第30話 ここじゃないどこか 後編

 俺達は異世界に飛ばされた。薄暗い洞窟。人外達に囲まれ、崇められる。亜獣種。彼らは動物の尻尾を有していること、総じて体格が良いこと以外、人間と何も変わらない。

 驚いたのは、俺にも次郎にもそれが生えていたことだ。獅子のような、力強い尻尾。逞しい体。元の世界では弱かった次郎の体も、ここでは見違えた。俺はそれが嬉しかった。


 俺達は龍の王を倒さなければならない。まずは情報収集を始めた。聞くところによれば、一定の周期で俺達のような存在が現れるが、未だかつて龍種を苦戦させることすら叶っていない。そもそも、亜獣種は龍種に比べて弱い。龍種の里の周りには守護獣なる魔物も多くいて、それらを倒すのにも複数人のパーティーを組んで命懸けだ。従って、今まで取ってきた戦法は他の亜獣種を盾にして、できるだけ召喚者を無傷で龍の王にぶつける、というものだった。


 ……そんな作戦で上手くいく筈がないと思った。龍の王の力がどれ程かも分からぬままの、ぶっつけ本番。よしんばそれで王を倒せたとして、そんな状態で他の龍種からの攻撃に耐えられるのか。魔王が三人いるようなもの。神はそう言っていた。龍の王の打倒は必須だが、それだけでは不十分。龍種を滅ぼす。俺達が真の意味で光を目指すには……。


 敵の情報もそうだが、味方の戦力や、何より神から貰った力の詳細を確認する必要があった。俺の能力は至って単純。未来予知。数十秒先までの未来を見ることができる。実際に使ってみて、神が本来なら死にスキルだと言った理由がよく分かった。実戦でこの力を使いながら戦うには、何も考えずとも体が動くレベルにまで武を極める必要があった。でなければ、未来予知という本来であれば余計な情報を処理しながら戦うことはできない。凡夫であれば、生涯この力を有効に使うことはできないだろう。

 対して弟の力。死者の変容、という名前らしい。身体能力を上げた状態で、死んだ生物を生き返らせて操ることができる。魔物はいくらでもいる。話を聞く限りでは、龍種は亜獣種をまるで警戒していない。であれば、秘密裏にこちらの戦力を増強し、十分になったところで一度龍の里を襲撃する。そこで龍の王の力を見極める。その後でまた、倒せるレベルに達するまで戦力の増強と鍛練を続ければ良い。




 ……十年の月日が経った。魔物の数は1000を越える。小手調べとしては、半分も連れていけば良いだろう。俺も未来予知を実戦で活用できるだけの実力を身に付けた。さぁ、龍のご尊顔を拝みに行こうか。

 弟の生み出した魔物は予想以上に強かった。守護獣は当然として、複数体で攻めれば龍種の一般兵を倒すこともできた。そして俺にとっても、龍種は脅威とはならなかった。

 もしかしたら、このまま行けるんじゃないか?この暗い世界を出て、弟や他の亜獣達と光の下で暮らす。正直なところ、俺と弟だけなら龍の里を突破することは可能だろう。だが、十年一緒に暮らす内に、俺は彼らに愛着が湧いてしまった。もちろん、彼らが俺達に良くしてくれるのは、俺達が龍を倒せる可能性を秘めているからだ。それは分かっている。俺は、この暗闇の中で必死に生きる彼らの中に、元の世界にいた頃の自分を見ていた。生まれながらに、どうしようもない。どこにも行けない。幸せになれない。そんな彼らに自分を重ねてしまうのは、おかしいことだろうか。

 それに俺は、神が怖かった。ライターで火を灯すような手軽さで、神は弟を生き返らせた。どこかで俺を見ていて、ズルをしようものなら生き返ったのと同じくらい簡単に消されてしまう気がしたのだ。


