第2話 さあ、冒険の始まりだ! なんて意気込んでみたら、大抵ろくなことにはならない。

胸糞迷宮に潜ってみた

「うわぁ! シヅマ、こっち! こっちから来てる!」


「くそっ! めんどくせえな!」


 シヅマは前から襲いかかってくるスケルトンという動く骸骨の胸骨から頭蓋にかけて、棍棒を下から払うように打ち砕くやいなや、振り返る手間も惜しんで、声のした方へと跳躍した。


 そのままエルクの頭上を越え、今まさに剣を振り下ろそうとしていたスケルトンに対し、宙で身体を捻る勢いで棍棒を振り回し、武器ごと頭骨を粉砕する。


 着地すると、シヅマの身体は踊り手のように回転しながら滑っていくも、止まるのを待たず、床を蹴って、すぐに次の敵へと向かう。


 敵は寡勢で、呪術で動く鈍重な骸骨人形でしかないとしても、結集されれば戦いづらくなるし、包囲されればなおさら厄介でもある。


 しかも、不死の存在なので、気が滅入るほど頑丈だ。幸いと言うべきか、彼らは打撃に弱く、棍棒を持つシヅマからすれば、実に相性がよかった。


 獅子奮迅の働きをするシヅマだが、己の状態を自覚する余裕などない。包囲されないよう、エルクを傷つけられないよう、ただ必死だっただけだ。


 シヅマが必死になるのは、縁あって妻となった女性の身を案じたからではない。いや、ないことはないが、決して主たる理由にはならない。


 シヅマとエルクの間で交わされた呪いの結婚指輪のせいである。


 この指輪には「同害応報」という厄介な呪いがかかっている。端的な例を挙げると、対になった指輪を嵌めたもののどちらかが怪我を負ったとき、もう一方もまた同様の怪我を負うことになるのだ。


 町中で呪いが発動すれば、誰かが助けてくれるかもしれないが、今の状況でエルクが重傷を被ることがあれば、二人そろって動けなくなるというわけである。


 その逆もしかりだ。いや、むしろさらに危険性はいや増す。と言うのも、シヅマは冒険を通して、ある程度痛みに鈍感になってきているが、温室で育ってきたエルクはそうではない。ちょっとした怪我でも、彼女の受ける苦痛は相当なものとなるだろう。その場で動けなくなるのはほぼ必定。ただでさえ足を引っ張られてるというのに、それがさらに重しとなるのは間違いなく、シヅマとしては自分自身も迂闊に傷つけられない戦い方を強いられる羽目となったというわけだ。


 誰かを守りながら戦うことがいかに難しいか、瞬時に最善手を選ばねばならないことがいかに心身を摩耗させるか、事態を少し甘く見ていたシヅマは当面の敵を片づけたあと、壁にもたれかかり、荒い呼吸を整えねばならないほど消耗した。


 すでに纏神も隷鬼も使いすぎた。淀み、濁っていくような感覚が緩やかに体内を蝕もうとしている。


「いつ以来だ? こんなに疲れたのって」


 五感を高める纏神はともかく、普段の限界を超えた力を出せる隷鬼を使い続けるのは危険が大きい。


 しかも、隷鬼を使っているときは身体の異変には気づきにくく、下手に使い続けると、限界の限界を迎えたとき、糸の切れた操り人形のように全く動けなくなるのだ。


 過去、何度か経験したが、意識がはっきりしているのに身体が動かせないのは恐怖でしかない。幸運にもいずれの場合も修行時に起きたもので、もし敵対者の前だったら、確実に命を奪われよう。


「全力で戦えるのはあと二回か、三回か……?」


 隷鬼を使わなければ、もう少し戦えようが、被害を受ける可能性も高まるはずだ。ここは一旦退いたほうがいいだろう。そう思って、エルクへと向き直ったとき、彼女は鷹揚な態度で自ら近づいてきた。


「やあやあ、シヅマ、ご苦労様。さすがはボクが認めた、いや、見初めた旦那様ってところかな? いやいや、ボクの目に狂いはなかったってごど!」


 エルクの戯れ言が異音とともに強制終了させられたのは、シヅマがエルクの額に棍棒の先を押しつけたからだ。死闘の直後で気が立っていたシヅマはさらに棍棒を捻りつつ、エルクに向かってすごんでみせた。


