五章「セカンド・オリジン」①二人目の覚醒

 四人を乗せた車は月偽から日本へと入り、日本の高速道路を走っていた。深夜であるからか、すれ違う車はほとんどない。見かけるのは荷物を運ぶトラックばかりだ。街灯の灯りが窓を通して差し掛かっていた。

 道を走る車の音だけが聞こえる。


「しかし、この子たちを連れてきてよかったのかな」


 ハンドルを操作しながら、右京うきょうは心配そうな顔でルームミラーを覗き込んだ。後部座席に座っている刀護とうご暮人くれとは静かに眠っている。椎名しいなが英気を蓄えるために少しでも寝るべきだと提案したのだ。

 椎名は頬杖を突きながら、窓の外を眺めている。景色も変わらず対向車もない、取るに足らない景色だ。


「私たちは大人だ、子供を守ってやらなければならない」

「じゃあ……」

「だから尚更、あんな苦しそうな顔をしている二人を、待たせるだけにするにはいかないだろう」


 右京にも椎名の言いたいことはわかる。あのまま彼らを事務所に残していれば、きっと彼らは飛び出したに違いない。だが、そうであったとしても残しておくべきだったのではないかと思う自分もいる。

 彼は、言っていた。「子供を傷つける大人は人ですらない」と。


 ――僕には、難しすぎる。


 まだ未熟な自分には、どうすることが最善なのか、全くわからない。そもそもこの状況に、最善の選択とはあるのだろうか。

 最善なんて、誰にもわからない。最善の方法がわかっていれば、あの人は死んでいないはずだ。

 気負う右京に気づいたのか、椎名が声をかける。


「私たちなりにやるしかないんだよ。私たちはあの人みたいに強くない」

「僕たちなりに、か……」


 後ろで物音がする。椎名が振り返ると、刀護と暮人が起き上がっていた。眠たそうな目を擦りながら、こちらを見つめている。


「まだ三十分以上ある、眠っていてもいいんだぞ?」

「そろそろ起きとかねぇと脳がはたらかねぇんだよ……」


 暮人が伸びをしながら答えた。

 椎名は「ふむ」と呟くと指を立てながら声にした。


「では、作戦のおさらいでもしようか」


 今回の作戦は、博打に近いものだった。

 そろそろ、人間オークションが始まる時間帯だ。阻止するのが目的だったが、今回に限り、遅れたとして何の支障もない。

 椎名の調べ、推理によれば、捕まったリストにあった「狭間渚はざまなぎさ」はどこかの組織の一員である可能性が高いという。そんな彼女が何故リストに入ったのか、そこまではわからないが恐らく彼らの人間オークションを阻止しようとする策略の一部だろう。ここで自分たちが動かなくても、彼らが阻止するはずだ。裏組織である以上、自分たちよりも戦力も影響力も圧倒的に上回っているのは語るまでもない。

 その混乱に乗じて入り込み、商品になっている人たちを助け、守花を救出する。今回の彼らの仕事はここにある。

 要するに「漁夫の利」作戦、探偵として表舞台に立っている自分たちは、守花さえ助け出せれば結果的に勝利なのである。


「とはいえ、危険であることに変わりはない。相手は武装しているし、戦いに巻き込まれる可能性もある」

「関係ねぇな」


 足元にある鉄バット。暮人の標準装備だ。


「最初っからわかってるさ。だがダチを奪われてじっとしている男もかっこ悪いだろ」


 暮人の視線は、刀護に移った。


「……わかってるさ。オレだって、戦えるって証明する」


 拳を自分の手のひらに打ち付けた。

 そうだ、戦えない訳ではない。何度も黒箆に戦い方を教わってきた。今こそが自分の力を証明する時なんだ。

 車のナビゲーションを見ながら、右京が言った。


「そろそろ到着だ、後は歩いて近づくよ」


 その言葉を聞き、刀護は窓を覗き込んだ。煙が山から立ち上っている、間違いなくゴングが鳴った後だ。死人が出ている可能性だってある。相手は救いようのない異常者、それはわかっているのだが……それでも踏みとどまってしまう自分がいる。

