呪われてるのは棍棒だけではなく、自分の運命のような気がしてきた
今日何度目の「唖然」だったか、数えるのもアホらしいが、実際に数えると何度纏神が解けたかが分かってしまい、おのれの力不足を痛感する羽目になってしまうという自己防御も働いたという面もある。
ただ、テーブルの上に所狭しと並べられた皿がいずれも舐めたように綺麗に片付いているのを見れば、どんな達人でも唖然としたかもしれない。
シヅマが今見ているのは、その小さな身体のどこに入るのかと聞きたくなるような量の料理を平らげたエルクの姿だった。それでもまだ腹八分目か、それ以下らしく、デザートでも頼もうかと考えていそうな彼女の顔にシヅマは恐怖すら覚えた。そのせいで、食事が喉に入らなかったし、この支払いも自分がするのかと思っただけで冷汗三斗どころか、一石くらい出てきそうだ。
ただ、シヅマには若干ではあるが、懐に余裕があった。というのも、大砂漠を横断したことで、組合から報奨金が出ていたからだ。装備を少し刷新したとは言え、切り詰めれば、一年は何もしなくても生活できるほどの金がある。王都の物価がいかに高かろうと、さすがに手持ちの金がすべて消えることはないだろうが、かなりの痛手となるのは間違いない。
その上、有益な話が聞けようが、聞けまいが、大学の教授には一定の報酬を支払わなければならないと、紹介状を書いてくれた組合からのお達しだったので、その分も上乗せしなければならない。
「明日から、いや、今日からまた金策に走る日々が始まるのか」
何だか非常に腑に落ちない気もするが、せめてもの救いは激しい葛藤を経て、エルクがデザートの注文をやめたことくらいだろう。テーブルの食器を片づけ、二人の前にはそれぞれ食後のお茶が出されたところで、まずエルクが不遜な笑みを浮かべつつ、口火を切った。
「さて、人心地ついたところで、もう一度自己紹介しておこうか。ボクがエスルク・ノイトシデラムだ。伝統あるエステアリス大学が生んだ空前絶後の天才美少女といえば、ボクのことさ!」
「ああ、やっぱ駄目だ、これ」
シヅマは心の中で密かに落胆していた。まあ、期待値などすでに地に落ちている。潜ったところで大差あるまい。少しでも有益な情報が得られれば御の字というものだ。
「で、キミがシヅ……マくんだったね。ああ、申し訳ないが、東邦世界の発音が苦手でね。もし、間違っていたら許してもらいたい」
「いえ、大丈夫です。むしろ、ご多忙の中、足を運んでいただいたこと、感謝いたします」
シヅマもその気になれば、この程度の礼法くらいはわきまえている。ついでに頭も下げた。表面上とはいえ、そんな彼の態度に感じ入ったのか、エルクは感歎の息を漏らした。
「ふうん、キミは人を見かけで判断するそこらの有象無象とは違うようだね」
そう見えるとすれば、纏神のおかげだろう。何度か崩れかかったものの、かろうじて維持できているためか、どうにか韜晦できていたものらしい。もっとも、普段は何を考えているのか、分からなくて、気持ち悪いとか思われてはいるのだが。
ともあれ、その勘違いを是正する必要はないだろう。あえて信頼関係を崩す必要などどこにあるというのか。
「まあ、堅苦しいのもなんだから、ため口で構わないよ。それとボクのことはエルクと呼んでほしい。にしても、東邦世界から大砂漠を渡って、わざわざボクの講義を聴きに来ただなんて、しかも、個人授業だなんて、ずいぶん大胆だね、キミも」
なぜ、そこで顔を赤らめる。なぜ、そこで身体をくねらせる。そう問いたいところではあるが、シヅマはぐっと堪えた。うっかり話に乗ってしまえば、大きく脱線したまま、帰ってこないかもしれない。そのことを恐れたシヅマは強引に話を本題へと引き戻した。
「まずはこれを見てくれないか?」
乗ってこないシヅマに舌打ちしそうに口をゆがめたエルクだったが、テーブルの上に乗せられた棍棒を見て、瞳には探求者の色が瞬いた。知的好奇心の赴くまま、調べ尽くしてやろうと棍棒に顔を近づけたエルクだったが、すんでの所で自制したようだ。ひどく真剣な表情で、エルクはまっすぐシヅマと目線を合わす。
