なんかもういろいろ救えない状況になってきてるんですが

 エルクにもシヅマの緊迫した様子が伝わってきて、文句一つも言わず、言うとおりに壁に張りつく。


 石の床に何か金属が擦れ合うような響きは次第に大きくなっていく。何かの影が視界に入った瞬間、シヅマは床に散らばるスケルトンの骨を足で掬い上げると、影めがけて蹴りつけた。


 骨は緩やかな弧を描きながら、影へ吸い込まれるように飛んでいく。次の瞬間、小さな打撃音と棒で打たれた野犬のような叫び声が反響した。


「あれ? この声どこかで……あっ! レティじゃないか! シヅマ、落ち着け!」


 実のところ、シヅマは至って冷静だったし、現れたのがレッティールであることも知っていた。本気なら、スケルトンの骨ではなく、彼らが装備していた剣や槍などを投げつけている。


 つまりはすべて終わったあとに遅れて、のこのこやってきたレッティールに対する意趣返しである。


「くぅ……いたた……一体何なんだ?」


 ぼやきつつ、現れたレッティールは独房の扉のような鉄板を手にしていた。盾と言うには大きすぎ、本当に鉄扉を持ってきたと言ってもあながち間違いでもないかもしれない。実際、格子のついたのぞき窓もあるから、ますます独房の扉めいて見えてしまう。


 レッティールはずっとこの鉄盾を延々と引きずってきたというわけで、ついてこられずに置いていかれたというわけでもある。


「やぁ、レティ、ご苦労様。で、再会した早々こんなこと言いたくはないんだけど、その盾、邪魔じゃないかな?」


 労をねぎらいながらも、苦言を呈するあたり、エルクの教師としての適性は十二分に備わっていると思わせるものがある。主従のやりとりに関わりたくないから、少し離れてみていたシヅマもエルクの態度に少し感心したように眺めていたが、ふとレッティールから救いを求めるような視線を送られてきたので、シヅマはすっとぼけてみせた。いや、ここぞとばかりに責めてみた。


「オレもそう言ったはずだが、あんたはオレの助言なんて聞き入れる気はないって突っぱねたよな。オレのこと、嫌いならそれでもいいんだけどさ、せめて自分の吐いた言葉の半分くらいはやってくれよ」


 シヅマでさえ、身体機能が大幅に上昇する隷鬼状態となり、さらに本気でないと、持ち上げることすら適いそうにない大盾を、レッティールが扱えるはずもない。ここまでその大盾を引きずってきた体力だけは賞するに値するかもしれないが、労力に見合った価値があるわけではない。


 しかも、シヅマが敵をあらかた掃討したからそんな余裕もあったわけで、もし、他に敵がいたら、レッティールは反撃することもできずに屍をこの迷宮に晒していただろう。そのまま新しいスケルトンの仲間になっていたかもしれない。


 そもそも戦場に遅参するなど聖騎士にあるまじき不名誉なのではないか。そう詰りたい気持ちもあったが、敵味方から異口同音の批判を浴びせられ、悄然としているレッティールにこれ以上責めるのも気が引ける。たとえわかり合えずとも、何かの縁で結ばれた仲間との溝を広げる必要はない。もっとも、本音を言えば、さっさとこんな関係、ぶっ壊してやりたいくらいだが。


 今のシヅマには言論の自由もなければ、思想の自由も存在しない。今のところ、状況に流されるしか手がないのだ。


 一方で、レッティールにも制限がある。主人の命には逆らえない騎士の誓いというやつだ。泣く泣く盾を近くの壁に立てかけ、ごく短時間ながらも相棒だった大盾の表面を名残惜しそうになでた。


 別離の儀式をすませると、レッティールは自身の鎧の背部にある一枚板のような鋼板を外し、それを盾とした。


 先にそれを使えと言いたくもなるが、シヅマは言葉を飲み込んだ。言ったところで詮無きことだし、何よりもこれ以上雰囲気を悪くしたくもないからだ。それでも渋面を作ってしまうのは、もう生理現象だからどうしようもない。


「さて、これでめでたく三人が再会したところで、再び出発しようじゃないか! 目指せ、最下層!」


「やる気を削ぎたくはないんだが、ここ最下層だぞ」


「何だって?」


「いや、最初に言ったじゃねえか。組合でここのこと聞いてきたって。縦穴下って、二層目が最下層」


「そうなの? うーん、何だか迷宮って感じがしないなあ」


 その点はシヅマも同感だった。ほとんど一本道のようなもので、迷うようなところがない。一体何を考えて、こんな「迷宮」を造ったのか。


「まあ、考えるだけ無駄だな」


 シヅマは即座に理解を諦めた。エルクを見る限り、そのご先祖様のアイローグ卿もまた常人の理解の及ばない天才か、あるいは変人だろうから。


「迷宮についての考察は後回しにするとして、見たとこ、もう敵もいないみたいだし、隠し部屋を手分けして探そう。ああ、でも、もたもたしていると、このスケルトンも復活してしまいそうだし……うん、よし! 決めた。隠し部屋の捜索はボクとシヅマでやることにして、レティはここで祝詞を唱えててくれないか」


