四章「正しい意義」②強かな少女たち

 目を覚ましたそこは、とにかく暗く、無機質なところであった。

 薄暗がりに僅かに差し込む光。手首が黒光りし、動かす度にジャラジャラと金属音が聞こえる。


 ――え、何これ……?


 守花もりかはひたすらに混乱した。とにかくよくわからない謎の状況に辺りを見渡す。光が足りず、あまり周りが見えない。

 そういえば、目を瞑って数十秒数えれば、目が暗闇に慣れて周りが見えるようになるという話を聞いたことがあった。目を瞑って、心の中でカウントを始める。数を数えて落ち着くごとに、気を失う前のことを思い出した。


 ――そうだ、私は買い物の帰りにいきなり口を塞がれて……。


 そこで記憶は途絶えていた。

 冷静に考えれば、これは誘拐だ。自分はどこの誰とも知らない人間に捕まり、こんな場所に連れて来られた訳だ。

 数を数え、思い返し、少し頭の中が整理出来た。そろそろ目が慣れてきたはずだ、守花はそっと目を開けた。

 薄暗いが、先程よりはよく見える。光は廊下からだ、鉄格子から光が入ってくる。守花がいる中は非常に無機質で特筆すべきものがあるとすれば、壁に繋がれた鎖だ。それは守花の手首に伸びていき、手枷となって行動を制限されていた。


 ――え、どういうこと!?


 冷静になれる訳がない。

 驚いて動いたせいで、鎖が鳴り響く。手を動かすが、もちろん簡単にとれるのであれば苦労しない。必死に手を動かしながら、もう一度周りを見渡す。

 一単語だけで言えば、ここは「牢獄」。罪を犯した者が同じ過ちをしない為に捕らわれる最後の砦。

 息遣いが荒くなる。


 ――どうして、私がこんな……。


 自然と涙が溢れてきた。

 途端に廊下の方からも鎖が鳴る音、混乱の声、鉄格子を揺するかのような音が聞こえてきた。どうやら自分一人だけではない上、他の人たちも目を覚ましたらしい。

 念のために、守花は自分の服のポケットを確認する。当たり前だが、携帯電話はない。

 周りのパニック状態に、守花の心も擦り減っていく。


「……もう、うるさいなぁ」


 部屋の隅から、声が聞こえた。振り向くと、そこには小さな少女がいた。どうやらパニックが原因で見逃がしていたらしい。

 少女はゆっくり上体を起こすと手枷と部屋の状態、そして外から聞こえる音を確認する。


「ありゃ、大変なことになってるね」

「そんな冷静でいられる場合!?」


 思わず守花は声を上げた。


「私たち、これからどうされるかわかったものじゃないのよ!?」

「うーん、そうだね。これから私たちは売られるよ」

「え?」


 冷静な返しに、守花は思わず驚く。


「要するに人身売買。私たちは人を道具と見るゲスな連中に売られて、同じくゲスな連中に買われて、奴隷になるのが結末よ」


 彼女の達観したかのような言いぐさに、守花は完全に呑まれていた。彼女はあくまで冷静に、手枷と鉄格子を観察する。


「うーん、特に苦労なく逃げられそう。外に連絡さえすれば何とかなりそうね。それにしても個別じゃないのが厄介ね、この人の前で堂々と逃げる訳にもいかないし……」


 立ち上がると、彼女は手枷が許す限りで鉄格子に近づき外の様子を見る。見張りはいない、ただ薄暗い廊下だけが続いている。曲がり角があるせいで全体の様子は全てわからないが、ここから出たところで、外の見張りを突破する必要がある。