 ……俺の夢想は、圧倒的な威圧感に掻き消された。まだ、遥か先にいる。辛うじて目視できる程度。それでも分かる。あれが、龍の王……。


「アイツを倒せば、俺達もようやく……!!!」


「おい、駄目だ!!待て!!」


 永年の激情を抑えきれずに、若い亜獣種が飛び出していく。俺は、止めに行けない。彼らで王の力を見ようという魂胆があった訳じゃない。彼らは、仲間だ。しかし俺の本能が、ここから前に進むことを許さない。


 彼らは強い。この十年、俺は自分の鍛練だけでなく亜獣種の育成にも力を入れてきた。龍種程でないにしろ、彼らには恵まれた肉体がある。ただ、歴史がない。誰もが我流で、体術のイロハもない。実際、教えたら面白いくらいに吸収していった。今回の斥候に参加している彼らは、当然亜獣種の中でも優秀な者達だ。龍種の一般兵程度なら容易く倒せる程に。だからこそ、行ってしまった。


 龍の王は、ハエを払うかのように、気だるげに腕を振った。それだけで、亜獣種の胴は二つに別れ、崩れ落ちた。弟の魔物も相手にならない。なんだ、アレは。生物としてのステージが、あまりにも違う。


 まだ、龍の王との距離は遠い。一瞬、目が合ったような気がした。人間だった頃の記憶が呼び起こされる。……ああ。良く覚えている。まるで、汚い物でも見るかのような……。


 俺の中に、恐怖以上の強い怒りの感情が芽生える。


 ……龍。この世界最強の生物。生まれながらの強者。初めから全てを持っているお前らが……、俺達を見下すな。


 本能さえも無視して、俺の脚は前に出る。俺は、アレが存在する現実を、許容することができない。


 突然、頬に激しい痛みを感じる。俺は我に帰る。


「兄ちゃん!!行っちゃ駄目だ……!!俺でも分かる。龍の王は、倒せない!!!逃げよう……。俺達は、まだ終われない!!」


「……そう、だな。すまない。……全体!!作戦は終了だ!!これから帰還する!!!」


 ……俺は何をしようとした?もし弟がいなければ、俺はまた、間違う所だった。冷静になれ。常に余裕を持て。何事にも動じるな。心を鉄に。でなければ、アレを倒すことなど、永遠に不可能だ。





 実際に龍と対峙してみて分かった事がある。奴等は硬い。元々対策はしていた。あの鋼の肉体を無視して、中身だけにダメージを蓄積させる。だが、一般兵だからこそ倒すことが出来たものの、龍の王はそこまで甘くないだろう。……しかしそれは、そこまで難しい事ではない。問題は、あの圧倒的な力。まともに一撃入っただけで死を確信する暴力。未来予知を戦闘で活用できる力量は身に付けたが、まだ足りない。得られた未来予知の情報を元に、自動的に体が反応するレベルにまで鍛え上げる必要がある。それができてようやく同じ土俵か、なお下かも知れない。

 それから俺は、自分の事を私と呼ぶようになった。常に平静を装い、強者然とした態度を取る。相手が焦れば、それだけ自分を落ち着かせる事が容易になる。だが、本当は……。


 俺は焦っていた。やるべき事は分かっている。鍛練を怠ることはない。自分が着実に強くなっている実感もある。にも関わらず、どれだけ時間を掛けようが、龍の王を倒すビジョンが浮かぶことはない。俺は、弱者なのだ。俺の生い立ちが、これまでが、弟を死なせてしまったという事実が、呪いのように染み付いて離れない。いくら強くなろうが、真の強者に俺の手は届かない。


 あの襲撃から、更に十年の月日が流れる。あの時見た龍の王の力に対して、今の自分なら戦える実感があった。今が全盛期。この状態は数年も持たないだろう。だが、踏み出すことができない。弟たちにはまだ戦力が足りないと誤魔化している。アレに立ち向かう勇気がないだけだ。ここに来て。ここまでやってきて今更……。


 そんなある日のことだ。ついに龍種に俺達の居場所が見つかってしまった。何としても倒さなければ。この暗闇の世界で、曲がりなりにも生活が可能な環境は多くない。移動には多大な消耗を伴う。つまり、この場所の情報が持ち帰られた時点で、戦争が始まる。龍の王と、戦わなければならない。

