第34話 インドラの後悔 前編

 息子の訃報を聞いたとき、私は自分の耳を疑った。息子はまだ若かった。だが、その強さは代々続く家系の中でもズバ抜けていた。私から魔王軍五大将の地位を受け継ぐ日も遠くないと思っていた。親として、誇らしい息子だった。妻が病弱で次を断念していたのもあり、溺愛していた。


 そんな、バカなことが。一体、何が起きた。まさか……。


「インドラ様、ご子息は、剣聖との一騎討ちに敗れました」


 ……剣聖。世界最強の剣士。息子は強かったから調子に乗ることが多かった。しかし、魔族は実力主義社会だ。大抵の我が儘は聞いてきた。そんな私が、ただ一つだけ禁じたこと。


 剣聖とだけは戦うな。


 魔王のいない今現在、そもそも人間と争う理由はないのだ。人間との戦いの歴史は長い。憎しみで動く者もいる。だが、魔族の中でも一部の者は、人間と争う事が本質的には無意味であることを知っている。息子にも当然それは伝えてある。理解していたはず。


 私は怒りで頭が埋め尽くされた。私が息子を鍛えたのは、世界最強などという下らない称号に挑戦させるためではない。魔王は不定期に現れる。そうなったとき、私の家系は確実に戦争に参加しなければならない。私が与えたかった強さは、剣聖から逃げるための強さだ。私は剣聖の戦いを見たことがある。アレは、同じ生物ではない。神の加護を与えられているはずの勇者を、遥かに越える極限。


 しかし怒りはすぐに冷める。息子が剣聖に戦いを挑む事は、十分に予想ができたはずだ。私は知らずのうちに、息子のプライドを傷付けてしまっていた。もっと、他にやり方があったのではないか。息子以外の誰かと戦わせ、それを見せるのでも良い。剣聖はその名に恥じぬ騎士道精神を持っている。事前に接触出来ていれば、命の取り合いではなく、模擬という形でも受けてくれたのでは?あるいは、息子の挑戦を肯定していれば、その場に立ち会うことも出来た筈だ。例え息子に恨まれようが、どんな卑怯な手を使ってでも、息子を勝たせることも可能だったのではないか。


 もう、手遅れなのに。私の頭は有り得たかも知れない可能性を模索し続けた。


 同時に、私は周りに責任を求めた。息子と同じ部隊の隊員達。一人一人呼び出しては、何故止めなかったのかと糾弾した。息子はその部隊の隊長だ。そして強かった。止められる筈もないというのに。


 妻の事も責めた。お前の育て方が悪かったのだと。お前が、息子を調子に乗らせたのだと。言ってはならないことも言った。お前の体がまともだったら、他の兄弟が止めてくれたかもしれない、と。何の意味もない可能性を探しては、それを理由に当たる。


 本当は、私が悪いのだ。分かっている。だが、そうやって周りのせいにしないと、頭がどうにかなりそうだった。いや、既になっていたのかもしれない。





 体の弱かった妻は、息子の訃報を聞いて体調を崩していた。そこに私が追い討ちを掛けた。妻は外に出られなくなる程に衰弱してしまった。妻は私がいくら非難しても反論して来なかった。私に言われずとも、妻は妻で自分を責めていたのだ。そして、私と違ってそれを周りに当たり散らすこともなかった。私と違って、妻は強かった。だからこそ倒れてしまった。


 私はまた後悔した。結局の所、妻は私の分まで心痛を受けてくれていたのだ。私は、なんと弱いのだろう。


 私は周りに当たることを止めた。その結果、有り得たかも知れない未来が、延々と頭の中を巡る。私を責める。地獄だった。何をしていても、息子の事が頭から離れない。





 そんな折、魔王出現の報が入る。私にとって最早それはどうでも良いことだった。いや、そうでもないか。剣聖は未だ現役。ようやくこの苦しみから解放されるのだと、安堵していた。


