最終話 True End

 ……目が覚める。見覚えのない部屋。俺はベッドに寝ていて、なにやら腕からチューブが伸びている。点滴だろうか。


 喉が乾いている。水が飲みたい。枕元にはコールボタン。一先ず看護師を呼ぼう。状況も聞かなければならない。俺はあの日、トラックに轢かれ、意識を失った。そして……。


 目が、覚める?今までの事は……。あれは全て、夢だったのだろうか。苦しくて、それでも、大切な何かが得られた。二度と経験したくないが。


 部屋に看護師が入ってくる。無駄にスタイルが良く、無駄に美人だ。……どこかで見たような。


「……ぁ、す、みません。喉が乾いてしまって」


「はいどうぞ」


 看護師が近くから水を持ってきて飲ませてくれる。


「先生も手が空き次第、様子を見に来ます。神風さんの場合、事故で意識不明になられた後、精密検査では何も異常は見られませんでした。入院期間も短いので、おそらく明日には退院できるかと思います。ご家族の方にはこちらから連絡を入れておきますので」


「はい。ありがとうございます。ちなみに、具体的には、僕はどれくらい入院してましたか?」


「ええと、少しお待ちください。事故のあった日から今日で、21日ですね」


 それくらいなら、少し頑張れば仕事の遅れもすぐに取り戻せるだろう。日常生活における支障は、ほとんどないと言っていい。


 ……しかし、21日。その期間は、あの世界で過ごした日々と完全に一致している。あれは本当に夢だったのか?俺は試しに、あの世界でやっていたように、体に魔力を流そうとしてみた。当然、何も起こらない。


「この世界には、魔力という物理現象は設定されてないわよ」


「……え?」


「え?じゃないわよ。最後に戦った時と同じ姿なのに、何で気付かないの?ドッキリ大失敗過ぎて、そのまま普通に仕事しちゃったじゃない」


 ……ああ。どうりで見覚えがあるはずだ。そんな事はあり得ないという無意識のバイアスが、彼女を神だと認識させなかったようだ。


「……いや。それなら、アレが夢じゃないなら、何で俺は生きてる?この世界は、本当に俺の元いた世界なのか?」


「安心して良いわ。この世界は、間違いなく貴方の元いた世界よ。あえて言うなら、私という存在を捩じ込んではいるけれど。一人くらいの辻褄合わせなら、無視できる誤差ね」


「重要な方の質問に答えてほしい」


「……まぁ、サービスというか。貴方が消えたら、貴方の知り合いを紹介してもらえないじゃない」


 は?あれは、隙を作る為の嘘だった訳だが、本気にしたのか?


「私にとって何もかもが思い通りになる世界で、今まで、普通の人間として生活をするなんて発想はなかった。貴方の助言に従うのは癪な気もするけど、やってみても良いかなって。……これまでやってきた事を後悔してる訳じゃないけど、もう、しようとも思わないわ」


 完全に改心したのか分からないが、悪い兆候ではないだろう。


「……そうか。生き返らせてくれたことは感謝する。……ところで知人の紹介の件だが、それは構わないのだが、その、もう少し地味な見た目には出来ないのか?」


「なんで?」


「俺はそんなに大した人間じゃない。俺の周りも普通だ。それに対して、今のお前は美人過ぎる。紹介したところで大半は気後れするだろう。とても長続きするとは思えない」


「姿を変えることは出来るけど、現実の私はこんな感じなのよ。わざわざ不細工に作るのは、それはそれで違うかなって」


 ……なるほど。


「それはそうかもしれない。まぁ、この世界の普通を体験するという意味では悪くはないか。別にその先で結ばれる必要もない。知人には少し悪い気もするが、俺から言い出した事だからな」


「……私は別に、貴方でも良いんだけど」


「それは無理だ。俺は妻子持ちだからな」


「別に愛なんてないんでしょ?」


 ……相手は神だからな。旅の途中、頭の中を覗かれでもしたのだろうか。


「そんな事はない。少なくとも息子の事は愛していると言っても良いだろう」


「そう。良いわ。恋人云々は別として、仲良くやりましょう。あ。連絡先交換しておいたから」


 確か携帯は事故の時に壊れてなかったか?しかし、部屋のテーブルを見ると確かにある。


「これもサービスよ。連絡取れないと困るし」


 取引先のアドレス消えてたら面倒だったので非常に助かるのだが、妻に疑われたりしないだろうか……。担当看護師との不倫疑惑。面倒臭いから嫌なんだが。仕方ないか。なんやかんや神には恩もある。本当なら、そもそも異世界転生以前に俺はこの事故で死んでいるはずだったのだから。


