第5話

「そういえば、もう決めたのか」


 真冬駅。少しだけ降ってきた雪を見上げる少女に、二本目の珈琲ブラックで喉を湿らせる教師がついでとばかりに聞いてきた。

 反対のホームを通り過ぎた岩国行きは、誰も降りてくることはない。

 少女はすっかり緩くなってしまった指先で缶を撫でて、うーん…、と芳しくない返事をする。


「秘密です……」


 乾いた表情で下手くそに笑う。


「ふぅん」


 口端に残る焦げ色をぺろっと舐めて、面白くなさそうに教師は虚空に鼻をかける。


「まぁ、いいけど。どの大学にいくとしても、ちゃんとやりたいこと決めてからいけよ」


「どうして進学するってわかるんですか」


「他に選択肢もないだろ?」 


「それは……まぁ、そうですけど」


 むっとする少女を無視して、教師は話を続ける。


「偏差値はまぁまぁ、専門学校に行く予定もないから、そうだなぁ……六大学あたりか?」


 沈黙、ということはアタリか? 少年じみた破顔にますますむすぅと頬を膨らませ、そっぽ向くようにてのひらで白旗をあげた。


「よく見てますね……」


「これでも一応担任だ。だから、お前の進路にも多少のアドバイスはできる」


「———それは、先生としてですか?」


 それとも——。と言うよりも早く、二度目のサイレンが唸った。

 耳障りな音に混じって、終電の近づきが迫っている。

 それ以上会話を続ける気も起きなかったので、再び沈黙が降りた。しばし、ベルの無機質な音だけが駅を満たした。

 ライトに切り替わった視界が明瞭でないことに感謝する。いま先生の顔をみたら、きっと泣き出してしまうから。

 静寂をったのは、扉の開くあの独特な音。

 時間だ。二人して立ち上がり、わたしだけが警告線を跨ぐ。

 溢れそうな心を無理やりに締め付けるように、手を胸に押し当てて、バイバイと手を振る。バイバイと先生も返す。


「「———」」


 何もない沈黙。ただそこにあるだけの、深い静謐。私は精一杯の笑顔を載せて、扉が閉まってもまだ彼を見つめる。後ろのスカートにシワができるくらい力いっぱい、笑顔を取り繕う。

 たとえその瞳がこれから帰るであろう『あの人』のもとへいくとしても、泣いてなんてやるもんか。

 そんな気持ちに情けでもかけるかのように先生の頬も緩む。だから、やっぱりズルい。

 どこか呆れたような、普段の仮面が剥がれた破面。

 ——お前はそのままでいいのに。

 まるで諭すような、優しくも寂しい表情こえに。誓って私は笑顔を偽(いつわ)る。

 無理だよ。先生。

 糸が絡まるのは一瞬、でも解くには時間がかかる。

 終電のベルが鳴り響く。

 人には言えない秘密はただの虚しさだった。身勝手な行為で、罪に苛まれ、それでも尚がれる。

 でも燃えるような恋なんて真っ赤な嘘。いつだってレイニー。

 これはただの戯れ。

 彼にとって私は酢豚のなかのパイナップル。それだけでも完成しているのに、敢えて足されたアクセント。

 つまり、お飾りなんだ。

 この関係は破綻している。でも、それでもいい。

 今の日々が続くなら、それ以上の贅沢はない。

 だから、言わないよ。愛人未満セカンドレディじゃダメだって。

 電車が動き出して、もう意識は私を離れてもまだ…ずっとずっと笑顔を張り続ける。

 せめてあと0センチ、あなたへ近づけられたなら。

 結局質問の返事はないまま、時だけが過ぎた。

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