 予想外だったのは、魔王が年端も行かぬ子供だったことだ。自分の置かれている状況を全く理解していない。夢の世界だとでも思っているのだろう。今後の事も考え、魔王軍五大将の中の誰かが引き取ることになった。魔王はまだ子供だ。上手くやれば人間との戦争を起こすこともない。


 会議の結果、私が引き取ることになった。反戦派であること。今現在、後継がいないため余裕があること。


 尤もな理由であったし、私は反対しなかった。彼らは勘違いしている。私は人間との戦争を起こすつもりでいた。自分が剣聖に殺されるために。魔王の育成は、私にとっては好都合だった。


 魔王を引き取って家に帰った。妻に事情を説明する。


「分かったわ。私が育てる」


「いや、無理はしなくて良い」 


「いいの。そうした方が、気も紛れるし、いつまでも寝てる訳にも行かないでしょ。あなた、名前は?」


「……あっちゃん」


「そう……。あっちゃんって言うの。こっちにおいで。可愛い子ね。安心して、私が何とかするから。もう大丈夫よ」


 妻の元へ駆け寄り、魔王は静かに泣き始めた。……気付かなかった。そうか。今まで我慢していたのか。




 魔王が家に来てから、状況は一変した。あれほど弱っていた妻が嘘のように元気になった。それだけでも、魔王を引き取った事は正解だったと言える。幼い魔王の教育という名目で、私の執務は通常の半分程度にまで減っていたので、時間はあった。教育と言ってもまだ文字の読み書きも出来ない年齢の魔王に教えられる事は少なかった。私はこれまで仕事に忙殺されていたため妻に構う事もなく、今にして思えば、私のその余裕のなさが妻を、そして息子を追い詰めていたのだろう。私はこれまでの埋め合わせをするように、魔王と妻と過ごす時間を増やした。一緒に公園に行ったり、散歩をしたり、海に行ったり、この世界の事を色々教えた。


 ああ。懐かしい。息子の事を思い、少しでも気を緩めたら涙が出そうだった。私は堪えた。そんな資格は、私にはないのだ。幼い魔王に入れ込まないように気を付けなければならなかった。私は、この子を利用するつもりなのだから。


 ある時、仕事から帰ってきた私は、あり得ない筈の名前を聞く。


「アルジュナ、そろそろご飯だから、テーブルの上、片付けて頂戴!」


「まだ遊ぶ!」


 魔王はテーブルの上で、なにやら粘土遊びをしていた。作りかけの象。完成すれば中々の出来だろうが、問題はそこじゃない。


「……シャチー。何のつもりだ」


「あなた……。帰ってたの。気付かなかったわ。ごめんなさい」


「とぼけるな。お前今、あの子の事を、アルジュナと……」


 ……アルジュナ。死んだ息子の名前。よりにもよって。


「だって、自分の名前が分からないみたいだから。あっちゃんだけだと何かと困るし。それに、あの子の小さい時に似てるから……」


 似ている。そう。確かに似ているのだ。それは、一目見たときから私も思っていた。ただ考えないようにしていただけだ。同時に私は、底知れぬ悪意のような物も感じていた。


「私はあの子を、本当の子供だと思ってる。あなたは違うの?」


「私は……」


 不穏な空気を感じたのだろう。いつの間にか魔王が後ろに来ていた。


「僕のせいでごめんなさい。わがまま言わないから、喧嘩しないで……」


 魔王はテーブルに戻り、後片付けを始める。粘土の象が完成することはなかった。





 魔王が家に来てから一年が経った。妻が魔王をアルジュナと呼ぶことを咎めることはしなかった。いつの間にか、妻とだけの時や内心では私もそう呼ぶようになっていたが、本人の前では抵抗があった。

 いずれ人間と戦う時に備えて、アルジュナには幼い内から人間との歴史と平行して戦う術を教えることにした。自分に一定の強さがなければ、人間を攻める事に大きな抵抗を感じると思ったからだ。妻には護身のためと嘘を付いた。

