閑話

奥真野


――犬っころが、猫の仔を連れてきた。


 と、錫響しゃくきょうは思った。

 冬の走りの雪が降りてきたおく真野まのである。雪はひと晩で降り積もり、小都高舘たかだての町をすっぽりと白く染めた。

 錫響の庵は、この町の真中にある。市のにぎわいや旅人の往来が激しい巷間だが、さすがに夜明け方などはしんとしている。その静寂をうち壊すごとく、必死のていで庵の戸が叩かれた。

 眠りを破られた錫響は、呻きながら腹を掻いて起き上がった。

 あたりは曇りがちな北の夜明けの、濃い青藤ふじの色に染まっている。まだ眠っていても罰はあたるまいに、と不平をごちながら夜具を出た。刺すような寒気に身を縮め、しぶしぶと戸をひらく。

 とたんに、雪風の向こうから蓑笠のばけものが二柱、どおっと倒れかかってきた。

 驚いて横に避けると、うつ伏したばけものの頭や肩から雪が落ちる。大きいほうのばけものが、小さいのを腕にかばいながら手をふった。


「……私だよ、錫響。とにかく火に、当たらせてくれ――」

「何っ、その声は清湲せいえんか?」


 よろよろと指を伸ばしたばけものは、それだけ言い残して首を落とした。

 あわてて仰向けに転がせば、笠の下から清げな僧の顔が現れる。覚えにあるよりもおとなびたその顔は、確かに古き幼なじみのものだった。

 清湲は早くも眠りに落ち、暢気に口まで開けている。その脇へ抱えられるように倒れていた小さいのが、するりと抜け出して膝をそろえた。


「ご無礼を。わたくしは、と申します。清湲殿のともがらとなりました、おのこです」


 お見知りおきを――と小さい蓑笠が折り目ただしく頭を下げる。

 が、次の瞬間、小さい蓑笠も横ざまに倒れ伏した。錫響はぎょっとして声を上げる。


「おい待て、何だおまえら、ここでいきなり倒れるのでない!」


 独りでいかにして運べというのだ、と叫んだ。

 しかし大きいのも小さいのも、獣の親子のごとく寄り添って眠っている。錫響はその姿を眺め、これは厄介ごとが飛び込んできたと頭を抱えた。



 *



 寝ついていた清湲が、大きくして藁の枕からずり落ちた。

 そこではっと目を覚まし、わらぶすまを跳ね上げてあたりを見回す。横に座していた錫響は、その頭を軽くはたいた。


「ようやく起きたか、ぎたな坊主め」

「……錫響、」


 清湲は、まだ夢に遊んでいるようなおももちではなをすする。錫響はその顔にぼろ布を押しつけた。


「汚い、まず拭け、そして火に当たれ」


 清湲が座す脇では、炉にあかあかと火が燃えている。

 その向かいには、藁衾よりは上等な夜具にくるまれて眠るおのこがいた。清湲はそれを見、床をすべる勢いで四つ這いに駆け寄った。


「むめ殿!」

「いまは眠っているだけだ。昨晩ゆうべまでは熱が高かったが」

「……昨晩、」

「おう。おまえらが俺の家の前で行き倒れてから、まる二日は経っている」

「二日」


 錫響のことばを聴き、清湲は煙が抜けるようにへたり込んだ。それと同時に腹の虫も鳴る。清湲は顔を赤らめ、錫響は思わず噴き出した。


「おまえ、相変わらず犬っころみたいな奴だなあ。六年ぶりだが、すこやかで何よりだ」

「……こなたも息災そうで、よかったよ」


 錫響が声を響かせて笑えば、清湲は恥ずかしげに首をすくめる。そのさまがまことに仔犬のようで、いっそう笑えた。肩をふるわせながら炉に鍋をかける。

 干し茸や牛蒡うまふぶき、凍み鮭などをぶつ切りにし、水でうすめた濁り酒の中に煮立たせる。最後に塩をふり、椀によそって差し出した。

 おのれの分もよそい、手を合わせる。箸を取りながら、なによりも知りたかったことを訊ねた。


