四
年が明けた。
暮れから降りつづいていた雪がやみ、朔日はおだやかな日和となった。
奥真野では、正月にうかれと呼ばれる者らが家々の門に立つ。門前で舞をさし、歌をうたい、笛を奏してねり歩く遊行人たちである。
町びとは彼らのおとずれを
錫響の庵の前も、幾度かうかれたちが通りすぎた。
錫響は小分けにした米の包みをこしらえ、清湲は童のようにしげしげとその
そして睦月の七日をすぎた晩、錫響は清湲を連れて
奥真野領主、うのの住まう舘である。清湲は行き先を聴いて目をまるくした。
「こなた、領主と知己なのか」
「六年も住もうていれば、それなりの伝手はできる」
錫響はぐいと笠をかむって答えた。月は出ているが、雪がほろほろとちらついている。
清湲は蓑をかき合わせながら、そうかと頷いた。おおかた、錫響の世渡りのうまさならと独りで合点しているのだろう。ほんに疑いを知らぬ奴だと、呆れと感心の混じった嘆息が出た。
領主の舘は、
その川辺に建つ高舘も、ずんとした重みと陰をもつ武家
錫響は門兵におとないを告げ、文を渡した。兵が引っ込み、ややあって戻ると諾とのいらえを伝えてくる。若い家人があとを引き取り、蓑を脱いだ錫響たちを
舘の内は、きんと冴えた玉鋼のような気配に満ちている。雪のせいばかりではなく、領主のひととなりが映じているのだ。錫響にはこころよい気であったが、清湲は落ち着かなげに身をすぼめていた。
家人のもつ手燭が蛍火のように揺れる。幾重かの長い廊を曲がったのち、家人がひろびろとした板間の前で腰を落とした。
「お連れいたしました」
「うん、お入り」
父が子を呼ぶようなやわらかさで声がかかる。清湲はおやと目をしばたたかせたが、錫響はつと板間へ両のこぶしをついた。清湲もあわてて頭を下げる。
「謹んで、あらたまの年の御慶びを申し上げます。うの様」
「よう来たな、錫響」
奥の上座から、いたわるような笑みが降った。顔を上げれば、まなじりの皺にふっくらと笑みを溜めた壮年の男が、脇息にもたれている。
奥真野を治める今代領主、うのである。こがねの屏風を背に、
うのは片手に盃をもてあそび、ぽんと座を叩いて錫響たちを呼んだ。
「もっとお入り。廊は寒かろう。とりわけ連れの若い御方は、こちらの風に慣れておられぬようだ」
領主のそばには、燭台と白磁の火鉢が燃えている。清湲の目は、おのずとそれらへ惹きつけられていたようだった。
頭をはたいてやりたくなるが、その唇がまことに青ざめている風だったのでやめる。錫響は顔をしかめ、上座から三歩ほど下がったところに座した。清湲も隣に続く。
そのうちに、しずしずと衣ずれをさせて侍女が入ってきた。錫響たちに盃を持たせ、瓶子からとろりと乳色の酒を注ぐ。うのが説いた。
「
「……、」
錫響は酒を口にしなかった。清湲の不思議そうなまなざしがこちらを向く。うのは眉を下げて苦笑いした。
「それには何も入っておらぬよ。ここでおまえたちを害する
「害意はなくとも、紛れ込むことはございましょう」
そう返しつつ、錫響は盃を呷った。濃い甘みと、ほのかな酒臭さが鼻に抜ける。
清湲は
「これは、
こぼれた呟きを、領主が聴きとがめて笑った。侍女もくすりと袖で口元を隠す。清湲がきまり悪そうに首をすくめた。
「なんと、おまえの友にしては無垢な御仁ではないか、錫響? 否、ゆえにこそであるかな?」
「ええ。これはこういう奴ですので、こちらへ連れて参ったのです」
「めずらしく素直だな」
「それだけのことでありますゆえ」
「しかし、わたしでよいのかね? そう長うもないであろう身だよ」
「それでも、いま奥真野を治めておられるのは、うの様です。貴方様以上に力をお持ちの方はいない」
「――そうか」
おだやかな牡鹿の瞳が、すう、と錫響の瞳と交わる。
清湲は惑ったように首をきょろつかせていたが、口を挟むことはしなかった。うのが清湲にほほ笑みかける。
「すまないね、にわかなことで困じただろう。改めて、わたしはうの。この奥真野の今代領主だ」
「私はきよ――清湲と申します。錫響の古きともがらです」
清湲が手を合わせて会釈する。うのは笑みを深め、小さく首をかしげた。
「古なじみというと、
「はい」
「九頭とは、いかなる土地であるかな。わたしはこの地を出たことがなくてね。話を聴きたい」
「……九頭は、」
問われた清湲は、遠くを仰ぎ見るまなざしをした。
その目に、光とも翳りともつかない揺らめきがともる。清湲は瞳を滲ませ、ひとつずつ石を積むように
「九頭は、うるわしい土地です。私の邸は海に近く、白波こそが私のわらべ歌でした。幼きころは、日がな貝を拾うて遊んでいたこともあります――」
潮騒の寄せる波際で、水干姿の童が貝を追っている。
千鳥のように小さな足で尋ね歩き、きらめく薄ひらを見つけてはしゃがみ込んだ。いっとううるわしい桜の貝殻を探しあて、つまんで陽にかざしてみせる。母上に差し上げるのだと、童の口元がほころんだ。
うのは黙って清湲の語りを聴き、ときに相づちや問いを挟んだ。その合いの手が絶妙にうまく、清湲は頬を上気させながら語りに入り込んでゆく。
うのは慈父のように清湲を見ていたが、瞳の奥にはさえざえとした理知があった。傍から眺める錫響は、そうして清湲のひととなりを測っているのだとわかる。うのの得手とするやり方だった。
――この領主は、決してやさしげな牡鹿などではない。
ものやわらかな見目と口ぶりの奥底に、武人の烈しさを秘めている。ゆえにこそ、この厳しい東北の地を治めることができるのである。うのはその鋭さを微笑に隠して問うた。
「そうか、清湲殿のお家は
「はい。祖は
真奈にも、いにしえより昊の文物やすぐれた
清湲の家も、もとはそうした
「これはとんだ
「清湲殿。何ぞ昊のことばを話してみてもらえぬだろうか」
領主にもとめられ、清湲は戸惑ったように口をつぐんだ。錫響はその腕を肘でつつく。
清湲は眉を下げつつも、遠慮がちに耳慣れぬことばを喋った。及び腰のわりに、流れ出たことばはなめらかな昊語である。昊語を知らぬ身でもそうと判ぜられる音律に、うのがほうと眉を上げた。
「……なるほど。錫響が掌中の珠としたがるわけだ」
うのは莞爾として笑い、席を立つ。おどろく清湲の前に膝を立て、おのが持つ盃の血色をかかげた。
「清湲殿。どうだろう、わが息子に昊語を教えてもらえぬだろうか」
「――……は?」
清湲は口を開け、間のぬけた顔でうのを見返している。
錫響はやはりその頭をはたきたくなりつつも、どうにかここまで漕ぎつけたとこぶしを握った。
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