第35話 インドラの後悔 後編

 

 アルジュナを元の世界の、本当の親の元へ返す。


 そのためには勇者を殺し、神に願いを叶えてもらう必要がある。


 ……勇者は現国王だ。魔王の出現は国王になった勇者の死後が通例。今回は、例外。何故なのかは不明だ。魔王がまだ子供だからか?いや、気にしても仕方がない。現国王である勇者は、前魔王の討伐後、無理に人間領を拡大するような事はしてこない。あくまで自衛が主だ。それはそうで、魔王がいなければ魔族は攻めてこない。農作物に困っている訳でもない。わざわざ戦う理由がない。

 普通に考えればこれはチャンスだ。勇者の居場所は分かっているのだから、要するに暗殺してしまえば良い。スパイは簡単に作れる。人間領で人間と交われば、魔族の見た目は人間に変わるのだから。

 しかし、暗殺を行うに当たり懸念がある。国王が神から与えられた異能「全知の魔眼」の前では、例え人間に変わっていたとしてもスパイであることがバレる可能性が高い。それに、人間に変わった元魔族が国王を殺せたとして、それは果たして「魔族が勇者を殺した」事になるのだろうか。そしてもし暗殺が失敗した場合、人間との戦争は必須……。

 勇者は直接魔王を倒す必要があるようだ。したがって前回、勇者が魔王討伐した際にも、当たり前だが彼は前線に出てきた。だが本来、全知の魔眼を最も有効に使う方法は、自分が攻めることではなく複数の仲間に攻めさせる事だ。私ならそうする。常に後出しじゃんけんが出来るような物。人間と魔族の力はそう変わらない。戦力がほぼ同じなら、全知の魔眼を持っている人間側が圧倒的に有利。戦争になれば魔族は確実に負ける。そして、暗殺未遂が原因なら、徹底的にやられるだろう。


 なれば、正攻法で攻めるか。魔王の誕生を公言し、宣戦布告を行う。正々堂々と国王を討つ。……そんなこと、出来るわけがない。国王の前には剣聖が立ちはだかる。一体、誰が勝てるというのだ。私を含む魔王軍五大将が束になっても、まるで話にならないだろう。手段を選ばないと言っても、人間の国の中では出来ることに限度がある。最悪、剣聖と戦わなければならないとしても魔族領の中でだ。それが絶対条件。


 私は考えた。だが、いくら考えた所で、妙案は浮かばない。




 ある日の事だ。妻もたまには一人になりたいだろうと思って、アルジュナと二人、剣の訓練をしながら妻の帰りを待っていた時の事、ある違和感を覚えた。剣士として一線を越えるための必須魔法である電気魔法を教えていたのだが、アルジュナの前では、何故か魔法が上手く発動出来ないことがあった。自慢ではないが、剣術も魔法のどちらもハイレベルで扱える私がだ。電気魔法の難易度は高く、私も前線から離れて長い。その時はただのブランクだと思ったが……。


 日が暮れる前、アルジュナが不意に言った。


「あ、母さんそろそろ帰ってくるよ。もう終わりにしよう」


 アルジュナの言う通り、数十分後に妻が帰ってきた。時間も時間であったし、適当に言っただけかも知れないが、もしかしたらこれは……。


 魔王も勇者同様、この世界に転生する際には神から特殊な力を与えられる。アルジュナはまだ幼かったため、神が言っていた事を理解していなかった。だから与えられた力の事を聞いても分からないと言っていた。私も当然だと思い、諦めていたのだが。

 息子に見えていた内容や条件の詳細を聞いてみたところ、所謂、千里眼と言われる類いの力であることが分かった。全知の魔眼と異なり、目に見えた全てを理解できる訳ではない。だが、例えどこにいても、常に世界の全てを見渡すことが出来る。おまけに、アルジュナに触れた者も同じ景色を見ることが出来る。そういう力だ。……この力を使えば、実現性のある勇者討伐作戦が考えられる。