 少女は複雑な表情をする。


「これ、見張りがいたら厄介ね。私は、戦闘向けじゃないからなぁ……」

「……一人いるわ」


 それまで黙っていた守花が口を開いた。驚いたように、少女は守花の方を向く。


「どうしてわかるの?」

「匂いよ」


 驚いた表情をする少女。何かを考えるような仕草をすると、少女は熊谷の前へ歩いていき、顔を覗き込むようにしてしゃがんだ。


「ねぇ、私とここから脱出しない?」

「だ、脱出……?」


 少女は軽く「そう」と言い放つ。


「多分この中で、使い物になるのは私と君くらいだね。なら少数を切り捨ててでも助からないといけない。違う?」


 違わない。この状態で仲良く全員脱獄なんてことは不可能だ。自分たちだけ助かるにしろ助けを呼ぶにしろ、ここから出なければならない。

 唇を噛みながら、決意をする。ここから出なければ、結局未来なんてない。

 少女は何も言わない。じっと守花を見つめ、彼女の答えを待っている。

 やらなければならないことが、ある。


「……やるわ」


 苦渋の、決断。


「あんたに、協力してあげる」


 少女はニヤリと笑うと、改めて守花の方を向いた。


「私は狭間渚はざまなぎさ、よろしくね」


 渚が指をパチンと鳴らすと、手枷がまるで鍵をかけていなかったかのように外れた。期待の眼差しを守花に向ける。


「私は……」


 心の中で、呟く。


 ――『ベアー』。


 守花の腕は獣のように太くなる。手枷が無理やり破壊され、残骸が床へと落ちる。


熊谷守花くまがいもりかよ」


 思わず渚は口笛を吹いた。



   ***



 他の捕らえられた人たちも現実が見えてきたのか、すすり泣く声と唸り声が聞こえてくる。再び彼女たちは立ち上がった。

 守花は「アストラル」という言葉も知らず、その全ての真髄を知らない。彼女の持つアストラルは『熊』。自分の身体能力、身体状況を文字通り熊へと変換させることが出来る。また、熊の嗅覚は人間の約百倍、犬の約七倍ある。守花が見張りの存在に気づいたのはそのためだ。

 渚は部屋から出る前に、再び指を鳴らす。すると部屋には鎖に繋がれぐったりと顔を落とした守花と渚の姿が現れる。もちろんそこにいる守花は自分じゃない、自分じゃない自分が鎖に繋がれ大人しくしている。


「な、何これ……」


 驚く守花に、渚は淡々と告げる。


「私のアストラルは『道化クラン』、嘘を限りなく現実に近い虚実にすることが出来るの。私が作り出したこの二人だって、触れるし喋れるわ」


 思わず虚実の渚に触れてみる。肉感のある感触と体温が手のひらから伝わってきた。


「……何よ」


 虚実の渚が守花に話す。ぎょっとして渚の方を向いた。


「ね?」


 こちらの渚は笑っていた。

 鉄格子から手を出し、彼女はそっと施錠部分に手を触れる。カチャっと音がした。恐らく彼女のアストラルで施錠を無効にしたのだろう。

 彼女は目配せをし、守花と共に部屋を出た。

 曲がり角からそっと扉を覗く。守花はそっと目を瞑り匂いを感じ取った。


「……扉の外に一人いるみたい」

「どうしようかなぁ……あんまり物音たてるのも得策じゃないしね」


 じっと考える渚。直ぐに何かを思いついたかと思うと、守花に話しかける。


「あなた、戦闘技術はどのくらい?」

「そんなの、ある訳ないわ。そもそも誰にも見せたことがない、あなたが初めてよ」

「でも私では決定打に欠けるし……この方法しかないわね」


 渚は考えた通りのことを守花に伝えると、ため息をついた。

 目の前の扉が開く。外にいた見張りが違和感を憶えて入ってきたのだ。黒いスーツに身を包み、銃を片手に携えていた。

 見張りの目の前に、同じようにスーツを着た男がいる。


「神の名の元に、奴らに現実を教えてきた」

「そうか、ご苦労だった……うん?」


 見張りの男は違和感を憶える。確かにその男は同じ組織の一員で見覚えがあった。だが、男が外で見張りをしていた記憶上、ここに入った者は一人もいない。


「お前……」


 銃を構えようとした瞬間だった。

 男の後ろから少女がふっと現れ、見張りへと急接近する。守花だ。

 見張りが銃をそちらに向けようとしたが、銃は手から弾き落とされる。男が銃を持つ手を思いっきり叩いたのだった。

 守花の腕が熊のそれへと変わる。


「つぁああああ!!」


 獣の一撃が見張りの顔面崩壊へと叩き込まれた。壁に叩きつけられた彼は力無く崩れ落ちる。

 はぁはぁと肩で息をする守花。


 ――し、死ぬかと思った……。


 今までこの力を戦いに使ったことなんてない。使い道があるとすれば、匂いで雨が降ってくるかどうかを判断するくらいだ。出来ればこういう体験は二度としたくない、というか今日だけで終わりだと心に強く誓った。

