第9話
一輝は浅倉とのスパーリングを行うためにジムの中央にあるリングに立った。
初めてのボクシングジムの門をたたき突然のリング上だった。
一輝はリングに上がるなり夏用の白いシャツを脱ぎ、白のタンクトップに下は学生ズボンまま裸足という出で立ちでリングに上がった。
父親は一輝の拳に12オンスのボクシンググローブを嵌め紐を慣れた手つきで縛り上げた。
浅倉の拳に、先ほどのスパーリングが行われていたので、すでに14オンスのグローブが嵌められており、準備も万端と言ったところだ。
浅倉の傍には、ジムの同門の者が二人ついている。
一人は浅倉にとって先輩でありプロボクサーである宇野という今年の全日本新人王に輝いた男である。
浅倉と比べて、少しばかり身体全体が大きい筋肉に包まれている感じだ。ウエイトも、きっとライト~ウェルター級くらいの中量級であろう。
鼻が潰れて目の周りにも傷跡がある。
もう一人は、ひ弱そうな、細身の男だった。
リングに立ち緊張感が増してきた一輝は、自らの向こう見ずな性格を少しばかり後悔しそうだった。
相手は既に、高校ボクシング部で将来を期待されたルーキーであり、更にプロボクサーをめざして日々トレーニングをしている。その天才的ボクシングセンスは先ほど目の前で見せつけられていた。
ここ二カ月ほど腕立てや、ロードワークを始めたばかりの付け焼刃が通用するとは微塵も思えなかった。
一輝が勝つなどと思うものなど、このジムの中には誰もいまい。
周りを見渡すと、浅倉の仲間たちは、好奇の目で一輝を眺めている。
どちらかというと一輝がどうやって倒されるかを楽しみしている様にも感じる。
石川が心配そうな顔で一輝を眺めている。
(ちっ・・・・石川、なんて情けない顔してやがる)
と一輝は心の中で思った。
父親が一輝の頭ににヘッドギアをかぶせようとした時、一輝はそれを払いのけた。
「・・・・・?」
親父が何をする、と言ったような表情を浮かべた。
「あいつもヘッドギアしてへんやんけ・・・・」
コーナーにいる浅倉はヘッドギアをつける様子がなく、さっきから軽く腕を振ったりパンチを撃ったりをしている。
「あのな・・・・相手はお前と違って素人ではないぞ」
「これは喧嘩や、ほんまなら喧嘩にグローブもヘッドギアもないやろ・・・・」
「何わけわからんこと言うとんねん」親父が無理やりヘッドギアを一輝の頭にかぶせようとしたが、それを一輝は断固拒否した。
「聞き分けのないやっちゃな」
「おい、クソガキ・・・・まだか?」
業を煮やした浅倉が、またもや一輝を挑発した。
「じゃかましい!!もう準備はできとるわ!!!」
と言い返した。
リングの外から笑い声が漏れた。
浅倉もにやにやと笑っている。
一輝は、浅倉のニヤついた顔を思い切りぶん殴りたい衝動に駆られた。
「おうおう、こいつか威勢のいい若もんは・・・・」
と、奥から白髪の男が現れた。身体が細く背もさほど高くはない顔は皺だらけで六十歳を過ぎているであろうという感じであったが、その眼は鋭く、声にも張りがあった。
「会長・・・」
その言ったのはコーチの松波であった。
「会長ご無沙汰しています」
続いて健一が言うと、笑顔で軽くてあげて言った。
「久々やの健一・・・・元気そうやの・・・・お前の息子のファイト、とくと見せてもらうで」
「ありがとうございます」
そんなやり取りが一輝の耳に微かに入って来た。
「一輝」
と、父親の声が聞こえ振り向くと、口に何かを押し込まれそうになった。
「口開けろ・・・・ゴム製の安物のマウスピースや。これが無いと直接、前歯が口の内側に突き刺さって簡単に血だらけになるからな、一応借り物やけどしっかり洗っといたから病気にはならんやろう・・・」
「何や気持ちわるい」
「ええから、くわえとけ」
と健司は一輝の口の中にねじ込むように、それを入れた。
安物のマウスピースは、ゴム製でただ上顎に沿う様に形作られているだけで、しっかり噛んでいないと、呼吸で口の外へ飛び出そうな感じである。
「二人とも準備が出来たな、そろそろ行こうかい!」
「ウっス!!」
松波の声に浅倉が返事をした。一輝はただ、首を縦に振っただけだった。
「よっしゃ!」
松波がそう言うと、ゴングの音が鳴り響いた。
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