四章「正しい意義」③神の元の正しさ

「レディース・アンド・ジェントルメン! お待たせしました、大富豪の皆様! 只今より『人間オークション』を開催いたします!」


 大きな拍手が巻き起こる。ステージでは執事服を着た男が劇団のように体を大きく動かし、自分たちの存在をアピールしていた。

 見物人、あるいは参加者たちの様子は様々だ。ひげを触り見下すように見る男、微笑んでいるふくよかな女、あるいは小さな子供。いずれも自分の顔を仮面のようなもので隠しているが、個性が出過ぎて仮面が機能していないようにも見える。そしてその冷ややかな眼差しには、とても人間性があるようには見えなかった。

 ステージの男が進行を続ける。


「さて、前置きは必要ないでしょう。早速商品をご紹介しましょう!」


 スーツの男たちがステージ袖から、捕らえられた少女を連れてくる。髪が長く、顔立ちも綺麗だ。スタイルも平均と比べると豊かで、商品価値は充分にある。


「いいな、あれ。最初から上玉が出てくるとは今回は期待出来るな」

「あの体をどう使ってやろうか……」

「いやいや、鞭で叩いた時の悲鳴こそ至高だ」


 下等な会話は繰り広げられる。とても人間のものとは思えない、下劣な悪臭が感じられる。

 少女の顔は、諦めと絶望に塗りたくられていた。顔に叩かれた後がある。しかし彼らからすれば、これも興奮の材料となるのだろう。

 男が木槌を叩いた。セリの合図だ。最初に設定されていた十万円から、十二万、十五万、二十万、二十八万、四十万……と、金額が少しずつ押し上げられる。

 ある男の声がした、百五十万と。それっきり声はしない。


「百五十万でよろしいでしょうか?」


 声はしない。


「では、百五十万でらくさ――」


 洋館が大きく揺れた。爆発音と共に洋館が何度も大きく揺れる。講堂の中に無数の悲鳴が飛び交った。部屋中の灯りが消えた、停電だ。外から聞こえる発砲音と悲鳴が更なるパニックを引き起こす

 揺れが収まった瞬間、観客たちは声を上げながら散り散りに逃げ始めた。ステージの男が「落ち着いてください!」と叫ぼうが、その声は届かない。人間を買おうとする自分勝手な者たちだ、自分さえ助かればいい。

 講堂の外では、銃を構えるスーツ姿の男と日本刀を構える少女がいた。少女は容赦なく刀で男たちを斬殺していく。それが更に恐怖を与えることとなる。

 二人の女富豪が、何とか外へと脱出することに成功した。


「どうするの、これから?」

「裏から逃げるわ。今なら手薄になっているはず」


 彼女たちは館の正面ではなく、裏から脱出しようと目論む。正面は襲撃者が潜んでいる可能性がある上、一気に他の人達も押し寄せてくる可能性があるからだ。前者はともかく、後者は絶対に避けなければならない。

 ドレスのような正装の裾を持ち上げ、必死に走る。靴もヒールで走りにくい、よく先程逃げる時に引っかからなかったなと思う。

 館の裏側には、森がある。だが、記憶が正しければここから抜ければ一般道まではそう遠くない。

 洋館から離れ、森に入ろうとした。


「待ちたまえ」


 男の、声がする。

 女富豪たちはゆっくりと振り向いた。


「商品に逃げられるのは、非常に困るのだよ。出来れば大人しくしておいて欲しいものだね」


 初老の男は、まるでニュースを読み上げるかのような無機質な声で述べた。


「な、何言ってるの、私たちは……」

「無理よ。これが相手ではそのカモフラージュは通用しない」


 パチン、と指を鳴らす。

 女富豪たちのシルエットはやがて、守花もりかなぎさへと変わった。

 あの後、悩んだ二人は「客に紛れて助けを待つ」という考えに至った。『カルナバル』のメンバーに変身するのも考えたが、彼らが持つ合言葉や礼儀などをいちいち知るのは逆にリスキーだ。それにやって来た渚の仲間に間違えて殺されては元も子もない。客に変身するのが一番リスクがないと、そう考えたのだ。

 男は楽しそうに笑っている。


「まさか、こんなことになるとはねぇ。一世最大のミスだ。おぉ、神よ。我が失態をどうかお許しを……」

「そう、つまりは……あなたが『総長』だってことね」


 男の口が大きく歪む。

 総長。守花にも聞き覚えがあった。刀護は孤児院の総まとめをしている人物のことを『総長』と呼んでいた。で、あれば。この男は……。


「複数の孤児院を持ち、商品価値のある子供を組織で引き取り、オークションに出す……。孤児院からも『カルナバル』からも、総長と呼ばれる男……。まさしく最悪ね」

「何とでも言いたまえ。神は我らの罪を許して下さる。そう、神がいる限り、正しさがこちらにある限り! 私たちは負けないのだよ」


 ゆっくりと、総長が二人に近づく。

 守花が渚の前へ出た。自分の右手を熊に変え、ぐっと構える。

 怖い。戦うのは本当に怖い。だが、この状況では自分が助かったとしても渚が助からない。それに何もしなかったら、間違いなく死ぬ。総長の殺気が、守花の獣の勘を振るわせていた。

