――あと、どれほど狂わずにいられるだろうか。


 むめは霞がかった頭で思った。

 熱を発しているのか、こめかみが絶えず鈍く痛む。後ろ手に柱へくくられた両腕も熱を持ち、もはや節が擦れすぎて痛みはない。吐く息が淫水ほずめいて生臭い。ここ数日、男根はぜをしゃぶるか、男の精がぶちまけられた粥をすすった覚えしかなかった。

 尻など、疾うに痛みも痺れも失せている。代わるがわる犯され続けた孔は裂け、血が出れば油を塗られた。血に油が混じればぬめりがくなる。

 男どもは悲鳴じみた声で笑い、いっそうむめの孔をいじくり回した。ついにはこぶしを突き込まれた。

 そのときは泣き喚いて許しを請うた気もするが、その覚えさえも茫としている。髪も、肌も、爪のひとひらに至るまでも、痛みと姦淫の果てにふやけていた。

 やしろの北、文庫ふみくらよりもさらに奥にある牢である。むめは神官の怒りをい、ここに放り込まれた。それから幾日経ったのかわからないが、放り込まれて以来延々となぶられている。神官の息がかかった下男たち、あるいは。


「よう、比売神の太郎子たろごどの」


 牢の戸がひらき、げびた笑い方をする男どもがぞろぞろと入ってきた。

 むめは、すい、と目を上げる。ぼやけてよく見えないが、昨晩と同じ、越山こしやまの賊どもだった。あこうの手下である。先頭にいた兎唇みつくちの男がしゃがみ、むめの顎を掴んだ。


「どうだい、そろそろ素直にならねえかい。神官さまがお待ちかねだよ」


 ひとこと、頭を下げればよいのだという。地べたを這って神官の爪先にくちづけ、ふたたびと逆らいませぬと宣すればよいのだと。

 しかし、むめは唇をゆがめて笑んだ。


「……素直で、ございますよ。いまのわたくしは。素直に生きて、こうしております」

「ほう?」


 賊がおもしろげに眉を上げる。されども手には力が込められ、ささくれた指先が頬に食い込んだ。


「お前さん、顔は比売神に瓜ふたつだが、目は違ェやな。前はこんなだったか?」

「さあ、……」


 以前あこうの戯れに付き合って、手下たちの間を引き回されたことがある。その折はむめが抗わなかったので、いまとは異なって見えるのだろう。だが、むめはその違いのわけを説いてやるつもりはなかった。

 賊は鼻に皺を溜めたあと、ふいとむめの顎を放り出した。縄を解け、と他の者らに命じる。


「まあ、いい。さすがに殺すなとは言われているから、今日はお前さんをやろう」


 縄を解かれると、むめのからだは呆気なく床に落ちた。賊はむめを仰向けに転がし、汗と淫水でくたくたになった衣を剥がす。

 つう、と胸を撫でられれば身が震えた。狂うふちまで来ているというのに、こういうときにはたやすく悦を拾ってしまうのだった。

 賊はむめを見下ろし、黄ばんだ歯をみせて笑った。


「なあ。痛みだけが、この世の責め苦じゃアないんだぜ?」


 その手には小さな油壷が揺れている。ただの油ではなさそうだと悟ったが、むめに逃れるすべはなかった。

 賊どもが手を伸ばす。そして幾度めかの宴が始まった。



 *



 あかつきあした、つとめての

 くがねてりはゆ、みあかしを

 をがみとなへば、たひらかに


 耳の奥に、のびやかな男の声がこだまする。こおん、と澄んだかねが響いた。

 きよが鳴らす鉦の音は、うるさくない。夏に市で見た僧侶たちとは異なり、おのれを前へ押し出そうとする驕りがないのだ。分をわきまえ、ただみずからの生きることだけを思うおおどかさがあった。


 ひかりのいとは、くだりこむ

 さやさやに

 さやけきいとの、はやせして


 光が滔々としたたきになる。瀧は瀬となり、壺まった淵を織りなして流れてゆく。淵は深く、どこまでも清い。水音みなとと鉦のが入り混じる。これが光の果てであろうか。死にゆく者の見る夢か。

