第5話    

      

           

 

 翌日。


 一輝は学校の校舎の屋上で仰向けに寝そべり、空を眺めていた。

 昨日から一輝は何をやっても上の空で、学校のどの勉強も頭の中には入ってはいない。勉強が身に入らないのは、今に始まった事ではないが、今日は、とりわけ落ち着いて席に着くことが出来なかった。

 未だに収まらない胸の高鳴りのせいだった。

 昨日の、あのボクサーと思われる学生が、五人の不良学生を相手取り、ものの見事に倒した姿が頭の中でとぐろを巻くように思出されていた。

 五人の不良学生は、商店街を我が物顔で歩き、同じ年齢位の他校の学生を見るなりり、恐喝目的か憂さ晴らしを目的に意気揚々と近づき、相手が一人という事もあり、安易に人気の無い場所へ連れ出していった。

 相手はか弱い猫のように感じたが、実はとんでもなく凶暴な虎だったという感じだろう。

 様々な思いが交差していた。

 一つは、自分が復讐を果たそうと狙っていた獲物を横取りされた様な気分である。

 しかも自分の力量では、まとも正面切って喧嘩をしても、とても叶わないと感じて、三日三晩どうするか悩み、やっと決心して、復讐に向かったものの、いともたやすく、あの不良五人の男を瞬殺状態にした。

 どんな事情があろうとも、それが何故か許せなかった。

 そして、躊躇ばかりで決断が遅れた自分にも怒りを感じていた。

 そして、もう一つの思いは、痛快な気分であったことだ。

 あまりの鮮やかな、あの戦いぶりが一輝の脳裏いつまでも焼き付いている。

 自分が、あのように立ち振る舞うことが出来れば、どれほど自分を誇らしく思えるだろうかとさえ思っていた。

 そんな、嫉妬にも似た感情がこみ上げてきていたのだ。


 「おい、イッキ、そんなところで何してんねん・・・・」

 その声のほうに一輝はゆっくり振り向いた。

 石川だった。

 「おう・・・・」

 石川の呼びかけに僅かに答えた。

 「えらい元気が無いのう」 

 そう言って石川は、ズボンのポケットから煙草を差し出した。

 皺の入った箱の中には残り五本ほどの煙草が入っていた。

 「いや、煙草はいらん」

 そう、一輝に言われ、鼻で一つ息をつき、石川は煙草の箱を自らの口元に近づけ、煙草を一本引き抜き、安物のライターで火をつけた。

 

 しばらく、沈黙が続いた。

 

 「なぁ、イッキ・・・・」

 

 「・・・・なんや・・・・」

 

 「飯塚さん知ってるよな」

 

 「まぁ、知ってるも何も、あいつにはエラい目にあわされとるからなぁ」

 一輝は、眉間に皺をよせて遠い眼をしている。苦い過去だ。飯塚とは、この学校の卒業生で、一輝が一年生の時に、喧嘩を吹っかけられ、大いに殴られた過去がある、この町で有名な喧嘩自慢の不良だ。

 石川は、どこか申し訳なさそうな顔をした。

 「・・・・で、それがどないしてん?」

 一輝がそういうと、石川は、もじもじと身体を揺らして、うつ向いているだけで、答えようとしない。

 

 「じれったいのぉ、早よう言わんかい」


 「こないだ、コンビニに買い物行った時な、飯塚さんと出くわしてん」

 

 「・・・・そんで?」

 「気づかん振りしようと思ってんけどな、目と目が合ってもうたから、一応挨拶したんや、そしたら、飯塚さん、『なんや、なんや、今日はイッキと一緒や無いんかい?』とか親し気に話しかけてきてな」

 石川は飯塚に恐れを感じながらも、飯塚の方から親し気に話しかけられたことに対し、どこかご満悦な表情であった。

 「ありゃ、どうみてもヤクザになっとるな、服装というか風貌というか、どこかの組にでも入ったんやろか・・・・」

 石川の悪い癖が出てきた。

 石川は、以前から、この手のうわさ話が好きである。

 どこの高校の不良のリーダー格が、誰と喧嘩して勝っただの、この辺の大人の誰だかは、昔かなりのワルで、相当この辺で幅を利かせていただの。

 石川は、単純に強いものに憧れる傾向があるようだ。

 一輝からすれば、そんなこと何の興味もない話ではあるが、友人の話であると思うから、一応聞いている振りをすることにしている。

 しかし、なぜ飯塚は、興味あり気に自分の話をしてきたのか、それほど親しい中でもなかったのに・・・・という不可解な思いになった。

 「俺の予想なんやけど・・・・」

 石川はさらに話を続けた。

 「スカウトや無いかな」

 「すかうと・・・・?」

 「そうや」

 石川の声のトーンあがった。

 「イッキが学校を卒業したら、組織に誘われるんちゃうか」

 「アホ抜かせ」

 一輝は不快感でいっぱいだった。

 「あんな奴とは関わりたくないわ」

 一輝は手の平を振り、ため息をついた。

 「悪いけど、もう少し一人でいたいから、先に帰るわ・・・・」

 そういうと、一輝は石川に背を向けて、屋上から下に降りる階段に向があるドアの方へと歩いて行った。

 「おい、ちょっと、気を悪くでもしたんか?」

  石川が慌ててそう言うと

 「おう、すごく気が悪くなったわ・・・・今度、その名前(飯塚)出したら、もっと機嫌悪くなるぞ」

 一輝は石川に背を向けたまま、手を振った。

 「・・・・っちょと・・・・」

 扉が閉まった。

 一輝は振り向くことなく階段を下りて行った。

 


