二章「専属護衛」①イリーガル
傾きかけたオレンジ色の日差しが背中を照らしつける。今年もそろそろ終わりを迎えようとしている、だからか空気は痛くなる程冷えきっていた。数分前に地面に放り投げたコートも人肌を離れたせいか、熱が奪われていた。青年はスカジャンの上からコートを羽織ると、寒さを紛らわせるかのように咥えた煙草に火を付けた。
とある建物の屋上。そこには一服ついている青年の他に、忙しなく動く警察たちと手錠をかけられた幸薄な男、三つ編みの少女とそれに寄り添う母親がいた。
青年は依頼で行方不明だった少女を探していた。彼は調査をしているうちに、現在手錠をかけられた男が少女を拉致したことを知る。結果、青年は現場を突き止め救出した。男は地面の形状を変えるアストラル使いであったがこれを難なく撃退。早々に警察へと連絡した。
「お疲れ様です。お手柄でしたな」
紫煙を吹かしていると、見るからに中年と思わしき警官が声をかけてきた。安心しているのだろうか、少し目元が緩んでいる。
「流石は、鳴上探偵事務所の一員。噂には聞いておったが、一週間も捜索をしていた我々よりも遥かに早く見つけるとは。やはり、実力不足というもの……」
「よしてくださいよ」
青年が困ったような顔をする。
「アストラル使いである時点でハンディキャップがありますし、オレは鳴上探偵事務所の正式な一員ではありません。それに……」
「それに?」
警官が目を細めた。
「……同じくらいの、妹がいるんです。だからどうも、調査に気合いが入ってしまって」
「そうかいそうかい、大切にするんだよ?」
「えぇ、もちろん。それでは、オレはこれで。報告書などの書類は追って連絡します」
タバコの火を携帯灰皿で消すと、青年は警官に背を向け、少女の方へと歩いて行く。それに気づくと母親が立ち上がり、青年に何度も頭を下げた。
「ありがとうございます……なんてお礼を言えばいいか……」
「構いませんよ、依頼ですから。嬢ちゃんもこれからは気を付けろよ?」
「う、うん。あと、これ……」
まだ少し怯えているらしい少女は、自分のポケットから指輪を取り出した。
「それは……?」
「これ、あげる。ありがとう、お兄ちゃん」
渡された指輪は女の子向けのもので、青年にはとても使えたものではなかった。彼はしばらく考えた後、自分の首にかけているドッグタグと一緒に吊り下げた。
ポカンとしている少女に、青年が語りかける。
「似合うか?」
「……うん!」
青年は微笑むと、出口へと向かった。
一階に降りて扉を開けると、警察が周囲を封鎖していた。記者や野次馬で賑わっており、不快感に思わず舌を出す。警官たちに挨拶をして、遠くの方に止めたバイクへと歩き出していた。停めたのは約一時間前、しかもスーパーの駐輪場だ。ここからあと歩いて二十分はかかる。撤去されていなければいいが。
慌てる心をよそに、呼吸を整えようとゆっくり歩いていた時だった。ポケットに入っていた携帯が震える。仕事用の支給された携帯だ。発信者にも心当たりがある。
青年は携帯を開くと電話に応答した。
「……はい、
『ご苦労様、
「構いませんよ。オレも丁度連絡を入れようとしていたところです」
その人物、
現在の所員である
小岩井史詠と鳴上探偵事務所は、史詠の個人的な事情と事務所の要求の元、正規雇用をしない代わりに仕事の際は依頼料にボーナスを付ける契約となっている。だから彼は自分を正規所員ではなく「イリーガル」と名乗るのだ。なお、正規雇用をしないというのは史詠きっての希望であり、それでも戦力になって欲しいと考えた椎名が、この契約を持ち掛けたのだ。戦闘に使用出来るアストラルは非常に貴重なのである。
歩きながら史詠は口を動かす。
「今回の依頼、誘拐された女児と誘拐犯の確保、無事完了しました。犯人と被害者も警察に引き渡しを行い、帰る途中です」
『流石だな。やはりこの件は君に任せて正解だった。私や右京を向かわせると、変に拗れそうだからね』
「所長がまた拗ねますよ、それ……」
右京も立派な探偵だ。足で探す探偵としてならば熟練の警察官とそう変わりない。椎名が凄すぎるだけなのだ。
「しかし……県外から依頼って来るものなんですね」
『今回はまだ鳥取だったからよかったけど、二人で経営してきた時に来た大分からの依頼はどうしようかと思ったよ。まあ交通費も経費で落ちるし、有名になったことを喜ぶべきかな』
事実、鳴上探偵事務所の実績は月偽ではある程度有名だ。探偵として、と問われると些か疑うところではあるが、解決してきた事件は迷い猫探しから猟奇殺人事件まで、警察とも信頼関係を築き上げてきたプロフェッショナルだ。
史詠自身も、この探偵事務所に心を許している。それだけ信頼が持てるということだ。
「ところで、椎名さんから電話って珍しいですね。何かありましたか?」
『あぁ、そうだ。実は直ぐにでも戻ってきて欲しい。少し事情が変わってね」
「事情?」
『
史詠は立ち止まり、眉を顰める。
もちろん彼も存鎧の存在は知っている。現在の月偽の天皇であり、実質的な行政権を持っている人物だ。まだ態勢が整っていない新しい国であるとはいえ、存鎧の存在は月偽には大きい。
探偵事務所が、天皇陛下を護衛する。恐らく月偽政府内にスパイがいる可能性を鑑みての行動だろうか。
――だとするとオレの存在は表向きでは戦力に加算されていない? 椎名さんは何を考えているんだ?
