どうやったって仲良くはできないけど、妥協はできる件
「やっとうるせえのがいなくなったな」
一日中監視されているような環境で、ようやく得られたかすかな自由に、シヅマは大きく息をついた。
一人で旅していた頃は孤独感と望郷の念で押しつぶされそうにもなったものだが、いざ誰かと行動を共にすると鬱陶しくて堪らない。一人が性に合っていると思ったところで、シヅマは内心で首を横に振った。
「いや、あいつらとの相性が悪いだけだ。この広い世界にはきっと気の合うやつがいるはず。そう、素敵な出会いもきっとあるんだ、どこかに」
夢見る乙女のような妄想に思いを馳せたところまではよかったが、続いて胸の大きい娘がいいななどと考えてしまってから、シヅマは自己嫌悪に陥った。さすがに品性下劣すぎるし、素敵な出会いなどを待つという受動的な態度がすでに敗北主義でしかないからだ。
いや、そもそも素敵な出会いなどこの世界に存在するものなのだろうか。現実はこの為体なのだ。どこに希望があるというのだろうか。
「いやいや、いかんいかん」
無益、かつ、非建設的な方向へと突き進みかける考えを振り払うかのように、シヅマは今度は実際に首を振って、思考作業を強引に中断させた。
社会の荒波に揉まれたせいか、最近では現実逃避すらできない。希望があったあの頃に戻りたいが、今となっては希望とやらが遅効性の毒薬でしかないことを知ってしまった以上、昔に戻りたいとは思わない。
シヅマは深くため息をついた。後にも先にも道がないような気がしてならない。言われるがまま旅をしてきたが、エルクは何をもったいぶっているのか、行き先を直前まで明らかにしないから、心的負荷は右肩上がりに上がっていくばかりだ。
「次はどこに連れて行かれるんだか」
エルクが目星をつけていた遺跡や迷宮はいずれも外れだった。もっとも、外れだったのはシヅマ一人だけで、エルクは他の冒険者や盗掘者が見向きもしなかった手つかずの呪具を手に入れ、ほくほく顔だったわけだが。
もしかしたら、エルクは呪いの棍棒などどうでもよく、ただ自分の収集欲を満たすためだけに利用しているのではないかとの疑念が渦巻く。問いただそうにも、言を左右にはぐらかす一方なので、もはや聞くのも面倒だ。
「しゃーない。飯でも作るか」
現状をどう好意的に分析しても、悲観的な結論しか導き出せないとするのなら、思考することを投棄して、せめて行動くらいは建設的なことに費やすほうがましだろう。
ただ、天幕の設営から食料の調達、料理に至るまですべてこなさなければならないのは不公平感も覚える。それでも他人任せにしないのは、シヅマが基本的に人を信じていないということと、エルクとレッティールの無能ぶりが命に関わるほど極まっていたからだ。
特にレッティールなんかは事前に可食の植物や茸の種類を教えてやってなお、採集させると選んだかのように毒草と毒茸を持ってくるのだから、もう始末に負えない。もっとも、獣除け、虫除けなどに使えるので、一概に悪いと言えないところがまた困るのだが。
シヅマは塩漬け肉を取り出すと、軽く水洗いをして塩気を抜いて、手慣れた様子で串を刺して、直火で焼く。中まで火が通ったら、香辛料を振りかけ、あれば香草などを添えてできあがりという実に簡素なものだ。
魚もほぼ同様に調理する。シヅマの料理のレパートリーは極少ないものだった。
これで同行者から文句が出ないのは、シヅマが威圧しているというのもあるが、契約はあくまでもエルクの護衛であって、食事の提供は含まれていないのだから、文句を言う筋はこの世界のどこを探してもない。完全なる無償奉仕と善意から来る行動であり、レッティールに至ってはその善意すら受ける資格がないのである。
そのはずなのだが、自身の立場を全く考えていないエルクは肉の臭いを嗅ぎつけた獣のように天幕から這い出てくると、まだ串がついたままの肉を串ごと食いかねない勢いですべて平らげると、「まあまあ」との一言を残して、幽鬼のようなおぼつかない足取りで天幕へと戻っていく。
正直、悪評よりも普通と言われるほうが向かっ腹が立つが、今となってはシヅマも慣れたもので、黙々と次の下準備にかかっている。
エルクが天幕を往復の際に二度蛙が潰れたような声が中からしたのは、レッティールがその都度踏まれたからだろう。そこで完全に眠気が吹き飛んだようで、今度はレッティールが天幕から這い出てきた。
