ポンコツ同盟

「ええ? やだよ」


 決闘後、エルクの話とやらを聞いたシヅマは言下に拒否した。その話というのが解呪に役立つ宝物がありそうな遺跡への調査に随行するというものだった。


 エルクにとって、シヅマの反応は予想を超えていたものらしく、一旦目を瞬かせると、心底驚いたように口を開けた。しばらくして、我に返ったエルクは挙動不審な様子でシヅマに詰め寄る。


「いやいや、何が不満なんだい? これからのキミの旅が彩り豊かになるって言うのに? まあ、ボクのような天才美少女と、りりしい女騎士と一緒に旅することに気後れするのは十分に理解するけども」


「えーと……いや、まあ、いろいろ言いたいことはあるけども、まずさ、なんでこの人、まだいんの?」


 シヅマの視線の先にはレッティールがいた。決闘の後、レッティールはついに鬼の抑制ができず、そのまま泡を吹いて気絶してしまったので、やむなくシヅマは介抱してやったのだが、気づいたら気づいたで、何かよからぬことをされたと誤解して、ついさっきまで詰っていたのだ。


 誤解は何とか解けたものの、レッティールは謝罪どころか、シヅマに向かって、険のある視線を返した。


「わたしがどこにいようが、わたしの勝手だ」


「いや、まあ、そうなんだけどさ、これから同行するって話になってんの、おかしいと思わない?」


「思わんな。騎士たるもの、主の意向に異を唱えるつもりはない」


 レッティールの言う「主」とやらは、その横で偉そうにしているエルクである。いつの間に結託したのかとのシヅマの質問に対し、エルクはこう答えた。


「彼女は敵討ちって名目でここまでやって来たわけだし、そのまま帰しても、いろいろ差し障りがあるだろう? だから、もうしばらく留まって、ほとぼりの冷めた頃に帰るのがいい。その間はボクの従者として、働いてもらえば、騎士として彼女自身の面目も立つ。いい手だろう?」


 打算しかないエルクの提案にレッティールは感激の色を浮かべて、快諾したのである。どうもレッティールはエルクの提案を気遣いだと勘違いしたようだ。かくして、たいそう不実で、いびつな主従関係が構築されたというわけである。


 結構なことだと、シヅマは思う。もっとも、自分に累が及ばなければの話であり、今まさにそうなりつつあるとあっては、さすがに口を挟まずにはいられないというものだが。


 シヅマは痛むこめかみを棍棒でもみほぐしつつ、状況の再確認を行うことにした。


「話を要約すると、あんたら二人がオレの旅に同行するってことなんだよな?」


「うん。うまくまとめたね。合格点をあげよう」


 エルクが先生ぶるのはいいが、いかにもできの悪い生徒がようやく及第点をとったかのように感慨深く言われると、こめかみに青筋が浮かび上がるほどのいらつきを覚える。


 シヅマは纏神が解けかかっていることを自覚し、内心で首を横に振った。この程度で心揺らぐのは単なる修練不足と言わざるを得ない。まずはエルクの真意、というよりは、魂胆を暴くのが先決だ。


「そっちの言い分は分かった。でも、一緒に冒険の旅に出るには問題点がたくさんあると思うだが?」


「ふむ。問題点の洗い出しというわけだね。嫌いじゃないよ」


「じゃあ、まず一つ。あんた、大学の先生なんだろ? それ、どうすんだよ?」


「ああ、それなら心配ないよ。学術研究のための出張という権利があるからね、それを目一杯行使するつもりさ。出張中も給金が出るから、路銀については心配いらないってわけ。どうだい? 一石二鳥だろう?」


 さて、それで金が足りるかどうか。シヅマが見る限り、エルクの食事量は成人男性のおよそ三倍程度はある。つまり、この三人で旅をするとしても、食費だけで五人分は必要になる。途中で路銀が尽きるのは明白だが、ここはまだ保留にしておいてもいい。エルクの食事風景を見たのは一度きりなので、まだ判断するのに適切ではないという消極的理由があるからだ。


 だが、次に続くエルクの科白は座視できないものがあった。


「まあ、ボクの研究を認めない奴らの巣窟に居座り続けるのも癪だし、辞めたっていいのさ。学問なんて、どこででもできるしね。ただ、彼らにはいずれ痛く後悔するだろうね。このボクが『呪王』として戻ってくるのだから」


 エルクの言う呪王とやらが何かは分からぬが、どうせろくでもないことくらいは分かる。話を半分も理解できていないらしいレッティールが王という名の響きに釣られて、エルクの妄想でしかない野心を褒めそやした。