「先に謝っておくけど、ボクは祓い屋じゃない。だから、今のキミの苦しみを取り除いてやることはできない。その点はわきまえてくれ」
「分かってる。ただ、この呪いがどういうものなのか、知っておきたいんだ。知識として知っていれば、解呪の道順もそれなりに分かると思うし」
正直なところ、失望していないと言えば、嘘になる。いや、それどころか、このままテーブルに突っ伏して、泣きわめきたいほどだ。ここまで来て、何も得ることがなかったという失望は確かに強くあるが、その一方で何か分かればいいとの思いもある。判断はエルクの話を聞いても遅くはないだろう。
絶望的な事実を平然と受け止めたかのように見えるシヅマに、エルクはまたしても感心したかのように口をすぼめ、続いてにやりと笑った。
「さすがは歴戦の冒険者。動じるところがないね。ボクはてっきり逆上したキミにその太くて、固くて、黒々としたモノで、ナニされるかと思ったよ」
「お望みとあれば、今すぐやってもいいんだが?」
「や、やだなあ。ちょっとした愛らしい冗談じゃないか。むしろ、キミを慰めようと尽力したボクを褒め称えるべきではないのかな?」
「お気遣い、誠に感謝いたします。で、先生の所見はいかがです?」
シヅマから発せられる剣呑な雰囲気に、エルクは喉を鳴らして、息を飲み込んだが、気圧されっぱなしなのも癪に障ったようだ、のけぞった身体をさりげなく姿勢を正し、視線をまっすぐ向かい合う東邦人へと向けた。虚勢とは言え、学究の徒らしき毅然さを放つエルクの姿を見たシヅマは抱いてはいけないと思いつつも、つい期待感を持ってしまう。
「判断するためにはもう少し情報が必要だよ。それには『いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように』をまずはっきりさせないとね。どんな学問を志すにせよ、原因究明は真っ先に行うものさ」
エルクの言葉に一理を認めたシヅマはなんとはなしに居住まいを正して、これまでの経緯を語り始めた。詳細まで語れば、三日三晩ほどかかっただろうが、文才もなければ、話すのも苦手なシヅマの説明は一時間にも満たないものとなった。途中、一言も口を差し挟まなかったエルクはシヅマが語り終えて、しばらくしてから、端的にまとめた。
「なるほど。要するにキミは近くの地下迷宮で貧乏性を遺憾なく発揮して、呪われてるとも知らずに、後で売り払おうとして、その棍棒を手に取ってしまったと。で、追放されたあげくに東邦世界では解呪の方法が見つからずに、わざわざ大砂漠を横断して、こっちに来たはいいけど、お祓いの総本山でもめ事を起こして、ここまで来ざるを得なかった。そういうことでいいんだね?」
エルクのまとめに何ら瑕疵はないのだが、こう簡単にまとめられると、自分の軌跡がひどく小さなものに見えて、シヅマはどうにも釈然としない気持ちを抱えつつ、ただ頷いた。
さらにやるせないのが、エルクの関心がすでにシヅマの持つ呪いの棍棒へと移っていることだ。自分に関心を持ってくれなどと言える筋合いはどこにもないにせよ、もう少し気遣いがあってもいいのではないかと主張したいところだが、お預けを食らった犬のごとく、口の端からよだれを垂らしているエルクの姿を見ていると、言葉というものはつくづく無力なものだと思い知らされる。
「それでは実物を検分してみようか」
実に嬉しそうに、懐から片眼鏡のようなものを取り出すと、そのまま右目に装着した。上部のつまみを回すことで、中央部が盛り上がったかと思えば、引っ込むという仕様である。この手の機器に疎いシヅマはエルクが何をしているのか、さっぱりだったが、何かを観測しているくらいのことは分かる。
エルクは何度も姿勢を変え、観察部位を一心不乱に見つめている。何かある度に反応されるのも鬱陶しいが、何ら反応もないと、逆に不安になってくる。途中経過でもいいので、何かしゃべってほしいと、シヅマが内心で懇願しようとしたとき、心を読んだかのように、一度エルクは顔を上げ、シヅマを観測機器越しにまじまじと見つめた。そうかと思うと、また棍棒へと視線を落とす。