こちらも今や日常と化してしまったので、シヅマも今や首を動かすのも面倒だとばかりに次の食事の準備に集中している。
肉が焼けると皿に盛るなどという上品なことはせず、シヅマはそのままかぶりついた。
その様子を、膝を抱えたレッティールが虚ろな目で見つめてくるものだから、居心地が悪いったらない。
旅の始めにレッティールには何もしないと言い含めていたし、本人もそれで納得したはずだ。だから、よだれが口の端から垂れていることにも気づかず、物欲しそうな目を向けてくるのはやめてほしい。聖騎士の凋落ぶりを見せつけられているようで、罪悪感が募るばかりだ。実際そうなのだから、さらに救いようがない。
ばつの悪さに耐えつつ、一本目を食べ終わったシヅマが二本目に手を伸ばしたとき、誰かの腹の虫が切ない音色で、なおかつ、盛大に自己主張しながら鳴いた。
レッティールは一度自身の腹を見つめ、また視線をシヅマへ、正確にはシヅマが持つ串に刺さった肉に視線を注いだ。
よせばいいのに、根負けしたシヅマは盛大にため息をつきつつ、ついレッティールに声をかけた。
「何か言いたいことがあれば言ったらどうだ?」
「なら、言うが、おまえ、わたしに対するあたりが強くないか?」
「逆に聞きてえんだけどさ、なんでオレがあんたに対して、丁重に遇してやらなきゃいけないんだ?」
驚いたようにシヅマの片眉が跳ね上がったのは演技ではなく、心からのものだった。
人生設計を大きく狂わされ、修正を余儀なくさせた張本人にどんな好感を抱けというのか。聖都に入城することができれば、もしかしたら呪いから解放される未来なんてものもあったかもしれない。最も豊かな可能性を奪ってくれたのだから、冷遇くらいは甘受すべきだろう。排斥されるよりまだましなはずだ。
レッティールも自身の失言に気づいたのか、口を閉ざす。彼女の中で何やら葛藤があったようで、しばらく視線が宙をさまよっていたが、やがて渋々と口をとがらせながら、何事かをつぶやいた。
「……ないと……てる」
「は?」
常時纏神を心がけているシヅマの耳にレッティールのか細い声は届いたものの、わざと聞き返した。
「すまないと思っている! と言ったんだ!」
大声を出してから、レッティールははっと口を噤んだ。すぐ傍の天幕でエルクが寝ていたからだ。主人の安眠を妨げたくないとの思いがあったが、エルクはエルクで寝起きが悪く、ひどいときは暴君のごとく不機嫌になるのを身をもって知っていたからこそ、彼女は口を押さえたのだ。
恥を忍んでの告白だったにもかかわらず、シヅマは表情筋一つ動かなかった。
「ふざけてんのかよ? 詫び一つでどうにかなるって段階はとうに過ぎてんだろうが」
「くっ……! 騎士たるものが頭を下げたというのに……」
「下げてねえよ、これっぽっちも。だいたいあんな拗ねた面して、謝罪する気なんてまるでねえああいうのを詫びとは言わねえよ。それとも何か、騎士様は自分に非があっても、あれですませるのが普通だってのか?」
シヅマは別段やり込めようとの意図は微塵もなかったが、レッティールの自覚のなさと上段からの物言いが癇に障って、つい返す言葉も厳しさを増す。
理非を問えば、確実に分がシヅマの側にあったので、レッティールは何も反論できずにただうなるのみだ。
焚火の爆ぜる音、夜啼鳥の鳴く声、風の音、夜でも様々な音が周囲に満ちていたが、それらがよりシヅマとレッティールの間の沈黙をより深くしているかのようだ。
しばらく無言でシヅマからの圧に耐えていたレッティールは視線を正面に向け、覚悟を決めたように再度口を開いた。
「では、どうすれば、おまえの気が済む? わたしの……身体でも求める気か?」
「いやいや、ねえよ。オレ、あんたに欲情したこと、一度もねえから」
「ぐぅ……」
レッティールとて、シヅマは好みの基準からは大きく外れるわけだが、好みではないとはいえ、真正面から魅力がないと指摘されれば、絶句するほかない。
三度、レッティールが黙ってしまったので、やむなくシヅマは助け船を出してやることにした。本当なら自分で気づいてほしいところではあるが、レッティールの鈍さを考えると、いつになるか分かったものではない。
「あんたにやってもらいたいのはたった一つだ。今度聖都に行くことがあったら、あんたの口利きでは入れるようにしてくれ」