「さすがはわたしが選んだ主どのだ。気宇壮大なこと、いにしえの覇王にも劣らない」


「はっはっはっ! そうだろう? もっと褒めてくれてもいいよ。褒めれば褒めるほど伸びる子だからね、ボクは」


 一体何の寸劇を見せられているのだろうか。シヅマは考えを深化させようとしたが、すぐにその無益さに気づいて、思考を中断した。


 このまま彼女らの小芝居を見続ける義理もなければ、趣味もないので、シヅマは空気を読むことなく、間に入って、話を続ける。


「でだ、そこの聖騎士様はともかく、街育ちのあんたにとって、旅ってのは結構きついと思うぜ。野宿するし、風呂にも入れないし、用を足すのも一苦労なんだしな」


 かくいうシヅマも街育ちだったりする。平穏だが、退屈な街での生活に飽きて、外の世界に出るために冒険者になったなどとは口が裂けても言えない。あまりにも短絡的、かつ、幼稚な発想だったと今ではそう強く恥じるからだ。


 もし、時を遡る術があるのならば、過去へ赴き、その当時の自分に懇々と説き伏せてやりたいとすら思っている。


 過去は取り戻せないが、今、安楽な生活を捨て、自ら望んで過酷な旅へ出ようとする少女の過ちを正すことはできる。普段、他人に対して、深く干渉しないシヅマも、今回ばかりは躍起になるのは、この二人と冒険の旅なんかに出たくなかったからだ。

ろくなことにならないとの予感がある。いやな予感ほど的中率は跳ね上がるのだから、もはや確信と言ってもいい。


 しかも、シヅマが抱えるであろう悩みは他人から見たら、特にどうでもいいに違いなく、誰の共感も呼ばないであろうとの予測も容易につく。


 そんなわけで、シヅマは旅というものがいかに危険で、いかに面倒かを体験談を交えて、エルクに切々と諭してやったのだ。


 にもかかわらず、対するエルクの返答はシヅマの説諭を根底から否定するものだった。


「キミは少しボクたち学者というものを侮りすぎているな。いいかい? 学者ってのは机にかじりついて、日々過去の研究を調べたり、注釈を入れたりしているわけじゃないんだ。むしろ、野外に出て、研究するのが普通なんだよ。ボクだって、旅のつらさは重々承知の上さ。でもね、その先に求めるものが見つかったのなら、つらさなんてものの数ではないんだよ」


 なるほど正論である。


 とはいえ、エルクが主張するほどの体力があるとは到底思えない。移動の途中でへばって、レッティールに背負われては、二人とも力尽きるなんて光景が目を閉じれば、瞼の裏に浮かぶようだ。


 そのとき、面倒を見る、いや、介護しなければならないのは誰か。その場に居合わせたシヅマ以外にない。ただでさえ、呪いの棍棒に悩まされているというのに、要介護の扶養者を養うなどできようはずもないというものだ。たとえ、エルクが解呪に必要な人物だったとしても、足手まといを抱えるのはごめんだった。


 そんな思いが纏神から漏れ出したのか、エルクは眉をひそめ、怪訝な表情を浮かべる。


「さっきから気になっていたんだが、どうもキミはボクたちと一緒に旅することが気に食わないみたいだね?」


「最初からそう言ってるんだけど?」


 シヅマににべもなく同意されて、エルクは身体を大きくのけぞらせながら、豚の鳴き声のような吐息を発した。


 衝撃から立ち直るまでしばらく時間を要した彼女は復活するやいなや、何を考えているのか、分からないのっぺりとした顔の東邦人に食ってかかった。


「身も蓋もないな! そうはっきり言われると、ボクらの立つ瀬がないんだが? キミには配慮って言葉がないのか?」


「そんなこと言われてもな……逆に聞きたいんだが、こんな安定した生活を捨てて、危険な旅に出る必要ってあるかって話なんだが? 調査とかはおれに任せて、あんたは果報を寝て待ってればいいだろ?」


「それは駄目だ。いいかい? キミたち冒険者なんていう野盗と変わりないがさつな連中が遺跡をあちこちいじり倒して、どれだけの学術資料が毀損され、散逸されたことか、キミは知っているかい? だからこそ、ボクのように聡明、かつ、美的なボクが監視監督することが肝要なんだよ」


 エルクは自賛するついでに冒険者のことを無意識のうちに貶めてくれたわけだが、現職のシヅマは特に怒りの感情を覚えることもなかった。冒険者などヤクザな職業であるのは間違いないし、野盗のほうがまだましというような連中もいるからだ。シヅマ自身がそう思っているのだから、救いがたいことこの上ない。