 アルジュナには、明らかな剣の才能があった。何を教えても、すぐに覚えてしまう。……嫌でも、死んだ息子を思い出してしまう。


「父さん、強いんだね!凄い!僕もいつか、父さんみたいに強くなるから!」


 ……私は、強くない。強くないんだ。未だに息子の事を引き摺っている。お前の事を、利用しようとしている。卑怯者だ。


「……なんで、強くなりたいんだ?強くなってどうする」


「人間と戦ってるんでしょ?早く強くなって、皆に恩返しするんだ!」


【早く強くなって、父さんと一緒に戦うんだ】


 ……アルジュナ。


 思い起こされる記憶。だが、その理由は息子と違い、子供らしさの欠片もない。止めてくれ。まだ幼い子供が、そんな事を考えなくて良い。……いや、違う。この子は頭が良い。私が、そう言わせてしまっている。私の接し方が、育て方が、知らずの内に、この子を追い詰めている……。なんということ。私は、また……。


「アルジュナ……。すまない。私は……」


「父さん?ごめんなさい。泣かないで。良い子にするから……」


「……違うんだ。お前は、何も悪くない……。全ては、私の未熟さだ。お前は、自分の幸せだけを考えれば良い。大丈夫。私が何とかする」


 妻は、最初からこの境地に達していたのだ。私には出来すぎた女だ。

 

 剣聖に殺されるために、この子を利用する。なんて、くだらない。そんな事を考えるよりも、この子を幸せにする。その方が、遥かに意味のあることだ。……すまない。息子よ。私はこの子と過ごす内に、段々と、お前の事を考える時間が減ってしまっている。すまない。すまない……。

 




 それから私は、人間領を攻めるという考えを捨てた。歴史を紐解けば、攻めるのはいつでも魔族からだ。理由は単純。魔王が己の願いを叶えるために人間の勇者を殺す必要があるからだ。そして、魔王は魔族を言葉で操ることができる。裏を返せば、魔王が願いを叶える気がないならば、そもそも戦争は起きない。アルジュナの気質から言って、周りを犠牲にしてでも叶えたい願いはおそらくないだろう。私はそう思っていた。


 私の予想は外れてはいなかったと思う。だが、同時に当たってもいないことが分かった。この子にも願いはある。当たり前の願いが……。


 ある時、アルジュナは酷い風邪を引いた。この世界では魔法で大半の病気が治せる。もちろん、それを行える者は多くないが、私の地位であれば優先的に治療を受けることができる。それでも私と妻は魔術師が来るまでの間、熱でうなされるアルジュナの看病をしていた。


「ママ……、どこにいるの……、ママ……」


 アルジュナは私たちの事を父さん、母さんと呼ぶ。だから、ママという言葉が示すのは、間違いなく元の世界の母親だ。シャチーは良くやっている。私も、やれるだけの事はやっているつもりだ。この子も、今の生活を決して悪いものだと思っているわけではないだろう。それでも……。


 一時の幸せ。私も妻も、アルジュナに救われた。私は、この子のために全てを捨てても良いと思っている。この子にとっての最善。そして、子を亡くした本当の親の気持ちも、私には痛い程分かる。であれば、私に出来ることは……。


「……シャチー。私はこの子を、元の世界に返そうと思う。そのために、例えどんな犠牲を払うとしても。全ての責任は、私が背負う。……至らぬ夫ですまない」


「……ええ」


 妻はそれ以上何も言わず、ただ涙を流す。おそらく、アルジュナが本当の母親を呼ぶ声を、妻は初めて聞いた訳ではなかったのだと思う。いつか、こうなる日が来る事を予想していたのではないか。妻のことだ。私よりも早く、その答えに辿り着いていたに違いない。だから言い争いも起きなかった。一方で、自分から言い出すこともしなかった。あの妻が……。出来ることなら、この幸せがいつまでも続く事を願っていたのだろう。……当たり前の、ささやかな願い。




 この子を元の世界に返す方法はただ一つ。


 勇者を殺す。どんな手を使ってでも。



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