第12話

 健一は息子がコーナーに戻るなり椅子を用意した。

 コーナーに戻った一輝はさっきより軽い足取りで戻って来た。

 「一輝、パンチを喰らわなくなったが、あのままではボクシングとは呼べんぞ」

 「わかってるわ・・・・次は最終ラウンドやからな、せやけどアイツのパンチを真面に受けるわけにはいかんからな」

 「確かにずいぶんなやられようやな・・・・まさか、フリッカーまで使うとは・・・しかも、しかもかなり磨かれたパンチや、あいつは文字通り天才肌のボクサーやな」 

 と、タオルで一輝の鼻から垂れる血を拭きながら健一が言った。

  一輝の視線の向こうには浅倉がコーナーで先輩と思われる、ガタイのいい男からアドバイスを受けている。

 何を言っているかまでは聞き取れないが、その話に浅倉はコクリ、コクリとうなずいているが、度々一輝の方を睨みつけている。

 憤りが頂点に達しているような顔である。

 

 一輝は立ち上がった。

 最後のラウンドに出せるだけの力を出すつもりであった。

  

 「浅倉ーそのガキをぶっ飛ばせ!!」

 という声がリングの外からきこえた。

 まったく、このジムで一輝は完璧に悪役である。

 「イッキーその、嫌味なボクサーをコテンパンにやったれぇ!!!」

 と、石川も一輝に声援を送った。

 ジムの中は浅倉の見方だらけであり、一斉に皆が石川を睨んだようだ。

 石川はそんな周囲に対して負けじと``ふんッ、、と鼻を鳴らし、腕を組んで反発的な態度をとっている。

 熱気が渦巻くボクシングジムの中、静かに二人を見守っているのは、父親と松波、そして会長の三人であった。

 

 そして3ラウンドのゴングが鳴った。

 

 

 前に出たのは浅倉だった。 

 ジャブから右のストレートを放ったが一輝は横に移動し、それをかわした。

 そして、また右へ小走りをはじめた。

 「おい、ちゃんとボクシングしろ!!」

 外から声が聞こえるが、一輝は小走りを止めなかった。

 リングの中を二週ほど歩くと、次は左向きに回り始める。

 「コラ、山猿!逃げんとかかってこい!!」

 まともに戦わず逃げ続けている一輝に業を煮やした浅倉はそう叫んだ。

 小柄で短髪の一輝を例えるのに山猿と罵った。

 リングの外では、どっと笑いが起きた。

 浅倉が踏み込みパンチを撃つと素早く背中を向けそうな勢いで距離をあけ、避難する。

それでも構わず一輝はリングをランニングしている。

 一輝は思った

 (呼吸を整えろ)

 そして呼吸を、1つ、2つ、3つとするたびに、荒れた呼吸が、少しづつ整い始めていた。

 しかし、いつまでもその調子では済まなかった。

 一輝が気が付くと、リングのコーナーへと追いやられていた。

 浅倉は一輝が走る方向に早く回り込み、一輝が右へ左へと方向を変えても素早くついていくことで、一輝の退路を徐々に狭めていたのだ。

 そして、またもやフリッカージャブが襲ってきた。

 (来た!!)

 一輝はガードを固めジャブの雨を凌ぐ。しかし必ず決定的に危険なパンチが飛んでくるであろうと予感した。

 次に止めのパンチをヒットさせたら、ダウンするであろうと一輝は危機感を募らせた。

 一輝はあることに気付いた。

 浅倉のフリッカーの数が減ってきていると、そして速度も遅くなってきているように感じた。 

  フリッカージャブがほんの一瞬鈍ったように感じた一輝は、浅倉の懐に入り込めるように低い体勢をとった。

 そして一輝は思い切って大股を広げるように左足を前に出し、低い姿勢のまま右の拳を浅倉の顔目掛け放った。

 一輝は低い姿勢から、拳を背後から弧を描く様に放った。

 そしてその拳は見事に浅倉の左顔面を捉えた。

 ドスッ!!