予想よりも遙かに穏当な要求に、レッティールは目を瞬かせていたが、やがて怪訝そうに眉をしかめた。
「そ、そんなことでいいのか? わたしはてっきりド外道なことをさせられるのかと……」
「あんた、オレのことなんだと思ってんの?」
「わたしが飢えているのを知っているくせに手を差し伸べもしない冷血漢」
「ああ、そう。あんたが話を聞いてくれりゃ、和解の証として、この肉わけてやってもよかったのにな。いや、残念。話は決裂だ」
「いや、待て、早まるな。おまえの要求は全部呑むから。その上、滞在費もわたしが持つし、いろいろと融通も利かすこともできる。これでどうだ?」
立場の原状回復に多少色をつけたというわけで、ほぼ満額回答を勝ち得たシヅマは満足しながらも、表面上は重々しく頷き、レッティールの提案を受諾した。これで両者の間に相互不可侵の平和条約が結ばれたというわけでもなく、休戦協定に過ぎないが、一時的にでも刺々しい雰囲気から解放されただけでも喜ばしい。
ただ、肉を食べるよう促すと、レッティールは真っ先に最も焼き具合のいい串をとっていったので、最後の楽しみにしていたシヅマは内心で大きく嘆息しながら、相互理解がいかに難しいかを痛感した。
二人の物理的距離はこんなにも近いのに、精神的距離はお互いが地平線の彼方にあって、しかも両者の間には深い断絶があるのだから。
ともあれ、わかり合えないことが分かっただけでも収穫というものだろう。ここで話が終わってくれれば、綺麗にまとまったのかもしれないが、そう行かないところがこの一行の不運なところかもしれない。
「話は聞かせてもらった!」
天幕の入り口が勢いよく開いたかと思うと、そこに危機感を顔に湛えながら、エルクが飛び出してきた。
その額めがけて、シヅマは棍棒の先端を押し当てた。押し当てたと言うよりは小突いたと書いたほうがいいかもしれない。小気味よい音がしたが、エルクは痛みを感じていないかのように、負けじと押し返す。
ただ、膂力はシヅマのほうが遙かに上で、しかも身体の芯を押さえられてしまっているため、エルクは徐々に天幕へと押し戻されていく。
「はい、おやすみー」
「呪い上の妻に対して、あんまりな仕打ちじゃないか? だが、ボクは理不尽な仕打ちには断じて屈しないぞ!」
「何が呪い上の妻だ。気持ち悪い造語使ってんじゃねえよ! つか、出てくんな! ポンコツが出てくると、話がもっとややこしくなるだろうが!」
「ポ、ポンコツだとぉ? 言うに事欠いて!」
「わかったわかった。で、何のご用ですか?」
「決まってるだろう? 和解したキミたち二人がこの勢いのまま、乳繰り合ったら、ボクの立つ瀬がないだろう? 明日からどんな顔して、君たちと接すればいいのか。そういうところをもう少し考え……うご」
一体何の話を聞いていたというのだろうか。妄想からの非難めいた主張をぶつけられても困るし、最後まで聞いてやる義理もなかったので、シヅマは棍棒に力を込めて、エルクを天幕へと押し戻そうとした。このまま朝まで強引にでも眠ってもらおう。
一方、エルクもそうはさせじと渾身の力を込め、抵抗する。そんなエルクにシヅマはとどめの一言を刺した。
「ポンコツの上にポンコツを重ねるとか、ほんとやめてくださいよ。さあ、もう今日はお休みになって、明日また頑張りましょう」
「その他人行儀な優しさを押しつけるんじゃない! しかもさりげなくポンコツ呼ばわり! だが、これを聞いても、キミはまだボクをポンコツと言えるのかな? 次の目的地はなんと魔王城『クリスタロス』なんだぞ!」
魔王城という言葉には心揺れるものがあったが、固有地名には聞き覚えがなかったので、シヅマはさして感動を覚える風もなく、淡々とエルクを天幕へとぶち込んだ。
どうしようもなく度しがたい夫婦喧嘩の中、レッティールは主人をかばうこともなく、エルクが発した「クリスタロス」という単語に首をかしげ、眉間に皺を寄せる。
「あれ? どっかで何かを聞いたような……」
レッティールは思い出そうと何度も首を捻ったが、結局は回答を得ることができず、目的地に到着してからあっと声を上げることになる。
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