 高速道路を降り、少し奥の方へと車を走らせる。山の付近で車を止めた。真正面から行くのは危ない、側面から潜入しようと計画を立てたのは椎名だった。

 椎名は何も持っていない、右京は指にメリケンサックをはめていた。暮人は金属バットを肩に乗せている。

 刀護も心の中で、静かに決意を固める。


「――行こう」


 椎名の言葉で、全員が山に突入した。ここからでも爆発音が聞こえる、銃声は鳴り響く、悲鳴は絶え間ない。刀護の中に少しずつ焦りが芽生え始めてきた。

 月が隠れたのか、山の中が少し暗くなった。周りをよく見て、急いで駆け抜ける。

 上まで登りきると、右京が一度静止の意味を込めて後ろの三人を腕で遮った。

 右京は椎名の顔を見る。彼女も小さく頷いた。

 それを確認すると、刀護と暮人に告げた。


「ここからは慎重にね、死ぬ可能性だってある。僕は正面を抑えに行くよ。椎名も着いて来て欲しい」

「もちろん、任せてくれたまえ」

「二人はどうする?」


 刀護と暮人は向き合った。迷っている暇はもうない、ここからは即決断の世界だ。

 バットを軽く叩き、暮人が言った。


「囚われてる人を助けるのは任せてくれ。チームの連中もいるしな」

「大丈夫なのかい?」


 椎名が問い掛ける。暮人はニヤリと笑った。


「自分で言うのも何だが、かなりの武闘派だぜ、オレは。まあ任せてくれよ」


 自信の中に何かを見たのか、椎名は嬉しそうに頷いた。暮人も応えるように頷く。

 全員の目が刀護へと集まった。「君はどうする?」と言いたげな顔だ。

 刀護はすっと、目を閉じる。


「……決着をつけないといけない相手がいるんだ」

「わかった。君に関しては自由にやるといい」


 全員が快く頷いた。

 まだ悲鳴も銃声も鳴り止まない。ここから、自分の命を守りつつ目的を達成しなければならない。

 どく、どくと心臓の鼓動が速くなる。

 右京が、静かに告げた。


「――解散」


 全員が同時に走り出す。

 右京と椎名は正面の方へと向かった。この混乱を止めるためか、或いは敵を淘汰するためか。いずれにしろ、子供では出来ない大人の仕事を遂行しようとしているのだろう。

 刀護と暮人は館の柵を上ると側面から侵入した。

 周りを見渡して、周囲を警戒する。

 暮人の耳に、銃を構える音が聞こえた。


「っ――」


 刀護の襟を引っ張り、物陰へと隠れる。銃声が鳴り銃弾が発射、先程までいた場所を楽々に貫通していた。

 暮人が物陰から飛び出した。男は二人いる。

 銃を構えられる前に。


「ぜぇあぁぁぁぁ!」


 バットの薙ぎ払いが男の銃を弾き飛ばした。金属が転がる特徴的な音が聞こえる。

 もう一人の男が暮人に銃を向けた。だが、暮人はそちらに目を向ける様子もない。暮人の振り上げたバットが銃を持たない男に向けられる。

 引き金が、引かれ――。


「てぇりゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 刀護の八極拳が、銃を持つ男を突き飛ばした。地面へと叩きつけられる男を追いかけ、銃を蹴り飛ばす。


「貴様っ!」

「悪いが寝てて貰うぞ!」


 刀護の肘打ちが男のみぞおちへと繰り出される。息を大きく吐く声が聞こえた後、男は静かに蹲った。

 一息つき、暮人の方へと目線を向ける。バットの一撃でもう一人の男も気絶していた。

 思わず二人で拳をぶつける。


「お前とは何か上手くやっていけそうだ」

「あぁ……オレもそんな気がする」


 笑い合うと、暮人が「さてと」と口を開く。


「あいつらがこっちから出てきたっつーことは、確実に裏口があるな。オレはそっちに行く。お前は?」

「オレは――」


 女の叫び声が、聞こえる。

 暮人の顔が険しいものへと変わった。


「クソっ、あっちに――」

「オレが行く」


 刀護が静かに告げた。

 間違いない、自分に散々痛みと正しさをもたらしていた「あの男」がそこにいる。何故わかるのか、それはわからないが不思議な縁が、苦しい過去が、あそこにあると告げている。

 再び、刀護は暮人へ向いた。


「行かせてくれ」


 押し黙る暮人、見続ける刀護。


「……わかった。オレはオレのやるべきことをやる。だからお前は、お前のやるべきことを成してくれ」

「あぁ……」


 二人は再び拳をぶっつけ合うと、それぞれの目的のために走り出した。



   ***



 コツ、コツと足音が聞こえる。不思議な空間だ、青い空と無数の本棚ばかりに支配された空間だ。太陽もないのに空は明るいし、青い。それはこの世界の全てであり、内包される知識でもある。

 黒い外套を着た一人の男が歩いていた。彼の目線の先には、白い机と椅子で紅茶を飲みながら、本を読んでくつろいでいる小さな男がいる。


「……何を読んでいる?」


 黒箆くろのが口を開いた。

 小さな男は振り返ると、少し嬉しそうに「あぁ、君か」と言葉を発する。彼は本をそっと閉じると立ち上がった。


「『桐生刀護の記録』だよ。彼は実に面白い人生を歩むことになる」

「……人の歩む道なんざ見て楽しいのか?」

「あぁ、楽しいさ」

「なるほど、オレには理解できないことだ」


 無表情で斬り捨てる。男は「釣れないなぁ」とすかした笑いを見せた。

 本棚が巡る、不思議な空間。今でも外では、ある者が必死になって自分の成せるべきことを成そうと奔走していた。

 それを、黒箆は知っている。

 彼の拳の重みを知っている。

 内包している優しさを、知っている。

 そして誰も救えないことを、何より知っている。

 無限に渦巻くような悩みの中で、彼は自分の生き方の答えを出そうと必死に走り続けている。


「……彼の覚醒が、始まるね」

「あぁ。これからが、奴の始まりだ」


 男はニヤッと、笑ってみせた。


「『英雄の覚醒ファースト・オリジン』、登良鐘とらかねひいろの誕生は既に終わっている。今回の物語は、その続きを綴る話だよ」


「『二番目の英雄の目覚めセカンド・オリジン』……『守護の英雄』の誕生だ」


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