年が明けた。

 暮れから降りつづいていた雪がやみ、朔日はおだやかな日和となった。

 奥真野では、正月にと呼ばれる者らが家々の門に立つ。門前で舞をさし、歌をうたい、笛を奏してねり歩く遊行人たちである。

 町びとは彼らのおとずれをよみし、禄をあたえる。それによって、福をぶことができるとされていた。

 錫響の庵の前も、幾度かうかれたちが通りすぎた。

 錫響は小分けにした米の包みをこしらえ、清湲は童のようにしげしげとそのわざを眺めた。それからふと、舞をさすおのこを見やって寂しげにする。錫響はそうした清湲を横目に、黙ってうかれへ米をやった。

 そして睦月の七日をすぎた晩、錫響は清湲を連れて高舘たかだてに向かった。

 奥真野領主、の住まう舘である。清湲は行き先を聴いて目をまるくした。


「こなた、領主と知己なのか」

「六年も住もうていれば、それなりの伝手はできる」


 錫響はぐいと笠をかむって答えた。月は出ているが、雪がほろほろとちらついている。

 清湲は蓑をかき合わせながら、そうかと頷いた。おおかた、錫響の世渡りのうまさならと独りで合点しているのだろう。ほんに疑いを知らぬ奴だと、呆れと感心の混じった嘆息が出た。

 領主の舘は、漆川うるしがわという川のほとりに建っている。冬でも凍てぬ川面はくろぐろと身を横たえ、上等の漆を流したように光るため、むかしからこの名で呼ばれた。

 その川辺に建つ高舘も、ずんとした重みと陰をもつ武家やしきである。

 錫響は門兵におとないを告げ、文を渡した。兵が引っ込み、ややあって戻ると諾とのいらえを伝えてくる。若い家人があとを引き取り、蓑を脱いだ錫響たちをないした。

 舘の内は、きんと冴えた玉鋼のような気配に満ちている。雪のせいばかりではなく、領主のひととなりが映じているのだ。錫響にはこころよい気であったが、清湲は落ち着かなげに身をすぼめていた。

 家人のもつ手燭が蛍火のように揺れる。幾重かの長い廊を曲がったのち、家人がひろびろとした板間の前で腰を落とした。


「お連れいたしました」

「うん、お入り」


 父が子を呼ぶようなやわらかさで声がかかる。清湲はおやと目をしばたたかせたが、錫響はつと板間へ両のこぶしをついた。清湲もあわてて頭を下げる。


「謹んで、あらたまの年の御慶びを申し上げます。うの様」

「よう来たな、錫響」


 奥の上座から、いたわるような笑みが降った。顔を上げれば、まなじりの皺にふっくらと笑みを溜めた壮年の男が、脇息にもたれている。

 奥真野を治める今代領主、うのである。こがねの屏風を背に、ひぐまの毛皮を敷き、右手へ大太刀を飾ったさまはいかめしい。が、その見目だけならば、ほっそりとした牡鹿のようなやさしさがあった。

