対戦、よろしくお願いします
何でこんなことになったのだろうか。
いくら考えても分からないし、分かったとしても、理解に苦しんだことだろう。なぜ、自分は天下の往来で決闘を申し込まれているのだろうか。
しかも、どこから噂を聞きつけたのか、人垣が十重二十重に囲んでいて、すでに賭けまで始まってすらいた。片やアジラット大砂原を横断した「砂渡り」の冒険者、片や神聖エトナマイダ教国の聖騎士となれば、賭け事としては申し分ない。
今のところ、オッズは、シヅマが一・八倍、レッティールが五・二倍となっている。どうやらシヅマとレッティールの確執を知っているものがいたようで、一度は勝利しているシヅマのほうに軍配が上がったというわけだ。
ここまではいい。正直、ここまで追いかけてきたレッティールにはいささか面倒になってきたし、衆人環視の中で誰の目にも明らかな決着をつけるのもいいだろう。度しがたいのは、立会人と賭けの胴元を買って出たエルクのことだ。
それでも、シヅマは忙しく人垣を回るエルクに一応確認した。もしかしたら、深慮遠謀があるのかもしれないと思ったからだ。
「で、あんたは何やってんだ?」
「見たら、分かるだろ? 賭け金を集めているんだ」
深慮遠謀などかけらも感じさせない台詞を残すと、再び人混みの間をリスのようにすり抜けながら、両手に持った木製の器に金銀銅貨を満たしていく。ちなみにこの器は先ほどまでエルクが個人講談していた酒場から一つ銀貨一枚で拝借したものだ。銀貨十枚の先行投資は正しく報われたようで、すべての器に貨幣が溢れんばかりに満ちて、エルクの顔は実に満足そうだ。
エルクはその賭け金をルィトと酒場の主人に預けた。多少欲深いものなら、持ち逃げされても仕方がないような額だが、どうやら二人は多額の現金が傍にあっても、邪心を起こさないものらしい。あるいは悪銭身につかずが芯まで浸透しているのか、どちらにせよ、感心なことである。
その一方で感心とは対極的な存在がほくほく顔で近づいてくる。エルクはシヅマのそばに来ると、外見上の愛らしさと反比例する邪心丸出しの台詞を吐く。
「いやあ、儲けた儲けた。でも、これから長い旅になるからね。これでも足りないくらいさ。だからね、キミが負けてくれるとボクとしては非常に助かるんだけど」
「八百長の斡旋とか、他者の規範になるべき大学の教授たるものがやっていいんですかね?」
「学問を追究しているとね、たまに人道を外れることがあるのだよ。今回はまだ可愛いものだろ?」
よくも、まあ、いけしゃあしゃあとほざきやがると思わないでもないが、道を究めていけば、いずれ人倫や道徳とは真っ向からぶつかることがあることも師から教えられた。スウンは決して義侠や善人などの類の人間ではなかった。よく言えば自由な、悪く言えば放埒な人だったのだ。本人もまた無理を押し通すために強くなったと放言しているくらいだから、自覚はあったのだろう。江湖で百余戦して、無敗の彼女についた渾名が「飛天夜叉」という、神仙ではなく、夜叉という妖怪の名であることも彼女のこれまでの半生を物語っている。
そんな師に比べれば、遙かに小物であろうエルクは上機嫌に軽くシヅマの腕を叩いた。
「ま、言ってみただけだよ。ボクも神聖な決闘を汚すつもりはないからね」
エルクの表面だけを見れば、残念がっているようには見えないが、この一大興行を仕切ることだけに傾注しているようだ。大学の教授が賭けの胴元をしていることが知られたら、馘首になるのでないかとのシヅマの懸念をよそに、彼女は浮かれた様子で、決闘する両者の中央に陣取り、大きく両手を広げた。
「では、これより己の名誉をかけ、御神の御許にて、決闘を執り行う! 決闘の理由は痴情のもつれで、両者異存はないね?」
「異議あーり」
「違う!」
片やいちいち異存ありと表明するのも面倒という風に、片や顔を熱せられた鉄のように真っ赤にして、両者ともに異議を唱えた。
「えー……じゃあ、何だってんだい?」