「それで、いったい何ごとだ。その美童も何者やらわからんし。髪はざんばら、目と手には刀傷。おまけに蓑笠かぶってと、人でも殺めて逃げてきたのかと思うたぞ」


 錫響は、ちらりと眠るおのこを見やった。

 旅垢にまみれ、右目を布で覆っていても、おのこは美童と称するにふさわしいかんばせをしている。人を殺めてというのは戯れごとのつもりだったが、清湲はぎくりとして汁ものを喉につめた。あわてて咳き込むようすに、嫌なものが湧き上がる。


「……おい、まさか」

「否、それについてはいろいろと経緯いきさつがあるのだ! 述べさせてくれ!」


 清湲は手を伸べて錫響を止めた。汁ものであたたまり、鼻と頬だけがいやに赤い。捨て犬めいたそのふぜいに、錫響は深く嘆息して座りなおした。


「下らぬ経緯であれば、おまえらともどもに叩き出すぞ」

「それはない」


 清湲は、ふいと澄んだ目をして端座する。それから炉に燃える火を見つめ、静かにこれまでの行立ゆくたてを語り始めた。

 美童との出会いと友誼、賊にかどわかされたこと、美童が清湲を救うために刃をふるったこと。その後ふたりで越山こしやまを越え、東へ下ったこと。道々聴いたという美童の生い立ちも、清湲は声をひそめて明かした。

 錫響はあらましを聴き、もういちど深々と息をついた。


「おまえ、とんだものを拾うてきよったな」

「すまない、こなたには煩いをかけると承知していた。……だが、私はむめ殿に僧名を明かした。明かしてもよいと思ったともがらだ。むめ殿が望めば、僧門に入れるのもよいと考えている。この心はこなたにも知ってほしかった」

「……おまえのそれは、美童への憐れみからくるものか?」


 錫響は、目を細めて清湲を見た。

 炉の火が揺らめき、清湲の瞳に映る光も揺れる。しかし清湲は、その揺らぎに反して首をふった。


「違う。私はむめ殿の中に、私にはない光を見た。その光を通して世を眺めれば、私はこれまでとは別な私を見いだせるやもしれぬと思った」

「――、」


――相変わらず、甘いやつだ。


 錫響は唇を結んだ。

 清湲は、錫響が十四のときに師に連れられてきた童だった。ひとつ下の清湲は弟代わりのようなもので、目の離せぬおのこであった。

 たわやかに見えて固く、こうと思えば脇目もふらずそちらへ走ってゆくことがある。口にしたことはないが、狂い死にしたという清湲の両親ふたおやも、こういうところがあったのではないかと思っていた。


「……、」


 錫響は頭を掻き、ふところからひとつの巻物を取り出した。


「おまえ、これに見覚えがあるか?」

「うん? ……ないな、光明の新たな経書か?」


 問われた清湲は、目をしばたたかせて巻物に手を伸ばす。錫響はその手をさりげなく避け、巻物をしまい込んだ。


「そうか。ないならばよい、経書などではないから」

「さようか」


 清湲は不思議そうにしながらも、素直に頷く。こういうところが、いつまでも目の離せぬ弟なのである。と同時に、錫響にとっての弱みでもあるのだった。


――まあ、俺が目を光らせていればよいか。


 まなざしだけを、眠る美童のほうへ向ける。先のことは、あの美童が目覚めてから改めて考えればよい。

 錫響はため息をつき、胡坐のうえに手をついて顎を乗せた。


「しようがねえ。俺とて怪我したやつを放り出すのは後味が悪い、ひとまずはかくもうてやる」

「――錫響!」


 清湲はぱっと顔を輝かせ、かたじけないと頭を下げた。安堵した唇に、春の白雲のような笑みが浮かぶ。

 錫響はそのさまを眺め、やがておのれも苦く笑った。

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