「……分かった。俺も知り合いを当たっておく。俺が紹介出来る中での最良物件を用意するから、また後で連絡しよう」


「私もこの世界では普通に看護師の仕事があるから、またね」


 そう言うと神はこの部屋を出ていった。……起きて早々、何故こんなにも疲れなければならないのか。


 それから医者が来て、少し話をして問題が無さそうな事を確認すると部屋を後にした。一応、今日までは点滴を打ちながら消化の良い食事を出して、明日には退院できるだろうとの事だ。精密検査で異常はなかったとはいえ、原因不明で三週間意識不明だったので、退院後も少しでも異常を感じたら病院に来てほしいと言われた。

 担当医がいなくなった後でトイレに行ったのだが、三週間寝たきりだったとは思えないほど、普通に体が動く。なんなら30過ぎた辺りから感じていた体の小さな異常も綺麗に消えている。体も頭も調子が良い。……これもサービスなのだろうか。正直、物凄く嬉しい。




 部屋が個室で携帯が使えたから、とりあえず会社の上司に一報入れてから、俺が寝ている間に世の中で起きたニュース関係の把握を行っていた。しばらくそれに夢中になっていると、また部屋の扉が開けられた。


「全く、心配かけさせないでよね」


「ああ、悪い。どこも問題ないみたいだから」


「……?調子狂うわね。頭打ったから?」


 妻はいつも通りだ。俺の方は、何だろうな。あの世界での経験があったお陰で、素直になったと言うか、今までなら気になっていた小さな事に不満を感じない。


「パパ!起きてる!大丈夫!」


「こうちゃん……。ああ、大丈夫だから。退院したら、どこか旅行でも行こうか!」


「ちょっと、なんであなたが泣いてるのよ」


 ああ。実際に息子の姿を見て、本当に俺は帰ってこれたんだと、実感した。ずっと、息子に会いたかったんだ。


「……いや。色々あったんだ。夢の中でな」


「なにそれ。馬鹿じゃない?」


「パパ!馬鹿!」


「ははっ!そうだな!」


 馬鹿でも何でも良い。俺はこうして生きている。息子もいる。これが幸せでなくて、一体なんだと言うのか。





 あの世界の事を、俺は決して忘れない。元の世界に帰ってきて、これまで通り普通の生活が始まっても。あの経験を経て単純に精神的に強くなったのもあるが、嫌なことがあったとき、イザナギさんが、エヴァが、俺を前に向かせてくれている気がする。サクラが、インドラが、アルジュナの存在が、彼らがきっと幸せにやっているだろうという事実が、俺を支えてくれる。

 本当にどうしようもない何かが起きたら、インドラに助けを求めても良い。彼は俺の力になると言ってくれた。神もこの世界にいる。そうだな。同窓会って訳じゃないが、今度神に頼んでみよう。あの世界の彼らと連絡を取るくらい、彼女にとっては造作もないはず。転生者の居なくなった世界で、真の平和に向けて邁進している彼らは忙しいだろうから、折りを見てだが。

 神は中々この世界の普通に慣れないみたいだが、それなりに楽しんでいるようだ。知人の紹介やなんやかんやで会う事もあるが、妻にバレないか冷や冷やしている。別に悪いことをしている訳じゃないんだが、どうにかならないものか。とりあえず帰宅後に電話してくるのだけは止めて欲しい。



 俺達は、神に作られた存在だ。神からしたら、俺達の物語はただのエンターテイメントに過ぎないのかもしれない。それでも俺達は確かに生きている。楽しければ笑うし、悲しければ泣く。本気で生きているからこそ、幸せを感じることができる。その物語が神を変える事だってある。

 あの世界で学んだ大事な事を、俺は息子に伝えていく。言葉じゃなくて、そういう姿勢を見せる。きっと伝わるだろう。平凡な毎日でも幸せになれるはずだ。息子には自分以上に幸せになって欲しいのだ。

 ……何で言葉じゃないのかと言えば、神曰く、俺のアドバイスは説教臭くて聞く気になれない、との事だから。伝え方って大事だよな……。



 俺の物語はこれからも続いていくが、別段特筆する事もないから割愛する。別に日記が趣味な訳じゃないのだ。人の記憶は薄れていくものだから。いつかあの大切な日々を思い出したくなった時のために。今の自分から未来の自分へ。この物語を贈る。



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