              

                ******  

  

 一輝は、午後からの授業を受けずに、帰宅することにした。

 帰り際に学校の近くの河川敷のベンチで腰を下ろし、物思いに耽りたくなった。

 相変わらず、一輝の頭の中で、昨日の、あのボクサーと思われる学生と不良の喧嘩の情景が、繰り返し頭の中を巡っている。

 そして、次に思いだされるのが、父親の言葉であった。

 一輝を男で一つで育てたといっても過言ではない、その父親は、一輝にボクサーになれ、と勧めた。

 今となっては、ボクシングとは父との戯れの中で知った一つの思い出となっている。

 父親が唯一、一輝に教えたものと言ってもいい。

 幼き一輝にとっても、父にボクシングを教わっている時が、楽しい思い出でもあり、そして、その時が父親らしく感じた瞬間でもあった。

 それ程、喧嘩の強さに自信が有る訳ではないが、このまま、何も試さずに、悪戯に時間が経過していくことに、不安を感じていることも事実であった。

 

(親父の言う通り、このままやとロクでもない人間になってしまうかもな・・・・)と、漠然とではあるが、自分の将来を危惧していた。

 

 川を眺めていると、目の前を、犬の散歩に来ている老人やら、ジョギングなどをしている婦人が目の前を通る。

 そして、そんな人々を何気に眺めていた時だった。

 遠く河川敷の堤防ていぼうの彼方から、黒の上下のウインドブレーカー姿の男が走ってきている。

 もうすぐ夏を迎えようとする、この季節にその男は、黒いウインドブレーカー姿という異様さであった。

 (何やあいつは?)

 一輝は独特な雰囲気をかもしし出すその男に、思わず見入っていた。 

 頭にはウインドブレーカーのフードをかぶていたため顔がよく見えなかった。

 とても足取りが軽く、リズミカルな走りだった。

 そのリズムカルな走りで徐々にこっちに向かってきた。

 男は走る足を止めて、その場でトントンと二度軽く弾むと、素早い動きでパンチを繰り出した。

 全身のがバネの様に柔らかく、伸びるようなジャブを二度繰り出し、右のストレート、そして左フック、右アッパーというコンビネーションだった。

 その一連の動きが実にスムーズで、舞の様にすら感じた。

 「ボクサー・・・・」

 一輝は直感的に言葉を吐いた。

 素早い動きに激しさ増し、さらにスピーディーにジャブを撃ち込み空気の抵抗で被っていたフードが背中へとずれ落ち、男はその顔を晒した。

 

 「---!!!!」

 一輝は眼を見張った。 

 知っている男だった。

 その男は、昨日、不良五人を瞬く間に殴り倒した、あのボクサーらしき学生であった。

   

     

              


 「おい、ちょっと・・・・おま・・いや、あんた!!!」

 たどたどしい言葉遣いで、一輝は男に話しかけた。

 自分でも、なぜ、いきなり声をかけたのか解らなかったが、自然と声に出してしまったのだ。

 そのぐらい偶然の出来事に舞い上がってしまっていた。

 男は動きを止めて、ゆっくりと一輝の声のする方向に振り向いた。

 顔を改めて確認した。

 少し窪んだような鋭い眼に鷲のくちばしの様な鼻、間違いなく、あの時の男だ。 

 「なんや・・・・なんか用?」

 男は不愛想にそういった。

顔中に大粒の汗を浮かばせて、鋭い目つきで一輝を見た。

 悔しいかな、一輝のことは覚えてもない様子だった。

 「あんた、昨日、高架下で不良たちに絡まれて、ぶっ飛ばしていたよな・・・・」

 「・・・・そやったら、何やちゅうねん」

 暫く間を置き男はそういった。

 男の顔がさらに険しくなった。

 男から見れば、一輝はどう見ても年下のガキである。それを承知で、一輝は注意を払い、男に話しかけているのではあるが、如何せん一輝は、どうにも教養が無いため、言葉を選ぶ術を知らない。

 言葉を注意深く頭で考えてみたが、思い浮かばない一輝は「あれ、どうしたら、あんな事できるんや・・・・?どうやったら強くなれるねん!」

 

 「あん?」

余りにぶっきらぼうな質問に男は顔をしかめた。

 「あいつら、ほとんど一発でシバき倒したやないか?いつも、そうやって走ってると、強くなったりするんか?」

 男は額の汗を腕で拭って、一輝を睨んだ。

 鼻でため息をつき言った。

 「あんな・・・・練習の邪魔やから、あっち行け」 

 一人で熱くなっている一輝に男は冷たくあしらい、男は再びリズムカルに走り出した。

 「え・・・・」

 一輝は茫然としたままだった。

 あっという間に、男は遠くの方へ走って行ってしまった。

 「くッーーーーー!!」

 一輝は全身を震わせた、歯茎がきしむほど噛み締めた。

 (くそぉぉぉぉ!)

 あまりの冷たい、あしらい方に心底怒りを感じた。

 侮辱、屈辱、憤り、悔しさ、恥。

 あらゆる思いが、こみ上げた。

 「覚えとれよ・・・・」

   





 

 

 

 



 

 

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