「いや、決闘の理由を勝手に決めんなよ。まずは口上を述べさせろよ。それで、悪いんだけど、オレからでいいかな?」
シヅマの提案にエルクはレッティールのほうへと顔を向けた。決闘の作法として、本来ならば、まず申し込んだほうが、自らの正しさを主張するのだが、レッティールは鼻を鳴らし、何をほざくのかをまず聞いてやる所存らしく、傲慢に頷く。彼女の許しを得て、シヅマは数ヶ月前にあった出来事を淡々と語り始めた。
「んじゃ、言わせてもらうわ。オレさ、ちゃんと正式な手続きをしてから、教国へ入国しようとしたんだぜ。組合が発行した身分証明書も持ってな。なのに、そこの聖騎士さんが難癖つけて止めたんだ。もう一度聞きたいんだが、オレの何が気に食わなかったんだ?」
「当然だ! そんな太くて、固くて、黒々として、汚らしいものを聖都に持ち込むなど言語道断!」
どうやら西邦世界では棍棒のことをこう呼ぶらしいと思ってから、シヅマは内心で首を横に振った。西邦世界に足を踏み入れてから、真っ先に覚えた単語が「棍棒」だったのだから、その話は通じない。
ただ、互いの言語的解釈はひとまず置くとして、まずは反論すべきだろう。
「え? ちょっと待ってくれよ。あんたにもちゃんと事情は説明しただろ? オレはこの棍棒にかけられた呪いを解いてもらいたくて、教国を頼ろうとしたんだ。そしたら、あんたに絡まれるわ、その火の粉を払っただけなのに、騒動を起こしたからって、入国禁止になるわで、散々な目に遭ってるオレに決闘を申し込まれる理由ってある?」
「理由ならある! 貴様は先の決闘の折、我が愛剣『エクラ・ド・アルジャン』をたたき折ってくれたではないか! その仇だ! まだ月賦も残っていたのに!」
最後の叫びこそ、レッティールの本音だったろうが、シヅマを含めて、その場に居合わせた誰もが決闘の理由としてはさもしいとは思わなかった。何せ武器というものはお高いのである。ためしにそこらの鍛冶屋に入ってみるといい。壁に掛けられた剣の値札には腰を抜かすような値段が書いてあるだろうから。
それでも、樽に無造作に入れられているような粗製濫造品であれば、まだ庶民の手の届くところにあったかもしれないが、レッティールの愛剣は炎の魔法が付与された一品物である。貴族や大商人が己の財力と権力を誇示するために、使いもしないのに購入しては、ただ飾られるような代物だ。その値段たるや、庶民が一生働いて、ようやく手にできるかどうかであり、レッティールの経済的損失がいかに莫大なものなのは言うまでもない。
損害補填ともなれば、さすがにシヅマにも責任がないわけではないのだ。シヅマとレッティールの実力差からすれば、武器を破壊せずとも勝利し得たからである。わざわざレッティールの愛剣を壊したのは、炎を纏う剣と自身の棍棒を比較して、ただただ妬ましく、暗い情念がわき上がったからこその犯行なのだ。突きつけられる請求書に書かれたゼロの数を考えると、それだけで暗澹とするし、己の浅ましい心底が露呈されるのはさすがに避けたい。
しかし、シヅマが考えているより、事実は複雑だった。実のところ、レッティールは「いいとこのお嬢さん」だったからであり、実家を頼れば、その程度の損失など蚊に刺されたほどもないのだ。
祖父アレクラドは聖都北部ヒエムス区の大司教を務め、教国内の序列は第三位という高位聖職者であり、父グラスドもまた司教の地位にあり、順当に行けば、次期教王などとも噂される人物である。そもそもレッティールの実家であるトレゥクス家は教王を何人も輩出した名家であり、家格は新興国の国王などよりも遙かに上だ。
ここで問題となるのが、しばしば苦労知らずの貴族のご子息たちが親が敷いた黄金の軌条に反発を覚え、別の道を選ぶことだ。レッティールも例外ではなく、一人で社会に向き合おうと家を飛び出したのである。もっとも、家出した距離があまりにも短く、入団した聖騎士団から逐一彼女の動向は知られていたわけだが。
