身体を張るってそういうことじゃないと思うの
「くそっ……こいつら、オレを酔い潰してどうするつもりだ?」
意識を失いかける瞬間に抱いた疑問は、シヅマの体感時間においてはごく短時間の内に答えを与えられることになる。そのことがシヅマに例えようもない徒労感をもたらすことになるが、まずは経過をたどるべきだろう。
シヅマの意識が無意識の深淵から浮上したとき、最初に襲ってきた感覚は頭部の不快な疼痛だった。飲み過ぎた次の日に大半の人がなるという二日酔いだ。
目を開けてみると、投宿している部屋の天井が映った。
シヅマは何が起こったのか、整理するため、ベッドで半身を起こしかけたとき、ふと手をついた場所がシーツの上ではなく、何か少々の柔らかさと堅さを併せ持つ何かに触れた瞬間、蛙の断末魔のような喘ぎ声がすぐ傍から聞こえた。
「ぐぇ……キ、キミは朝から激しいな。だけど、昨夜に比べれば、ねえ?」
今目覚めたと言わんばかりにあくびをしつつ、ベッドの上で半身を起こしたエルクと目が合ったとき、シヅマは心の中で絶叫した。何かされるだろうと覚悟はしていたが、よりにもよって色仕掛けはないだろうと思うのだ。
胸元に寄せたシーツの下は全裸であろうことはあらわになっている背中を見れば瞭然ではあるのだが、何一つそそられないし、たぎらないのだから、身体を張った策謀は今や喜劇と化した。
二日酔いと心労から来る頭痛に苛まされながらも、シヅマとしては尋ねざるを得ない。たとえ、相手の手が底の底まで見え透いていても、確認作業は大事だ。
「何でエルクさんはオレのベッドに潜り込んでるんですか?」
「おいおい、ひどいじゃないか。酔い潰れたキミを介抱したボクに襲いかかったくせに。全く……昨晩のキミは獣だったよ」
やれやれと言わんばかりに首を振るエルクへ殺意に近い負の感情を抱きそうになったシヅマだが、暴発しなかったのは事態が相当悪いというところは認識しているからだ。
エルクと「最後までいった」ことはないと確信を持っているにせよ、「やっていない」証拠というのは証明するのは難しい。
古来より使われてきた安くて、陳腐な手だが、一向に廃れないのは防ぎようがないからだ。その上、この世のあらゆる生物の雄は自分の子孫を残すためだけに生を受けたと言っても過言ではないので、引っかかるのはもう必定なのである。
だからといって、このまま放置すれば、「児童」への性行為の強要で官憲に逮捕されるか、あるいは弱みを握られ、エルクの奴隷と化すしかない。
どちらにせよ身の破滅が待っていることだけは疑問の余地がない。逃げる機を誤ったことを後悔しつつ、現況を打破するための反論に打って出た。
「いや、それはおかしい。心ある人はオレのことを指して、理性の人って呼ぶくらいだし、そんなオレが酔ったくらいで女性を襲うことなどあろうか。いや、ない」
誰もシヅマのことをそう呼んではいないし、そもそもシヅマの名はようやく売れ始めた頃なので、そんな彼に誰かが評を下すことなどないわけだが、そこは何ら反証にはならない。
エルクもその点は分かっているのだろう、わざとらしく驚いた様子を見せ、反論とも言えないシヅマの主張に余裕をもって反駁してみせた。
「この期に及んで、言い逃れをしようだなんて、ずいぶんとみっともない真似をするじゃないか。だけど、キミがごねるのは想定内。そう思って、ちゃんと証人を用意したよ」
エルクはそう言って、指を鳴らそうとしたが、うまくいかずにやむなく手を打って、簡易法廷と化した宿屋の一室に証人を召喚した。おずおずと入室してきたのは、予想通りレッティールである。彼女は入ってくるなり、唐突に証言を始めた。
「わ、わたしは確かに見た。この男が嫌がる主を無理矢理自分の部屋に連れ込むのを。ああ、なんとお労しい。わたしにあの男の暴力を止める力がないばかりに……」
どんなにひどい劇があったとしても、これ以下はないであろう寸劇を前に、シヅマの心はどこまでもよどんでいくのを感じた。原因は間違いなくレッティールの演技力のなさではあるが、聖騎士に女優としての才能を求めるのは酷な話だろう。
その上、目の下の熊を見ると、徹夜で努力したであろうことが窺われて、責める気もなくなるというものだ。
聖騎士という社会的信用の確固たる証人を出しながらも、下手な小芝居のせいで信憑性は著しく低下したことで、エルクも少なからず動揺したようだが、彼女はどこまでも虚勢を貫いた。