 ただ、エルクの冒険者観はこの際どうでもいいことだ。要するに前々から調査したい遺跡があるが、単身では危険が大きいため、随伴してくれる冒険者を、エルクは求めていたのだろう。そこそこ腕が立つであろうシヅマに白羽の矢が立ったのも当然の帰結である。レッティールとの決闘を止めるどころか、そう仕向けたことからもシヅマの実力を量っていたということになる。


 如才ないというか、こざかしいというか、とっさにエルクを評する言葉が思いつかないが、一つはっきりしているのが、まんまと乗せられたシヅマ自身がたいそう間抜けだったことだ。そこは自覚していることもあり、さほど不快ではなかったが、だからといって、このまま流されていくわけにもいかない。


 交渉力という能力を大砂原を横断した際にどこかで落としてきてしまったシヅマだったが、最後の悪あがきとしての一点突破を試みた。


「わかった。そっち側に問題がないのはな。だとすれば、問題はこっちだな」


「ふむ。いや、ちょっと待ってくれ。当ててみせようじゃないか……そうだな。童貞のキミは美女二人が同行するとなると、常に股間を膨らませながら……おおぅ」


 ある意味では図星を指され、纏神が保てないほど逆上したシヅマは発作的に棍棒をエルクの頬にあてがい、ぐりぐりとねじ込んだ。激情は一瞬だったが、冷静になったところで、あまりやめようとする気持ちが湧かないのはなぜなのだろうか。


「や、やめたまえ! こんな太くて、固くて、黒いものを押しつけられても、ボクが意見を変えることはないぞ。不当な弾圧には断固立ち向かう!」


 エルクはそう主張しているらしいが、「みゃ」と「ひゃ」と「りゃ」の羅列しか聞こえない。


 なので、シヅマはエルクの言い分を無視したが、エルクを主と定めたレッティールが主人の危機に黙っているはずもなかった。


「貴様ぁ! 我が主に何たる辱めを!」


 レッティールは抜き撃ちでシヅマを斬って捨てようとしたらしいが、いかんせん、室内での抜剣は困難を伴う。


 もたもたと引き抜いたはいいが、これでは抜き撃ちなどできようはずもない。やむなくレッティールは剣を振り上げようとしたが、低い天井には十字に木製の梁が巡らされていて、鋒を梁へと突き刺してしまった。勢いよく振り上げただけに、レッティールの腕力では抜けないほど深く刺さってしまったらしい。


「くっ! なんて卑怯な手を!」


 自業自得の見本市の状態であるにもかかわらず、責任の所在を向けてきたので、シヅマは刺さった剣の柄頭を空いたほうの拳で叩いて、さらに梁の中にめり込ませてやった。


 これでレッティールも存分に詰ることができよう。もっとも、聞く耳は持っていないが。


 レッティールの難詰を背景音楽としながら、シヅマはとりあえずエルクへの「棍棒ねじ込み刑」を中断してやった。話がまだ途中だったのと、まだエルクが翻意することを諦めたわけではなかったからだ。


「棍棒を突きつけたのは悪かった。だけど、まずはオレの話を聞いてくれ。確かに美女二人がいつも傍にいたら、気後れするのは間違いない」


 シヅマはあえてへりくだってみせたが、嘘は言っていない。美女二人とやらがエルクとレッティールを指すものではないというだけだ。


「ただ、それだけにいざって時に身体が動かなくなる。そうなると、二人を守り切れるかどうか、その点が危うくなるってわけだ」


「……ふむ、なるほど。筋は通っているね。しかし、キミがいない場合を想定して、レティを雇ったわけだが」


「レティ?」


「ああ、レッティールなんて言い辛いし、どうにも堅苦しいからね。愛称で呼ぶことにしたんだ」


「お、おう、そうか。でもさ、あれだよ?」


 シヅマは親指でレッティールを指さした。その先には梁に刺さった剣を抜こうと奮闘するレッティールがいる。さすがに不安になったのか、エルクの表情が曇っていくも、途中で精神的再建を果たしたのか、あるいは空元気か、急に笑殺した。


「彼女の今後の成長に期待するよ。なんたってボクは天才だからね! 当然先物買いの才能もあるはずさ!」


 エルクの態度はどうも自分に言い聞かせているようではあるが、相手がレッティールの成長に合わせて行動してくれるだろうか。


 正直、この主従の行く末がどうなろうと、シヅマにはどうでもいいことだが、問題は表面上の懸念がなくなり、エルクとの取引材料を失ってしまったことだ。


 こうなってしまっては、シヅマの選択肢は二つしか残らない。一つは全面降伏することだ。それがいやだから、散々ごね回したわけだが、事ここに至ってはもはや是非もなく、潔く受け入れたほうが精神的衛生にもよかろうというものである。


