エピローグ「正義」

 また、あの夢だ。


 ――いつか英雄になって、私を助けてね。


 小さな少女が、語りかけてくる。自分たちにとって「英雄」とは、特別な存在であった。ヒーローではなく普通の人でありながら、人を助け、創り、守り、勝ち、救う――。そんな、特別な存在。それを、目指していたのを憶えている。

 自分の体も、あの日の小さな少年だった。

 思わず、少女に問い掛ける。


「なれるのか? オレが……」


 不安な気持ちは素直に言葉にも乗った。

 少女は表情を変えることはない。


 ――なれるよ、あんたなら。私のことを救ってくれたんだから。


 買い被りだ、なりたいと思っているだけで、なる資格やなれるかどうかは別の話だ。そしてわかる。自分にはそんな力がないことを。

 正しさでは、何も創れない。勝ちえない。救えない――。それを、少年はよく知っている。

 ただ、何も失いたくないだけなのだ。失ったもの、そしてその記憶さえ失った。あるのは漠然とした喪失感。そればかりが少年の胸を苦しめ支配していた。

 出来るのか、こんな自分に。


 ――何言ってるのよ。


 少女が口を開いた。


 ――あんた、ちゃんと守りきったじゃない。


 その声にはっとなる。

 そうだ、間違いなくあの時、彼女らを守り切ったのだ。この先の道を創り、未来を勝ち取り、自分を救えた。


「オレは、きっと……」


 少年は、少女に目を向けた。


「お前は、誰なんだ?」


 少女は少年に、背を向けてしまった。



   ***



 光が差し込み、瞼がむずかゆくなった。目を擦りながら体を起こすと、途端に左肩に痛みが走る。


「痛てぇ!?」


 思わず思いっきり叫んでしまった。

 自分の体を見ると、至るところに包帯が巻かれている。頭、肩、腕、腹、脚……。何故こんなにも怪我だらけなのだろうか。


 ――そうか、オレは総長との戦いの後、気を失って……。


 思い出したところで、横から声が聞こえる。


刀護とうごくん!!」


 横から女性の声が聞こえる。顔を動かすと、心配そうに刀護の手を握っている詩音しおんの姿があった。


「し、詩音さん……」

「よかった……びっくりしたのよ? 帰ってこないかと思ったら、朝五時に病院から電話が来るんだもの。飛んで行ったら包帯だらけだし、意識は戻ってないって言うし……」

「……まさか」


 刀護は表情に驚きの色を隠すことが出来なかった。


「ずっといて、ずっと起きてた……? オレがさっき、目を覚ますまで?」

「えぇ。別におかしい話じゃないでしょ? 弟が心配なんだから……」


 詩音の手が、刀護の手を握る力を増す。やんわりとした柔らかく温かい手が包帯越しに伝わってくる。不思議と心臓の鼓動が少しずつ落ち着いてきた。頭も通常の働きを取り戻す。

 そうか、と刀護は気づく。詩音に救われた瞬間、あれは安心感なのだ。

 彼女の顔を見ると、心配な表情を押し殺すかのように微笑んでいる。家族として、姉として、詩音は身を案じてくれているのだ。

 思わず詩音の手を握り返す。先程まで心配そうな笑顔が、安心感のある表情になった。


「だけど……」


 途端に険しい顔になる。そうかと思うと刀護の頭に手刀を振り下げた。


「ちょ、痛い! 痛いって詩音さんオレ怪我人!」

「どれだけ心配したと思ってるの?」


 その言葉に、はっとなる。 

 詩音の表情は微笑みが崩れ、静かに涙を流していた。


「ご、ごめん……ただでさえお金がないのに、治療費――」

「そうじゃない!」


 出会って一番、詩音の声が荒立った。


「あなたがもし、このまま意識を戻さなかったら……私は……」


 ――しん……ぱい……。


 自分の身なんてどうでもいい。ましてや、自分を案じてくれる人なんてどこにもいない。ずっとそう思っていた。現にそうだった、自分が傷ついたところで誰も怒らないし、悲しまない。

 しかし、今は違う。

 一緒に戦う奴がいる、大人としての責任を果たそうとしてくれる人がいる。そして。


 ――オレのために泣いてくれる人、か……。


 刀護は痛む腕を上げ、詩音の涙を拭った。


「……ごめん。オレ、何も考えていなかった。自分の都合しか考えてなかった」


 それは初めて内から湧き出た、自分の確固たる意志だった。

 だけどそれを望まない人もいる。この身を気にかけ、涙を流してくれる人もいる。

 そして何より、帰るべき場所がある。


「でも、多分オレはこの方法を変えられないと思う。だって、オレは……」


 ――『犠牲スケープゴート』、なのだから。


 きっと、刀護の根幹なのだろう。その身はいつも、何かの犠牲の上で成り立っていた。だとすればこの身も。犠牲の上で何かに繋げていく必要がある。それが正しい意義で在り方、そして繋がりだと思うから。