 俺は自身の脆弱な思考に辟易しつつも、龍に対峙する。敵は三人。中でもリーダー格と思われる男の強さは相当だったが、龍の王には遥か及ばない。相手にならない。戦闘が長引くに連れて、男の動きは鈍くなっていく。

 それにしてもコイツは何故逃げないのだろうか。部下二人がやられた時点で分かるはずだ。俺には敵わないと。この男の強さは一定に達している。なんなら、対峙した時に分かっていたはずだ。なのに。


 不意に、俺の未来予知に獣が映る。人の形をした、龍そのもの。……強い。だがそれと引き換えに、人としての自我を失っているように見える。……何故だ。何で逃げない。単純な身体能力だけなら向こうが上。逃げようと思えば、逃げられるはず。人を捨ててまで、俺に挑んでどうなる。


 ………敵がそうなる前に倒すこともできた。俺はそうしなかった。ここでコレから逃げたら、俺は二度と先に進めないだろう。この男は俺の危険性を理解し、命を掛けて俺を倒そうとしている。……良いだろう。ここでお前を倒し、俺は龍の王に挑む。


「俺の名前は田中健吾……!!!龍の勇者だ……!!!」


 同郷人。……分かる。コイツは真の強者ではない。虚勢だ。しかし成る程、勇者だ。この男は、死の恐怖に打ち勝っている。なればこそ、負けるわけには行かない。

 

 勇者は、いくら打っても倒れなかった。俺は追い詰められ、また弟に救われた。最後に倒せた一撃は、再び弟を死なせてしまうかもしれないという、自分の死以上の恐怖からだ。実際に紙一重で弟は死ぬところだった。俺は馬鹿だ。形ばかり己の弱さを克服するために、弟の腕を犠牲にしてしまった。なんという愚かさ。救えない。

 

 俺は最前線での生活を始める。二度と弟を危険に晒さないために。勇者にやられた傷の回復と鍛練を継続しながら、今後の計画を立てる。恐らく勇者は、神が言う所の三人の魔王の一人だった。後二人。回復が終わったらすぐにソイツを倒しに行く。無傷とは行かないだろう。また回復を挟んで、最後に龍の王。それが、体の全盛を保てる瀬戸際。




 そして今……。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 俺は、勝った。龍の獣と化した、あの勇者の妻を語る龍種に。後、一人。もう少しだ。もう少しで、空を掴める。

 戦いのダメージで自由の効かない体で、脚を引き釣りながらまだ生きている亜獣種の救助に向かおうとする。絶望的な未来が見える。


 あの妙な技を使う男、逃げたわけでは無かったのか。俺から受けた傷も治っている。他に仲間がいる。……すぐに、逃げなければ。……無理だ。体が、言うことを効かない。


 ……どうして。なんでだ。あと、少し。あの日夢見た、明るい未来の続き。弟と、幸せに暮らす。それだけのこと。俺の望みは、それだけなのに。


 俺は、その場からろくに動くこともできないまま、キヨスミと呼ばれていた若者を含む三人と対峙する。龍種の女が生きている可能性を考慮してか、若者は例の攻撃を仕掛けて来ない。気づいた時点で終わりだ。


 死を前にして、長い年月を掛けて作り上げた、偽りの強さが揺らぐ。


「……弟がいる。俺に良く似た、隻腕の亜獣種。弟だけは、見逃してくれないだろうか」


「……」


 反応はない。当たり前。虫の良い話だ。俺は彼を殺そうとした。彼の仲間を殺した。


 ……違う。そうじゃない。こんな風に、弱いままで死ぬことだけは、耐えられない。まだ戦える。弟の元へ行かせはしない。絶対に。


「……いや」


 心を、鉄に。何事にも動じない。迫り来る死にさえも。……俺は、強者だ。


「……龍の女は私が殺した。さっきみたいに、逃げなくて良いのか?」





 ……ここじゃない、どこか。


 次郎。すまない。俺は結局、お前をそこまで連れて行ってやることが出来なかった。




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