 総長は守花の目の前まで歩くと、その場で止まった。

 風が、草木を掻き分け守花の頬に届く。汗を拭きとるように流れた風は総長にも届いた。


「……どうした? 攻撃しないのかね?」


 守花の手は震えていた。

 傷つける、相手を。だがしなければ。こちらが苦しむだけだ。


「っ……あ、はぁぁぁぁぁ!!」


 熊の拳が総長に近づく。


「『苦痛ペイン』――『連鎖獄チェインエーク』」


 拳が、総長に届いた。腹に直撃し、後方へとふき飛ぶ。


「やった」


 渚が拳を握る。

 だが。


「……ぁ…………」


 守花が、腹を押さえて膝をついた。まるで、その場所を攻撃されたかのように。

 総長がゆっくりと起き上がる。


「やれやれ……痛いじゃないか。拳を行使する方にも、その痛みは味わってもらわないとね」

「っ……何したのよ!」


 渚が叫んだ。


「君は『エフェクト』を知らないようだね。この世界には、同じ質のアストラル能力がある。だが、魂の在り方で決まる術であるエフェクトだけは、この世界に同じものはないのだよ」

「そんなことを聞いてるんじゃない!」

「あぁ、私のアストラルは『苦痛』。私と彼女の痛覚をリンクしたんだよ。だから、私の痛みは彼女の痛みだ」


 総長は嬉しそうに微笑んでいる。それはつまり、これ以上攻撃を加えようものなら、守花が危ないということだ。

 ガリッと渚の歯が鳴る。


「こんな風に……」


 総長が先程守花に殴られた場所を、自分の拳で殴りつけた。


「がっ……!」


 守花の体がビクンと跳ねる。


「あんた……!」

「私のアストラルはその名の通り、苦痛を司る。自分の痛みを軽くして、他の者の痛みを増強するなど簡単なことだ」

「っ……『道化クラン』!」


 総長が何かを感じ取ったかのように驚く。


「何と、私と彼女のリンクを切ったか。しかしどのように……」

「教える訳ないでしょ。私のアストラルは何でも出来るのよ」


 見栄を張る。簡単な話だ、総長と守花の「連鎖」という現実を嘘で塗り潰しただけだ。これで守花が今抱えている痛みが消える訳がない。それに、このアストラルだって万能じゃない。

 総長が考えるように頭を押さえる。


「『道化』……『犠牲スケープゴート』と同じ『七つの宿命セブンエングエイブ』か。いやしかし……」

 渚が飛び出した。

 自分の攻撃では決定打は放てない。だが逃げることは出来ない。なら助かる道に少しでもかけて、攻撃を――。


「まぁ、どうでも良いか」


 総長が、指を渚に向ける。


「『苦痛』――『痛憤の苗木ペイン・ザ・シード』」


 総長の指から、小さなエネルギー弾のようなものが放たれる。渚の右肩にそれは刺さった。

 右肩から全身へ、激痛が襲う。


「あがっ!? あぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 異常なまでの痛みに、渚は右肩を抑えながら転がり回る。波打つかのような痛みが血管から全身へと広がった。経験したこともない痛みに脳がグチャグチャになる。痛みに意識が支配され、自分が声を出しているのかどうかすらもわからない。

 総長はあくまで余裕な様子で呟く。


「ふむ……少しやり過ぎたか。しかしこれで反抗心を折れるのなら、それも構わないか」


 うずくまる守花、叫ぶ渚。

 もう少し、苦痛を与えようと総長は思った。心を降り、絶望に染め、最後に更なる激痛を与えて破壊する。そうすることで、彼女らは神から祝福される道具となる。それは何よりも素晴らしいことだった。


「正しさを持たない、それは何よりも許されない罪だ」


 総長が口を開く。


「君たちは家族に捨てられた者たちだ、真っ当な道から逸れてしまった者たちだ。正しくない者は、その罪を償う必要がある。金で変われ、奉仕をし、その生を終える。そうして初めて、罪が終わるのだ」


 彼の目は酔いきって濁っていた。それは聖職者とは思えない、邪悪なものだ。


「……何が、正しさよ」


 うずくまっていた守花が、ゆっくりと立ち上がる。


「あんたみたいなのが……桐生くんを苦しませていい理由にはならない!」

「ほう、そう来たか……」


 総長は嬉しそうに頷く。


「正しさとは在り方だ。認められなければ正しさではない。絶対的な正義は、神に認められた私たちにある」

「有り得ないね……」


 渚もよろよろと立ち上がった。


「人は……正しさを踏み外して初めて救われるのよ。正しいだけの正しさなんて人を傷つけることしか出来ない」


 彼女たちの目は、まだ死んではいなかった。


 ――さて、そろそろ、彼女らに相応しい結末を。


 総長が、渚に触れようとした時だった。

 ドン、と深い足がする。


「待たせたな、クソ野郎」


 その声は、痛みに支配された彼女たちに光をもたらした。

 そっと、二人は顔を上げる。


「……さながら神に歯向かう魔王だな、君は」


 総長は言葉に反して嬉しそうに笑う。


 希望を連れた英雄は、『犠牲スケープゴート』は、拳を握りしめて立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る