「戦闘時はオレに従うってのが大前提だったよなあ? 何で、おまえ、壁に張りついてろって言ったのに離れてんの?」


「いや、張りついていたさ! 『我、壁なり』と念じながらね。我ながら見事な壁っぷりと自賛したいくらいさ。それなのに、奴らときたら、ボクめがけて襲いかかってくるんだから!」


 憤然と抗議するエルクだったが、ふと何か閃いたように顔を輝かす。


「はっ! そうか! 謎が解けたぞ! いかに壁になりきっているとは言え、ボクから発せられる神々しい気配は隠しきれなかったって……ぐぉ! や、やめろぉ! ぐりぐりするなぁ! い、いいのか? ボクが新しい世界の扉を開いてしまっても!」


 確かにエルクに特殊な性癖に目覚められても困るので、シヅマは捻り棍棒の刑から解放してやった。


 エルクを責めたところで無益なのはわかってはいるが、旅の前にしていた大言の十分の一も役に立たないとなると、せめて釘だけは何本も刺しておきたいところだ。


「頼むから、オレが戦っているときはどっか物陰でじっとしててくれ。うろちょろされると、気が散って仕方がねえ」


「ボクだってそうしたいのはやまやまだけど、キミの姿が見えないと胸が締めつけられるように苦しくなるんだから、もうどうしようもないじゃないか」


 まるで恋する乙女であるかのようなエルクの科白だが、そう言わせているのは、彼女の本心ではなく呪いのせいだ。指輪に秘められたもう一つの呪いが「離別不安」である。読んで字のごとく、離れると不安に駆られるというものだ。


 纏神が使える関係上、外部からのあらゆる精神攻撃に対する耐性を持っているに等しいシヅマからすれば、実害はあまりないのだが、感情を抑制することをあまりしないエルクへの影響は極めて大きかった。


 何をするにも、シヅマがいないと不安になり、とにかく傍にいたがるのだ。不安が消えると、呪いに踊らされている自分自身に腹が立つのか、しばしばシヅマに向かって八つ当たりの蹴りを見舞わせることがある。その都度、同害応報により、蹴った箇所と同じ場所が痛み、蹲るなんてこともしょっちゅうだ。


 その上、蹴られたほうは蚊に刺された程度にも感じていないので、不公平感も甚だしい。


 ともすれば、罠にかけたエルクのほうがシヅマ以上に損害を被っているが、こんなにも有害無益な呪具がなぜ存在しているのか、何気なく尋ねたところ、その手の専門家は講義口調で答えてくれたものだ。


「どうしてこんな呪いが存在するかって? シヅマにしてはいい質問だね。この指輪が作られた当時、貴族の間で不貞行為が流行していたんだ。不倫はすべきという考えが横行していてね、しないほうがむしろ魅力がないと馬鹿にされたほどさ」


 今でさえ、腐敗した面が目立つ貴族連中のさらに輪をかけてひどかった時代があったらしい。倫理観の欠如した特権階級というのは手に負えない。なんとも恐ろしい話だが、そこで終わらないのがなお恐ろしい。


「もちろん、そんな当時でも風紀紊乱を嘆かわしく思うものはいたさ。そこで心ある人たちはとある呪術師に相談を持ちかけた。それがボクの遠いご先祖様であるアイローグ・エシトスージュ卿ってわけだ。かの偉大なるご先祖様はこうしてこの指輪を作ったんだ」


 どれだけの切羽詰まった事情があったかは知らないが、夫婦関係を強固にするのに呪いを用いるとはなんとおぞましく、薄ら寒いことだろうか。


 しかも、この先、さらにひどいオチが待っているのだから、もう救いようがない。


「その時代の統計を見る限り、この指輪によって、確かに不貞行為をするものが減ったというのは事実さ。でもね、どんな良薬にも副作用があるように、問題もあったのさ」


 その先は聞かずとも容易に推測できる。


 離別不安により、夫婦は離れた場所での生活が不可能となり、同害応報によりどちらかが害されれば、同様の被害を受けることになるのだから。


 特に後者は深甚な被害をもたらした。どんな英雄豪傑でも配偶者はその限りではない。その指輪をつけていれば、英雄とは真正面から戦わずに、その配偶者を襲えばいいのだ。


 グラン・ノーマンセリア帝国滅亡後、西邦世界を一つにまとめようとした覇王ムルカリムの覇業を支えた名将オイトセフェドもその妻が凶刃に倒れたことにより、彼は何もない場所で命を落としたという。右腕を失った覇王は統一戦争を続けたものの、敗北が続き、失意の中で没したと史書は記す。


 そんな指輪が巡り巡って、今自分の左手の薬指に嵌まっているのを見ると、感慨深くなるかと言われれば、けっしてそうはなれない。歴史的にどうとか言われても、シヅマの許容量は呪いの棍棒だけですでに埋まっており、新しい呪いを受け入れる余裕はないのだ。


「なあ、頼むから、この指輪外してくれよ。戦いづらいわ」


「それは駄目だ」


 懇願を即下に拒絶され、シヅマは鼻白みはしたものの、すぐに食ってかかった。


「何でだよ?」


「だって、その指輪がないと、キミはボクのことを守ってくれないだろ?」


「さすがにこの状況で見捨てるほど、悪党でもないつもりなんだがな」


「ああ、言い方が悪かったね。確かにキミはボクを見捨てるような真似はしないだろうさ。でも、命がけで守ってくれるとも思わない。キミとボク、どちらかしか助からないとなったら、キミは絶対に自分の命を取るはずだ。無論、ボクはそのことを責めやしない。むしろ当然だと思うさ。だけど、それじゃ困るんだ。キミにはボクを命がけで守ってもらわなきゃ。そのためにこんな外道な手段まで使ったんだから」


 人道を外れた行為をしているとエルクが自覚しているのは結構なことだと、シヅマは胸中で嘲笑したが、すぐに自嘲へと取って代わる。


 要はエルクの覚悟と狂気を見誤っていたわけだ。同害応報でシヅマが受ける苦痛を自分も受けるなど正気の沙汰ではない。もっとも、エルクの場合、そこまで考えていたかと言えば、そうは見えないのだが。時に猪突はいかなる策にも勝るものらしい。


 そうなると、この指輪の解呪するには、呪いという強制力がなくても、エルクを守るという信頼を勝ち取るほかない。


 いっそ、左手の薬指でも切り落としてやろうと考えはしたが、それで呪いが解ける保証はどこにもなく、ただ単に指を一本失うだけの結果に終わる可能性もあるとすれば、それは最後の手段だ。


 それにしてもと、シヅマは思う。エルクのご先祖様がこんな迷惑な代物を作り出し、子孫が後先考えずに使うなど、まるで自分一人に呪いをかけるためだけに行動しているとしか考えられなくなる。無論、そんなわけがないので、シヅマはただため息をつき、つい思いが口をついて出た。


「おまえのご先祖様って、馬鹿なんじゃないの?」


「んなっ! いくら何でも口が過ぎないか? いいかい? こんな小さなものに呪いを二つも込めることがどれだけ難しくて、どれだけ大変か、キミはわからないからそう言えるんだ。もうこの呪術が失われて久しい今となっては……」


「あー、わかったわかった。失言についてはわびるよ」


 エルクと口論などしたくないシヅマはあっさりと前言を撤回した。正直なところ、呪術なんてものはこの世から一切なくなってほしいとすら思っているので、「呪い大好きっ娘」のエルクとは議論などできるはずもないし、する気もなかった。


 代わりにシヅマはつい先刻倒したばかりのスケルトンの残骸を無感情に見下ろしながら、吐き捨てた。


「でも、悪趣味だってのは間違いないな」


 声にも表情にも出さないが、シヅマの纏神の外側は忌避感と嫌悪感が渦巻いて、中に入ろうと藻掻いている。


 元来、スケルトンは白骨死体に負の想念などが入り込んで、自活する魔物である。肉がついていれば、ゾンビ、もしくはグールなどと呼ばれる存在となる。


 ここで問題となるのは、それらが呪術で比較的簡単に作れてしまうことだ。エルクのご先祖様アイローグ・エシトスージュが造ったとされる地下迷宮に潜ってから、今に至るまでどれだけの数のスケルトンに出くわしたことか。材料となった白骨遺体の数を見る限り、死者への冒涜が茶飯事だったことが推察できる。


