エピローグ
オレは登り始めたばかりだからな。この長い「鈍器王坂」をよ。
深い深い闇の底に変化があった。
遙か頭上で小さな穴が空き、そこから光が漏れていたのだ。
なぜか、行かねばならないとの使命感に突き動かされ、光に向かって進んだ。光は大きさを増し、やがて視界いっぱいに広がると、世界は色彩を取り戻した。
「ようやくお目覚めかい? ずいぶんとお寝坊さんだな、キミは。ボクの講義はとっくに終わってしまったよ」
「……そりゃ、悪かったな。でも、どうせおまえの授業に出ても、寝てしまうんだから同じことだろ?」
「ふん。その口の悪さ、確かにキミはシヅマだな……まあ、何はともあれ、お帰り、シヅマ」
「ただいま、エルク」
シヅマが笑いかけると、エルクもまた大輪の花が咲いたかのような笑顔を浮かべた。寝起きにはやや眩しすぎるエルクから目をそらし、周囲を見ると、シヅマが寝かされているこの場所は魔王城の尖塔、アトリの居室らしい。あの場から逃がすためとは言え、アトリにはひどい言葉を投げつけてしまったにも関わらず、アトリはここまで連れてきてくれたようだ。
しかし、当のアトリはそれほど気にしてない様子で、シヅマが寝ている部屋へと入ってきた。
「お! シヅマ、起きた? いやあ、よく寝てたねえ。思わずいたずらしたくなっちゃったけどさ、そこはぐっと堪えたよ。なんたって淑女だからね、わたしは」
「ああ、アトリ……その、悪かった。アトリにはずっと助けてもらったってのに、あのときの言葉はさすがにないと自分でも思う」
表面上はいかに気にとめてなく見えていても、深層ではどこかに引っかかっていたのだろう、シヅマに二つの意味での謝意を表されたアトリの目に涙が溜まり、口の端は大きく下へとつり下がった。
だが、鼻で大きく息を吸うと、ぐっと涙を堪えたアトリは無理に笑顔を作って、シヅマの肩を強く叩いた。
「んもう! 水くさいなあ! わたしたち、仲間だろ! これ、一度言ってみたかったんだよね。あ、そうだ、みんなにもシヅマが起きたこと、伝えてこなきゃ」
そう言って、部屋を出ようとしたアトリだったが、あまり広くはない場所でのやりとりで全貌がすでに伝わっていたようだ。全員が押し寄せるように部屋へと雪崩れ込んできた。
「おお、シヅマ! 我は……、我はぁ!」
それ以上はもう言葉にならないようで、カノはシヅマの身体に顔を埋めて、涙と鼻水を容赦なく押しつけた。
その後ろで、何やら複雑な顔でシヅマをレッティールが見下ろしている。どう声をかけようか迷っている風だったが、勢いのまま語ることに決めたらしい。
「ふん。生きているようで何よりだ」
「それ、オレの科白なんだが。あんたこそ、よく生きてたな」
「さすがにアズハル殿とて、わたしを殺す気はなかったはずだ。それにちょうどラティーフ殿がわたしを癒やしてくださったのだ」
「オレも同じやつに助けてもらった。すげえな、勇者って。よくもまあ、オレも生き残れたなあ」
「生き残ってもらわねば困る。わたしとおまえの決着はまだついてないのだからな」
「うっそだろ、おまえ? あんだけ負けて、まだやり足りねえのかよ? だいたいオレ、勇者越えしたんだが、それでもまだ勝負を挑むつもり?」
「ぐっ……いや、わたしだって、まだまだ強くなる。いつかおまえを負かして、這いつくばらせてやる」
「へいへい、それまでオレが生きてりゃな」
顔を赤くして、何か反論しようとするも、何も言い返せないレッティールを見ていると、日常に帰ってきたような感じがする。日常と思ってから、違和を覚え、そして、すぐに納得した。いつの間にか、皆と過ごすうちにこれが日常となっていたのだと。
「さて、これから何をすべきかね」
「え? 新しい棍棒探しでしょ?」
アトリがさも当然と言わんばかりの顔で見つめてきたので、シヅマとしても反論せざるを得ない。
「いやいや、待てよ。なんで棍棒縛りなんだよ?」
「だって……ねえ……ぶふっ!」
思い出し笑いして、それ以上言葉を紡げなくなったアトリに代わり、エルクが前に出てきた。
「五年も連れ添った相棒を失って、さぞキミもさみしいだろうと思ってさ」
「清清したわ。こんなにも爽快な気分、生まれて初めてだっつーの」
「そうだろうそうだろう。だから、ボクたちはキミにふさわしい新しい棍棒を探しに行こうじゃないかと提案しているわけだよ」
会話がつながらないのは、エルクが結論ありきで言っているからに過ぎない。
そして、こう続けた。
「だって、キミは『鈍器王』なのだろう? だったら、次の武器も棍棒じゃないと。ああ、ボクも少しは呪いがかけられるようになってね、前のほどではないけど、結構呪われ感がすごいのができると思うよ」
「ふざけんな! 鈍器だったら、別に鎚でも棍でもいいだろうが!」
「いやあ、でもシヅマには棍棒だね。だって、今のシヅマ、違和感がありすぎて困るんだけど」
「知るか、そんなこと!」
「さあ、新しい呪いの棍棒を探しに行こうじゃないか!」
エルクのおぞましい宣言に続いて、アトリも唱和した。
「オレたちの冒険はこれからだ!」
「おい、やめろ! なんか不吉な響きしかしねえ! 絶対行かねえからな、そんな冒険!」
シヅマたちがやいのやいのやっている間、声をかけ損なった魔王が部屋の隅でいじけていたというのはここだけの話。
後に鈍器王と呼ばれることになるシヅマの旅はむしろここからが始まりだったのかもしれない。
(了)
この呪われた棍棒がどうしても外れないので、いっそ開き直って「鈍器王」にでもなろうと思います。 秋嶋二六 @FURO26
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