 私はまず、軽く人間領への進行を始めた。魔族内での魔王の誕生は周知の事実。元より人間に復讐がしたい血気盛んな魔族は少なくない。そういった者を集めて部隊を作った。と言っても本格的に攻めるわけではない。あくまでジャブだ。千里眼を使えば剣聖を避ける事は容易だったので、こちらが消耗することもない。中には進んで剣聖に挑む者もいたが、私はあえて止めなかった。……彼らを止める事もできた。だが、アルジュナの能力や、私の計画が疑われても困る。私は私の都合で、同胞を見殺しにしている。


 時間を掛けて、徐々に攻める。本格的に攻めてもし現国王が前線で指揮を取るような事態になれば魔族は終わりだ。私の狙いは、勇者の世代交代。人間の国では代々魔王を討伐した勇者が国王になる。国王も年だ。現国王が戦う方が確実である事が分かっていても、魔族の驚異がそこまでではないと判断されれば、勇者召喚を行う可能性が高い。


 私の目論見は当たった。勇者召喚が行われたのだ。千里眼によって人間側の全ての情報は手に取るように分かる。珍しいな。今回の勇者は、それなりに年を取っている。何より、神に与えられし力が二つ……。無尽蔵の魔力と、物体の重量を操る力。パーティーは人間国最強の魔術師、そして。


 ……剣聖。


「……父さん」


「心配するな。何も問題はない」


 剣聖を倒す手段は考えている。それこそ、息子が殺されてからずっと。勇者については問題視していない。いかなる力だろうが、急に与えられた物がそう簡単に使いこなせる道理はない。作戦は単純。勇者が成長する前に殺す。千里眼を用いればそれが出来る。……今、最も人間領に近い将軍はアグニ。勇者召喚がなされた時にパーティーに選ばれるであろう人間の目星は付いていた。情報は、全ての将軍に伝えてある。後は、町に魔物を誘導し、剣聖さえ引き離す事が出来れば。


 しかし、アグニは負けた。相性の問題もあったのかもしれないが、予想外に勇者が粘り、対策を無効化するほどに魔術師の雷魔法の威力が凄まじかった。……これで、以降は剣聖と引き離す事が難しくなった。アグニは死んだ。若いながら冷静で、熱い男だった。私のせいで。


「父さん、アグニさんが……!」


「気にするな。指示を出したのは私だ。奴の人間に対する感情は良い物ではなかった。納得した上で作戦に参加していた」


 ……納得した上で。アグニは魔王軍五大将軍の中でも、主戦派だった。それが分かった上で、話を付けている。私は彼を、彼の命を利用したのだ。その上で、失敗している。





 勇者の暗殺。それは難しくない。だが、やはり人間になった元魔族がそれをやっても神が願いを叶えてくれる保証はない。であれば、密偵に接触させ精神に作用する魔法を使う。勇者には自ら一人で魔族領に出向いてもらい、そこで殺す。

 都市バラナシ。かつて魔族領であった土地であり、魔族内ではそう呼んでいる。現在では魔族領に最も近い、人間領の防衛都市だ。ここを過ぎれば休息できる町はないから、当然兵糧の準備や休息するために何日か滞在する。この町の守りは堅牢。別行動を取る可能性も高い。勇者が一人の時を狙う。


 ……しかし、これも失敗。勇者キヨスミ。こいつは不安定で破滅的だ。それに、早くも神に与えられた力に順応しつつある。……問題ない。まだ策は用意してある。



 そして、剣聖討伐戦。先の作戦のいずれかで勇者を倒せようが倒せまいが、その後の剣聖の討伐は必須だった。現国王は剣聖に絶対の信頼を寄せている。だからこそ、たったの三人で魔王討伐を仕掛けてくる。それはある意味では正しい。間違いなく、それが自国の消耗を最小にするからだ。実際の所、例えこの時点で勇者がやられていようが、何の問題もなく魔王の討伐は果たされただろう。相手が私でなければ。


