一章「初陣」③天皇陛下
少し離れた駐車場に車は向かう。駐車場に差し掛かると、待っていたかのように三人のスーツ姿の男がこちらに歩いて来た。後ろにいる二人は特に変わりはないのだが、先頭の一人は角刈りにサングラス、筋肉のついた背広な体と、見方によっては外国人にも見えそうな身なりをしていた。
「お久しぶりです、
「時間通りだ、心配することはない。相変わらずお前は心配性だな」
辻常と呼ばれた男はネクタイを結び直すと、こちらへと向かってくる。威圧的な風貌と独特の雰囲気に、思わず後退りしそうになる。だが流石にそれは失礼極まりないと思い、何とか踏みとどまった。
彼は目の前まで来ると、手を差し伸べる。
「私は、京都法務局特別課第一分室、室長の
握手を求められていることに気づくと、
「き、
「うむ、元気があってよろしい。それではお前たちを陛下の元へ案内しよう」
「へ、陛下……」
聞き慣れない単語に唾を飲んだ。ついこの間まで孤児院で育った世間知らずの少年が、天皇陛下に会いに行くなどと有り得ないとしか思えない。
これから自分は、この国で一番偉い人に会う。その事実だけでも背筋が伸びてぶれない。
辻常は
御所の中に入ると、歴史を感じさせる風景が目に焼き付いてきた。趣深い、と言えばいいだろうか。刀護の拙い語彙力では、綺麗だとか美しいだとか、ありふれた言葉しか出てこない。ただ、そこにある歴史の重圧さというのは、確かに刀護にも感じられる部分があった。キョロキョロと見回す顔が止まらない。
第三次世界大戦後、月偽の中心は間違いなくここであった。国民たちがどれだけ政治に文句を言おうと、より良くしてくれる人もいれば、自分のことしか考えていない人もいる。国民だって持っている、ただ一つの揺るがない人間性のようなものだ。
しかも、その最重要人物とこれから顔を合わせるのだ。
椎名が歩くスピードを緩めてこちらに近づいて来た。
「刀護くん」
「あ、すみません。ジロジロ見るのって失礼でしたよね?」
それを聞くと、椎名はおかしいとでも言いたげにははっと笑った。
「そんなことはない。滅多に来れない場所だ、しっかり目に焼き付けたまえ」
「そうですか? そ、それならいいんですが……」
「私が心配なのは、君の緊張が前からも伝わってくることだよ」
げっと顔をしかめさせる。確かに鼓動が速くなって、他の人にも伝わるんじゃないかと思ったくらいには激しい。意識をすると更に速くなってきた。
刀護の緊張をよそに、彼らは少しずつその敷地内を歩いていた。刀護たちが案内されたのは清涼殿という、京都御所を皇居としていた時代に天皇が儀式や執務を行う際などに使われていた場所である。中は想像していたより簡素で会議で使うような長机と沢山の椅子が置かれていた。現在も使用していることから、恐らく歴史よりも使いやすさを優先したのだろう。
迫力に息を飲む刀護。辻常は三人に向かう。
「もうすぐで陛下もいらっしゃる。話す前に疲れては元も子もない、座って待っていてくれ」
辻常は部下二人をその場に残すと、奥の方へと去っていった。
緊張で震える刀護の肩を、右京が軽く手で叩く。
「大丈夫だよ、僕らもついてる。これが初陣だったら僕も絶対緊張しちゃうけど」
「そ……それはそうですよ! こんな難易度の高い初陣ありますか!?」
「ぼ、僕らも別に君に無理をさせようとか、そういう魂胆でやってた訳じゃないんだよ?」
「なし崩しでもこれはきついでしょ!? 天皇陛下ですよ天皇陛下!?」
「まあそう慌てることもないじゃないか」
椎名が椅子を机から退くと、脚を組んで座り込む。
「結局地位も何もない、じゃがいもだと思えばいいんだ。ほら、私もじゃがいも、右京もじゃがいも。君だってじゃがいもだ。だとすると、存鎧陛下も……」
「じゃがいも……とはならんでしょ!?」
「椎名、それはちょっと無理があるよ……」
「何故だい? 普通の人はこうやって緊張を和らげるものなのだろう? ドラマで見たよ」
「ポテトサラダにしてくれるわ……」
はぁ、と大きく刀護がため息をつくと、カツカツと足音が聞こえてくる。一気に緊張感が上ってきて、動悸が激しくなるのがわかった。
右京が椅子を引いて座ったので、刀護もそれに続く。膝の上で手を握り、滝のような汗を止めようとする。
奥から出てきた男性は、テレビで何度も見たことがある初老の男性だった。
「すみません、遅れてしまいましいた。右京さんに椎名さんも、ご足労頂きありがとうございます」
普通の男性より一回り低い声の、どこか落ち着いた心地の良い声の持ち主だ。
椎名と右京がその場で立ち上がる。続いて刀護も立ち上がった。
「こちらこそ、ご依頼ありがとうございます、陛下。ご指名頂いた以上は、必ずや依頼を達成してみせます」