シヅマにとっては永遠にも匹敵する長い時間が流れた後、エルクは片眼鏡的観測機器を外し、疲れたようにテーブルの上に置く。一度天を仰ぐように上を向き、椅子の背もたれに全体重を預けようとして、すぐに跳ね起きては、テーブルに飛び乗る勢いでシヅマに詰め寄った。
「おいおい、何なんだい、これは?」
「何だと言われても困る。というか、おれのほうこそ、これが何なのかを聞きたくて、ここまで来たんだぜ」
「おっと、そうだね。すまない。ちょっと興奮したみたいだ。では、まずはボクの見解を先に述べておこう。これはボクも見たことがない呪いだ。いや、少し違うな。呪力の量が桁違いなんだよ」
エルクの言葉が言い終わるのを待たず、シヅマは運命を司る何者かが自分の死刑執行書に筆圧強く署名した音を聞いたような気がした。西邦世界における呪術研究の第一人者が知らないということは、もはや誰もこの呪いを解くことができないということではないか。「所払い」されても、いつかは故郷に戻れるという一心でここまで来たというのに、すべてがご破算となってしまった。
纏神などとうに剥がれ、絶望の闇の中へどこまでも落ち込もうとするシヅマの心を救ったのは、破裂音だった。ふと我に返れば、エルクがシヅマのすぐ目の前で手を打ったと気づく。そのエルクの頬には怒りの朱が注がれている。
「ボクの講義中にぼけっとしているなんて、キミはずいぶんといい身分だな! いいかい、よく聞きたまえ。絶望したいキミの気持ちはよく分かるさ。でもね、呪いなんてものはみんな人間がやったものさ。神の御技なんかでは絶対にない。そう、すべからく同じ人間が解けないはずはない。そう思わないかい?」
エルクの言葉はいわゆる精神論でしかないが、シヅマは両頬を思い切り叩かれたかのような衝撃を覚えた。確かにエルクの言うとおりだ。呪いをかけた人物はもはやこの世にはいないだろうが、どこかにその痕跡を残しているはずである。その人物が解呪の方法を思いついていなくても、呪いの種類や傾向を知ることができれば、解呪の新公式を編み出すこともできよう。
もちろん可能性としては、限りなく低い。砂漠の中から砂金を見つけ出すようなものだ。それでも動かなければ、目的地にたどり着けはしない。あの大砂漠ですら、取るに足らない一歩一歩を続けることで、踏破という偉業を成し遂げさせたことを思い返せば、やる価値はある。すべてに見切りをつけるのはその後でもいいはずだ。
闇の底へと落ちかけた意気は意義を与えられて、急速に回復する。シヅマはテーブルの上に身を乗り出すようにして、エルクの顔へ自分のそれを近づけた。
「そう思う。だから教えてくれ。まずは何をしたらいい?」
後もう少しテーブルの幅が短ければ、お互いの唇が触れあう事故があったかもしれない。そのことを自覚したのか、エルクは先ほどとは違う理由で頬を赤くし、シヅマに自制するよう求めた。
「た、立ち直ったのはいいけど、少し落ち着きたまえ」
「おっと、すまない」
シヅマも自身がしでかそうとしたことの意味に気づいて、ばつが悪そうに席に座り直す。その様子を見て、ほっと胸をなで下ろしたかどうか、エルクが生徒に教鞭を執るかのような態度に戻る。
「キミがやるべきことはまず、呪いについて、もう少し知識を得ることだ」
なるほど、もっともだとばかりに、シヅマは頷いた。確かに呪いについての知識はほぼ皆無と言ってもいい。憎むことはあっても、学術的対象とは思わなかったのだ。「敵」と戦うには一にも二にも情報が必要である。兵法の常道だ。
シヅマに受け入れる態勢ができたところで、仕切り直すかのようにエルクは一つ咳払いをした。さらに一拍おいてから、この日限りの課外講義を始めた。
「呪いとは何かなんてことは、キミのことだから、身にしみて分かっているだろう。だから、呪いの種類について話そうじゃないか。呪いには大まかに四つの系統があるんだ。
ここでエルクは一旦語を切り、順番に説明を始めた。