 うのは片手に盃をもてあそび、ぽんと座を叩いて錫響たちを呼んだ。


「もっとお入り。廊は寒かろう。とりわけ連れの若い御方は、こちらの風に慣れておられぬようだ」


 領主のそばには、燭台と白磁の火鉢が燃えている。清湲の目は、おのずとそれらへ惹きつけられていたようだった。

 頭をはたいてやりたくなるが、その唇がまことに青ざめている風だったのでやめる。錫響は顔をしかめ、上座から三歩ほど下がったところに座した。清湲も隣に続く。

 そのうちに、しずしずと衣ずれをさせて侍女が入ってきた。錫響たちに盃を持たせ、瓶子からとろりと乳色の酒を注ぐ。うのが説いた。


斗瓶仁とべにという、北の民らが飲む酒だ。樹の汁を醸してつくったもので、甘みがつよい。身があたたまる」

「……、」


 錫響は酒を口にしなかった。清湲の不思議そうなまなざしがこちらを向く。うのは眉を下げて苦笑いした。


「それには何も入っておらぬよ。ここでおまえたちを害する所以ゆえんがない」

「害意はなくとも、紛れ込むことはございましょう」


 そう返しつつ、錫響は盃を呷った。濃い甘みと、ほのかな酒臭さが鼻に抜ける。

 清湲はこうじた顔でうのと錫響を見比べていたが、やがて犬の仔が皿を確かめるように酒を舐めた。とたんに、ぱっと目をかがやかせる。


「これは、うまいなあ」


 こぼれた呟きを、領主が聴きとがめて笑った。侍女もくすりと袖で口元を隠す。清湲がきまり悪そうに首をすくめた。


「なんと、おまえの友にしては無垢な御仁ではないか、錫響? 否、ゆえにこそであるかな?」

「ええ。これはこういう奴ですので、こちらへ連れて参ったのです」

「めずらしく素直だな」

「それだけのことでありますゆえ」

「しかし、わたしでよいのかね? そう長うもないであろう身だよ」

「それでも、いま奥真野を治めておられるのは、うの様です。貴方様以上に力をお持ちの方はいない」

「――そうか」


 おだやかな牡鹿の瞳が、すう、と錫響の瞳と交わる。

 清湲は惑ったように首をきょろつかせていたが、口を挟むことはしなかった。うのが清湲にほほ笑みかける。


「すまないね、にわかなことで困じただろう。改めて、わたしは。この奥真野の今代領主だ」

「私はきよ――清湲と申します。錫響の古きともがらです」


 清湲が手を合わせて会釈する。うのは笑みを深め、小さく首をかしげた。


「古なじみというと、九頭くずのころから?」

「はい」

「九頭とは、いかなる土地であるかな。わたしはこの地を出たことがなくてね。話を聴きたい」

「……九頭は、」


 問われた清湲は、遠くを仰ぎ見るまなざしをした。

 その目に、光とも翳りともつかない揺らめきがともる。清湲は瞳を滲ませ、ひとつずつ石を積むように故郷ふるさとのことを語った。


「九頭は、うるわしい土地です。私の邸は海に近く、白波こそが私のわらべ歌でした。幼きころは、日がな貝を拾うて遊んでいたこともあります――」


 潮騒の寄せる波際で、水干姿の童が貝を追っている。

 千鳥のように小さな足で尋ね歩き、きらめく薄ひらを見つけてはしゃがみ込んだ。いっとううるわしい桜の貝殻を探しあて、つまんで陽にかざしてみせる。母上に差し上げるのだと、童の口元がほころんだ。

 うのは黙って清湲の語りを聴き、ときに相づちや問いを挟んだ。その合いの手が絶妙にうまく、清湲は頬を上気させながら語りに入り込んでゆく。

 うのは慈父のように清湲を見ていたが、瞳の奥にはさえざえとした理知があった。傍から眺める錫響は、そうして清湲のひととなりを測っているのだとわかる。うのの得手とするやり方だった。


――この領主は、決してやさしげな牡鹿などではない。


 ものやわらかな見目と口ぶりの奥底に、武人の烈しさを秘めている。ゆえにこそ、この厳しい東北の地を治めることができるのである。うのはその鋭さを微笑に隠して問うた。


「そうか、清湲殿のお家はこうを家学とされていたのだね。お父上は、昊人こうひとの博士のすえでいらした」

「はい。祖は天日子あまひこの海直わたのあたいと申しました」


 こうとは、真奈より西の大海をへだてた先にある大国である。大天たいてんの国、もえの国とも称され、世に並ぶものなき大帝国であった。

 真奈にも、いにしえより昊の文物やすぐれた技人わざひとたちが渡ってきている。とりわけ九頭は西海に近く、昊をふくめたつ国びとの往来が多かった。

 清湲の家も、もとはそうした渡来人わたりつびとの起こした氏である。錫響はこうした由縁を述べ、さらにうのへ訴えた。


「これはとんだ暢気のさ者ですが、語学の才はなかなかのものがあります。昊語のみならず、巨摩こま珠琉するはんの語もいくらかは操れます。入り用であれば、北のことばも疾く覚えましょう」

「清湲殿。何ぞ昊のことばを話してみてもらえぬだろうか」


 領主にもとめられ、清湲は戸惑ったように口をつぐんだ。錫響はその腕を肘でつつく。

 清湲は眉を下げつつも、遠慮がちに耳慣れぬことばを喋った。及び腰のわりに、流れ出たことばはなめらかな昊語である。昊語を知らぬ身でもそうと判ぜられる音律に、うのがほうと眉を上げた。


「……なるほど。錫響が掌中の珠としたがるわけだ」


 うのは莞爾として笑い、席を立つ。おどろく清湲の前に膝を立て、おのが持つ盃の血色をかかげた。


「清湲殿。どうだろう、わが息子に昊語を教えてもらえぬだろうか」

「――……は?」


 清湲は口を開け、間のぬけた顔でうのを見返している。

 錫響はやはりその頭をはたきたくなりつつも、どうにかここまで漕ぎつけたとこぶしを握った。

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