六
――あと、どれほど狂わずにいられるだろうか。
むめは霞がかった頭で思った。
熱を発しているのか、こめかみが絶えず鈍く痛む。後ろ手に柱へくくられた両腕も熱を持ち、もはや節が擦れすぎて痛みはない。吐く息が
尻など、疾うに痛みも痺れも失せている。代わるがわる犯され続けた孔は裂け、血が出れば油を塗られた。血に油が混じればぬめりが
男どもは悲鳴じみた声で笑い、いっそうむめの孔をいじくり回した。ついにはこぶしを突き込まれた。
そのときは泣き喚いて許しを請うた気もするが、その覚えさえも茫としている。髪も、肌も、爪のひとひらに至るまでも、痛みと姦淫の果てにふやけていた。
やしろの北、
「よう、比売神の
牢の戸がひらき、げびた笑い方をする男どもがぞろぞろと入ってきた。
むめは、すい、と目を上げる。ぼやけてよく見えないが、昨晩と同じ、
「どうだい、そろそろ素直にならねえかい。神官さまがお待ちかねだよ」
ひとこと、頭を下げればよいのだという。地べたを這って神官の爪先にくちづけ、ふたたびと逆らいませぬと宣すればよいのだと。
しかし、むめは唇をゆがめて笑んだ。
「……素直で、ございますよ。いまのわたくしは。素直に生きて、こうしております」
「ほう?」
賊がおもしろげに眉を上げる。されども手には力が込められ、ささくれた指先が頬に食い込んだ。
「お前さん、顔は比売神に瓜ふたつだが、目は違ェやな。前はこんなだったか?」
「さあ、……」
以前あこうの戯れに付き合って、手下たちの間を引き回されたことがある。その折はむめが抗わなかったので、いまとは異なって見えるのだろう。だが、むめはその違いのわけを説いてやるつもりはなかった。
賊は鼻に皺を溜めたあと、ふいとむめの顎を放り出した。縄を解け、と他の者らに命じる。
「まあ、いい。さすがに殺すなとは言われているから、今日はお前さんをねぎらってやろう」
縄を解かれると、むめのからだは呆気なく床に落ちた。賊はむめを仰向けに転がし、汗と淫水でくたくたになった衣を剥がす。
つう、と胸を撫でられれば身が震えた。狂うふちまで来ているというのに、こういうときにはたやすく悦を拾ってしまうのだった。
賊はむめを見下ろし、黄ばんだ歯をみせて笑った。
「なあ。痛みだけが、この世の責め苦じゃアないんだぜ?」
その手には小さな油壷が揺れている。ただの油ではなさそうだと悟ったが、むめに逃れるすべはなかった。
賊どもが手を伸ばす。そして幾度めかの宴が始まった。
*
あかつきあした、つとめての
くがねてりはゆ、みあかしを
をがみとなへば、たひらかに
耳の奥に、のびやかな男の声がこだまする。こおん、と澄んだ
きよが鳴らす鉦の音は、うるさくない。夏に市で見た僧侶たちとは異なり、おのれを前へ押し出そうとする驕りがないのだ。分をわきまえ、ただみずからの生きることだけを思うおおどかさがあった。
ひかりのいとは、くだりこむ
さやさやに
さやけきいとの、はやせして
光が滔々とした
光だからだ、と語る男の笑くぼがよぎった。あるいは煌々と月の照る夜が。文机に肘をもたせ、ほほ笑む女人のまなざしが。
――むめは、
まことに。
まことにおれは、成れますか。比売神の子ではない、名もなきただの人の男に。むみょう様。
「――……、」
ふ、と額を拭われる心地がして目を覚ました。
とたんに、おのれの肉と汗の重みで息が止まりそうになる。喉の奥で小さく呻くと、むめの額を拭っていた人影が手を止めた。
「むめ殿」
鋭く、安堵と強張りに満ちたささやきである。声のぬしがむみょうと知って、むめはゆるりと瞬きをした。