「瘴というのは、対象者を病気にさせることだ。みんなが思い描く呪いってのがまずこれだ。術者の力が強ければ、相手を死に追いやることもできるけど、今の時代にそれだけの呪術師がいるとは思えないから、まあ、安心していいよ」
「次に衰だ。これは文字通りの意味で対象者を衰えさせることだ。力が出ない、魔法が使えないなどの効果がある」
「三つ目が阻。これは対象者に何らかの制限を課すことで、術者の力によっては対象者を意のままに操ることもできる」
「最後に憑。結論から言えば、キミの呪いはこれだ。呪いをかけたものが対象者に取り憑くという意味においてはね」
一気呵成の説明だったが、シヅマには不思議と理解できた。さすがは大学の教授と言ったところなのだろうか。エルクへの評価はともかく、シヅマは自らに降りかかった災難の正体を知ることができ、得心したように頷くも、すぐに矛盾に気づいて、眉を寄せた。
「ちょっと待ってくれ。さっき、この棍棒の呪いは見たことがないって言ったな? でも、何で分類できてんだ?」
「ほう、キミはちゃんとボクの話を聞いていたんだね? 偉いぞ」
どうやらエルクはできのいい生徒を褒めて伸ばす性質のようだ。教育者としての資質はあるものらしい。エルクは微妙な顔をするシヅマを置き去りにして、説明を続けた。
「確かにキミの呪いは大まかな分類では憑だ。それぞれの呪いには傾向というものがあってね、これはボクが膨大な資料をまとめ、地道な実地検分を行った結果、判明したものなんだが、憑には複数の系統を併せ持つ場合が多いんだ。キミだって聞いたことがあるだろう? 呪いの武器を持った冒険者が急に味方に襲いかかったり、かと思えば、急に動かなくなったりなんて話をさ」
確かに呪具の所持者が奇行に走るなどという話は枚挙にいとまがない。シヅマは納得したように首を縦に振る。
「そういうことか。その例は憑という呪いに阻という呪いも発症しているというわけか」
「結論を横取りする姿勢はよくないけど、正解だよ。でだ、キミの場合はどうか。キミの話を聞く限り、その棍棒はキミに何らかの制限を課すようなことをしていない」
エルクの指摘は、シヅマには不満だった。朝起きたとき、まるで一夜をともにした恋人のように寄り添っているのを目の当たりにすると、爽やかな朝のひとときが台無しになるのだから。
さすがにこんなことは話せないし、エルクの話の腰を折ってもいいことはなさそうなので、シヅマは内心に広がる不満を押し殺して、エルクの話に耳を傾ける。
「さて、問題はそこだ。なぜキミの棍棒だけが憑の系統でありながら、別の系統の呪いがかかっていないのか。あるいは憑以外の呪いはキミにかかっていないのではないか。何よりもその桁違いな呪詛量は何なのか。判断するためにはまだ情報が足りなすぎるんだ。だから……」
エルクの結論に待ったをかけるかのように、酒場の扉が勢いよく開いては、壁に跳ね返って、ほぼ同じ速度で戻ってきた。エルクと同じことをしようとしたものがいたらしく、鈍い音と短い悲鳴が重なる。その声に聞き覚えがあったシヅマは直近の不愉快な過去を連想してしまった。
扉に強打された胸部はどうやら華美な胸当てのおかげで大惨事は免れたようだが、衝撃までは防げなかったようで、しばし入り口でその女はうずくまっていた。
しかし、すぐに立ち上がると、すさまじい形相で、まっすぐシヅマの元へと大股で近寄ってきた。騎士礼装を纏う女は腰の剣を抜き、その切っ先をシヅマの鼻先へと突きつけた。
「ようやく見つけたぞ、シヅマ・シヅキ! よもや忘れてはいまいな! このレッティール・トレゥクスを! 貴様にかかされた恥、今日こそ雪いでくれる!」
「えー……」
シヅマはこの旅を続けている内に、一つの考えが鎌首をもたげては、強引に封印してきたが、もはや自分を騙しきることも難しくなってきたようだ。
その考えとは、もしかしたら、呪われているのはこの棍棒ではなく、自分自身の運命なのではないかと。
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