 鈍い音が響く。

 その衝撃は一輝の拳を通じて感じた。

 いい感触だった。

 「やった!!!」

 リングの外では石川が歓喜の叫びをあげた。

 顔を思い切りぶん殴られ、浅倉はロープ際まで吹き飛ばされたように、よろめいた。

 たまらず浅倉は右肘をロープにかけ、唖然とした表情を浮かべていた。

 そんな浅倉に対し一輝は追撃を始めた。

 はっ・・・・と我に戻った浅倉は改めてガードを固めようとしたが、一瞬早く一輝が懐に飛び込んで浅倉の腹部を目掛けて右の拳を撃ち込んだ。

 「うぅっ!!!」

 このパンチにも手ごたえを感じた。

 グローブ越しに衝撃が拳をつたわり、前腕につたわった。

 グローブを嵌めた拳が浅倉の鳩尾みぞおちめり込んだ。

 「がはぁ!!」

 浅倉は苦しみのあまり声を上げ腹を抑えた。

 完全に効いてしまっている。

 「浅倉!!!」

 リングの外では困惑の声が聞えた。

 (チャンスや!!)

 「おおおおおぉぉおお!!!!」

 一輝は雄たけびを上げ浅倉に襲い掛かった。

 左のボディフックをもう一度お見舞いし、動きが止まった浅倉の顔面に右のフックをぶつけた。どちらも当たり、十分な感触があった。

 そして、一輝は左右のストレートパンチを浅倉の顔に放った。

 左、右、左、右、左・・・・・。

 顔を腫らせ、鼻血を流しながら、一輝は不格好な姿でパンチを放つ。

 右、左、右・・・。

 まるで、いじめられっ子が、自らの力に目覚め今までの恨みを晴らすかのように殴り続けた。

 凄まじいラッシュである。

 浅倉も歯を食いしばり、何とか一輝の顔にパンチを撃ち返す。

 しかし、一輝の攻撃は止まらない。

 アドレナリンが出まくった野獣のような一輝は、気にもせずパンチのラッシュを浴びせた。

 右左・・・・。

 浅倉は後退し続けた。

 気づけば浅倉はコーナーに釘付けの状態になっている。

 左、右、左、右左右・・・・・・。

  一輝は口を開けて呼吸をし始めた。

 喉の奥に痛みを感じるほど呼吸は荒くなっている。

 力が尽きるまで攻撃を続けるつもりだった。

 

 この拳の動きを止めたら、腕が上がらなくなるのではないかと思うほど一輝は疲労困憊していたのだ。 

 

 しかし、無呼吸の連打は徐々に徐々に遅くなっていた。 

 力もなくなり衝撃すら感じなくなっている。

 ガードを固め一輝の攻撃に耐えていた浅倉は狙っていた。

 一輝がこのまま体力がなくなりパンチを繰り出すことが出来なくなるのを。

 鋭く突き刺すような浅倉の視線。

 一輝の攻撃が弱まりつつあった。

 対して浅倉は、弱った獲物を一撃で仕留める獣の様な眼である。

 一輝の攻撃は完全に弱まった、朦朧もうろうとした意識の中、拳が鉛のように重く感じた。

 否、力が尽きてしまった。かろうじてガードを上げている腕が震えていた。

 もう、浅倉を打ちのめす力は残ってはいなかった。

 一輝の攻撃は止まり、大きく一つ肩で息をした瞬間だった。

 浅倉が距離を詰めて、右のパンチを放った。

 浅倉のパンチは直線状に伸びてきたのが見え、それを何とか避けるために身体を動かそうとした。

 動けなかった。

 そして次の瞬間、顎に鋭い衝撃が走った。

 

 一輝は眼の前がぼんやりと暗くなった。


 


一輝は膝からマットへ、前のめりに崩れ落ちるように頭をさげた。

 顎の先端を打ち抜かれた一輝の脳は頭の中で揺れに揺れ、平衡感覚を失わせていた。


 決着。 

 

しかし、ジムにいる男達は全員眼を見張った。


一輝は昏倒こんとうした中、倒れることを拒否するかのように、浅倉の腰にしがみ付いていたのだ。

 「こいつ・・・・」

浅倉はそう言い、いつまでもしがみ付いている一輝を払いのけようとしたが、浅倉も、体力を失い、ぐったりとしていた為、一輝を払いのけることが容易ではなかった。

 「こいつ・・・・なんちゅう執念や」

 浅倉は呟いた。

 



 

  

  

       

 

 




 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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