の言葉を信じない。
だが、改心しないという確たる証拠もない。
そして、なし崩し的にゆっくりと仲間をつくる。
悔い改めたとアピールするためには何でもする。
きっと真逆の『亜人の権利向上』なんかを主張しだす。
過剰な改心アピール、味方を作り、時間が経つのを待つ。
結局、『亜人』も『人族』も、どうでも良いのだ。
この男の主張も哲学もなんの意味も持ちはしない。
自身の邪悪を思う存分に表現する場が欲しいだけなのだ。
悪性を発揮できる場があれば喜んでどちらの側にも付くだろう。
状況が変われば亜人による人族牧場も喜んで管理するだろう。
虐待できる手頃な相手が亜人だったというだけのこと。
この男を、いまこの場で見逃したとする。
数年後、数十年後、数代後、再び悪事を企てる。
失敗から学び、今度はより慎重に、悪辣な方法で。
歴史も、悲劇も繰り返す。終わりなど、ない。
――認めよう。
こいつは邪悪のなかでも、一級品だ。
同情を誘う、その演技もなかなかのものだ。
殺意を削ぐのに十分すぎる、道化の演技。
俺にはまったく理解ができない。
それを生来から備えた本能でやっているのか。
理屈でやっているのか、わかりはしない。
だが、その生存能力は脅威、警戒に値する。
だから、より一層、確信を強くする。
ここで殺さねばならないのだと。
ここが、貴様の終着駅だ。
もう、貴様に次はない。
「人の真似をするな、害獣」
「ひぃ……すみませ」
「また一つ、罪を重ねたな」
手を広げ、顔を鷲掴みにする。
片手で持ち上げ、少しずつ指の先に力を加える。
貴様の断末魔を俺が記憶しよう。
手足をバタバタと振り回し抵抗してみせる。
逃れられぬと理解し、なお滑稽なる舞を見せる。
それに意味がないと理解しているはずなのに。
「地獄で、絶望とともに俺の顔を思い出せ」
ゆっくりと少しずつ力を加える。
ミシミシと骨が少しずつ軋む。
指先にその確かな感触を感じる。
皮膚からにじむ血と脂は、雨が洗い流す。
これ以上にない不快な感触。
しかと記憶しろ――目の前の
地獄で恐怖とともに思い出せ。
俺もおまえのことを記憶しよう。
雨は激しい物となっていた。
「ふっ……ふふふ」
百面相のようにコロコロ変わる顔から表情は消えた。
今は表情の無い、のっぺりとした能面のような顔。
――落雷。
雷光が男の顔を照らし、陰影をうみだす。
その顔は嘲笑っているようにも見えた。
虚無なる男の
もう、この男は、きっと笑わない。
同情を誘うために痛がるふりもしない。
自身が殺される未来が変わらないと理解したのだ。
だからもう、不必要な弱者の演技は、終わりを告げた。
狂いもしない。狂ったふりもしない。
全ての仮面を剥ぎ取られた。
仮面の下の、素顔。
感情も熱量も一切を感じさせない、虚ろな瞳。
眼球が、ただ俺の瞳を覗きこんでいる。
俺は、いままでに何度か見てきた。
この男とよく似た、熱量のない瞳を。
背筋が凍る。俺はこの瞳が恐ろしい。
何度見ても慣れることなどない。
この男の思考が読めない。
まったく理解ができない。
――だから俺は、正しく、恐怖する、悪を。
痛みも絶望もこの男の心根は変えられない。
人が人に、罰を与えることの、限界。
その現実をマザマザと突きつけられる。
頬骨は砕け、歯もへし折れている。
顔は身体の中で最も痛みを感じる部位。
その痛みは相当なはずだ。
それなのに、ピクリとも反応が、ない。
悲鳴も、罵声もない。
痛みによるショック死すらしない。
強がりでもないのだろう。
これが断末魔に見せた、素顔。
全ての仮面が剥ぎ取られた、本当の顔。
きっと本人すら知らなかった、素顔。
本物の邪悪の最後。断末魔の、記録。
痛みも、恐怖も、絶望も、裁けない。
最後までこの男が自分を捨てることなどない。
人が邪悪を罰する、限界。
あとは地獄に任せるしかない。
こいつは、人の世では裁けない。
指の先に少しずつ力を加える。
頬骨はくだけ歯も折れている。
折れた骨が顔の肉に刺さる。
耐え難い激痛が襲っているはず。
何らかの反応を期待した。
そして、淡い期待は裏切られる。
――反応は、なにも、なかった。
顔からピンポン玉大の物が2つ飛び出す。
だから、もう視線を感じなくてよいはず。
なのに確かに感じるのだ、視線を。
眼球のなくなった、黒い
底のない闇が、いまだに覗いている。
男の口元が少し動く。
「愉快な、とても、とても、愉快な、人生だった」
誰に向けた言葉でもない。
俺に向けた当てつけですらない。
それはただの、独り言だった。
声など既に発せられる状態にはない。
なのに、はっきり、声が聞こえた。
あの嫌な声が耳から離れない。
それが、この男がこの世に残した、最後の言葉。
その言葉のしばらく後、音を立て顔が砕けた。
降り注ぐ雨音が、頭のなかで反響する。
あの視線から解放されたのだと安堵する。
「また、わからなかった」
最後の瞬間まで理解することはできなかった。
だから俺は、記録し後世に残す。
善良な人間が、正しく悪を恐怖することができるよう。
死後も誰かが引き継ぐことができるように。
「ルナ、仇は取った」
意識が途切れ、雨でぬかるんだ地面に、倒れた。
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