 もう一つが、極めて非人道的な方法でエルクとレッティールを遠ざけるというものだ。監禁、最悪殺害までを想定するとなれば、さすがにこの選択肢は選べないのだが、蠱惑的な響きで、後顧の憂いを断てとシヅマの耳元で悪意が囁きかけてくる。


 表面上はそう見えないかもしれないが、シヅマの内面では今、倫理と合理が覇権をかけて、せめぎ合っていた。僅差で倫理が優勢になったとき、合理側が新たな伏兵を出してきたことで戦況は一変する。


「逃げちゃえばいいんじゃねえ?」


 合理がまだ人道に適う第三の方法を出してきたことで、倫理は大将首を取られて、総崩れとなり、敗走していく。勝敗の決まった戦場に残ったのは唯一無二の解決法だった。少なくともシヅマはそう思ったし、他の二つに比べれば、遙かに穏当であろう。


 確かに何も言わずに失踪するというのはどうかとは思う。おまけに呪術の第一人者の信頼も失うことになるのだから、痛手ではある。その損失を勘案しても、やはり一緒にはいたくないのだから、これはもうどうしようもない。おそらく、多分、いや、きっと時間が解決してくれることだろう。シヅマは根拠なく未来に託すことにした。


 方針が決まったとなれば、実行までそう覚られないようにしなければならない。面従腹背こそ最善の行為だろう。シヅマはいかにもやむなくという体で盛大にため息をついてみせた。


「はあ、じゃあ、もうしょうがないな。一緒に行くのは構わないが、オレだって全部守れるわけじゃないから、そこは肝に銘じておいてくれよ」


「ふん! なんと情けない男だ! ここは何があっても、守ってやるというのが筋だろうが!」


 エルクの代わりにレッティールが吠えたが、剣を引き抜こうと悪戦苦闘している姿で言われても、説得力に欠ける。そう思いはしたが、追及することに意味はないので、シヅマは無機質な笑顔を浮かべて、レッティールに花を持たせてやることにした。


「そうだね。ごめん」


「ちょっ! な、何だ、その哀れみに満ちた目は? や、やめろ! そんな目でわたしを見るな!」


「いや、全然そんなこと思ってないよ。ほんとほんと。東邦人、嘘つかない」


「それこそ嘘だろうが! わたしが東邦世界をあまりよく知らないからって、いい加減なことを言うな!」


 あまりのうるささに辟易したシヅマは梁から剣を引き抜いてやり、そのまま床に突き刺してやった。手伝ったのだから、これ以上の文句はないはずだ。


 レッティールは唖然とした後、今度は岩に突き立った聖剣よろしく床から生えた剣を抜くために全精力を費やさねばならなかった。


 そんなレッティールを放置した後、シヅマは改めてエルクへと対する。


「さっきの話の続きだけど、それでいいってんなら、オレは構わないけど」


「仕方ないね。ないものはねだれないし。だけど、ボクだって、守られるだけのお姫様じゃないから、少しは安心してもらいたいね」


「そりゃ心強い。後ろを気にしなくていいってのは、楽でいいな」


「だろ? キミに損はさせないさ」


 頼もしい限りだが、この後すぐに今生の別れとなるのだから、エルクの戦闘に対する資質などどうでもいいことだ。


 それでも、良心がかすかに痛むのは、彼が悪党でもなければ、悪人でもない証拠であろう。だからこそ、シヅマは気づかない。陥れようとしている相手もまた自分を罠に嵌めようとしていることに。


「よし。これで契約は結ばれたわけだ。では、今夜はボクらの結党を祝して、盛大に飲もうじゃないか!」


「ちょっと待った。あんたは飲んじゃ駄目だろ」


「安心したまえ。誠に残念なことだが、ボクが飲むのは酒精なしさ」


 そこで安心したのかどうかはともかく、やはりやや気が大きくなったのか、勧められるままに、シヅマは杯を重ねてしまった。ここで注意深くエルクとレッティールを観察していれば、それぞれ焦慮と罪悪感が顔に浮かんでいるのが見えたはずで、後の災厄は防げたかもしれない。


 おかしいと感じたとき、視界に映る光景はまるで麺のように歪んでいた。いつもより酒量は少なかったはずとの思いに至り、そこでようやく一服盛られたことに気づく。


 意識が落ちかけるその瞬間、最後に見たのはエルクの不敵な笑みと、やはり罪悪感に駆られたかのようなレッティールの顔だった。


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