閑話
奥真野
一
――犬っころが、猫の仔を連れてきた。
と、
冬の走りの雪が降りてきた
錫響の庵は、この町の真中にある。市のにぎわいや旅人の往来が激しい巷間だが、さすがに夜明け方などはしんとしている。その静寂をうち壊すごとく、必死の
眠りを破られた錫響は、呻きながら腹を掻いて起き上がった。
あたりは曇りがちな北の夜明けの、濃い
とたんに、雪風の向こうから蓑笠のばけものが二柱、どおっと倒れかかってきた。
驚いて横に避けると、うつ伏したばけものの頭や肩から雪が落ちる。大きいほうのばけものが、小さいのを腕にかばいながら手をふった。
「……私だよ、錫響。とにかく火に、当たらせてくれ――」
「何っ、その声は
よろよろと指を伸ばしたばけものは、それだけ言い残して首を落とした。
あわてて仰向けに転がせば、笠の下から清げな僧の顔が現れる。覚えにあるよりもおとなびたその顔は、確かに古き幼なじみのものだった。
清湲は早くも眠りに落ち、暢気に口まで開けている。その脇へ抱えられるように倒れていた小さいのが、するりと抜け出して膝をそろえた。
「ご無礼を。わたくしは、むめと申します。清湲殿のともがらとなりました、おのこです」
お見知りおきを――と小さい蓑笠が折り目ただしく頭を下げる。
が、次の瞬間、小さい蓑笠も横ざまに倒れ伏した。錫響はぎょっとして声を上げる。
「おい待て、何だおまえら、ここでいきなり倒れるのでない!」
独りでいかにして運べというのだ、と叫んだ。
しかし大きいのも小さいのも、獣の親子のごとく寄り添って眠っている。錫響はその姿を眺め、これは厄介ごとが飛び込んできたと頭を抱えた。
*
寝ついていた清湲が、大きくくさめして藁の枕からずり落ちた。
そこではっと目を覚まし、
「ようやく起きたか、
「……錫響、」
清湲は、まだ夢に遊んでいるようなおももちで
「汚い、まず拭け、そして火に当たれ」
清湲が座す脇では、炉にあかあかと火が燃えている。
その向かいには、藁衾よりは上等な夜具にくるまれて眠るおのこがいた。清湲はそれを見、床をすべる勢いで四つ這いに駆け寄った。
「むめ殿!」
「いまは眠っているだけだ。
「……昨晩、」
「おう。おまえらが俺の家の前で行き倒れてから、まる二日は経っている」
「二日」
錫響のことばを聴き、清湲は煙が抜けるようにへたり込んだ。それと同時に腹の虫も鳴る。清湲は顔を赤らめ、錫響は思わず噴き出した。
「おまえ、相変わらず犬っころみたいな奴だなあ。六年ぶりだが、すこやかで何よりだ」
「……こなたも息災そうで、よかったよ」
錫響が声を響かせて笑えば、清湲は恥ずかしげに首をすくめる。そのさまがまことに仔犬のようで、いっそう笑えた。肩をふるわせながら炉に鍋をかける。
干し茸や
おのれの分もよそい、手を合わせる。箸を取りながら、なによりも知りたかったことを訊ねた。
「それで、いったい何ごとだ。その美童も何者やらわからんし。髪はざんばら、目と手には刀傷。おまけに蓑笠かぶってこそこそと、人でも殺めて逃げてきたのかと思うたぞ」
錫響は、ちらりと眠るおのこを見やった。
旅垢にまみれ、右目を布で覆っていても、おのこは美童と称するにふさわしいかんばせをしている。人を殺めてというのは戯れごとのつもりだったが、清湲はぎくりとして汁ものを喉につめた。あわてて咳き込むようすに、嫌なものが湧き上がる。
「……おい、まさか」
「否、それについてはいろいろと
清湲は手を伸べて錫響を止めた。汁ものであたたまり、鼻と頬だけがいやに赤い。捨て犬めいたそのふぜいに、錫響は深く嘆息して座りなおした。
「下らぬ経緯であれば、おまえらともどもに叩き出すぞ」
「それはない」
清湲は、ふいと澄んだ目をして端座する。それから炉に燃える火を見つめ、静かにこれまでの
美童との出会いと友誼、賊にかどわかされたこと、美童が清湲を救うために刃をふるったこと。その後ふたりで
錫響はあらましを聴き、もういちど深々と息をついた。
「おまえ、とんだものを拾うてきよったな」
「すまない、こなたには煩いをかけると承知していた。……だが、私はむめ殿に僧名を明かした。明かしてもよいと思ったともがらだ。むめ殿が望めば、僧門に入れるのもよいと考えている。この心はこなたにも知ってほしかった」
「……おまえのそれは、美童への憐れみからくるものか?」
錫響は、目を細めて清湲を見た。
炉の火が揺らめき、清湲の瞳に映る光も揺れる。しかし清湲は、その揺らぎに反して首をふった。
「違う。私はむめ殿の中に、私にはない光を見た。その光を通して世を眺めれば、私はこれまでとは別な私を見いだせるやもしれぬと思った」
「――、」
――相変わらず、甘いやつだ。
錫響は唇を結んだ。
清湲は、錫響が十四のときに師に連れられてきた童だった。ひとつ下の清湲は弟代わりのようなもので、目の離せぬおのこであった。
たわやかに見えて固く、こうと思えば脇目もふらずそちらへ走ってゆくことがある。口にしたことはないが、狂い死にしたという清湲の
「……、」
錫響は頭を掻き、ふところからひとつの巻物を取り出した。
「おまえ、これに見覚えがあるか?」
「うん? ……ないな、光明の新たな経書か?」
問われた清湲は、目をしばたたかせて巻物に手を伸ばす。錫響はその手をさりげなく避け、巻物をしまい込んだ。
「そうか。ないならばよい、経書などではないから」
「さようか」
清湲は不思議そうにしながらも、素直に頷く。こういうところが、いつまでも目の離せぬ弟なのである。と同時に、錫響にとっての弱みでもあるのだった。
――まあ、俺が目を光らせていればよいか。
まなざしだけを、眠る美童のほうへ向ける。先のことは、あの美童が目覚めてから改めて考えればよい。
錫響はため息をつき、胡坐のうえに手をついて顎を乗せた。
「しようがねえ。俺とて怪我したやつを放り出すのは後味が悪い、ひとまずは
「――錫響!」
清湲はぱっと顔を輝かせ、かたじけないと頭を下げた。安堵した唇に、春の白雲のような笑みが浮かぶ。
錫響はそのさまを眺め、やがておのれも苦く笑った。
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