 アイローグの人間性が唾棄すべきものであるのは他にもある。このスケルトンたちは一体一体異なる外観をしていて、いずれも地上に存在するいかなる生物の骨格ではないということだ。


 あるスケルトンは人の上半身と蜘蛛のような下半身を持ち、またあるスケルトンは全身が魚のような骨格で、地上ではのたうち回ることしかできないなんてものもいた。どうひいき目に見ても、アイローグが死者を冒涜し続けた証左となろう。


 さらに救えないのが、この地下迷宮が「死んだ遺跡」であることだ。死んだ遺跡というのは盗掘されつくし、銅貨一枚すら落ちていない、冒険者にとってうまみのない場所という意味だ。


 シヅマは地下に潜る前、最寄りの街の組合で情報を仕入れていた。情報料はさほど高くはなかったが、無駄な出費となってしまったのが痛恨の極みである。


 エルクとも情報は共有したのだが、彼女はなぜか自信ありげに微笑みつつ、一冊の手記を取り出した。装丁から紙に至るまで、今にも崩れ落ちそうなそれはアイローグが残したものとされ、血縁にしか開けない呪いがかかっていたのだという。そこでエルクは己の由緒を初めて知ったというわけだ。


「この手記を解読したところ、彼の地下迷宮には隠し部屋があるとのことなんだ」


「隠し部屋ねえ……そんなのちょっと気の利いた盗賊がいたら、あっという間に見つかりそうなものだがな」


「ふっふっふっ、甘いなあ、シヅマは。その隠し部屋に行くために必要なのが、この解呪された手記なのさ。この手記はボクが引き取るまで、解呪されてなかった。と言うことは、手つかずのお宝がそこにあるんじゃないのかな?」


 エルクほどには、シヅマはおめでたくはなれなかった。確かに高度な呪術を操る呪術師が隠し部屋を拵えてまで、残したかったものには興味がある。それを差し引いても、この迷宮の胸くそ悪さを考えると、ろくなものが残っているはずがないとも思うのだ。


 シヅマがあまり乗り気には見えなかったので、彼の心情を察したエルクは努めて明るい声で形式上の夫を励ました。


「キミの考えていることはわかるけども、そう悪く捉えないほうがいい。何があるのかはわからないし、ボクのご先祖様が人でなしみたいなのは確かかもしれないが、所詮は道具に過ぎないわけだよ。要は使い方次第、使う人間次第ってやつさ」


 一般論ではあるにせよ、一理あるので、一度は頷きかけたシヅマだが、どこか引っかかるものを感じ、胸にわだかまる靄に小さな不快感を覚えた。何気なしに視線を落としたその先に見えた左手に鈍く光る指輪を認めた瞬間、シヅマの纏神が剥がれ落ちた。


「ああ、くそっ! その科白、おまえが言っていい言葉じゃねえだろうか! 何が道具は使いようだよ! 思いっきり呪いを悪用してんじゃねえか!」


「まあまあ、過ぎたことを責めても仕方ないだろう。そんな小さなことに引っかかっていたら、大きくなれないぞ」


「それもおまえが言うな! その言葉を借りるんなら、おまえこそ引っかかりすぎなんじゃねえの?」


「ぬあっ! 人の努力でどうにもならないことを責めるのはずるいぞ! 人間は外見じゃなく、中身で勝負すべきなんだ!」


「散々美少女ってのを前面に押し出しておいて、今更何言ってやがる? だいたいな……」


 ひょんなことから始まった夫婦喧嘩をシヅマが一方的に中断したのは、妙な異音が彼の鼓膜を震わせたからだ。すかさずシヅマは身構えると、エルクには近くの壁に寄るよう身振りで伝えた。


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