 光だからだ、と語る男の笑くぼがよぎった。あるいは煌々と月の照る夜が。文机に肘をもたせ、ほほ笑む女人のまなざしが。


――むめは、無名むめよ。貴方は何者でもなく、何者にでもなれる。


 まことに。

 まことにおれは、成れますか。比売神の子ではない、名もなきただの人の男に。むみょう様。


「――……、」


 ふ、と額を拭われる心地がして目を覚ました。

 とたんに、おのれの肉と汗の重みで息が止まりそうになる。喉の奥で小さく呻くと、むめの額を拭っていた人影が手を止めた。


「むめ殿」


 鋭く、安堵と強張りに満ちたささやきである。声のぬしがむみょうと知って、むめはゆるりと瞬きをした。

 いくらか目の前が明らかになり、むみょうの青ざめた顔が浮かび上がる。牢の戸が開いていて、そこから月の光が漏れ来ているらしかった。むめは縄を解かれ、どうやらむしろのうえに転がされている。


「むみょう様、」

「静かに。黙ってこれをお飲みなさい」


 むみょうはふところから薬らしき包みを取り出し、むめの口に粉を流し込んだ。竹筒の水も注ぎ込まれる。いくぶんかは口の端からこぼれ落ちたが、おおかたは喉を通った。干上がった身にすんなりと沁みてゆく。

 むみょうはむめの唇を拭い、顔や腕の傷に涼しいにおいのする草を擦りつけた。


「いま飲ませたのは痺れ薬。いっときだけれど痛みを散らせるわ、傷に貼った草もそう」

「むみょう様は、……薬師でいらっしゃいましたか」

「このよわいになれば、いろいろと生きる浅知恵がつくものよ」


 むみょうはぎこちなく笑み、むめを抱き起こした。

 いまだ肉は重だるかったが、確かに痛みは引きつつある。頭もとし、立って歩けそうな気配がした。

 むみょうはむめの首に手を添え、目の底まで覗き込むようにして言った。


「お逃げなさい、むめ殿。そして生きるのよ」

「……生きたとて、」


 何になりましょう、と力なく目を伏せる。

 むめには生きる甲斐がわからない。なにも持たない。であるのにここから逃げたとて、また連れ戻されるだけではないのか。さすれば、むみょうの身にも咎が及ぶ。そのくらいならば、ぬるい泥に沈んで死ぬるほうがよい。

 むめの諦めを感じ取ったのか、むみょうは目を吊り上げた。頬をはたかれる。


「ではなぜ、幾度も私のもとへ来たの。話を聴いたの。貴方の目はかつえていた、生きるよすがを求めて渇いていた。貴方は生きることに焦がれていたわ、だから私は迎え入れたのよ」

「ですが、」


 反じようとした瞬間、むみょうは目でむめを封じた。むめの衣の襟を開き、無理やりに巻物を押し込んでくる。


「貴方ががえんぜぬのならば、役目を上げましょう」

「役目?」

「そう、これは密書。私がこのやしろで見聞きして書き溜めた、やしろの汚濁をつづった巻物。これを世に知らしめなさい、そして穢れをすすぎなさい。この真奈の国が、まことにうるわしの国で在り続けるために」

「……むみょう様は、物語を書いていらしたのでは」


 そう問うと、正面からむみょうのまなざしと交わった。むみょうは眉を寄せ、苦しげに目を細める。


「書いていたわ、物語も。けれども合間に気づいてしまった。このやしろは――腐れている」


 長くやしろに仕えていれば、おのずと闇は忍び込んできた。むみょうはひそかにその見聞を書き留め、いずれ誰かに託すつもりであったという。


「お繋ぎなさい、これを後の世に。生きる甲斐が見出せぬのなら、私が貴方の甲斐になるわ」

「――」


 しん、と頭の芯から冷える。刃を突き交わすような静寂があり、やがてむめは息を吐いた。

 それからふいに、むみょうを横ざまに張り倒す。続けて、あたりに放られていた縄でむみょうの腕をくくった。


「お許しを。神官に責められたら、わたくしに脅されて手を貸したのだと仰ってください」


 衣の袖を破り、むみょうの口に噛ませる。むみょうは落ち着いた顔で頷いた。

 むめは笑みを返し、立ち上がる。薬が効いているらしく、つねよりも身軽になった心地さえした。


「ありがとう存じます、むみょう様。お慕い申し上げておりました」

――母のように、姉のように。あるいは恋う人のように。


 棘のような痛みを払い、歩み出す。むみょうは鼻を鳴らして答えたようであった。

 牢の戸をひらいて出ると、牢番はかたわらで高いびきを掻いている。脇には酒のへいが転がっており、おそらくこれも、むみょうが何か混ぜたのだろう。むめはその手管に微笑した。


――恐いお方。


 牢番の腰から小刀を抜き取り、袴に差す。空を仰げば月が明るい。早く去らねば追手がかかるだろう。

 ひやりと晩秋の風が吹き、周囲の梢をいっせいにさざめかせる。むめはその風を胸に吸い込み、地を蹴って駆け出した。

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