対戦、ありがとうございました
「さあ、二人とも言いたいことはもうないね。今度は自分たちの正しさを己が実力で証明すべきだろう。それでは、両者、尋常に勝負!」
エルクの本質は学者と言うよりは、扇動者や詐欺師に近かったかもしれない。周囲の観客の熱狂はさらに盛り上がり、これはもう血を見ずには収まらないだろう。
シヅマとしてはため息をつかざるを得ない。どうしてこんなにも平和主義を信奉している自分がこうも騒動に巻き込まれるのかと。そう悲劇の主人公ぶりながらも、外套を勢いよく後ろへと払った。シヅマの出立ちを見た聴衆から、かすかなどよめきが上がる。
西邦世界ではめったにお目にかかれないホツマ風の装いだったからだ。黒色の直垂のような服に左肩から左手まで覆う篭手と右太ももを守る佩楯を身につけただけの装備はホツマの国の人々が見れば、奇異に映ったことだろう。シヅマは具足下だけで甲冑を身に纏っていないからだ。
万年手元不如意のシヅマにとって鎧など買う甲斐性はなかったし、動きを妨げられるのも困るのである。故にこの程度が妥当と判断したのだ。
ただ、それ以上に目を引くのが、右手に握られた棍棒だった。一見すると、荒く丸太を削り出したかのような木塊でしかないのに、それ以上の加工は必要ないと思わせるほど精巧な工芸品にも見える。
東邦人という異物感に違和感しかない棍棒、その組み合わせがあまりにも奇妙だったので、つい一瞬前まで熱に浮かされていた観衆は急に静まりかえった。
すでに決闘は開始されていたが、シヅマとレッティール、両者ともに動かない、いや、動けないでいた。
一度はやる気になったものの、シヅマはこの期に及んで、どう事態を収拾すれば、最も穏当に済ますことができるかなどと甘いことを考えていたのである。
正直、敵を増やしてもいいことがないのは、師のスウンを見ていればよく分かる。若い頃は散々無茶なことをしたとかで、方々から恨まれては、ことあるごとに喧嘩を売られていた。そんな無限に続く不毛な因縁の連鎖など、考えただけでぞっとする。
そうならないためにはどうすべきか。すでに一回、彼我の実力差を見せつけて、勝利したが、それでもレッティールがわざわざシヅマを求めて追ってきたことを考えると、ここで同じことを繰り返しても仕方がない。
となると、もはや徹底的に叩いて、心を根元からへし折ってやる必要があるが、それは心情的にきつい。さすがに同じ相手を二度打ち据えるのはどうかと思ってしまうのだ。
その一方で、レッティールも動けずにいた。自然体で立つシヅマはいかにも隙だらけに見えるが、レッティールにはそう見えず、相手を見ていないかのような彼の視線もまたやたらと気にかかるのである。
このとき、シヅマの中で様々な雑念しか生まれていなかったことを知れば、彼女は激怒して打ちかかっただろうが、一度の敗北がシヅマのことを過大評価させ、容易に動けなかった。
かくして、一度も刃を交えることなく、膠着状態に陥ってしまい、一度は静まりかえった聴衆が苛立ちの声を上げた。
「おいおい、何やってんだよ! さっさと始めろよ! それとも、あれか? まさか、おまえら、二人そろって、ぶるってんじゃねえよな? 頼むから、あんまつまんねえ真似してくれんなよな!」
下品な野次に追従する下卑た笑い声とはやし立てる声が人の群れの一角から沸き起こる。その波が広がろうとした矢先、にわかにシヅマが動いた。声のした方を見ずに、棍棒の先をつまらないとほざいた男へ向けたのだ。
「だったら、次はあんたとやってやる。あんただったら、さぞかし最高の戦いってのを見せてくれるだろうからな」
肩越しに振り向いたシヅマの眼光は熱した刃のようにその男の眉間に貫いた。男の野卑な形相は凍りついたかのように固まってしまう。
見たところ、男は同業者、つまりは冒険者のようだが、どうも他者を貶めて、自らの価値を高めようという類の人種らしい。神聖なる決闘を只見したあげくに、野次るだけの実力があるのかどうか、じっくり確かめさせてもらうとしよう。
またしても、水を打ったかのように静まりかえる群衆だったが、シヅマの行為は意外な化学反応を呼んだ。レッティールが憤怒の形相を浮かべていたのである。
「貴様……次だと? もうわたしに勝ったつもりか?」
レッティールが呼気とともに怒りの言葉を発したことで、シヅマは己の失策を悟った。悪意を持って、シヅマの言葉を聞いたのならば、確かにレッティールのように誤解するだろう。シヅマにしてみれば、外野の中傷からレッティールの名誉をまでをも重んじたつもりだったのだが、裏目に出てしまった。