世間知らずのお嬢様は実家からの有形無形の援助を受けていることを自覚せず、なおかつ庶民の三倍の年収をもらいつつ、給金が安いとぼやきながら、「苦労して」魔法剣を入手したと思い込んでいるが、シヅマがその事情を知ったとしても、異論は唱えなかっただろう。レッティールなりに苦労したのは事実だろうから。
懸念すべきは、このままレッティールにいいように言われていては、シヅマが一方的に悪者にされてしまうという一点だ。それゆえ、シヅマも苦しいながら、反論せざるを得なかった。
「それ、オレのせいなの? たかがこんな棍棒で攻撃したくらいで、魔法が込められた剣が折れる?」
「あー、シヅマ、ちょっと待った。それは違うんじゃないかな?」
「何が? つか、口上の途中で立会人が口を挟んでこないでくれる?」
「いやいや、そうは言うけどね、さすがに事実誤認は認められないよ。ちょうどいいから、さっきの講義の続きをしようか。いや、何、時間はとらせないよ」
このままエルクにしゃべらせたらいけないと思いつつ、止めるための大義名分が思い浮かばず、短絡的な方法ばかりが頭をよぎっている内に時間切れとなる。もはやシヅマはなすすべなく、エルクが余計なことを話さないよう祈るしかなかった。
「では、先ほど話せなかった中で最も重要な話をしようか。呪いを解く方法について、説明しよう」
シヅマが今最も知りたい情報をエルクが提供してきたので、傾聴せざるを得ない。シヅマは表情で先を急かす。
「その方法は主に三つだ。一つ目は祓い屋と呼ばれるものに解いてもらうこと。二つ目が別の呪いに上書きされること。そして、最後が呪いがその目的を達することだ。正直、二番目と三番目は呪いが解けたとは言えない状態かもしれないが、問題はそこじゃない。つまり、呪いというのは解かれるまで『不変』の状態であることなんだ。もっとわかりやすく言うなら、キミのその棍棒はこの世に存在するいかなる物質よりも固く、いかなる熱にも変容せず、あらゆる外的変化から隔絶されているというわけだ」
知ってたと、もう自棄になって、そうぶちまけそうになるのを、シヅマはどうにか舌の根のあたりで押しとどめた。
何度物理的破壊を試みたか、今となっては思い出せずにいるほどなのだから。岩に棍棒を打ちつければ、岩のほうが砕け、鍛冶屋の炉の中に突っ込んでも、棍棒は燃えるどころか、自分の手を火傷する始末だ。ずっと使用し続けているのに、汚れもつかず、常に新品のような感触がするのも、不変という性質故のことなのだろう。
庶民の無聊と鬱屈を慰めるための決闘と称した興行が不可避なのは確定したが、それでもシヅマは往生際が悪かった。万が一でも、見世物にならずにすむというのなら、打つべき手はすべて打っておくべきだろう。
「いやいや、それおかしくねえ? だって、オレ、呪いの武器が壊れるの、見たことあるし」
嘘である。呪われた武具など、自身が持っている棍棒以外、見たことがない。そもそも呪いには「指向性」があり、わざわざ呪物を作って、不特定多数に触れるような環境には置かないものだ。よほどの変人か、この世のすべてを憎む反社会派くらいだ、そういうことをしでかすのは。
祈りにも似たシヅマの悪あがきは、天に通じることもなく、エルクの無邪気な説明で木っ端微塵に打ち砕かれた。
「うん、それはだね、ただ単に呪いがその役目を終えたか、あるいは別の強力な呪いに打ち破られたかだよ。キミの棍棒とそこの聖騎士クンの炎の剣だって、同じことさ。魔法だって、呪術のくくりの中だからね」
呪いというものに漫然と向き合っていたシヅマには実に為になる話だったが、現状を打破する役に立つどころか、余計にかき混ぜた感があるのは否めない。その証拠にレッティールのシヅマを見る目にはより険が増し、というより、視線そのものが刃物のようにシヅマに突き刺さる。
雰囲気が実に険悪になったことを素早く確認したらしいエルクはすかさず両者の中央に躍り込み、両手を広げ、声を張り上げた。
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