いくらか目の前が明らかになり、むみょうの青ざめた顔が浮かび上がる。牢の戸が開いていて、そこから月の光が漏れ来ているらしかった。むめは縄を解かれ、どうやら
「むみょう様、」
「静かに。黙ってこれをお飲みなさい」
むみょうはふところから薬らしき包みを取り出し、むめの口に粉を流し込んだ。竹筒の水も注ぎ込まれる。いくぶんかは口の端からこぼれ落ちたが、おおかたは喉を通った。干上がった身にすんなりと沁みてゆく。
むみょうはむめの唇を拭い、顔や腕の傷に涼しいにおいのする草を擦りつけた。
「いま飲ませたのは痺れ薬。いっときだけれど痛みを散らせるわ、傷に貼った草もそう」
「むみょう様は、……薬師でいらっしゃいましたか」
「この
むみょうはぎこちなく笑み、むめを抱き起こした。
いまだ肉は重だるかったが、確かに痛みは引きつつある。頭もはきとし、立って歩けそうな気配がした。
むみょうはむめの首に手を添え、目の底まで覗き込むようにして言った。
「お逃げなさい、むめ殿。そして生きるのよ」
「……生きたとて、」
何になりましょう、と力なく目を伏せる。
むめには生きる甲斐がわからない。なにも持たない。であるのにここから逃げたとて、また連れ戻されるだけではないのか。さすれば、むみょうの身にも咎が及ぶ。そのくらいならば、ぬるい泥に沈んで死ぬるほうがよい。
むめの諦めを感じ取ったのか、むみょうは目を吊り上げた。頬をはたかれる。
「ではなぜ、幾度も私のもとへ来たの。話を聴いたの。貴方の目は
「ですが、」
反じようとした瞬間、むみょうは目でむめを封じた。むめの衣の襟を開き、無理やりに巻物を押し込んでくる。
「貴方が
「役目?」
「そう、これは密書。私がこのやしろで見聞きして書き溜めた、やしろの汚濁をつづった巻物。これを世に知らしめなさい、そして穢れをすすぎなさい。この真奈の国が、まことにうるわしの国で在り続けるために」
「……むみょう様は、物語を書いていらしたのでは」
そう問うと、正面からむみょうのまなざしと交わった。むみょうは眉を寄せ、苦しげに目を細める。
「書いていたわ、物語も。けれども合間に気づいてしまった。このやしろは――腐れている」
長くやしろに仕えていれば、おのずと闇は忍び込んできた。むみょうはひそかにその見聞を書き留め、いずれ誰かに託すつもりであったという。
「お繋ぎなさい、これを後の世に。生きる甲斐が見出せぬのなら、私が貴方の甲斐になるわ」
「――」
しん、と頭の芯から冷える。刃を突き交わすような静寂があり、やがてむめは息を吐いた。
それからふいに、むみょうを横ざまに張り倒す。続けて、あたりに放られていた縄でむみょうの腕をくくった。
「お許しを。神官に責められたら、わたくしに脅されて手を貸したのだと仰ってください」
衣の袖を破り、むみょうの口に噛ませる。むみょうは落ち着いた顔で頷いた。
むめは笑みを返し、立ち上がる。薬が効いているらしく、つねよりも身軽になった心地さえした。
「ありがとう存じます、むみょう様。お慕い申し上げておりました」
――母のように、姉のように。あるいは恋う人のように。
棘のような痛みを払い、歩み出す。むみょうは鼻を鳴らして答えたようであった。
牢の戸をひらいて出ると、牢番はかたわらで高いびきを掻いている。脇には酒の
――恐いお方。
牢番の腰から小刀を抜き取り、袴に差す。空を仰げば月が明るい。早く去らねば追手がかかるだろう。
ひやりと晩秋の風が吹き、周囲の梢をいっせいにさざめかせる。むめはその風を胸に吸い込み、地を蹴って駆け出した。
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