だとすれば、もう仕方がない。この状況を最大限に利用させてもらうだけだ。凝った肩をほぐすかのように棍棒で自らの肩を叩きつつ、シヅマは白けた表情を浮かべ、言い放った。
「ああ、ごめん、あんたのこと、すっかり忘れてた。だって、あんた、全然かかってこないんだもん。てっきり戦意喪失して、決闘を放棄したのかって思ったよ」
「おのれ……そこまでわたしを愚弄するか? いいだろう! 今すぐ斬り伏せてくれる!」
こうも煽りに耐性がなさ過ぎると、挑発するほうもいささか拍子抜けするが、レッティールの意気だけは漲ったようだ。
しかし、その後がいけない。レッティールはわざとかと思えるほど、悪手を重ねたからだ。
まず、敵前で剣を大きく振りかぶったのだ。唐竹割りでもしようとしているのだろうが、そのせいで上半身が丸々隙と化している。その隙を突くのは実に容易い。レッティールの剣が振り下ろされるよりも、シヅマが彼女の胸元めがけて、棍棒を叩き込むほうが遙かに速いが、それでは面白くもないし、退屈しているであろう観客たちの目を喜ばせてやってもいい。
不埒なことを考えている間にも、シヅマの破滅は指呼の間まで迫っていた。レッティールは怒りを自らの力に変換することができるようで、普段の彼女が出せないような一撃がまさに繰り出されようとしていた。その威力はシヅマの脳天から顎まで両断できるほどだったかもしれない。
決着がつく刹那の瞬間、レッティールが勝利を確信したのも無理からぬことだ。それを油断と評するのは、いささか酷であろう。
しかし、次の瞬間、レッティールの剣筋はシヅマの脳天から外れ、彼の右半身の線に沿うように曲がっていき、そのまま切っ先は何もない虚空を走り、地面を噛んだ。
「なっ!」
観衆はおろか、当のレッティール本人ですら、何が起こったのかが分からず、思わず驚きの声を上げる。それでも、すかさず刃を返し、シヅマがいるであろう場所めがけて、剣を振るったのは上出来だった。惜しむらくはすでにそこにシヅマはおらず、かなりの間合いをとっていたことだ。
うまくいった。シヅマは己が仕掛けた手品のできに満足の吐息を漏らすと同時に一歩間違えれば、レッティールの剣にかかっていたという可能性に思い至って、頬に冷や汗が一筋流れる。
手品と呼ぶだけに、種が分かってしまえば、実に単純なことしかしていないが、落ちかかるレッティールの剣の腹を棍棒で軽く押しただけなどと明かしても、誰も信じまい。あまりにも高速で動いたために、よほど目がいいものでなければ、シヅマの手元がかすかにぶれたようにしか見えなかったはずだ。棍棒と剣が合わさった音すらほとんど聞こえなかった。
行動は単純だが、実行は至って難解だった。レッティールの太刀筋が分かればこそ、この手品は成立したのだから。さらに纏神で全神経を一点に集中しなければならなかった。実力差があればできる芸当で、達人との戦いともなれば、できるはずもない。
他方、レッティールは恐慌状態の最中にあった。こと対決の場において、相手に何をされたのかが分からないというのは恐怖以外の何物でもない。すなわち、シヅマの太刀筋ならぬ棍棒筋が見極められなかっただけでなく、いくらでも隙を突けたということでもある。
侮られたとの屈辱感が心身を焼き、心奥で沸き起ころうとする恐怖がレッティールの身体を強張らせる。かろうじて正眼に構え、シヅマの次の手に備えた。
纏神によって感覚を上限まであげている今のシヅマがレッティールに生じたであろう葛藤を見逃すはずもない。すかさず第二の手品を仕掛けた。
「隷鬼・捷」
その後にレッティールが見たのは、なぜか前方に倒れ込むシヅマの姿だった。その直後、彼は地面に倒れることなく、その姿を消す。
レッティールは瞬き一つせずにシヅマを凝視していたため、見逃したのはあり得ない。なのに、シヅマのいた足下に小さな旋風が舞う以外は彼の痕跡は忽然と消え失せたように、レッティールの目には見えたのだ。
どこへ行った。レッティールの目がせわしげに上下左右を見渡すも、視界に憎き仇の姿は映らない。異変はまず触覚から、次いで聴覚からもたらされた。自分の手に何かが置かれているとの自覚がレッティールに広がるより先に、すぐ傍からシヅマの声が彼女の耳を震わした。