「ふ、ふふ、どうかな? これでもまだキミは抗い続けるのかい?」
「はあ……これだけは言いたくなかったが」
シヅマには切り札があった。できることなら切りたくはなかったが、もはや切る以外に自己の潔白を明らかにする術がない。「イタイケ」な冒険者をここまで追い込んだエルクとレッティールに全責任がある。
「いや、やっぱりオレはやってない。だって、オレ、おっぱい大きい方が好きだもん!」
最低の告白、それだけに効果は極めて大だった。原告、原告側証人、ともに凍りついたからだ。
そのまま氷河期が到来すると思いきや、いち早く解凍されたのは当事者ではない、いや、従犯関係にあったレッティールである。解氷されたとはいえ、骨まで凍てつくような寒さはレッティールの言語能力を一時的に退化させてしまったようだ。
「ちょっ……! ひどっ!」
擁護したくても、職業柄嘘がつけないレッティールの難詰はそれ自体がシヅマの主張を裏づけていることに発言者自身が気づいていない。
その一方で、気づいてしまった首謀者は顔を茹でた甲殻類よりも赤く染め、頭頂部からは湯気が立ち上る。その小さく、凹凸の極端に少ない身体を小刻みに震わせ、目の端に涙をいっぱいためたその姿は憐憫の情を覚えさせるのに十分ではあったが、だからといって、シヅマは同情しなかった。小策士が策とも言えない小細工を弄して、溺れただけのことだ。
これで折れてくれるかと思いきや、エルクはシヅマが思う以上に精神的体力が多かった。エルクは涙を振り払い、引きつりながらも、不敵な笑みを浮かべた。
「キ、キミの嗜好がどうであれ、『やった』という事実が覆ることはないんだよ。そもそも何の反証にもなっていないじゃないか」
「自分の好みじゃない女は抱かないってのは普通のことだと思うんだが、まあ、そこはいい。それでもオレはやってないって言い切れるぜ。だって、オレ、童貞だもん! やり方わかんねえし!」
冤罪を晴らすために自らの恥部まで晒していく今のシヅマは限りなく無敵に近い存在と化した。
シヅマが女を知らないのは、偏に右手の棍棒に原因がある。世の女性は寝室まで棍棒を持ってくるシヅマを見て、大層恐怖を覚えるようで、いざという段階になって逃げ出すのである。そのときのシヅマの無念は同様の経験をしたものにしか分からないだろう。
シヅマが「清らか」であるという事実は後光となって、室内を満たした。邪念を持ったものはその中では存在を保っていられず、灰と化していく。エルクは一瞬で灰の山となり、犯罪を強いられたレッティールは慚愧の涙を流した。
しかし、エルクのしぶとさはもはや不死者のそれに近い。灰の中から不死鳥ならぬグールのごとく強引に復活を果たした。
「く、くくくっ、さすがはシヅマ。ボクが見込んだだけはある。すべての罠を突破するとはね」
「あ、罠って認めるのか?」
「ああ、認めようじゃないか。だけど、もう遅いのだよ。ボクが仕掛けた罠、それも最大のやつがもう発動しているのだからね! キミの左手をよく見てごらん!」
勝ち誇ったかのように不遜な笑みを浮かべるエルクの姿は単なる虚勢とは思われず、シヅマの背中には例えようもない悪寒が走る。
慌てて左手を見ると、薬指には銀色に光る指輪が嵌められていた。東邦世界の住人であるシヅマにはこの指輪がもたらす意味が理解できなかったが、本能が脳裏でけたたましく警報を鳴らしている。そのうるささを止めようと、シヅマは指輪を引き抜こうとした。
「しかし、ゆびわははずれなかった!」
どこかでそんな声が聞こえたような気がした。
いや、この際、幻聴が聞こえたかどうかなどどうでもいいことだ。この感触には覚えがあった。理解したくはないのに、勝手に頭の中で組み上げられていく答えが形になるに従い、シヅマの顔から血の気が引いていく。
「こ、これはまさか……?」
「そのまさかさ。ボクたちの愛の結晶、結婚指輪だよ。接頭辞に『呪いの』がつくけどね」
本日、特売日につき、呪いが二倍、二倍でございます。
シヅマの耳にその声が届いたかどうか、彼はそのまま気を失い、倒れてしまったので、ついに真相は聞けずじまいだ。
かくしてシヅマは西の果てでもう一つ呪いを得るのだった。
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