 男が愉快に笑いながら「お疲れ様」と声をかけてくる。


「あんたねぇ……もうちょっと手心とかない訳?」


 ふふっと笑った男の姿が、次第に小さな少女のものへと変わる。


「仕方ないじゃん、私より君の方が確実に仕留めることが出来るんだから。私じゃ決定打に欠けちゃうのよ」


 渚がふふっと笑う。

 さっき見張りの前にいた男は渚がアストラル能力で変身した虚像だった。もちろん、人を入れた憶えのない見張りは違和感を持つはずだ。その一瞬の隙を、守花がつき確実に仕留めるという作戦だった。

 渚は見張りの持ち物を漁っていく。スーツなので物色にあまり苦労はしなかった。見つけたのは通信機の他に十字架、バッチ、携帯電話、端末、だった。

 通信機は普通のものだ、特に変わったことはない。十字架、これは恐らく『カルナバル』の一員である証明のようなものだろう。バッチはこの館に入るための許可証だろうか。何故携帯電話を持っているかはわからないが、これで外と連絡を取ることが出来る。端末はどうやら指紋認証のものらしい。

 倒れている見張りの指紋を使い、渚はせっせと端末を閲覧していく。


「あんた……何者なの?」


 不思議になった守花が口を開いた。こんな自分よりも小さい女の子が、何故こんなにも手馴れた様子で淡々とこの状況に対応出来るのか。その不思議は最早、不気味さまで感じてしまう。


「私? 非政府組織『イグジストチルドレン』の一員だよ。『カルナバル』を調べて潰すために来たわ」


 顔色を変えずに渚は言った。


「ちょっと訳ありな来歴があってね、もう私は表舞台には戻れないの。だから私は、助けて貰った場所で自分なりに出来ることをやっているだけ」


 ――だから、彼に惹かれたのかな。


 なんて、恥ずかしくなって顔を振った。

 守花は彼女の話と雰囲気で、自分とは別世界の人間なのだということを改めて知らされた。守花が内面に持つ「非日常」と彼女が持つ「非日常」では、根本的に違う。


 ――頑張らないと、帰れないしこの子の足を引っ張ってしまう。


 一人、グッと決意した。

 一方、渚は端末にあった情報とこの建物の配置図を頭の中に入れていた。

 大きな建物だ、言いかえるなら洋館に近い。一階にある大講堂が恐らく人間オークションの会場となるのだろう。二階からも見物出来るようで、二階の一部と三階は裏で照明や機械などを操作するためのスペースらしい。そして今、自分たちがいるのは地下だ。もちろん商品を保管するための場所で、最低限の機能しかない。それと同時に、こんな場所が街中にあれば直ぐに摘発されるだろう。つまりここは山奥、そして今現在の時刻は夜の一時、京都から一日しか日を跨がずここまで来るとなるとある程度時間がいる。そして、組織で見せられた『カルナバル』のオークション会場の候補地から割り出せば……。

 なるほど、と納得する。オークションが始まるのは三時から、今ならまだ間に合うかもしれない。

 渚は立ち上がると、通信機を手に取った。


『――こちら指令室。B班、異常はないか?』


 通信機から声がした。確認の連絡だ、次々にB班の人物たちから「異常なし」の報告が聞こえてくる。

 渚はそっと首に手を触れる。


「こちら商品保管庫、異常なし」


 見張りだった男の声だ、完全に一致している。

 特に難なく連絡が終了する。自分の声が出ないように口を押さえて息を止めていた守花が大きく息をした。


 ――だ、ダメかと思った……。


 あと何回このような思いをしなければならないのだろう。何だかゲッソリしてきた。

 二人は渚のアストラルを駆使し、地下室から出て一階へと到着した。

 早速、渚は携帯電話を開く番号をタップすると耳に添え、一言。


「コードネーム『クライ』より、施設は二番。以上」


 それだけを言うと渚は携帯を床に放り投げて、踏みつけて破壊する。


「それだけで伝わるの?」


 守花は不思議に思って問い掛ける。


「盗聴されていたとしたら、情報が筒抜けになるでしょう? これで伝わるから大丈夫」


 ともかく、捕まった渚が精一杯出来ることは終わった。後は助けを待つことのみだ。とはいえ鉄格子に戻るのも状況的に少し無理がある。どうしようかと考えつつ、辺りを見渡した。

 守花も同じく、周りを見渡してみる。もちろんだが、隠れられそうなところは毛頭ない。

 ふと、守花の頭にアイデアが浮かんだ。


「なら、こういうのはどう?」


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