「これで勝負あったろ? だから、もう退いてくれないか?」
その声にレッティールの頭が状況を理解する前に、まず身体が激しく反応した。まるで背中を流れる血の中に氷が混ざったかのような悪寒が走り、身体中から針で刺したかのような汗が噴き出した。
震える目が映し出したのはまず自身の右手の上に置かれた見慣れぬ男の手。そこから伸びる腕を上へと追っていく先にあったのはシヅマの顔であった。
一瞬、悲鳴を漏らしかけたレッティールだったが、歯を食いしばり、恐怖を押し殺すと、まだ闘志を失っていないとばかりに声を荒げた。
「ふざけるな! こんな終わり方など認められるか! どうしてもというのならば、わたしを殺せ!」
「そう? なら、そうしよう」
シヅマのあまりにも淡泊な反応に、レッティールは唖然として、振り上げられる棍棒をただ見つめていた。どういう理由からか、シヅマの手が乗せられた自身のそれは微塵も動かない。
今度はレッティールが破滅を迎えようとしている。眉間めがけて、容赦なく突き込まれてくる棍棒の姿を最後まで見ることができず、レッティールはきつく目を閉じた。
だが、そこからいつまで経っても、死に至る苦痛が訪れなかったので、レッティールは恐る恐る目を開けた。
すると、茶色い何かが視野全体にかかっていて、それが棍棒の先端であることに気づいたのとほぼ同時に、額を小突かれた。
レッティールの被害はかすかに跡がつくくらいの軽傷でしかない。改めて、レッティールはそれ以上の怪我がないことを確認して、憤激した。
「貴様っ! 何度、わたしを侮れ……あれ?」
振り返りざま、シヅマに一撃を見舞おうとしたレッティールだったが、腰が抜けて、その場でへたり込んでしまう。
固く握っていたはずの剣も取り落とし、何事が起こったのかも分からず、ただ加害者であるシヅマへと顔を向けることだけが精一杯だった。
そこで改めて声も出ないことに気づき、ただ酸欠の魚のごとく口を開閉させるだけだ。
隷鬼術。その存在を知らないレッティールにしてみれば、どんな妖術が使われたのかと思ったことだろう。
東邦世界の住人ですら誤解されていることだが、隷鬼術とは体内の鬼を使役して、一時的な身体機能を向上させることではなく、「一時的に暴走させる」ことにある。その鬼を抑制するために纏神術が存在するのである。つまりは鬼の力を使いたいときは神の力を借りるしかないということだ。
シヅマはレッティールの鬼を刺激し、肉体に過負荷を与え、一時的な麻痺状態に陥らせたというわけである。纏神を知らないレッティールには鬼を抑える術はないが、元来神は人の中にいるのだから、いずれ鬼の力も治まろう。
ましてや、西邦世界では唯一神「アルヒテロス」を信仰していることから、神に対するイメージというのも強固なはずで、その意味ではより早く鬼を伏すこともできるだろう。
ただ、シヅマもそんな時間を与えるつもりは毛頭ない。意図的にのんびりした様子で、唖然として状況を確かめようとしているエルクに声をかけた。
「おーい、立会人さんよ、これ、もう勝負ついたろ? さっさと判定してくれよ」
「あ……ああ、そうだね。ちょっと待ってくれ」
エルクは弾かれたように身体をはねさせると、大急ぎでレッティールの状況を確かめた。確かにシヅマの言うとおり、もうレッティールは戦える状態ではないのが見て取れる。レッティールは抗議しようにも声すら出せないのだから。
エルクはシヅマのほうへ手を掲げ、高らかに決着がついたことを宣言した。
「勝者、シヅマ!」
観衆からはやや消化不良気味の歓声が沸き起こる。決闘とはどちらかの死によってしか終わらないと思っていたからで、こんな終わり方はあまり納得できないものだった。
しかし、それを差し引いても、シヅマが見せた「手品」には彼らの退屈も幾分かは慰められたようだ。
短くも、無益な決闘が終わったことで、シヅマは大きく息をついた。そこにエルクが満面に笑みを浮かべて、寄ってくる。
「いやいや、おめでとう、シヅマ」
「どーも」
「それはそれとして、後で話があるんだ。というか、話はまだ終わってないのだけど」
「ん? ああ、分かった」
後から思えば、逃亡の機会をまた一つ失った己の愚かさに憤激を禁じ得なかっただろう。シヅマらを野次った冒険者たちが、決着がつく前に姿を消したようにすべきだったのだと。
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