 だとすれば、この身を体現する言葉は決まっている。


 ――明日を繋ぐ犠牲になれ。


 これこそが、刀護が導き出した解答だった。

恐る恐る詩音の表情を見る。涙こそ止まっていたものの、悲しい表情をしていた。そして、何か意を決したように口を開く。


「私の弟になったからには、犠牲だなんて言葉を出せなくなるくらい幸せにしてやるんだから」


その顔は決意に溢れていた顔だった。


しばらくそうしていると、詩音のポケットからアラームが鳴る。


「あら、こんな時間ね。ごめんね、もう行かないと大学の講義に遅れちゃう。あなたが目を覚まさなければ居続けるつもりだったけれど……」

「いいよ、行って。もうオレは大丈夫だから」

「……そっか。もう行くね。また講義が終わったら会いに来るから」


 そう言って詩音は手を振りながら去って行った。

 ベッドの横へ目をやると、リンゴが二個置いてある。詩音が持って来てくれたのだろうか、剥く道具もないのでそのままかぶりついた。みずみずしい食感が全身に快楽をもたらす。何だか、生きているという実感が湧いてくる。そう言えば、リンゴなんて初めて食べたかもしれない。

 二個目を齧っていると、病室の扉がノックされる。看護師だろうか。

 気兼ねなく「はい、どうぞ」と声を上げる。


「やぁ、思ったより元気そうだね」


 そこにいたのは、あの探偵の二人だった。

 椎名は歩いてベッドに近づくと、刀護の顔を覗き込む。顔色をチェックしているのだろうか、こちらをじっと見つめていた。


「……君、リンゴは二つあったはずだが」

「あ、あぁ……もしかして椎名しいなさんが?」

「そうだ。目が覚めたら食べるだろうと思って置いておいたんだが……」


 椎名は不思議そうな顔をしながら、ベッドの横にある棚と刀護を交互に見た。


「君以外が食べたのかい?」

「オレが食べましたけど……」

「ん?」

「え?」

「……もしかして、芯ごと食べたのかい?」

「……すみません、リンゴを食べたのが初めてなもので」


 どうりで妙に固くて味が薄かった訳だ、真ん中の部分だけやけに美味しくなかった。それを知っていればちゃんと真ん中の芯は残しておいたというのに。

 椎名は口を抑えて笑い、右京うきょうは心配そうな顔をしていた。

 しばらくして椎名が笑いを止めると、近況を聞いてきた。痛むものの体が動くということと、詩音が見舞いに来たことを述べた。二人は嬉しそうにうんうんと頷き続ける。

 刀護の話が終わると、椎名が「さて」と切り出し、椅子に腰かけた。


「君のこれからについて、大切な話があるんだよ」

「オレの……これから?」


 椎名は頷いた。


「知っての通り、アストラルは人知を超えた超常の力、故に疎まれやすいのも事実だ、君はこれからその力と付き合っていかなければならない。何故これまでと違うのか、それは君が力を他人に行使してしまったからだ」


 ゴクリ、と刀護の喉が鳴る。

 そうだ。黒箆との修行ではなく、守るという大義名分があったとはいえ、あれを人を傷つけるために使ってしまったのだ。


「これから君は、幾度となくその力を狙われる危険性がある。だけど、君が望むなら、私たちは選択肢を与えることが出来る」


 椎名が一本、指を立てる。


「一つは、自分の独力だけで、この世界と戦っていくこと。誰とも関わらないでいれるが、その代わり誰も君のことを助けない」


 椎名がもう一本、指を立てる。


「もう一つは、我々『鳴上探偵事務所』の一員となり、人と関わって生きていく方法だ」


 刀護の表情が変わる。

 狙ったかのように、椎名が続けた。


「この仕事は苦しい、必ずしも正義を貫き通せるとは限らない。だけどこの仕事で、確かに正義があることを私は学んだよ」


 それは、哀愁の表情。得たものもあれば、失ったものもあった。椎名も右京も、完全無欠でこの場に立っている訳ではない。数々の大切なものを失い、また得て、失った。

 それを繰り返していくうちに、繋がりという本質が見えてきた。


「これは君のとある人物から――いや、違うな。確かに、最初は依頼だった。だけど君という人物を調べていくうちに、私は君に興味が出てきたんだよ」


 そっと、刀護の方へ手を差し伸べた。


「君の力は、この仕事で存分に発揮出来る」


 ――確かに……。


 確かに、刀護の正しさでは、何も創れない。勝ちえない。救えない――。それをよく、思い知らされている。

 でも、それを変えられるのなら。そして、自分が唯一行える絆の証を、そこに証明することが出来るのなら。

 刀護は、真っ直ぐに椎名の顔を見つめる。


「――人を守る仕事が出来ますか?」


 椎名は呆気にとられた顔をしたが、直ぐにその頬を緩めた。


「少なくとも、人を助ける仕事は出来るよ」


 刀護は手を伸ばし、椎名の手を取った。歯を出して笑う彼の顔はこの人生で間違いなく一番の笑顔だった。



 セカンド・オリジン。守護の英雄の覚醒であった。



     →桐生刀護成長録「桐生刀護の初仕事」に続く

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