第3話 ちょっと、他の誰かと重ねないでよ

 俺の中のギリシャ神話は否定された。


 天使の名前はミカエルでは無かったのだ。実際そう名乗られても疑わなかったと思うし、ミカエル実はポニーテールだった説が立証されただけであっただろう。だって可愛いもん。


「紹介するね、この子友達のキョーちゃん」

「えっと、各務原杏子かがみはらきょうこって言います。その……よろしくね」


 杏子杏子杏子、思わず頭の中で反芻はんすうする。スキル瞬間記憶を使ったのはこれが初めてだ。


「へーよろしく!何か杏子って感じしないな。黒髪で純日本人感満載だけどこう……何か、ミカエルとかガブリエルって感じ!なぁ勇作!」

「え?あ、ああ……うん、確かにそうだよな」


 おいおいいきなり失礼すぎるだろ!と、俺は言ったつもりだったがどうやら違ったらしく、つい本音が出てしまったようだ。直哉とは時々ピンポイントで気が合う。今度盃でも交わしとこう。

 そんなことを思っていると、環奈がムッとした表情で俺たちを見ている。あっ、と思って杏子の方に視線を逸らすと、彼女は少し困ったように苦笑いしている。


「2人ともいきなり失礼でしょ!」


 ごもっともです環奈様。おい直哉ちょっと嬉しそうな顔すんな、俺ら叱られてんだぞ。それに好きな人の前では性癖隠しとけよ。な?バレたらどうすんだよお前。


「ああ悪い悪い」

「思ってないでしょ!な〜にヘラヘラしてんのよ!」


 ヘラヘラしてるで済んで良かったな直哉。

 2人がやいやい言ってる間に、またチラッとミカエルじゃなくて杏子の方を見た。まだ少し困った顔をしていて、眉がハの字になっている。その眉にかかる黒く繊細な前髪。透き通った瞳。桜色に濃い赤の絵の具を垂らして混ぜたような色の唇は、きっと物凄く柔らかいんだろう。あれに触れた瞬間、夢で包まれて周りが見えなくなりそうなほど可愛い唇だ。


 その芸術的唇が微かに動いた。


「……………………………」


 誰にも聞こえないように、彼女はボソボソッと呟いたが、俺はそれを聞き逃さなかったし見逃さなかった。口の動きと微かに途切れた音を繋ぎ合わせると、彼女が言ったセリフがすぐに分かった。


他の誰かと重ねないでよ。

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