「任せたまえよ、陛下。私たちの実力は、あなたが一番ご存知だろう?」
「えぇ、そうです。だからこそ、あなた方を指名したのですから。そして……」
そう言いながら、
「はっ初めまして! 桐生刀護と申します! 本日はお日柄も良く……」
「刀護、もう喋らなくていい」
椎名が苦笑いをしていた。
「そうですか、あなたが……」
じっと見つめてくる存鎧に、刀護は落ち着かない気持ちを何度も味わう。更に刀護は、目の前で驚きの光景を見ることとなる。
「申し訳ございませんでした」
「……へ?」
よくわからない。刀護どころか、辻常や右京も目を丸くしていた。
存鎧が、刀護に頭を下げているのだ。
「境遇の酷い孤児院というのが存在するのは、私の知るところでもありました。しかし、見て見ぬふりどころか、知ろうとすることもせず、一定の規則は守っていることだろうと完全に思い込んでいました。ですから、春風の家のことを後で知った時は、自分を責めました。もっと早く私がこのことを知っていれば、あなたのような境遇の方も減らせたかもしれません」
言葉を失った。それと同時に、刀護は実感した。この方は責任というものに慎重で、目下の人間のためにも頭を下げられる人間なのだと。
「や、やめてください! 大丈夫ですから、オレは!」
全員の目が、刀護に集中した。
「確かに……あそこでいるのは、凄く苦しかったです。痛い思いも何度もしました。ですけど……」
一度息をゆっくり吐いて、続ける。
「こんなオレでないと、出会えなかった人がいました。手を取ってくれた人がいました。これで、痛い分のお釣りは来ると思います。だから、その謝罪は要りません」
小さな少年の、精一杯の言葉であった。
それを聞くと存鎧は顔を上げ、優しく微笑んだ。そこには天皇という面影というよりは、一人の人間としての表情に見えた。
「あなたは……人の痛みが分かる人なのですね」
「え? 何でそういう話に……?」
「いいえ、何でもありません。右京さん、良い新人を持ちましたね」
そう言った後、存鎧は手を差し出して「座って下さい」と告げる。刀護、椎名、右京は言われた通りに腰を落とした。
存鎧は「さて」と表情を険しいものにしながら、三人を見る。表情が強張る椎名と右京、刀護も心の中で引き締めた。
「依頼内容について、ご説明をさせて頂きます。なお、これから話す内容は、この内容が公表されるまでは国家機密扱いであり、場合によっては国際問題に発生するということを肝に銘じておいてください」
国家機密。十三年生きてきて、天皇の口から国家機密なんて言葉を聞くことになるとは思いもしなかった。自分の初陣がこの仕事であるということに、刀護の緊張感は更に駆り立てられる。
存鎧は辻常にハンドサインを行うと、辻常は三人に書類を渡した。慣れない資料を、刀護は食い入るように見る。
「一週間後の十二月三十日。我々、月偽政府は日本政府への対抗策として、イギリスと二国間条約を締結することを予定しています」
聞き慣れない言葉に、刀護は眉にしわを寄せる。それに気づいた椎名が刀護に語りかけた。
「二国間条約というのは、その名の通り二つの国が相互の署名、そして議会で承認を得ることで効力を発揮する条約だよ」
「え、えっと……」
「つまりお互いの利益のために合意のもと契約を設けるんだよ。椎名、それは中学生にする説明じゃない」
三人が話し終えたところで、存鎧はもう一度口を開く。
「それだけなら、特段慌てることではないのですが、日本に潜入しているエージェントの一人から、日本政府がこの条約を阻止しようと動いていることがわかりました」
「なるほど」
椎名が口を開いた。
「日本も流石に全面戦争をしかける訳にはいかない。となると、アストラルを持った暗殺者のラインを考えるのが最もだろう」
「その通りです」
存鎧は頷く。
「つまることころ、あなた方への依頼は条約を締結するまでの警備、及び護衛です。もちろん、無茶な依頼ですから報酬も多く用意してあります」
「わかった、ただし条件がある」
立ち上がったのは椎名だ。全員が彼女に注目する。
「警備の計画及び指揮をこちらに一任させて貰おう。お互いが単独で動くのも、君たちだけの範囲で計画を立てるのも愚策だ。ここは一つ、探偵としてこちらの実力を信じてはくれないだろうか」
「そこは私では判断しかねますね……辻常さん?」
「えぇ、構いません。私も陛下も、お前たちの実力はそれなりに認めているつもりだ」
「それは嬉しいことだ。精一杯、この国を守ってみせようではないか」
不安を洗い流すように、刀護の頬に汗が流れる。
少年の初陣が始まった。
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