 ……剣聖にアルジュナを二度殺されるくらいなら、人道など、いくらでも踏み外してやるさ。


 戦場に子供を参加させる。子供達は孤児だが、それでも反対する者が大半だった。この作戦は何も急に思い付いた訳ではない。私は皆の説得に多くの時間を費やした。そうする価値のある行動だった。最後は了承を得られた。剣聖に恨みを持つものはやはり多かったし、こうでもしない限りアレは倒せない。その事は皆分かっていたのだ。懸念は、卑怯な手で剣聖が殺された事を人間側に知られる事。そうなれば、間違いなく血みどろの戦争が始まる。だが国王は、私の予想通り少数パーティーで魔王討伐に挑んだ。念のため、勇者パーティーが魔族領に入ってすぐお互いの領を繋ぐ大橋を破壊した。これで、人間側にこの事実が知られることはない。最終的に勇者は死ぬ。魔術師は戦争孤児らしい。わざわざ戦争を引き起こすような事は言わないだろうし、彼らへの口止めは、おそらく剣聖が自ら行うだろう。


 剣聖は死んだ。その代償は、二人の将軍と、三千弱の兵の命。幸いにも、少年兵の犠牲はゼロ。幸い?何がだ。こうなることを分かっていて、私はこの作戦を実行したのだ。


 しかし、討伐戦に参加して良かった。もし私が将軍二人を押さえていなければ、兵の犠牲に耐えられず、二人はもっと早い段階で剣聖に挑みやられていたはずだ。兵は乱れ、最悪突破されていたかもしれない。私もこの時一度両手を失ったが、戦線を離れるための意図的な行動であった。息子の恨みはあったが、ここで無謀に戦って死ぬわけには行かない。……もしかしたら、私の中にある僅かばかりの呵責が、両手を失うという選択を取らせたのかもしれない。三千の命。その程度の事で、いくらも償われる事はないというのに。


 この時一番の懸念は勇者の暴走だった。まさかこんなに早く、ここまで力を扱えるようになっているとは。サクラには感謝せねばなるまい。勇者を止めてくれたこと、私の両手を回復してくれた事も。

 




「父さん……。何て事を……」


 勇者と魔術師を連れてヴァーユ亭を訪れた後、私は今後の計画を話すために魔王城にいるアルジュナの元を訪れた。剣聖を倒す作戦について、息子には総力で潰すとしか言ってなかった。アルジュナは優しい子だ。本当の事を話していたら、反対されるに決まっている。千里眼の協力も得られなくなる。


 アルジュナは、剣聖討伐戦の一部始終を千里眼で見ていた。三千の命が散る様を見ていたのだ。今にも倒れそうな、真っ青な顔をしていた。


「あの作戦でなければ、犠牲はあんなものでは済まなかった。私も生きてここにはいなかっただろう」


「こんな事になるなんて知ってたら、止めてた……。本当に、ここまでして剣聖を倒さなければならなかったの……?」


「その通りだ。でなければ、この戦いは永遠に続く。一方が強すぎる武力を持っていたら、和平などあり得はしない。全ての責任は私にある。お前は何も気にする必要はない。……人間と魔族の和平による、完全な平和の実現。彼らの死は、無駄ではない」


 アルジュナにはずっと、この戦いが魔族、ひいてはこの世界のためなのだと説いてきた。結果的に神への願いで元の世界に帰ることは可能だが、それはあくまで主目的ではないし、願いを何に使うかも好きにしたら良い、と。そうでなければ、優しいこの子は潰れてしまう。

 だが、真の平和も別に嘘ではないのだ。奇しくも、剣聖の思いは実現される。種は蒔いた。劣勢になった人間に対して、こちらから手を差し伸べる。初めは半ば脅す形になるかもしれないが、サクラとヴァーユもいる。何とかなるはずだ。そうでなければ、私のせいで死んだ者達が、あまりに報われない。


 ……ただし、彼らの予定と唯一異なるのは、死ぬのは魔王ではなく、勇者であるという点だ。


「父さん、今後の予定は……」


「ああ。私は無傷だ。勇者も予想以上に強い。であれば、魔の洞窟を通り、完全平和に向けての懸念事項である亜獣種を滅ぼす」


 千里眼で世界の全てを見通す。この世界に存在する人種は元々、人間と魔族と龍種だ。だが、勇者討伐のカードになるやもと龍種の調査を行ったところ、亜獣種という存在が確認された。彼らは龍種を滅ぼし地上に進出するつもりだ。信じられない事だが、至近、龍種の長の義理の息子が殺され、龍種の戦力はガタガタになっているように見える。亜獣種が地上に出てきた場合、真っ先に魔族と衝突する。魔族側がいくらか譲歩すれば亜獣種との和平も可能かも知れないが、懸念は絶っておきたい。同時に、龍種に恩を売ることも出来る。


「父さん、一つ約束してほしい。ここに来るまで道中で、勇者を殺さないこと。勇者の討伐は、僕がやる。僕は何もやっていない。せめて、それくらいはやらせて欲しい」 


「お前の千里眼がなければ、ここまでやれてないさ。だが、分かった。お前の力なら勇者に遅れを取る事もない。ここまで連れてくる」


 今となっては勇者の暗殺は難しい。魔族と人間の和平にあたり、サクラの存在が大きいからだ。彼女の機嫌を損ねるわけには行かない。最終的に勇者は殺すが、サクラにある程度納得してもらう必要がある。魔王との一騎討ちであれば、問題ないだろう。……魔の洞窟を通るにあたり、もし勇者が亜獣種に遅れを取るようであれば、その時は私が勇者を殺す。場合によってはサクラも。


 ……亜獣種殲滅戦。結果的に言えば、魔族にとっては悪くない形になった。亜獣種は全滅。現在の龍種の中で実質No1の力を持っていたエヴァも死亡。おそらく、龍種の長はもう戦えない。懸念はエヴァの娘だ。あれが復讐を果たそうとする時に勇者はいないから最悪魔族が報復を受ける可能性があるが、それに関しては頃合いを見計らって、勇者の影武者を用意して殺させれば良い。あるいは魔法で洗脳することも難しくはない。

 エヴァの死亡。あれは実のところ防ぐことが出来た。千里眼の力で、私は獅子の亜獣があの場所にいる事を知っていたし、その力についても見当が付いていた。エヴァが死ぬ前に援軍に行くことも出来たし、やりようはいくらでもあった。だが、エヴァの存在は邪魔だった。龍化の魔法。あれが想定外だった。サクラの回復魔法によって今はもう解けているが、あのまま魔王城に来るような事があれば、アルジュナとの一騎討ちで万が一があり得る。それだけは避けなければならなかった。……エヴァを殺したのは私だ。問題ない。今さら一人二人増えようが。私が優先順位を間違えることはない。




 そして、遂にあいまみえる勇者とアルジュナ。


 私は勇者に告げる。


「許してくれとは言わない。これまでの、全ての罪は私が背負う」


 アルジュナとの約束は必ず守る。アルジュナを異世界に返した後、私が魔王を引き継ぎ、世界を平和に導く。そして私は、その後で自らの命を経つだろう。そうなって当然の事を、私はやって来た。


「悪いが勇者よ、この子のために、死んでもらうぞ」


 アルジュナのためだと口にした訳だが、アルジュナには事前に言い含んでいる。あくまでもこの台詞は、勇者を油断させるためだと。私の本心ではないのだと。


 チェックメイトだ。ここまで、長かった。勇者にとっては十数日の物語。私にとってこの数年は……。アルジュナのため。いや、結局の所、自分が救われるためだ。分かっている。自分の都合で、誰かを犠牲にする。苦しかった。今もそうだ。私は幾度となく押し潰されている。だが。



 だが、後悔はない。


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