「は? いや、ですが、わたしはまだ神官としては未熟でして……」


「ああ、いいんだ、別に。キミのように信心深いものがただ言葉をなぞるだけでも効果があるんだ。彼らを消滅させなくても、復活までの時間を稼いでくれればいいのさ」


 なるほどなあと、シヅマはエルクの説明に感心したすぐあと、不信心者の自分には何の意味もないと気づき、ただため息をつく。


 呪術に関わること、すなわち世界の闇の部分に触れる旅をする以上、今後も聖職者が必要となるわけで、その意味ではレッティールの存在は重要度を増したことにもなる。


 得心がいかないものを感じているシヅマをよそに、レッティールは詠唱を始めた。歌にも似た調子の祝詞はレッティールの美声も相まって、迷宮の淀みきった空気を浄化するかのようだ。


 シヅマによって残骸にさせられたスケルトンもごくわずかに削れるように浄化されていく。とはいえ、この調子では何時間も歌って、ようやく一体消えるかどうかだが。


 ともあれ、ここはレッティールに任せて、シヅマとエルクは二手にわかれて、隠し部屋などがないか、探索を続けた。さほど広くはない迷宮なのに、シヅマは何一つ見つけることができなかったが、小一時間ほどして、エルクが快哉を叫んだ。


「あった! これだ!」


 シヅマが声のした方へと行ってみると、エルクは両手にそれぞれ眼鏡と本を持っていた。どちらも真新しそうに見えるのは、呪いがかかって、不変の属性を得たからだろう。いやな予感しかしなかった。


 それなのに、エルクは本を片手に開いて、早速眼鏡を装着しようとしている。止めさせようと、シヅマは手を伸ばしたものの、途中でその手が止まってしまったのは、一度はその身に呪いを受けてみればいいとどす黒い感情が渦巻いたからだ。そうすれば、人の苦しみが少しはわかるだろうし、何よりも呪い仲間ができるのは暗い愉悦をもたらした


 そこではっと自分自身の内に巣くう邪念に気づき、急速に勢力を拡大し始めた良心に従い、再び手を伸ばすも、すでに遅かった。


「ほうほう、これはすごい!」


 エルクは鼻息荒く興奮しながら、自分の研究室から持ってきた呪具を手に取っては、ひっくり返し、様々な角度から見始めた。その様子が実に楽しげだったのが、癪に障ったシヅマはあえて大きく声をかけた。


「おい、一人ではしゃいでないで、何が起こったのか、説明してくれよ」


「おっと、冷静沈着なボクとしたことが……ただね、シヅマ、これは大発見だよ。これでほとんど進まなかった呪術研究が一気に加速する代物なんだから」


「そいつはよかった。で、具体的に何の呪具なんだ?」


「ふっふっふ、聞いて驚け、シヅマ。これはね、なんと呪いの構成式を見ることができる呪具なんだ」


 そう言われても、何がどうすごいのかがわからず、シヅマはエルクと感動を共有することができずにいた。


 シヅマの反応の鈍さに一瞬苛立った表情を浮かべたエルクだったが、すぐに自分の説明が悪かったことに気づき、一人得心したように頷いた。できの悪い生徒を前に、結論を急いだようだ。


「要するにだね、この眼鏡を通すと、どんな呪いなのか、一発でわかるって代物さ」


「それって、初めて会ったときに、おまえが出した道具みたいなものなのか?」


「よく覚えていたね。あれは施された呪術の量、すなわち呪量を量るためのものさ。特殊な加工を施した水晶レンズを通して、呪物を見ると、その周囲に赤い靄みたいなものがかかっているのが見えるんだ。ボクがあのとき驚いたのは、あの酒場が真っ赤になるくらいの呪量が見えたからってわけ」


「なるほど。それでこいつとの違いは何なんだ?」


「いい質問だね。呪いの構成式がわかると何がいいのかってのは、反対の構成式をぶつけてやれば、相殺される、つまりは解呪できるってことになる。解呪ってのも、言ってみれば、別の呪いに上書きするって意味だからね」


「ってことは、オレの棍棒も相殺式を見つけることができれば、こいつから解放されるってことだよな? 何だよ、すげえじゃん!」


「うん……まあ、そうなんだけどさ、まずはこいつでキミの棍棒を見てごらんよ」


 エルクは眼鏡を外して、シヅマにつけてやった。この時点でエルクは憑の呪いにはかかっていなかったということになり、シヅマとしては悔しい限りだが、その前に自分の棍棒に描かれていた構成式のまがまがしさを目の当たりにして、思わずうっと呻いてしまった。


「何じゃ、こりゃあ?」


 シヅマが見たのは、この世界のどの文字にも当てはまらない、狂気に陥った画家が筆が走るままに描いた複雑な文様だった。それが幾重の層になって重なり、見る角度によっては黒く塗りつぶされたかのようになっている。


「解読するにも時間がかかるし、その反対の式ともなれば、存在するのかどうかも……まあ、とりあえず正体がわかっただけでもよしとしないと」


 エルクは努めて楽観的に振る舞っているが、シヅマは全くその考えに乗れない。確かに呪いの詳細がわかったのは前進だが、対処法がないのでは話にならない。いっそ何も知らない方が気楽だったと言えよう。


 解呪のための旅がまだまだ続く。もしかしたら、そちらのほうがシヅマにとっては精神的打撃が強かったかもしれない。

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