無言が続く中、椎名の声が聞こえてくる。
『多分、君の考えている通りだよ。特別課第一分室にも話は通していない。これは外部の人間の君だからこそ出来る仕事だ」
「それは……随分な重労働ですね」
史詠は大きくため息をついた。
『あぁ。出来れば早く新入りとも顔合わせをしてやっては欲しいものなのだが……』
「新入り?」
『そういえば、まだ言っていなかったな』
忘れていたかのような発現に肩透かしを憶えながらも、史詠は興味を持って電話に耳を傾けた。
『
「…………今何と?」
『信念の強いってところか?』
「いえ、名前です」
『だから、桐生刀護だ』
焦る気持ちを、唾を飲み込んでやり過ごす。
桐生刀護。確かに彼女はそう言った。
「……すみません、椎名さん。来客です。詳しい話と帰る日にちは、追って連絡します」
『了解した。今日はゆっくり休んでくれ』
それを聞くと、史詠は電話を切った。
ポケットに携帯を仕舞うと、はぁぁぁと大きなため息をつく。熱を持った吐息が冷たい空気に触れ、白く染まった。口の中が渇いていくのがわかる。何より汗をかいたせいか、吹く風に当たってかなり寒い。
どうやら、事の流れというものは史詠が想像しているよりも遥かに早く流れているらしい。
椎名との通話は意図的に切った。しかし、来客というのは嘘ではない。
史詠が後ろを振り向くと、紫色の髪をなびかせた女が立っていた。
「もう話し合いは終わったのかしら? 随分と長く話し込んでいたようだったけれど」
「……ヴェノム」
ヴェノムと呼ばれた女性は薄紫の唇で微笑むと、史詠に近づいてくる。彼の顔は椎名たちと話していた穏やかなものではなく、どこか切り詰めたかのような表情をしていた。
「行ったでしょう、ローグの言う通りになると。私たちの魔王は始まりの関門を見事突破して目覚めた。彼の中には既にサンダークラップもいる。もう始まっているのよ」
「オレからすれば、あいつは青音が助けた人間だ。……まだ、判断しかねる」
「別にそれでもいいけど、あなたは死なないでね? インフェルノも残念がるわ」
「減らず口を」
史詠は肩を落とすと彼女を置いて歩き出していた。ヴェノムが微笑んでいることも知らずに、史詠は一人、虚空を睨みつけていた。
――桐生刀護……お前が器に相応しくなければ、オレが殺す。
***
通話が切られた後、椎名は携帯を仕舞い、壁にもたれかかっていた。
恐らく、史詠は何か隠し事をしている。
椎名のアストラル『
だが、このアストラルも万能は訳ではない。あくまでこの力は「理解したものを深く分析する」ものであり「知らないことを知ることが出来る」ものではない。
そして、椎名は史詠の全てを知らない。
「……何を考えているんだい、君は」
彼女がため息をつくと、横から声が聞こえる。
「珍しいね、椎名がため息って」
右京だ。心配そうに椎名を眺めている。椎名はそれに微笑みかけた。
「心配することはない、史詠も少ししたら戻ってこれるようだ」
「そっか。それと、刀護くんは……」
「あぁ。陛下の提案通り、彼女の専属護衛になって貰おう」
Nexus Q.前日譚(改題、一旦停止) 赤坂岳 @akasakagaku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。Nexus Q.前日譚(改題、一旦停止)の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます